第2話
教室に到着。メフィ子とは途中で別れた。当人の主張によれば別のクラスだそうだからだ。彼女は別れ際に弁当箱をくれた。それは怪しげな紋様をした紫色の布に包まれていた。昼食にどうぞとのことだ。
教室の席に座った俺は辺りを見渡す。いつもと変わらない日常の景色だ。今朝がたあんな突拍な出来事がわが身に到来し、自身のことを悪魔と称する珍妙な人物と共にここまで一緒に歩いて来たなどとはとても信じられない。
だが俺は机の上に置かれた弁当箱を見る。ついでに持ち上げてみる。このようなものは俺の日常には存在しない。昼飯といったらいつも購買でてきとうに安いものを買って済ませている。手作り弁当などという余計に手間がかかりそうな代物とは縁のない人生のはずだった。
ふと、窓の外を見る。どこまでも広がる澄み渡った青空に、孤立した雲がぽつりぽつりと浮かんでは気ままに流れていく。そのままじっと眺めていると、つい時が経つのを忘れるのを感じる。こんな俺のちっぴけな悩みなんぞ知るものかと今日も地球は周り続けるのだ。
俺はほんの少しため息をつく。
「これが人生の重みか……」
そんな小生意気なことをもらしてみる。人生の重みなど知ったためしもないし、できれば人生舐めたまま生涯を終えたいと心の底から願っているのだが。
予鈴が鳴る。どうやら俺はちょうどいい時間に教室にたどり着いたらしい。これなら退屈な暇つぶしをしないで済む。俺はさっさと授業を受ける準備をすることにした。
*
昼休憩を知らせるチャイムが鳴った。教室の生徒たちが楽しそうな声をあげながら教室の外へと出ていったり数人でグループを作って机を囲い込み始めた。
一方の俺はいつも通りだ。友達なんていないし、そもそも周りの生徒から自分の存在が認知されているかどうかすら怪しい。なのでいつも通り教室の片隅で一人そっと昼食をとることにする。
あれからメフィ子からの接触はなかった。クラスを尋ねたときの反応のことと言い、そもそも彼女が現在学校にいるかどうかすら怪しい。
とにかく俺は彼女から手渡された弁当をありがたく頂戴することにした。お金なら一応両親の遺してくれた貯金があるが、節約ができるならそれに越したことはないのだ。
朝食が美味しかったのだから昼食もさぞうまいに違いないだろうと期待に胸を膨らませて俺は弁当箱の包みを開く。
怪しげな紋様をした弁当箱の包みの中には禍々しい見た目の弁当箱が入れられていた。妙な具合に黒ずんでいて、所々に顔のように見えなくもない特徴的な木目のある艶やかな楕円形の木箱だった。
弁当箱と一緒に一枚のメモが入れられている。そこには『真心に呪いを込めて作りました』と丁寧な字で書かれていた。
俺の期待の一部はそのメモのせいで既に戸惑いへと変化してしまっていたが、それでも俺は弁当を食べることにした。
ところが中身はいたって普通であった。いや、普通どころか可愛いらしくすらあった。中身はまるで幼稚園児がピクニックに行く際にママに作ってもらうようなかわいらしい料理でいっぱいだった。白米の上に絵も描かれている。どうやらそれはデフォルメされたメフィ子の似顔絵のようだ。その絵は努めて気にしないことにするとして、一見したところ特に呪いらしきものは見受けられない。
俺はとりあえずその中のタコさんウインナーを口に入れてみる。食欲をそそる艶やかな赤色をしていてご立派に足を八方に広げているごく普通のタコさんウインナーに見える。
「……?」
ところが俺の知っているタコさんウインナーと少し違う。噛むたびに歯にまとわりつく妙な吸着感があるというか、まるでぬっちゃりとした固い米でも噛んでいるかのような触感だった。味の方もウインナーというよりは、頑張って例えるならシャイニングマスカットをぐつぐつ煮込んだ後で三日間放置したような味がした。端的に言ってまずい。
そのゴム毬のような固い食物を飲み込むのにひどく時間がかかってしまう。
不穏に思いつつも今度はミートボールの方を食してみることにした。見た目は普通の鮮やかな茶色のソースの絡んだ肉肉しいミートボールだ。
「………………」
なんというかこう、妙に閉塞感のある味だった。例えるなら密室の中に味わいを全て閉じ込めてそのまま外に出られないよう至る所に鍵をかけたみたいな。うまいともまずいとも形容しがたい不可思議な味だった。
俺はものすごく微妙な表情をしながら弁当を食べていたに違いない。
「おいしいですか?」
「うわぁ!」
