第二十六話 〝海の怪物〟を撃退せよ

 クラーケンさんの極太の手に絡みつかれた船は右に左にと大きく揺れる。すっかり呆れてしまった波のせいなのか、クラーケンさんのせいなのか。船がぴょんと跳ねたりもする。そのたびにギュンターさんを筆頭とした筋肉モリモリでザ・海のオトコ風のオジサン、オニイサンたちが甲板の上をコロコロと転がっていく。

 バッキバキのボッキボキにこそなってないけど船はあちこち穴が開いたり壊れたりしてる。底の方が頑丈に作られてると聞いたことはあるけど船底が抜けたら一巻の終わり。沈没待ったなし。その船底にクラーケンさんの胴体はへばりついてるはずだ。


『……大丈夫なのかな』


 不安な気持ちで見守っているあいだにもギュンターさんたち筋肉モリモリ隊は三本目の手を切り終えた。太さはあるけどドラゴンや、クラーケンの天敵リヴァイアサンみたいに硬いウロコに覆われてるわけじゃない。ヌメヌメしててすべるけど筋肉モリモリ隊が斧で襲いかかればまったく歯が立たないってわけじゃない。

 パディさんの話では九本ある手のうち四本の手が切られるとクラーケンさんはあきらめて海の中に逃げ込んでしまうらしい。

 そんなわけで三本目の手が切られたのを見て――。


『あと一本!』


 僕はあと一本で助かるぞーという気持ちで歓声をあげた。


「あと一本!」


 クリスはあと一本でクラーケンたんをなでなで、もみもみ、ぺろぺろできなくなっちゃうぞーという気持ちで悲鳴をあげた。


「あと一本!」


 パディさんはあと一本でお父さんとお兄さんのかたきが逃げちゃうぞーという気持ちで絶叫した。

 同じことを言ってるのに二匹と一頭そろって全っっっ然、気持ちがバラバラなのはなんでかな? なんでかな!?


 船に巻き付けられないくらい短くなってしまった三本の手をクラーケンさんがウネウネさせてるのを見下ろしながら僕は空中で地団駄を踏んだ。

 そのあいだにも筋肉モリモリ隊は斧を担ぎ、ギュンターさんの指示の下、船に絡みついている四本目のクラーケンさんの手へと向かう。船をエサだと思っているのか、縄張りに侵入してきた敵だと思っているのかはわからないけどクラーケンさんも必死。

 これ以上、切られてなるものかと船に巻き付けていない手を振って甲板にいる筋肉モリモリ隊たちを夜の海に払い落とそうとしたり、吸盤から攻撃魔法のウォーターボールを放ったりと暴れまわる。

 でも――。


「あと一本だ! 踏ん張れよ、お前ら!」


「うぅーーーっす!!!」


 ギュンターさん筆頭にクラーケンさんの極太の手めがけて斧を振り下ろす筋肉モリモリ隊を守るように鉄板を構えた筋肉モリモリ隊がクラーケンさんの手やウォーターボールの攻撃を防ぐ。


『もうちょっと! もうちょっと!』


「うぐぐぐ、クラーケンたんが逃げてしまう!」


「うぐぐぐ、やつが逃げてしまう!」


 歓声と悲鳴と絶叫をあげながら眼下の筋肉モリモリ隊を見守っていた子守り役の僕と変態型クリスと心は狂戦士パディさんだったけど――。


「四本目、切れた! ……来るぞ!」


「この瞬間が一番危ないんです」


 ギュンターさんの大声に、不意にパディさんの声が冷静な、でも、とっても低い声に変わった。


「僕の父さんも兄さんも……この瞬間、海に投げ出されて帰ってこなかったんです」


『……っ』


 ひと際、大きく手をくねらせ、激しく暴れるクラーケンに反射的に高く、さらに夜の空高くへと舞い上がる。そのあとでパディさんの言葉の意味を飲み込んで――全身の毛がぶわっと逆立った。

 帆の先端に右の前足を乗っけていたのは船とはぐれないようにするため。でも、今はそれどころじゃない。最後の悪あがき。残っている手を無茶苦茶に振り回し、ずっと波の下に隠れていた巨体が飛び跳ねる。


