第三十一話 港はペガサスと変態を迎え

『港! 陸! 地面……っぷ!』


 見えてきた久々の陸に大喜びで羽を広げた僕だったけど、襲ってきた船酔いによる吐き気にすぐさま船のへりにあごを乗っけた。

 ルモント国の北方にある港を出て約一か月。クラーケンさんに襲われてから約十日。筋肉モリモリなザ・海のオトコギュンターさんが船長を務める船は無事、一人の死者も出すことなく最初の停泊地に到着しようとしていた。


 そう、パディさんが作った安全保障一切なしの未知の食材なクラーケンさんの手入り〝たこやき〟を食べちゃったクリスと筋肉モリモリ隊のオジサン、オニイサンたちだったけど、お腹を壊すこともなければ具合が悪くなることもなく無事にここまでたどり着くことができたのだ。

 おいしいものを食べておいしいもの食べたいよゾンビの呪いが解けたあと、〝たこやき〟に入っていたのがクラーケンさんの手だと知ってクリスも筋肉モリモリ隊のオジサン、オニイサンたちも青ざめてたけど。

 ちなみにだけど青ざめてた理由は全然違う。

 筋肉モリモリ隊のオジサン、オニイサンたちが青ざめたのは未知の食材を口にしてしまったという不安と恐怖から。

 クリスが青ざめた理由は――。


「僕の……僕のクラーケンたんへの愛が……食欲に負けた……食欲に……負けた……」


 とのこと。おいしいもの食べたいよゾンビの呪いが解けてしばーらくクリスは甲板のすみっこに座り込んでうなだれていた。

 ていうか――。


「えっぐ、えっぐ……僕の……僕のクラーケンたんへの愛は……食欲に負ける程度のものだったんだ……」


 いまだに甲板のすみっこに座り込んでうなだれてる。最初は心配してたけど船酔いがひどくて変態型クリスに変形されちゃうと困るもんだからちょうどいいやと放っておくことにしたのだ。

 さて、船は無事に港に到着。船と桟橋のあいだに板が渡された。


「えっぐ、えっぐ……」


『ほら、クリス。泣いてないで足元、ちゃんと見て。泳げないんだから海に落っこちないように気を付けて。でも、さっさと渡って。陸に着地して。地面に着地させて』


 船酔いとさっさとおさらばしたい僕はえっぐえっぐと泣き続けるクリスの背中を鼻先でグイグイと押す。僕にせっつかれながらクリスは船と桟橋のあいだにかかった板を渡り終え、続いて僕も渡り終え――。


『久々の地面ー! 揺れない地面ーーー!』


 ばっさばっさと真っ白な羽を広げて小躍りした。


「ベガの真っ白な羽、ハァハァ……ふっさふっさのしっぽ、ハァハァ……羽の付け根のもふもふ、ハァハァ……!」


『うげ、しまった……!』


 歓喜の舞に合わせてバッサバッサと羽ははばたいちゃうし、ふっさふっさとしっぽも揺れちゃうものだから、それを見たクリスもハァハァと変態吐息をもらしつつ変態型に変形しちゃう。本格的に変態型になる前に落ち着いてもらわなきゃと僕はすーんと澄ました顔とポーズを取った。


「その顔は……クラーケンたんのことばっかり気にしてないで僕のことも見てよね、ツーンってことだね……! 僕の凛々しい姿でも見て元気出して、なでなで、もみもみ、ぺろぺろしなよってことだね……!」


『違う! 全っっっ然、違う! そんなこと少しも言ってないし、なでなでももみもみもぺろぺろもしなくていいから! なでなではギリギリセーフだけどもみもみはアウトだしぺろぺろは完全アウトだから!』


「凛々しい表情したペガサスもいいよね……凛々しい表情したベガも……い、いいよね……ハァハァ……!」


『ハァハァ言いながら舌ぺろぺろしながら近づいて来ないでよー! いーやぁーーー!』


 鼻の下を伸ばしきり、よだれを垂らし、すでに完璧な変態顔になってるクリスが近づいてくるのを見て全力で仰け反る。

 ギャーギャー騒ぐ僕とクリスを腕組みで見つめ、ギュンターさんはため息をついた。


「久々の揺れない地面がうれしいのはわかるが下りた先で跳ねまわってるなよ、坊主にペガ公。ほら、どけ。荷物を下ろさなきゃならねえんだ」


『あっと! ごめんね、ギュンターさん』


「それに、ほら。港を見てみろ。大切な人が無事に帰ってきたかって心配してるお嬢さん方がずらりと待ってるだろ」


 ギュンターさんが目を細めて見つめる先に僕も顔を向ける。お嬢さん方、なんて言ったけど若いオネエサンよりもオバサン、オバアチャンの方がずっと多い。みんな、不安そうな顔で船の上で動き回ってる筋肉モリモリ隊なオジサン、オニイサンの影を見つめてる。