突然横から声をかけられ横を見る。するとそこには眼鏡をかけたメフィ子がいた。彼女は席に座った俺のことを見下ろすように見ていた。俺は彼女が近づいてきたことにすら気付けず文字通り飛び上がらんばかりに驚いてしまった。
「新次元の、味ですね……」
俺はメフィ子から目をそらしつつ苦い表情で言う。朝食はあんなにも美味しかったのに。
「気に入ってもらえたならなによりです。手間暇かけて作ったかいがありました」
別に褒めてはいないのだが、確かに手間暇はかかってそうだった。一体どんな悪魔的手法によってこんな摩訶不思議な味と触感が作り出せるのだろうか。
「参考程度に聞きたいのですが、これって普通の食材を使った料理ですよね?」
俺がそんなことを尋ねるとメフィ子は小さく首をかしげながら、「何をそんなことを疑問に思っているのか」とでも言いたげな不思議そうな表情をして口を開く。
「ええもちろん。魔界で一般的に流通している普通の食材ですが」
「……ちなみに、今朝の朝食はどうやって作ったんですか?」
気になったので尋ねてみる。
「あれはてきとうにその辺のスーパーで売っている食材で作りました」
「なるほ、ど?」
てきとうに作れば普通以上、凝って作れば摩訶不思議になる。なんだその芸術家がこだわりすぎて常人には理解できない域に達したみたいな。
「次からはもっと気楽な感じお願いします。色々と大変でしょうから」
作ってもらっておいてなんだができれば普通の食材の普通の料理が食べたいのだ。
「真心ですので、そこは苦になりませんよ」
「いえ、お気持ちだけで……」
俺は真心を込めてメフィ子の申し出を断る。すると彼女はおもむろにあごに手を当て何かを考えるそぶりをしだす。そしてしばしの沈黙の後、メフィ子は何かに合点がいったように目を見開きこぶしを手のひらにポンと叩く。
俺はその様子を見て漠然とした不安を感じ尋ねる。
「変なこと考えてないですよね?」
「え、なにがでしょうか?」
メフィ子はこちらの顔をまじまじと見つめて言った。
「ちなみにこのウインナー、何からできているんですか? 明らかに普通の肉を使っていないような……」
俺はタコさんウインナーを箸に取り尋ねる。
「クラーケンですね」
「はい?」
あまりよく知らないが確か神話か何かに出てくるタコの怪物だということは知っている。
「せっかくのタコ型ウインナーなのにわざわざタコ以外の肉を使うことに昔から疑問を抱いていました。そこで思い切ってクラーケンの肉を使ってみることに」
どうしてそのタイミングでそんな明後日の方向へと思い切ってしまったのか。せめて普通のタコを使えばいいのに。
「……ちなみにこのミートボールは?」
あの閉塞感の正体は気にならないでもない。
「それは中にゴブリンの閉じ込められた食用トレントを百年かけて煮込んで、その後にすり潰して丸めて焼いたものです」
「………………」
もはや何も言うまい。
とはいえ作ってもらった手前、たとえ摩訶不思議な弁当でも残すわけにはいかなかった。第一食材がもったいない。というわけで俺は残りの弁当を食す。
「そういえばあなたは昼食を食べないんですか?」
メフィ子お手製弁当の摩訶不思議な味わいと触感に舌鼓をうちながら、ふとメフィ子の昼食事情が気になったので尋ねてみる。彼女は俺が食べてる間中ずっと横に立って俺の食べる様子を見ているだけなのだ。はっきり言って食べづらい。
「これがあります」
そういって彼女はおもむろに制服のポケットからコッペパンを一つ取り出した。ちょうどポケットサイズの手ごろなコッペパンだ。そしてそれはまたしても抜き身で出てきた。埃とか砂とか色々かぶっていそうなものだが大丈夫なのだろうか?
「……何か挟みます? あなたの作ってくれたウインナーならここにありますが」
メフィ子の取り出したコッペパンにはちょうど切り込みが入れてあった。俺は弁当箱のタコさんウインナーを箸でつまむ。
「いえ、遠慮しておきます」
そういってメフィ子はコッペパンを素早く引っ込めた。
「今明らかにヤバいって反応しましたよね?」
「さぁ。でもこのままの方が個人的には好みですので」
メフィ子は素知らぬ顔でそう言った。そして彼女はコッペパンを口にくわえると、そのまま教室から出て行った。その様子を周りの生徒たちが唖然とした表情で見ている。こいつは羞恥心とやらを冥界かどこかに置き忘れてしまったに違いない。あるいは彼女のような超自然的存在を人間の尺度で測ること自体が間違いなのだろうか?