「く、クラーケンたんのお顔……! タコたんにもイカたんにも見えるし、タコたんにもイカたんにも見えないお顔が見えたよ……ハァハァ、ハァハァ……!」


 変態型クリスは歓声をあげたけど――。


『船が!』


「……!」


 僕は悲鳴をあげ、パディさんは息をのんだ。

 ジャンプするクラーケンさんの巨体に突き上げられた船の前方が浮いて垂直に近い状態になる。甲板に斧を突き立てる人、とっさにロープや網にしがみつく人。クラーケンさんの最後の悪あがきな大暴れをみんな、知っていたのだろう。

 ギュンターさんの号令にすぐに身構えたけど――。


「……!?」


「ヴィリ!」


 手を滑らせてしまったらしい。筋肉モリモリのオニイサンの手が斧から放れ、その体が夜の海へと放り出された。ロープにしがみついていたギュンターさんがオニイサンへと腕を伸ばす。


『やった……!』


 ギリギリのところでオニイサンの腕をつかみ、ロープを握らせたギュンターさん。

 ほっと息をついたのも束の間――。


『ギュンターさん!』


 飛び跳ねたイルカの尾びれが最後に海面に消えるみたいに海の底に潜り込もうと飛び跳ねたクラーケンさんの極太の手が海面に消える寸前、最後の最後にもう一度、ぶつかって船が大きく揺れたのだ。オニイサンを助けるためにロープから片手を離していたギュンターさん。想像してなかったタイミングで揺れたものだから片手では大きな体を支えきれなくて真っ逆さま。海に落ちてく。

 夜の海。クラーケンさんが暴れまわったから荒れてる。それに海の底に潜り込もうとするクラーケンさんが作り出した水の流れに巻き込まれて同じように海の底に引きずりこまれてしまうかもしれない。

 泳ぎが得意なザ・海のオトコギュンターさんでも溺れてしまうかもしれない。


「ペガサスさん、お願いします!」


『言われなくても!』


 背中のパディさんが叫ぶよりも早く僕は羽を閉じるとギュンターさん目がけて落下した。


「ベガ……! も、もしかして……クラーケンたんを追っかけてくれるの!?」


『そんなわけないでひょ……んぐぐぐっ!』


 的外れな期待をする変態型クリスに怒鳴りながらギュンターさんの服の襟首を見事キャッチ……したところまではよかったんだけど――。


『んぐ……んぐぐ……!』


 背も高ければガタイもよくて筋肉モリモリのギュンターさん、想像していたよりも重い! 勢いよく落下してる途中だからってのを差し引いても……想像していたよりずっと重ーい!!!

 背中から落ちる変態型クリスを何度もキャッチしてきた僕だけどこれはつらい! 首がもげちゃうーーー!!!


「ペガ公! ありがとう、助かった!」


『ぅんぐぐーーー!』


 まだお礼を言うのも安心するのも早いよー!


 なんて心の中で叫びながら浮き上がろうとしているんだけど全っっっ然、浮き上がらない。ギュンターさんの筋肉モリモリな大きな体はどんどん海面に近づいてく。荒れてバッシャーンバッシャーンと水しぶきをあげる海にもうちょっとで足先がついてしまいそうだ。


「がんばってください、もう少し!」


「ペガサス、がんばれー!」


『んぐぐーーー!!!』


 応援してくれるパディさん、ギュンターさんに助けられた筋肉モリモリのオニイサンの声援にうっしゃー! と気合いの入った僕は――。


「ベガ、クラーケンたんが……クラーケンたんが見えなくなっちゃったよー! 落として! 僕を海に落としてーーー!」


『んぐぐーーー!!?』


 変態型クリスの発言にムガーッ! となった。


『んぐ! んぐ、ぐぐぅーーーっ!』


 もう! 本当に空気を読んでよ、クリスぅーーー!

