第二十三話 塩漬けされた肉、こわいよー

『ほら見て、クリス。虹色のイルカの群れだよ。紫色のイルカを見るのは初めてじゃない?』


「うぅ~、塩漬けされた肉、こわいよー。塩漬けされた魚、いやだよー。かたくてまずいビスケット、見たくないよー」


『く、クリス……あ、ほら! 空飛ぶ魚もいるよ! ヒレを羽みたいにパタパタさせて飛んでる!』


「うぅ~、ハムとシャキシャキレタスのサンドイッチが食べたいよー」


『海面から一メートル以上の高さをずーっと飛び続けてるよ! ペンギンさんよりもニワトリさんよりも飛んでるよー!』


「スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチが食べたいよー」


『僕たちペガサスほどじゃないけど飛ぶのが上手だね!』


「切っただけのオレンジとかリンゴとかモモとかが食べたいよー食べたいよーーー」


『……クリス、僕の干し草食べてみる?』


 甲板のすみっこにうずくまって本日のディナーが乗ったお皿をつついてるクリスに僕はそっと干し草が入ったカゴを差し出した。

 ちなみに本日のディナーは水で戻して柔らかくした塩漬けの肉とかたくてまずいビスケット。昨日も一昨日も一昨々日も同じメニューだ。


 港を出て二週間。

 おいしいご飯を作るための新鮮な材料がなくなり、塩漬けされた肉や魚、かたくてまずいビスケットばかりのご飯になって一週間ちょっとが経っていた。まだ腐った塩漬けされた肉や魚、カビてるかたくてまずいビスケットには変わってないようだけどクリスはもう限界のよう。

 毎日、新鮮な食材を持ってきてくれる農家さんや商人さんがいて、おいしい料理を作ってくれるコックさんがいる環境で十六年間、箱入り息子状態で育ったのだ。〝てんせい〟前の十三年間の人生では体が弱くて、多くの時間を〝てんてき〟というおいしくないものを食べて生きていたってクリスは言ってたけど……でも、だからこそ、今の世界でおいしいものを知ってしまったらおいしくないものを食べ続けるのは苦痛のはずだ。


「ハムとシャキシャキレタスのサンドイッチ……」


「スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチ……」


「オレンジにリンゴにモモ……」


 おいしいものを知っているのにおいしくないものを食べ続けるつらさは筋肉モリモリでザ・海のオトコ風のオジサン、オニイサンも同じ。クリスのつぶやきをうっかり聞いてしまったオジサン、オニイサンたちが次々とゾンビのようになっていく。

 それを見ていたギュンターさんがガリガリとえり首をかいてため息をついた。


「鬼畜の所業だな、坊主」


「ハムとシャキシャキレタスのサンドイッチ……スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチ……オレンジにリンゴにモモ……」


「聞いてるだけで気が狂いそうになるからやめろ、坊主」


『ごめんね、ギュンターさん。それから筋肉モリモリのオジサン、オニイサンも。……僕の干し草食べる?』


 ブツブツつぶやき続けるクリスの代わりにごめんなさいをして僕はそっと干し草が入ってるカゴをギュンターさんへと差し出した。ペガサスの僕の言葉はわからなくても言いたいことは伝わった。


「気にせず食え。それはペガ公のために用意した干し草だ」


 ギュンターさんはそう言ってニカッと歯を見せて笑った。

 クリスを筆頭にみんなが続々と〝おいしいもの食べたいゾンビ〟になっていく中、ギュンターさんだけはまともな精神を保ってる。さすがは筋肉モリモリの船乗りたちの中でも一番の筋肉モリモリなザ・海のオトコ