「……食べよう」
俺はさっさと残りの弁当を片づけることにした。
それから放課後。
「帰りますよ」
「うわぉ!」
さて帰るかと。帰りの支度をしていたところに突然横から声をかけられた。見ればメフィ子だった。帰りのチャイムが鳴ってから数秒もたっていないはずなのに一体全体どこから湧いて出たのやら。
「びっくりさせないでください」
「びっくりさせてしまいましたか」
目を見開いてキョトンとした表情でメフィ子は言う。
「あまり話しかけられること自体に慣れていないので今度からは優しくゆっくりと話しかけてきてください」
「悲しい冗談ですね。野うさぎか何かですか?」
そう言ってメフィ子は口元に手を当てフフッと笑う。
「……ところで、俺に何か用ですか?」
まぁ大方何を言われるかは予想がつくのだが。
「ご一緒に帰宅しようかと」
そんなことを、さも当然の流れであるかのようにメフィ子は言う。俺は努めて冷静さを失わないよう慎重に口を開く。
「……メフィ子さん。あなた、ご自分の家は?」
俺はひどく痛み出す頭をおさえながら尋ねる。
「あなたの家が私の家です。世話係ですので」
なるほど合理的な理由だ。『彼女が俺の世話係である』という極めて非合理な前提が正しければの話だが。
「……それなんですが、よくよく考えたらあなたが俺の知らないところで勝手に結んだ契約に俺が従う道理なんてありませんよね? だって俺自身は契約を結んでいないわけですから」
あれから俺も考えたのだ。さすがに悪魔である見知らぬ少女と今日からいきなり同居などという事態は避けたかった。
「そうですね。だからこうして世話を押し付けているんですよ」
メフィ子はあっけからんとした表情でそんなことを言う。なるほどなるほど。
「警察とか呼んだらどうなります?」
「悲しい警察官たちが一晩のうちに大勢増えるだけかと」
そんなことを妖し気にフフッと笑いながらメフィ子は言う。嘘か本気か知らないがいずれにせよ警察を呼ぶわけにはいかないだろう。
ところで今気づいたのだが、どうやら先ほどから俺とメフィ子とのやりとりを周りの生徒たちがじろじろと眺めているようだ。無理もない。そもそも俺は神聖ぼっち帝国の末裔にしてこの教室の片隅の王者だ。普段から陰気臭さをこれでもかと垂れ流しているこの俺がまともに人と言葉を交わしていること自体大変珍しいのだろう。
「……やっぱり一緒に住む感じになるので?」
俺は周りの視線が急に気になりだしてぐっと声が小さくなる。残念なことに、俺は目の前のこいつと違って周囲の視線に対してこれほど超然とはなれなかった。
「当然です。世話係ですので」
「……一緒に帰って友達に噂されると恥ずかしいし」
俺は最後の抵抗を試みる。
「あなた友達いないでしょう。もう面倒です。とっとと行きますよ」
だがそんな俺の抵抗も空しくぴしゃりとメフィ子は言い放つと、堰を切らしたように俺の腕を掴みそのまま引っ張り始めた。見た目とは裏腹にかなりの力持ちなようで、まるで力士にでも引っ張られたかのような衝撃が身体全体に走る。
「いてててててててて」
美少女に引っ張られるという男子的には限りなく嬉しいイベントのはずなのに痛すぎてそれどころじゃない。
こうして周囲の視線を浴びながら俺たちは教室を後にしたのだった。
*
夕食。カチャカチャと、食器の鳴らす静かな音だけが食卓を包む。
「………………」
目の前にはメフィ子がいてなぜか白米だけを食している。今更だが悪魔でも普通に食事するんだなと、普通に善良に生きてさえいればまず抱くはずのない感想を抱く。
対して俺の方はメフィ子のことをちらちらと見ながらスーパーで安売りされていたメザシを箸でつついていた。これは元々冷蔵庫にあったやつでメフィ子が焼いてくれたものだ。どうやら今朝の食事は彼女なりのお祝いで特別豪勢なだけだったらしい。普通そういうことは昼食か夕飯にやるものだと思うが、悪魔に常識的なツッコミを入れたところで仕方がないだろう。
それにしても落ち着かない。かれこれ十年ばかり、俺は自分一人だけで飯を食ってきた。そこに急に異物というか見知らぬ悪魔というか、誰かがいるというのはそれだけで調子が狂ってしまう。正直目の前のメザシの味もよくわかっていなかった。
「おいしいですか?」
「え?」
「メザシです。初めて焼いてみたのですが」
「え、ええ……」
俺はたじたじになってこたえる。まぁ普通に焼けばいいんじゃないかと思うが、プロレベルになると色々とこだわりとかが出てくるんだろうか。
「……あなたはそれだけでいいんですか?」
俺はメフィ子の食べているぴかぴかの白米をじっと見つめながら尋ねる。
