第三十二話 動物画家はうわさ話を耳にする

「船に乗らなくてもヤツらを駆逐することはできるって気が付いたんだ! ここにいるクリスさんのおかげで……クリスさんが描いた絵のおかげで!」


「これは……!」


 パディさんが掲げて見せたクリス作〝たこやき〟の絵を見た瞬間、パディさんのお母さんはくわっ! と目を見開いた。

 かと思うと――。


「コレを構成するのはおそらく、ざっくり、小麦粉にソース・オタフークー、そしてヤツ! クラーケン! 見える! 見えるわ! あのひととデレクのかたきを……ヤツを駆逐する未来が見える!!!」


 なんだか聞き覚えのあるセリフをフシューフシューと狂戦士的謎の呼吸音を吐きながら絶叫する。目をキラキラ……って言うよりギラギラさせてクリスが描いた〝たこやき〟の絵を見つめるお母さんを見て僕はぶるりと震えあがった。


「デレクは……パディの兄貴は親父さん似だったがパディのやつはおばちゃん似だからなぁ。外見も、アレな性格も……」


『料理の腕前っていうか……センスも?』


 踊る鉛筆の削りカスみたいな何か、ふりかけられた濃い緑色の粉々、立ち昇る湯気。船型のお皿らしきものにポンポポンと八つ乗った薄茶色の丸い何かの上にはとろりとした濃い茶色のソースがかかってる。

 クリスが描いたそんな〝たこやき〟の絵を見ただけで材料も、クラーケンさんの手入りなことも、駆逐する未来までパディさん同様に見えちゃうんだから血は争えない。カエルの子はオタマジャクシのち、やっぱりカエル。狂戦士パディさんママの子は狂戦士パディさんだ。


「そうだ、クリスさん。この絵をいただいてもいいですか? 僕がこれから開くお店の入り口に飾りたいんです!」


「クリスさん、ぜひに! ぜひに!」


「……どうぞ、どうぞ」


 パディさんとお母さんが〝たこやき〟の絵を手にズズイッとクリスに迫る。目をキラキラと輝かせてグイグイと来る二人にクリスは困り顔で微笑んだ。自分は変態型に変形してもふもふたちにグイグイ行くくせに自分がグイグイ来られると困り顔になるんだから困ったものだとペガサスでグイグイ来られる側の僕はため息をつく。

 僕のため息に首をかしげながらクリスは僕が背負ってるカバンをごそごそと漁って――。


「なんならクラーケンたんの絵もつけちゃいます」


 スケッチブックから二枚の紙を差し出した。クリスが差し出したのは吸盤だらけのウネウネな手と、夜の海と船に隠れて一瞬しか見えなかった魅惑のビッグボディが恐ろしくも幻想的に描かれた二枚の絵。

 変態型になったり、おいしいもの食べたいよゾンビになったり、〝たこやき〟の絵を量産しまくったり。船の上でいろいろやらかしてたクリスだけど、動物画家としての腕前はあいかわらず本物だ。〝海の怪物〟をこんなにも恐ろしく、しかし、美しくも描いた二枚の絵はコンクールに出せば大賞金賞を総なめにしちゃうし、オークションに出せばビックリ仰天の高値がついちゃうだろう。

 でも、クラーケンさんの絵をまじまじと見つめるパディさんとお母さんは何を感じて、何を思ったのだろう。目をふせて、ゆるゆると首を横に振った。


「この絵はいただけません」


「こちらの……〝たこやき〟の絵だけをいただければと思います」


「そう、ですか。……クラーケンたん、上手に描けたと思ったんだけどなぁ」


 上手に描けたからこそ二人はクラーケンさんの絵はもらえないって言ったんじゃないかな。僕はペガサスだから家族を亡くした人間の気持ちはわからないかもだけど……たぶん、きっと……そうじゃないかな。

 二人の言葉と表情にしょんぼりと肩を落とすクリスをなぐさめるように鼻先でグイグイと背中を押した。


「それじゃあ、せめてこちらの絵をどうぞ。パディさんが持ってる絵はちょっとボロになっちゃってますから」


 そう言ってクリスが差し出したのはスケッチブックにじられたままになっていた〝たこやき〟の絵。描いては切り取って投げ、描いては切り取って投げ……をくり返してたから絵のほとんどは波に流されてしまった。あるいはおいしいもの食べたいよゾンビになってた筋肉モリモリ隊のオジサン、オニイサンがもぐもぐ食べてしまった。