 カゴを押し返すギュンターさんに目をうるうるさせていた僕だったけど――。


「……そのうち分けてもらうかもしれないが」


 めっちゃいい笑顔のまま遠くを見つめるギュンターさんを見て、違う意味で目がうるうるしてきた。筋肉モリモリなザ・海のオトコがゾンビになる日は近いかもしれない。

 と――。


『な、何!?』


「イテッ……!」


 ズン……! と船が大きく揺れた。……というか突き上げられた感覚に僕もギュンターさんも、甲板を忙しく動き回っていた筋肉モリモリのオジサン、オニイサンも目を丸くして姿勢を低くした。

 ちなみにクリスが悲鳴をあげたのはお皿から大ジャンプしたかたくてまずいビスケットが眉間に直撃したから。額を押さえたクリスは船の揺れにあわせてコロコロと甲板を転がっていく。あわててクリスのえり首をくわえた僕はギュンターさんのそばに引き戻した。

 何が起こってるのかわからない以上、筋肉モリモリのザ・海のオトコにしてこの船の船長さんなギュンターさんのそばにいるのが一番安全だ。

 そのギュンターさんはと言えば――。


「……ついにお出ましか」


 ものすっごーく低い声と怖い顔でそうつぶやいたあと、まわりを見回して大声を張り上げた。


「お前ら、斧持ってこい! あと鉄板だ!」


『斧に鉄板!?』


 なにその物騒な指示!? なんて思いながらオロオロする僕をよそに筋肉モリモリのオジサン、オニイサンは野太い声で雄たけびをあげるとどこからともなく斧やら鉄板やらを持ってきて高らかに掲げた。


「か、かかかか……かかってこい、う、〝海の怪物〟ー! きょ、今日こそ駆逐して父さんと兄さんのかたきをう……うう打ってやるー!」


 あぁ~、コックのパディさんまで細くて白い腕で斧代わりの包丁と鉄板代わりのフライパンを掲げちゃって。ていうか、足がガクガクのブルブルだよ! 物陰に隠れてなよ! 筋肉モリモリのザ・海のオトコなギュンターさんやオジサン、オニイサンの陰に隠れてなよ!

 んでもってーーー!


「う、うううう……〝海の怪物〟!? それはなでなで、もみもみ、ぺろぺろしなくちゃ! なでなで、もみもみ、ぺろぺろしなくちゃ!」


『うううう、ううううう、ううううううぅー!』


 クリスも物陰に隠れててよー! お願いだからギュンターさんや筋肉モリモリのオジサン、オニイサンの邪魔をしないで! 海に飛び込もうとしないで! なでなで、もみもみ、ぺろぺろしに行こうとしないでー!


 なんて絶叫しながらえり首をくわえて必死に踏ん張る僕だけど変態型に変形したクリスは運動神経皆無のいつものクリスじゃないしヒトでもない。ペガサスな僕の巨体をズルズルと引きずって船のヘリへと向かう。

 海の中、船のすぐそばにはギュンターさんたちが怖い顔で斧やら鉄板やらを構えて迎え撃とうとしてる怖ーい〝海の怪物〟がいるのに。泳げないクリスなんて捕まったらひとたまりもないのに。僕のヒールじゃおぼれるクリスを助けることはできないのに。


『ううう、うううううううううううううううううううううぅぅぅーーー!』


 だから、お願いだから海に近づこうとしないでー! 〝海の怪物〟をなでなで、もみもみ、ぺろぺろしようだなんて思わないでー!

 なんて絶叫しながら変態型クリスの馬鹿力にズルズル、ズルズルと引きずられてた僕だけど――。


「うぶっ!」


『うぶっ!』


 変態型クリスが悲鳴をあげてよろめいた拍子に僕もつられてしりもちをついた。

 よろめいた理由はまた船が大きく揺れたから。船が大きく揺れた理由は――。


『何……アレ……』


 タコやイカの手にそっくりだけど似ても似つかないサイズ感の手だか足だかがザッパァーン! と盛大な水しぶきをあげて海の中から登場したから。


『何、アレーーー!』


 ウネウネ動くタコだかイカだかにそっくりな手だか足だかが今まさに船に絡みつこうとするのを見て僕は半泣きで絶叫したのだった。

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