「おいしいですよ」
無表情だからはっきりとしたことはわからないが、確かにさっきから黙々とだが嫌がるそぶりもなく箸を進めているように見える。かといって特別好きという感じも伝わってはこないのだが。
「……なるほど」
まぁ人の趣味趣向にとやかく言えたものではない。こちらの尺度では計り知れないほど彼女は本当の本当に白米だけを食すのが好きなのかもしれない。裸の食パン、何も挟んでないコッペパンを食すのが好きなのかもしれない。
「冷蔵庫にデザートのプリンがありますので」
「………………」
いよいよ所帯じみてきたな。
それから夕食後、俺は椅子に座りながらメフィ子の家事姿を眺めていた。
制服の上にピンクのかわいらしいエプロンを身につけ食器を洗っているその後姿を見ながら思う。もしかしたら自分はとてつもない幸運の渦中にいるのかもしれない。目の前の景色はある種の男の理想ではないかと。
とはいえ、それもこの少女が正規の手続きによってお嫁さんになったくれた場合の話だ。何といっても彼女は突然現れてほとんど理由もなしに家事をしてくれているのだ。しかもその正体は悪魔ときた。裏によからぬ企みがないと考える方がおかしいだろう。
「そんなに私のお尻を眺めてどうしたんです?」
家事中のメフィ子が背中越しに尋ねてくる。確かに良い形の尻をしているがそうじゃない。
「あなたの狙いは何だろうと思いまして」
「狙いも何も、私はただ契約を果たすだけです。そのための対価もきっちり頂いておりますから」
「……そういえば、その対価ってなんです?」
もしかしたらその対価とやらが何か知ることが出来ればこんな理不尽を押し付けてきた契約者の正体も分かるかもしれない。
「魂ですよ」
「え?」
「悪魔が契約の対価としてもらうものといったら魂以外にはありえません」
「……いったい誰の?」
誰が一体何のために俺なんかの世話を悪魔に任せるために魂を差し出したのか。そんな憎まれてるのか愛されているのかよくわからないことを。我ながら誰にも関心を向けられることのない人畜無害な人間のはずだ。そんなやつに魂を賭ける価値など万に一つもないはずなのだが。
「そこまでは守秘義務なので答えられません、残念ながら」
そう言ってメフィ子は蛇口をひねりエプロンで手を拭く。どうやら皿洗いがひと段落澄済んだようだ。
「さて、それではお風呂を入れて参ります。後でお背中でも流しましょうか?」
そんなことをメフィ子はさらりと言い放つ。
「かんべんしてください」
大変ありがたい申し出だがこちらの無防備な背中を預けられるほど彼女を信頼しているわけではないのだ。決して色々と怖気づいたわけではなく。
そして就寝前。
「……それで、あなたはどこで寝るんですか?」
「寝ませんよ」
「え?」
「私には睡眠が必要ありませんので」
「……なるほど」
それはそれでありがたいことではあるのかもしれない。うっかり一緒に寝ましょうなどと提案されては困った事態になるのが目に見えているからだ。
「その代わりゲームをしていても構いませんか?」
ゲーム? ああ、そういえば今朝がたも彼女はこちらに脇目もふらずにずっとゲームに集中していたようだった。もしかして無類のゲーム好きなのだろうか?
「ええ、それぐらいなら」
だったら今度手持ちの対戦格闘ゲームをやってみるのもいいかもしれない。これまで誰かと遊ぶことなんぞついぞかなわなかったゲームだ。
俺はメフィ子と対戦ゲームをやるさまを想像して少しウキウキした気分になった。誰かと一緒にゲームをするなんて小学生以来だ。
「音の方はご心配なく。心で聞きますから」
「それは……大変素晴らしいですね」
もうここまで来たらいっそ清々しいほどまでにメフィ子が俺の家に住むことが当然の流れになってきている。そして俺も段々とそのことを受け入れ始めている。
そういえば彼女はここに来る前は一体どこに住んでいたのだろうか? 彼女の過去も色々と謎すぎる。当人曰くここに来る前にはすでに俺と同じ高校に通っていたとのことだが(これも本当か怪しいが)、いったいどんな生活を送っていたのだろうか?
「すこし質問いいですか?」
「嫌です」
「………………」
メフィ子はゲーム機のセッティングをしながら即答する。そんなにゲームがしたかったのか。確かに今朝も彼女がこちらの声かけに反応するまでに軽く数分は待たねばならなかった。
俺はメフィ子の後姿を眺めながらさっさと眠りにつくことにした。
俺の自称世話係がよくわからない件について @kokesa
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