閑話 五才のペガサスと女神さん②
「はい! 朝の回診、おしまい!」
女の人の明るい声にパッと目を開く。飛び込んできたのは見たことのない物や素材や、なんやかんやにあふれた場所で――。
『……!?』
「ここはクリス・ブルックテイラーが転生する前に暮らしていた世界。あなたが暮らす世界とはまったく別の世界です」
パニックで後ろ足キーックからのぴょんぴょん尻っぱねをしようとしていた僕は女神さんの説明にたたらを踏んでどうにかこうにか落ち着いた。
クリスは時々、五才の舌足らずな調子で〝てんせい〟前のことを話す。
〝にほん〟の〝とうきょう〟というところで生まれ育って、絵を描くのが好きで、空想動物が出てくるファンタジーなお話を読むのが好きで、十三年の人生のほとんどを病院のベッドの上で過ごしていたって。
『そんな〝てんせい〟前のクリスが暮らしてた世界……』
クリスの部屋よりも全体的に白っぽくて、清潔感はあるんだけどちょっと無機質な部屋をぐるりと見まわしたあと。やっぱり白っぽくて無機質なベッドに横たわる、たくさんの透明な
黒い髪、濃い茶色の目をしてるし、十才前半くらいの少年の姿をしてるけどすぐにわかった。クリスパパとクリスママ譲りの金髪碧眼じゃないし、五才のまだまだ幼児な姿でもないけどすぐにわかった。
『……クリスだ』
ベッドに横たわってる男の子はまちがいなくクリス。たぶん、この少年が〝てんせい〟前のクリスなんだ。
……てのはわかったけど。
『結局、僕のどっちな願いを叶えようとしてるの、女神さん』
てところはさっぱりわからないので女神さんに聞いてみる。あいかわらず謎の光のせいで顔が見えない女神さんはたぶん、きっと、にっこり笑って言った。
「〝てんせい〟前のクリス・ブルックテイラーを見てみたい、という願いを叶えました」
目を閉じる直前、僕はお星さまに願い事をした。
――どうかクリスが変態型クリスに変形しなくなりますように。
――せめてもうちょっと大きくなったら落ち着いてくれますように。
んでもって眠りの世界に落ちる直前にこんなこともつぶやいた。
――〝てんせい〟前のクリスってどんなだったんだろう……ちょっとだけ……見て、みたかった……かも……。
つまり――。
『一番最後につぶやいた、いっっっちばんどうでもいい願い事を拾われてる!』
人間なら頭をかきむしって絶望するとこだけど僕はペガサスだからそんなことはできない。代わりにひづめをパカパカと鳴らして地団駄を踏んでると――。
「朝ごはん持ってくるからちょっと待っててねー」
女の人が僕の横を素通りしてく。どうやら僕のことも、女神さんのことも見えてないらしい。
「……ありがとうございます」
〝てんせい〟前のクリスがにっこり微笑んで、だけど弱々しい声で言った。女の人はひらりと手を振って部屋を出ていくとそっとドアを閉めた。足音が遠のいて、誰かと話す声が聞こえてくる。
「今日はどうだった?」
「小康状態ってところかな。次に何かあったら持ち直せないかも」
離れた場所で、小さな声で話してるけど、人間よりも耳のよいペガサスな僕には聞こえちゃう。〝てんせい〟前のクリスの今の状態について、あの女の人は話してるんだ。
「十三年間、ほとんどずーっと病院の中、ベッドの上での生活でしょう? 毎日のようにご両親やおじいちゃんおばあちゃんが会いに来てくれるって言っても……ねえ……」
「利発で、とってもいい子で……まるで小さな王子さまみたい。私たち看護師があの子をはげましたりなぐさめたりする側のはずなのに……何度もあの子にはげまされたしなぐさめられた」
「今はかわいい! って感じだけどあれはいずれイイ男になるわよ。イイ男に……なるだろうに……」
女の人が言わなかった言葉の続きは僕にもわかる。そして、その結末も知ってる。クリス自身から聞いているからよく知ってる。
『クリス……』
僕はベッドに横たわったままの、〝てんせい〟前のクリスだろう少年を見下ろしてうなだれた。少年にも僕と女神さんの姿は見えてないらしい。ゆっくりとした動作で顔を窓へと向ける。たったそれだけのことをするのも苦しいのだろう。呼吸が乱れて眉と眉のあいだにしわが寄る。
でも、それも一瞬のこと。
「……スズメ」
窓から見える木の枝に茶色と白色の小鳥が二羽、三羽とやって来るのを見て少年の表情は微笑みに変わる。クリスのように力一杯の笑顔じゃない。ほほがゆるんだ程度。それでも少年の表情が穏やかなものに変わるのを見て僕は目を細めた。
でも、それも一瞬のこと。
「す、スズメ……」
『ん? あれ?』
「スズメたん……ハァハァ……」
『あれれ!?』
少年が聞き覚えのある吐息をもらし始めるのを聞いて僕の表情が引きつる。
これってアレかな? アレなのかな???
「スズメたん、ハァハァ……スズメたん、ハァハァ……」
『完全に変態型クリスじゃん! 変態吐息吐いてるじゃーーーん!』
ハァハァ言い出す少年に、聞こえないとわかっていても僕は全力で叫んだ。
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