第二十七話 ゾンビな動物画家は絵を描く

 勢いあまって放り投げてしまったギュンターさんを追いかけて空高く急上昇した僕の背中で、ロープでグルグル巻きにされた変態型クリスと心は狂戦士パディさんは気を失っていたらしい。

 ……空を飛び慣れてるペガサスの僕はさておき、ひょろひょろのクリスとパディさんにあの加速度はきつかったよね。本当にごめん。あとになってものすごい反省した。

 そんなわけで――。


「……クラーケンたん、いない」


「……父さんと兄さんの敵、いない」


 一晩明け、朝になって意識を取り戻したクリスとパディさんは甲板に出て来るなりそろってひざから崩れ落ちた。


「クラーケンたん、影も形も……ない……」


『クリス、影も形もなんてことはないよ。クラーケンさんの手、残ってるよ。……手だけだけど』


「えっぐ、えっぐ……クラーケンたんの手……なでなで、もみもみ、ぺろぺろ……」


『クリス、泣きながらクラーケンさんの手をなでなで、もみもみ、ぺろぺろしようとしないの。なでなで、もみもみ、ぺろぺろして安全かわからないから。特にぺろぺろは危険だから』


「えっぐ、えっぐ……駆逐どころか一撃……一撃入れることもできなかった……」


『パディさんも泣かないで。クラーケンさんの手、解体して海に捨てるらしいよ。まだ一撃入れるチャンスはあるよ。……包丁使っての解体が一撃って言うのかわかんないけど』


「えっぐ……えっぐ……」


「えっぐ……えっぐ……」


『クリスもパディさんも泣かないでー!』


 なんて二人の丸まった背中を鼻先でツンツン突いて励ましてると――。


「坊主、泣くなって。触れはしなかったが見れはしたんだろ? パディもいつまでもサボってんなよ。やることは山ほどあるんだ」


『ギュンターさん!』


 ギュンターさんがやってきた。腰に手をあてて盛大にため息をつく。

 ギュンターさん含めて筋肉モリモリなザ・海のオトコ風のオジサン、オニイサンたちは昨日の夜から一睡もしないで甲板を行ったり来たりしている。穴が開いたり壊れたりしたところを直したり、崩れた積み荷を整えたり、割れたり破れたりで売り物にならない商品を片付けたり、ずっと動き回ってるのだ。

 一応、僕も筋肉モリモリ隊の擦り傷、切り傷、打ち身に捻挫に疲労を回復するべく魔力が尽きるまで癒しの魔法ヒールをかけまくってお手伝いした。

 そう、ペガサスな僕もお手伝いしたのだ。


『やることは山ほどあるんだからクリスも少しは手伝ったら?』


 人間なクリスも手伝ったら? と鼻先で肩をぐいぐいと押す。


「そうだよね。クラーケンたんとの一瞬の邂逅に感謝して、せめてこの手をスケッチブックに残しておくべきだよね。絵として描き残しておくべきだよね」


『違う。全然違う。そんなこと一言も言ってない』


「まぶたを閉じればまだ残っているクラーケンたんの魅惑のビッグボディの全容も描き残しておくべきだよね! 夜の海と船に隠れて一瞬しか見えなかったけど……せめて見た限り、覚えてる限りを描き残しておくべきだよね!」


『違う! 全然違う! そんなこと一言も言ってない! 言ってないけど大人しくしててくれるならもういいや! 好きなだけクラーケンさんの絵、描いてて!』


 なんて僕がパカパカとひづめを鳴らして地団駄を踏みつつ叫ぶまでもなく、クリスはシュババババッ! と絵の具をつけた絵筆を真っ白なスケッチブックに下書きもなしに走らせて始めた。

 えっぐえっぐと泣きながら描き始めたクリスだったけど、表情はそのうちににんまりにまにまと幸せそうなものに変わってく。昨日の夜に見たクラーケンさんを思い浮かべてにんまりにまにまが止まらなくなっているのだろう。

 でも――。


「パディはとりあえず朝ごはんの用意をしてくれ。昨日の夜からずっと働きっぱなしでみんな、腹を減らしてる。すぐに出せて、簡単に食べられて、腹にたまるものならなんでもいい」


「肉や魚を料理してる時間はないですし……それじゃあ、ビスケットを出してきますね」


「おう、頼んだ!」


 ギュンターさんとパディさんの会話を聞いた瞬間――。


「うぅ~、塩漬けされた肉、こわいよー。塩漬けされた魚、いやだよー。かたくてまずいビスケット、見たくないよー」


 船旅のお食事事情で仕方がないとは言え、おいしくないものを食べ続けるつらさを思い出してクリスはおいしいもの食べたいよゾンビに変身した。


「ベガ。……ねえ、ベガ。僕ね、今、すっごく実感してるんだ」


『何? 何、急に!?』


 ゾンビクリスはゾンビ的のんびりした口調とげんなりした表情で言った。でも、絵筆を動かす手は止まらない。


「僕ってやっぱり日本人だったんだなって」


『〝にほんじん〟?』


 〝にほん〟は確か、この国、この世界に生まれてくる前の――〝てんせい〟前のクリスが生まれ育ったところの名前だ。多分、〝にほんじん〟はそこで暮らしてる人たちのことだろう。

 それはわかる。わかるんだけど……なんでおいしいもの食べたいよゾンビになった途端、〝にほんじん〟だったんだな、なんて実感するのさ。


「僕は心の底から動物さんたちを愛してる……なでなで、もみもみ、ぺろぺろしたいほど愛してる……」


 首をかしげる僕をよそにクリスはゾンビな口調で話し続けるし、絵を描く手はシュババババッ! と動き続けてる。

 ……って、アレ? クリスが描いてる絵、クラーケンさんの絵じゃなくなってるような? 吸盤だらけのウネウネな手でも夜の海と船に隠れて一瞬しか見えなかった魅惑のビッグボディでもなくなってるような?