 でも、最後の一枚は切り取らずにキレイなままスケッチブックに残っていたのだ。


「大切にします。二枚とも、大切にします」


 クリスから〝たこやき〟の絵を受け取ったパディさんとお母さんはにっこりと微笑んだ。

 かと思うと――。


「母さん! 僕たち二人で〝たこやき〟を作って、作って、作って……お店を大人気店にしよう! そして、いずれは父さんと兄さんの敵を……敵を……フシューフシュー!」


「えぇ、パディ! 私たち二人でクラーケンを駆逐してやりましょう! 丸めて、焼いて、丸めて、焼いて……フシューフシュー!」


「……ねえ、ベガ。なんだか僕、恐ろしいことをしてしまったような気がするんだけど」


『う、うーん……どうかなぁ……』


 狂戦士的謎の呼吸音を吐きながらガシッ! と手を握り合う親子を見て困り顔になるクリスに僕は苦笑いする。どんなことになるかはわからないけどクリスの〝たこやき〟の絵がきっかけで心は狂戦士親子の最恐タッグが誕生しちゃったことはまちがいない。


「パディ、話がひと段落したんなら坊主をうちに案内してやってくれ。坊主、ペガ公。ここを出航するのは一週間ほど先だ。詳しい話は夜にでもしてやるからとりあえずゆっくりしとけ」


「ギュンターさんの実家は宿屋さんなんです。さ、こっちですよ」


 またあとで、とギュンターさんがクリスと僕に向かってひらりと手を振る。またあとで、とパディさんがお母さんに向かってひらりと手を振る。

 そうしてギュンターさんは船に戻り、パディさんは街の中心部に向かって歩き出した。

 と――。


『クリス、ニゲラレルトオモウナ。クリス、ニゲラレルトオモウナー』


「伝書バードなのに伝言を伝えに行こうとしないからどうしたのかと思っていたが……なるほど、クリスは船に乗って海に出ていたのか」


 聞き覚えのある声に思わずピン! と耳が立つ。あわててあたりを見まわすと建物の影に肩に伝書バードなヤタガラスさんを乗せた女の人が立ってた。美しい濡羽色ぬればいろの羽に赤メッシュが入ってる、三本足のヤタガラスさん。


 ――クリス、ニゲラレルトオモウナ。


 そんな物騒な伝言をルモント国の獣騎士団隊舎に届けに来てたヤタガラスさん。そして、そんな物騒な伝言をヤタガラスさんに託す〝あの人〟の姿を見て僕は目を丸くした。

 長い金色の髪とルビーのような真っ赤な瞳をした二十代半ばの……たぶん、きっと、人間基準で言えばとっても美人さん。魔法使いらしく黒いローブを羽織ってるのもあってすっごく目立ちそうだけどまわりの人たちは誰も〝あの人〟に目を向けない。


『魔法で気配を消してるんだろうなぁ、たぶん、きっと』


 ペガサスの耳は人間の耳よりもいい。だから僕は気が付いちゃったのだ。

 んで、あの人も僕に気が付いた。一瞬、目を丸くしたけどすぐににっこりと微笑んでひらりと手を振る。そんでもってクリスを指さすと――。


「……」


 真っ赤な唇に立てた人差し指を押し当てた。クリスには黙っておくように、という意味だ。クリスがあの人に気が付いたらひと悶着あるし、クリスがヤタガラスさんに気が付いたらひとなめ、ひともみ、ひとぺろじゃ済まない。

 僕は深々とうなずくと澄まし顔でクリスのあとを再び追いかけた。


「そこのご婦人。息子さんといっしょにお店を開く予定なんですよね」


「え……え、えぇ……」


「わたくし、こういう者なのですが……お二人が開くお店に協力させていただきたいんです。金銭的な援助はもちろん、お使いになる予定の珍しい食材の調達ルートについても……」


 パディさんのお母さんに話しかけるあの人の声が聞こえたけど聞こえなかったふり。真っ赤な唇をにっこり笑みの形にしつつ、目は少しも笑ってないんだろうあの人の顔が簡単に思い浮かぶけど……聞こえなかったふりだ。

 今度は何をするつもりなんだろう、何を考えてるんだろう。聞こえないふりをしながらもちょっと不安になる僕だったけど――。


「おい、聞いたか。ジャハメー王国に伸びるポフーゾ街道。あそこがしばらく使えそうにないんだってさ」


「なんだ、なんだ。戦争か? 盗賊でも出たか?」


「いんや、〝やきとり〟が道のど真ん中に卵を産んじまったんだってさ」


 あー、そりゃあ、しばらくは使えねえわー、と言いながら去っていく商人だろうオジサンたちの背中を見送ったあと、僕は恐る恐る前を歩くクリスに目を向けた。


「何……何、何……?」


 クリスはと言えば案の定――。


「〝やきとり〟って何!? 卵、産んじゃったってことは生き物? 動物!? ねえねえねえねえ、〝やきとり〟って……ハァハァ……や、〝やきとり〟って何かな……!?」


 動物の気配を察して変態型クリスに変形していたのだった。


≪第二章 ユーグフ海峡・海の怪物編 (了)≫

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