第二十四話 〝海の怪物〟こと……
空には大きな満月と無数の星が輝いている。鳥さんたちはもう寝てるから波の音と筋肉モリモリのオジサン、オニイサンたちがせっせと甲板を歩き回る音くらいしか聞こえない。
そんな穏やかで静かな夜の空気をブチ破り――。
『何、アレーーー!』
ザッパァーン! と登場したのは〝海の怪物〟さん。
正確には――。
『ギャーーー!』
〝海の怪物〟さんの手が一本、だ。バシーン! と甲板に叩きつけられたタコやイカに形は似てるけど大きさは全っ然、似てない手に僕は悲鳴をあげる。
手一本って言ってもペガサスな僕の胴体と同じくらいの太さなんだけど! 手にぎっしりついてる丸い吸盤がぞわっとするんだけど! ていうか向こうにも海から登場して元気にウネウネしてる手が見えてるんだけど!
『〝海の怪物〟さんは何匹いるの!? それともタコさんやイカさんみたいに何本も手があるの!?』
「う、うううう……〝海の怪物〟たん、何匹いるのかな……ハァハァ……! それともタコさんやイカさんみたいに何本も手があるのかな……ハァハァ……!」
『クーリースーーー!』
同じようなことが気になってるのに全っっっ然、危機感が違うのはなんでかな!? なんで船のへりに近づこうとしてるのかな、変態型クリスはーーー!
なんて絶叫しながらえり首をくわえて必死に踏ん張る僕だけど変態型クリスにペガサスな僕の巨体はズルズルと引きずられていく。このままじゃあ、海に落っこちておぼれ死ぬか、〝海の怪物〟さんの手にバシーン! って叩かれてプチッとつぶされて死んじゃうよー!
なんて悲鳴をあげながら半泣きになっていた僕を助けてくれたのは――。
「ヤツが本格的に姿を現す前に坊主をどうにかしないとな……っと!」
『ギュンターさぁーーーん!』
「放して……放してください、ギュンターさん!」
筋肉モリモリのザ・海の
「〝海の怪物〟たんが僕のなでなで、もみもみ、ぺろぺろを待っている!」
「待ってねえよ!」
『絶対に待ってなーーーい!』
なんてハァハァと変態吐息を吐いているクリスにツッコミを入れながらギュンターさんは手際よくロープでグルグル巻きにする。
本当に練習してくれてたんだね、ギュンターさん! ありがとう!
それからギュンターさんにグルグル巻きの仕方を教えといてくれてありがとう、団長さん!
「うぅー、身動きできないですよ、ギュンターさーーーん」
『身動きできないようにしてるんだよ!』
「どうして僕と〝海の怪物〟たんのなでなで、もみもみ、ぺろぺろタイムを邪魔するんですかー!」
「命にかかわるからだよ!」
シクシクと涙を流すクリスを怒鳴りつけたあと、ギュンターさんはため息を一つ。
「あれはクラーケン。このユーグフ海峡に生息し、何隻もの船を沈めてきた悪魔だ」
多分、きっと、ギュンターさんはクリスを怖がらせて大人しくさせようとしたんだと思う。〝海の怪物〟の――クラーケンの怖ろしさを伝えて危機感を持たせようとしたんだと思う。
でも――。
「クラーケン! 〝海の怪物〟たんはクラーケンたんだったのか……〝海の怪物〟たん改め、クラーケンたん、ハァハァ……!」
変態型クリスはますます目を輝かせて変態吐息を吐くばかり。予想通りだけどガッカリな反応に僕もギュンターさんもジトリとクリスを見つめた。もちろん一人と一頭の冷ややかな視線程度で動じる変態型クリスじゃないんだけどね。
と――。
「父さんと兄さんの
「パディ、やめろ! バカ! 今度こそ死ぬぞ!」
引っくり返った声で叫びながらコックのパディさんが包丁とフライパンを振り上げ、へろへろな足取りでクラーケンの手に突進していく。ギュンターさんが青ざめた顔で止めるのもまったく聞いていないし――。
「食らえ……ふぎゅーっ!」
全然たどり着けないうちにクラーケンが吸盤から放った
「あぁ……だから、言わんこっちゃない……」
ため息混じりに言いながらギュンターさんはパディさんを小脇に抱えて僕たちのところに戻ってきた。甲板に転がったままのフライパンを見ると底がボコボコに凹んでる。ウォーターボールの直撃を食らっていたらパディさんのひょろひょろの体はどうなっていたんだろう。
「〝海の怪物〟たん、もといクラーケンたんはツンデレのツン強め、口より手が出るタイプとは聞いていたけれど……予想以上のツンっぷり! なでなで、もみもみ、ぺろぺろしたいけど……ツ、ツンツンも……ハァハァ……ツンツンもされたい……!」
フライパンを見てぶるりと震える僕をよそに変態型クリスはハァハァしている。同じ光景、同じ物を見たのにこうも危機感が違うのはなんでかな!?