「クラーケンたんのことだって愛してるよ。できることならなでなで、もみもみ、ぺろぺろして思う存分、クラーケンたんに僕の愛を伝えたかったし、ツン強めのツンツンされて思う存分、クラーケンたんからの愛を受け止めたかったし……」


『なでなではギリギリいいとして、もみもみ、ぺろぺろは迷惑だから絶対にやめてほしいし、クラーケンさんからのツン強めのツンツンを受け止めてたらクリスなんてひとたまりもなかったし……ねえ、一体、何の話をしてるの!?』


 あとシュババババッ! って動く手とゾンビみたいな喋り方の温度差があり過ぎて怖いんだけど!?


「水族館の水槽を泳ぐお魚たんたちを見て〝おいしそう〟って言ってる人たち。ああいう人たちを病室のテレビで見るたびに何、言ってるんだろ、この人たちはって思ってた。あんなにかわいいお魚たんたちを見て〝おいしそう〟だなんて何、言ってるんだろう、変態かな? って思ってた」


『すいぞくかんって何? クリスが変態かな? とか言っちゃうの? ていうか、何、描いてるの? ねえ、ホントに何、描いてるの!?』


「水族館で魚を見て〝おいしそう〟って思うのは日本人くらいだって話を聞いたときも、いや、それ、日本人の中でもかなりの少数派でしょ。少なくとも僕は絶対に思わないしって思ってた。それなのに……それなのに……」


 シュババババッ! と絵筆を動かしながらクリスはえっぐえっぐとうつむいて泣き出す。クリスくらいの高名な動物画家ともなれば手元を見なくたって絵くらい描けちゃう。いや、僕も今日まで知らなかったけど。生まれてこの方、十六年いっしょにいる僕も今日の今日までノールックお絵かきが可能だなんて知らなかったけど。

 でも、そんなことよりも――。


「今、僕は……クラーケンたんの手を見ておいしそうだなって思ってしまってる! タコ焼き食べたいなって思ってしまってる! 僕のクラーケンたんへの愛が……食欲に負けてしまってるぅぅぅ!」


『……って、叫びながら量産しまくってるその絵は何!? その絵が〝たこやき〟なの!? ねえ、ちょっと! クリスってば!』


 シュババババッ! と量産される〝たこやき〟と言うらしい食べ物が描かれた紙がクリスの手を放れ、風に乗って次々と甲板を転がっていく。

 踊る鉛筆の削りカスみたいな何か、ふりかけられた濃い緑色の粉々、立ち昇る湯気。船型のお皿らしきものにポンポポンと八つ乗った薄茶色の丸い何かの上にはとろりとした濃い茶色のソースがかかってる。

 草が主食で〝たこやき〟なんて食べたこともなければ見たことすらないペガサスな僕が見てもよだれがじゅるりと出てしまうような絵なのだ。


「坊主ー、せっかく描いた絵が風に飛ばされちまう……ぞ……じゅるり……」


「クリス・ブルックテイラーの絵って言ったらとんでもない額で取り引きされるんだろ? 描いた端から捨てる……なんて……じゅるり……」


「どうしたんすか! 絵を見た瞬間、みんなそろって呆けた顔になっちゃ……って……じゅるり……」


 心はクリスと同じ。〝塩漬けされた肉、こわいよー。塩漬けされた魚、いやだよー。かたくてまずいビスケット、見たくないよー〟な気持ちになってる筋肉モリモリ隊のオジサン、オニイサンがクリスの絵を見たらどうなるか。

 答えは簡単。


「塩漬けされた肉、こわいよー。塩漬けされた魚、いやだよー」


「かたくてまずいビスケット、見たくないよー」


「おいしいものが食べたいよーおいしいものが食べたいよーーー」


『あーーー! 絵は食べちゃダメ! 紙は食べちゃダメーーー!』


「お前ら、紙を食べるな! ペッしろ、ペッ!」


 おいしいもの食べたいよゾンビが大量発生するのだ。

 クリスが描いた〝たこやき〟の絵を焦点の合わない目でもしゃもしゃとほおばる筋肉モリモリ隊のオジサン、オニイサンにペガサスな僕とギリギリ正気と人型を保ってるギュンターさんは慌てふためく。

 と――。


「みなさーん、朝ごはんですよー。ビスケットだけなんで甲板まで持ってきちゃいましたー」


 ギュンターさんの指示通り、朝ごはんの準備をしにキッチンに戻っていたのだろう。コックのパディさんが階段をあがって甲板にひょっこりと顔を出した。


「えっぐえっぐ……クラーケンたんの手、おいしそうだよぉ~……クラーケンたん、おいしそうだよぉ~……」


 そんなパディさんの顔面にクリスが泣きながらシュババババッ! と描いた絵が貼り付いて、すぐにひらりと落ちた。真っ白な裏面じゃなく、〝たこやき〟が描かれた表面おもてめんを上にして。


「この、絵は……」


「パディ、見るな! 見ちゃダメだ!」


『パディさんまでおいしいもの食べたいよゾンビになってしまう!』


「……見える」


 青ざめるギュンターさんと僕をよそにパディさんはゾンビにならなかった。ゾンビにはならなかったけど――。


「見える! 見えるぞ! 父さんと兄さんのかたきを……ヤツを駆逐する未来が見える!!!」


 フシューフシューと狂戦士的謎の呼吸音を吐きながら心は狂戦士なパディさんに変身してしまったのだった。

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