閑話 十才の動物画家と商人⑤
それから半年ほどが経った頃――。
クリスの元に一通の手紙が届き、同じタイミングでクリスお姉さんが新聞を持ってきた。
「……」
『……クリス』
新聞の記事をじっと見つめてクリスは押し黙った。僕が鼻先でグイグイと背中を押しても身じろぎ一つしない。
「約束しただろう? あの子が何も行動を起こさなければ何の問題もない。何か行動を起こしたとしてもかわいい弟のうっかりは姉である私がきちんとフォローする、と」
クリスお姉さんは新聞に載ってる記事の一つを指さしてそう言った。商人なブルックテイラー家がダヴィくんの実家である商人なナシメント家を買収したって記事だ。
『つまりダヴィくんが何か行動を起こしたってこと?』
尋ねてみたけどペガサスな僕の言葉は人間なクリスお姉さんには伝わらない。だから、クリスお姉さんはにっこり顔で黙ったままだ。
僕には買収がどういうものかよくはわからない。でも、クリスの表情を見るにあまり〝いいこと〟ではないのだろう。
「あの異国の少年は根っからの商人だった。クリスから〝まんちかん〟の話を聞き、お金のニオイを敏感に嗅ぎ取り、〝まんちかん〟を作り出して商売をしようとした。でも、少々、思慮深さが足りなかった。私のかわいい弟の〝前世の記憶にあるモノ〟を利用して商売するにはあの子の家は――ナシメント家のやり方は商人としてのプライドが感じられない」
『商人としてのプライド?』
「商品への敬意、とも言うかな」
どういう意味だろう。
クリスお姉さんの言葉に首をかしげてた僕だったけど――。
『うぎゃ!』
クリスが振りかぶった腕に驚いて、悲鳴をあげて後ずさった。
「……おっと」
クリスが叩き付けて、クリスお姉さんが苦笑いで受け止めたのはくしゃくしゃに丸めた新聞だ。
「商人としてのプライド? 商品への敬意? それらしいことを言ってるけど僕の〝前世の記憶にあるモノ〟でダヴィくんの家が儲けることが気に食わなかっただけでしょう? ブルックテイラー家の商品の一つである僕の〝前世の記憶にあるモノ〟で、ブルックテイラー家の人が儲けることが! ブルックテイラー家よりも先に〝まんちかん〟を売り出そうとしたことが!」
『クリス、人に向かって物を投げちゃダメだよ! 危ないでしょ!』
それに――。
「……」
にらみつけるクリスの視線を受け止めるクリスお姉さんのにっこり顔は家族としての、優しくて――でも、ちょっとだけ悲し気なにっこり顔に見える。
「とにかく、だ」
クリスの言葉にクリスお姉さんは結局、何も言い返さないまま。
「ナシメント家の商売はすべてブルックテイラー家の管轄下に入った。今後はブルックテイラー家の審査なく、許可なく、商売することはできないし、そもそも我が国に来ることもないだろう。我が国へは輸送から販売からすべて我がブルックテイラー家が行うからね。あの子も二度と来ることはない。……手紙にもそう書いてあっただろう?」
クリスお姉さんはクリスがにぎりしめてる手紙を指さした。クリス宛に届いたダヴィくんからの手紙。そこには船に乗る直前に急いで出したと書かれてた。褐色の肌、黒い髪の異国の少年はたぶん、きっと、もう海の上だ。
「今回の件で一つ反省したことがある。私のかわいい弟は約束をわざと破るような悪い子ではないが、しかし、うっかりさんだ。それを認めてきちんと対策を取るべきだった。……そう、反省したんだ」
そう言いながらクリスお姉さんは人差し指でくるくると宙に何かもようを描き始めた。
そして――。
「だから、クリス。私はお前に一つ、魔法をかけようと思う」
クリスの額をツンと押した。
「クリス、お前の〝前世の記憶にあるモノ〟の価値と危険性が理解できるまで国外に出ることを禁じる。また、この街を家族の同行なく出ることも、この屋敷をベガを連れずに出ることも禁じる」
「そんな……!」
『それ、僕、完全にクリスの子守り役じゃん』
「成人は半人前が一人前になる日。人が変わる日。これは人にかける魔法。だから、十六才の誕生日には解けてしまう。けれど……もし、その頃になっても価値と危険性を理解できていないようだったら同じ魔法をかけよう。そのときは一生のことになるけれど」
「……」
『それ、僕、一生、クリスの子守り役ってこと!?』
パカパカ、パカッ! と地団駄を踏んで全力抗議する僕と唇をかんでにらみつけるクリスをじっと見つめ、もう一度、にっこりと微笑んでからクリスお姉さんは部屋を出て行った。
「ねえ、ベガ。僕はずっと、今世の僕はとてつもなく恵まれてるって思ってたんだ」
パタンと閉まったドアを見つめてクリスはつぶやくように言った。
「自由に歩きまわれる健康で元気な体。お金持ちの家。大好きな空想動物が存在する世界。前世の僕が不幸だったなんて言わないけど今世の僕はとてつもなく恵まれてる。ずっと、そう思ってた。……でも」
うつむいたクリスは封筒から黒い羽を取り出した。ダヴィくんが手紙といっしょに送ってきた、ダヴィくんの国では〝とぅかーの〟で、クリスの〝てんせい〟前の世界では〝おにおーはし〟と呼ばれる鳥さんの羽だ。
約束を守れなかったから。針を千本飲んだり小指を切ったりは無理だけど代わりに抜けた羽を入れておく。クリスならこっちの方が喜ぶと思うから。
そんな言葉といっしょに入ってた鳥さんの羽だ。
きっと、いつものクリスなら目にも止まらぬ速さで変態型に変形していたと思う。
でも――。
「前世の家族が当たり前のように、なんの見返りも求めずに僕のことを愛してくれたから家族ってそういうものだって信じ切ってた。でも、そうじゃない家族もいるんだって……今世で初めて知ったよ」
『……クリス』
目に涙をいっぱいためて唇をかむクリスにほおずりする。初めての友人との――人間のお友達との記憶は苦いモノになってしまった。
でも、ねえ……クリス。
『クリスパパやクリスママ、クリスお兄さん……それにクリスお姉さんだって〝そうじゃない家族〟じゃないと思うよ』
だって、にらみつけるクリスの視線を受け止めたときも、部屋のドアをパタンと閉めるときもクリスお姉さんのにっこり顔は家族としての、優しくて――でも、ちょっとだけ悲し気なにっこり顔に見えたもの。
『……なんて、僕が言っても伝わらないんだけどね』
だって、ペガサスな僕の言葉は人間なクリスには――クリスお姉さんにも伝わらないから。
『だから、いつかクリスお姉さんと仲直りできる日まで。その日まではしかたないから付き合ってあげるし、子守り役も完璧にこなしてあげるよ』
「……ベガ」
ほおずりする僕の首にクリスは泣きながらしがみついた。
そして――。
「なぐさめてくれるの? ベガ、優しい……なでなで、もみもみ、ぺろぺろ……」
『ぎゃー! どさくさにまぎれてなでなで、もみもみ、ぺろぺろしないで! 僕の真っ白なたてがみやしっぽや羽をぼさぼさのベタベタのカピカピにしないでー!』
泣きながらでもやることはいつも通りのクリスに僕は力いっぱい叫んだのだった。
『もぉぉぉー! 僕の真っ白なたてがみやしっぽや羽がクリスのなでなで、もみもみ、ぺろぺろでハゲちゃう前に早く子守り不要な成人型クリスに進化してよぉぉぉーーー!』
≪閑話 十才の動物画家と商人 (了)≫
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