ひづめをパカパカと鳴らして地団駄を踏む僕の背中をギュンターさんがポンと叩いた。
「ペガ公、坊主といっしょにパディのやつも背中に乗せてもらえるか?」
ひょろひょろのクリスとひょろひょろのパディさん二人を乗せて飛ぶなんてペガサスの僕にとってはなんてことない。
『もちろん! 余裕で大丈夫だよ!』
と、胸を張った僕だったけど――。
「親父と兄貴を死に追いやったクラーケンを目の前に心は狂戦士化してるパディとクラーケンを目の前に変態化してる坊主を背中に乗せて、この船の帆より高いところまで避難しててくれるか、ペガ公」
『ちょっと待って、ギュンターさん。やっぱり僕、無理な気がしてきた』
ギュンターさんの補足説明に一気に不安になってきた。
「パディのやつも坊主と同じようにグルグル巻きにしておくからな!」
『ちょっと待ってー! 変態型クリスだけでも手一杯なのに心だけとはいえ狂戦士化したパディさんもってのは無理な気がしてきた! すっごく無理な気がしてきた! 二人ともロープでグルグル巻きにしてあっても無理な気がしてきたーーー!』
なんて絶叫しながらパカパカと地団駄を踏んで抗議する僕を無視してギュンターさんは気を失っているパディさんも手際良く背中にくくりつけていく。
「こいつの親父さんには船乗りとしてのいろはを叩き込んでもらった。こいつの兄貴とは港で親父たちの帰りを待つガキだった頃からの親友だった。クラーケンを恨むこいつの気持ちは痛いほどわかる。でもな、こいつのお袋さんからこいつまで奪うわけにはいかねえんだ」
『……ギュンターさん』
感情を押し殺して努めて冷静に、しんみり話そうとするギュンターさんだけど――。
「クラーケンたん、ハァハ……うげっ」
「……、ふぎゅっ」
高ぶる感情と筋肉を抑えきれなかったらしい。ロープを縛る手にうっかり力が入って変態型クリスと意識のないパディさんがうめき声をあげた。
ギュンターさんの気持ちを思うと無理とは言えない。パディさんを甲板に置き去りにするなんてできない。
あ~もう~~~!!!
『わかったよ! クリスの保護者兼子守り役のペガサスとしてクリスはもちろん、パディさんもきっちり! よゆうで! 子守りしてみせるよ!』
「頼んだぞ、ペガ公!」
ギュンターさんがおしりをポン! と叩くのを合図に僕はバサリと大きな翼を広げて夜の海の空へと舞い上がった。
お願いだから大人しくしててよ、変態型クリス! そのまま意識を失っててね、パディさん!
「く、クラーケンたんが……クラーケンたんが遠ざかっていくぅ~!」
「父さんと兄さんの敵ぃ~……むにゃむにゃ~……」
……あ~もう! すっごい不安! すっっっごい不安!!!
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