「船長ぉー! 荷物、どこに置きますか?」


「おーい、ギュンター。一旦、甲板に全部出しとくぞぉー」


 船と桟橋にかけた板を渡ってくる筋肉モリモリ隊のオニイサン。船のへりに手をついて顔をのぞかせる筋肉モリモリ隊のオジサン。そんなオジサン、オニイサンたちの中に待っていた人の顔を見つけたのだろう。

 パッと笑顔になるオネエサン。やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめながら頬が緩みまくってるオバサン。腰に巻いたエプロンで目元をぬぐうオバアチャン。

 それぞれに、それぞれなりの安堵の表情を浮かべる〝お嬢さん方〟を見て僕はクリスを引きずって桟橋のすみっこに移動した。桟橋にかかった板を渡って来る筋肉モリモリ隊のオジサン、オニイサンたちの顔がよく見えるようにとすみっこに移動した。

 と――。


「パディ!」


 薄茶色の髪に白い肌、腕も足も体だってひょろりと細いオバサンが人だかりをかき分けて飛び出してきた。


「母さん!」


 桟橋におりたコックのパディさんが両腕を広げてオバサン……ていうか、パディさんのお母さんを抱きしめる。

 前にパディさんが言ってた。


 ――父さんも兄さんも筋肉モリモリでザ・海のオトコ風だったのにどうして僕は色白で腕も足も体もひょろりと細っこいままなのか。

 ――どうして母方の遺伝子を全力で受け継いでしまったのか。


 て――。

 なるほど、たしかに。抱き合うパディさんとお母さんはそっくり。どこからどう見てもお母さんとその息子。

 ひとしきり息子を抱きしめたあと、お母さんは目に涙を浮かべたままギュンターさんへも腕を伸ばした。


「ギュンターもおかえり。パディをよく無事に連れて帰ってくれたね。感謝するよ、ありがとう」


「絶対に死なせないって約束してコイツを預かったんだ。当たり前だよ、おばちゃん」


 パディさんのお母さんに抱きしめられたギュンターさんは豪快に笑って、筋肉モリモリの手でひょろりとした背中をぽん、ぽん……とそっと叩いた。

 そういえば、ギュンターさん。パディさんのお父さんは船のお師匠さんで、お兄さんは幼なじみさんなんだっけ。パディさんのお母さんとも仲良しさんなんだね、ギュンターさん。

 パディさんとお母さん、ギュンターさん。三人のようすに目をちょっとうるうるさせてた僕だけど――。


「それでね、母さん。お金もそこそこ貯まったし、船をおりてお店をやろうと思ってるんだ」


 パディさんの言葉にハッとする。

 そうだった。次の停泊地が故郷で、そこで船をおりて自分のお店を開くつもりなんだって船の中で言ってたっけ。そんでもって次の停泊地っていうのがこの港。

 つまりパディさんとはここでお別れということだ。

 たった一か月、船でいっしょだっただけの僕でもちょっとさみしいんだもの。ギュンターさんや筋肉モリモリ隊のオジサン、オニイサン……何よりパディさん本人はすっごくさみしいんだろうなぁ。

 なんて、しみじみしてると――。


「本当は父さんと兄さんのかたきであるクラーケンどもをギッタンギッタンのバッコンバッコンにして、駆逐してやろうって船に乗り込んだんだけど……どれだけ鍛えてもギュンターさんや船員のみんなや父さん、兄さんみたいな筋肉モリモリボディになれなくて……!」


 パディさんが闇落ちし始めた。


「結局、ヤツを駆逐するどころか一撃入れることもできなかった……!」


「パディ!」


 えっぐえっぐと悔し泣きを始めるパディさんをお母さんはひょろりとした腕でぎゅっと抱きしめた。


「あなたの悔しさはよぉーくわかります。お母さんだって女じゃなければ船に乗り込んでお父さんとお兄ちゃんの敵を取ってやりたかった……!」


 あー、船に女の人を乗せるのは不吉って船乗りさんたち、よく言うもんね。たしか海の神さまは女神さまで、船に女の人が乗ってると嫉妬して海が荒れちゃうんだっけ?

 ていうか――。


「ヤツをギッタンギッタンのバッコンバッコンにして……く、駆逐して……あのひととデレクの敵を……敵を取って……フシューフシュー!」


『お母さん、完全に目がすわっちゃってるよ、お母さん!』


「デレクは……パディの兄貴は親父さん似だったがパディのやつはおばちゃん似だからなぁ。外見も……その、アレなところも」


『心は狂戦士なところも……!?』


 親子そろってフシューフシューと狂戦士的謎の呼吸音をもらし始めたパディさんとお母さんだったけど――。


「でもね、母さん……船に乗らなくてもヤツらを駆逐することはできるって気が付いたんだ! ここにいるクリスさんのおかげで……クリスさんが描いた絵のおかげで!」


 パディさんは満面の笑顔でクリスが描いた〝たこやき〟の絵をお母さんに向かって掲げて見せたのだった。

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