 と怒鳴った瞬間――。


「うげっ!?」


 勢いあまってポーン! とギュンターさんを空高く放り上げてしまった。


「ぺ、ペガ公ぉぉぉーーー!!!」


『やば……!』


 バサリと羽を広げて僕は大慌てで絶叫するギュンターさんを追いかける。


「……うきゅっ」


「……むきゅっ」


 ザッパァァァーーーン……!


 真っ直ぐに空を――空高くに放り投げてしまったギュンターさんを目指して飛ぶ僕の背後で激しい水しぶきの音がした。でも振り返ってる余裕はない。

 背中にくくりつけられたクリスとパディさんが鳴き声らしきものをあげた気もするけどこっちも気にしてる余裕はない。


「ペガ公! ペガ公ぉぉぉーーーーー!!!!!」


『ギュンターさぁーーー……んぐぐぐっ!!!!』


 放物線の頂点に到達したギュンターさん。当然、落ちてくる。さっきよりも高いところからいきおいよく落っこちてくるギュンターさんの服の襟首をまたもや見事キャッチ! ……したとたんに首がもげるんじゃないかって思うほどの負荷がかかる。そりゃそうだ。筋肉モリモリのギュンターさんの重さにさっきだってギリギリだったのに、さっき以上の高さから落ちてきたギュンターさんをキャッチしたのだ。


『んぐぐぐぅーーーっっっ!!!』


「……ペガ公」


『んぐ、んぐぐ! ぅんぐぐぅぅぅーーーっっっ!!!』


 大丈夫だよ、ギュンターさん! 絶対に離したりしないからねぇ!!!


「おーい、ペガ公ー」


『んぐ!? んぐぐぐぅーーーっっっ!!!』


 何!? 今、返事してる余裕なんてないからーーー!!!


「俺たちの船にちゃんと着地できたぞ」


『んぐぐぐぅーーー……着地できた!?』


「……いてっ」


 ギュンターさんの言葉に驚いてくわえていた襟首を放してしまった。踏ん張るためにぎゅーーーっとつむっていた目を見開くとギュンターさんはぺたんと甲板に尻もちをついてる。

 足元をきょろきょろと見まわし、しばらく呆然としたあと――。


『さっきの音……!』


 僕はハッとした。

 ザッパァァァーーーン……! ってさっき、背後で聞こえた水しぶきの音。あれは垂直に近い状態になってた船が元に戻った音。海面に船底を叩きつけた音だったんだ。

 おかげでギュンターさんの重さに耐えられずにズルズルと海に落ちて溺れ死ぬところだった僕たちの足元に甲板が現れたというわけだ。


「ペガ公、よくがんばったな!」


 痛むおしりに苦笑いをしながらもギュンターさんは僕の肩をバシンバシンと叩いた。


「ギュンターさん、ありがとうございましたぁぁぁ! ペガサスも、ギュンターさんを助けてくれてありがとうな!」


「肝が冷えたぞ、ヴィリ! パディと坊主は……一応、無事だな!」


「なら、全員無事ですよ! やりましたね、船長!」


「擦り傷、切り傷、打ち身に捻挫に……全員ボロボロですよ?」


「バカヤロー! 〝海の怪物〟に襲われてその程度ですんだんなら無事のうちだ!」


「そうだ、上出来だ、お前ら! ペガ公も上出来だ! 港についたら新鮮なおいしい草を山ほど食わせてやるからな!」


 僕とギュンターさんを取り囲んで筋肉モリモリでザ・海のオトコ風のオジサン、オニイサンたちが口々に無事を祝い合うのを見て、そーっと甲板に着地する。あちこち穴があいたり壊れたりしてる。荒れた波の動きにあわせて船は前に後ろに、右に左にと激しく揺れてる。きっと、またひどい船酔いに襲われるんだろう。

 でも、海のど真ん中で休むところもない、水も食料もないこんな場所で船が沈没しちゃって、そのうち飛ぶのに疲れて海に落ちて、溺れ死んで魚のエサになるよりはひっっっどい船酔いの方がはるかにマシだ。


『やったーーー! 着地できたーーー!!!』


 僕はひづめで甲板を打ち鳴らすとステップを踏んで大喜びした――直後。


『……うぷっ』


 早速、船酔いに襲われて吐きそうになったのだった。

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