第二章 ユーグフ海峡・海の怪物編

第十四話 伝書バードのヤタガラス

「それとクリス殿宛だと思うのですが……」


 メガネの門番さんが肩に乗っている三本足の鳥の額をつつくと黒く美しい羽をバサッ! と広げ――。


『クリス、ニゲラレルトオモウナ。クリス、ニゲラレルトオモウナ』


 物騒なことを叫んだ。


「この伝書バードは……」


『あの人しかいない、よね』


『クリス、ニゲラレルトオモウナ。クリス、ニゲラレルトオモウナ』


 クリスの青ざめた横顔を見つめ、黒い伝書バードくんが伝言を繰り返すのを聞きながら僕は盛大にため息をついた。

 こんな物騒なメッセージをクリスに送ってくる人なんて――。


「美しい濡羽色ぬればいろ八咫烏ヤタガラスたんに染料使って赤メッシュを入れるなんていう非常識な暴挙に出る人なんてあの人しかいない! 最低最悪だ! 最低最悪のセンスのあの人だ!!」


 ……うん、えっと、そうだね。

 こんな物騒なメッセージをクリスに送ってくるのも、自分の周囲のあれやこれやに赤メッシュを入れがちなのも、ペガサスな僕に癒しの魔法ヒールを付与したあの人しかいないし、あの人が非常識なことも否定しないけど。


『クリスみたいな変態人間に非常識って言われちゃうのはあの人も不本意なんじゃないかなー』


 なんて、ちょっと癒しの魔法ヒールが使えるだけの平々凡々なペガサスの僕は言ってみたりみなかったりするんだけどクリスに僕の言葉はわからないからどうしようもない。長い付き合いのせいか結構わかってくれることもあるんだけど盛大にわかってくれないこともある。


「そ、そんなかわいそうなヤタガラスたんには……ハァハァ……ぼ、僕がなでなで、もみもみ、ぺろぺろしてあげるー!」


『クリス、ニゲラ……ギャー!』


『クリス、落ち着いて!』


「ハァハァ……ヤタガラスたんの地肌……何色の地肌してんの? ハァハァ……濡羽色の羽の下、何色の地肌してんの!?」


『クリ……ギャー!! ギャー、ギャー!!!』


『やめてあげて! ヤタガラスくんの小さな体をそのいきおいでなでなで、もみもみ、ぺろぺろするのはやめてあげて、クリス!!』


 あーもーーー! ホンッッット、言葉が通じないってもどかしい!!

 まぁ、僕がクリスと同じ人間で同じ人語を話せたとしても、変態型になって変態語を話してるクリスには結局、通じないんだけどね!


『あーもう! あーもーーー!!!』


 ペガサスの僕やフェンリルのフェナ、ニャンリルのリーネに比べるとずっと体の小さなヤタガラスくんに運動神経皆無ないつもからは想像もつかない俊敏さで抱きつこうとするクリスの洋服の首根っこをくわえてどうにか止める。


 クリスの変態吐息に身の危険をひしひしと感じたのだろう。ヤタガラスくんはメガネの門番さんの肩から床に飛び降りると三本足を器用にあやつり、ピョンピョピョン! と跳ねてクリスから距離を取った。

 ヤタガラステップと呼ばれるヤタガラスくん特有のステップだ。クリス以外の人が呼んでいるのを聞いたことはないけど。


『クリス、ニゲラレルトオモウナ! クリス、ニゲラレルトオモウナー! ギャーーー!』


 ヤタガラステップで窓までたどり着いたヤタガラスくんは羽をバサッ! と広げ、最後にもう一度、伝言を叫ぶと飛んで行ってしまった。


「逃げましたね、あの伝書バード」


「危険を察知したのだろう。実に優秀な伝書バードだ」


「あーーー! ヤタガラスたーーーん! そこをなんとか! せめて1なで、せめて1もみ、せめて1ぺろ、お願いしまーーーっす!!!」


 ヨハン副団長さんとフーベルト団長さんと僕は飛び去って行くヤタガラスを同情のまなざしで見送る。あきらめの悪い変態型クリスは僕に洋服の首根っこをくわえられてジタバタ。クリスのことを変態じゃなくて高名な動物画家だと思っているメガネの門番さんはきょとんとしている。


 ちなみに伝書バードなのかヤタガラスなのか、どっちなんだよと思ってるかもしれないけど〝伝書バードのヤタガラス〟だ。


 獣騎士団フェンリル隊のフェンリル。

 獣騎士団ニャンリル隊のニャンリル。

 クリスの保護者兼子守りのペガサス。

 そんでもって、伝書バードのヤタガラス――というわけだ。


 なでなで、もみもみ、ぺろぺろしたくてハァハァ、ジタバタしていたクリスだったけどヤタガラスくんの姿がすっかり見えなくなってようやくあきらめがついたらしい。すっくと背筋を伸ばして人型に戻った。


「〝逃げられると思うな〟なんてストーカーか殺人鬼みたいなことを言われても〝はい、わかりました。逃げませーん〟なんて言うわけないよ」


 ヤタガラスくんが届けてくれたあの人からの伝言を思い出してため息を一つ。クリスは僕の真っ白な首をなでなで、もみもみ、ぺろぺろした。……なでなではいいけど、もみもみとぺろぺろはやめて。


 と、――。


「よし、あの人が追いかけてくる前にとっとここを離れよう!」


 クリスはパン! と手を叩くととっ散らかした絵の具やらスケッチやらを片付け始めた。荷物をまとめてさっさとこの獣騎士団隊舎を出ていく気だ。それを見てあわてふためいたのは王様が団長さんとクリスを呼んでいるという伝言を持ってきたメガネの門番さんだ。


「クリス殿、お待ちください! 陛下にお会いしてから……!」


「フーベルト団長、ヨハン副団長、僕はこれで失礼します! フェナたんもリーネたんもまたね! 名残惜しいけど……またね! というわけで……」


 おろおろしているメガネの門番さんをよそにクリスは背中を丸めた前傾姿勢で手をわきゃわきゃと動かし、口からはよだれを垂らした変態型に変形。フェナとリーネににじり寄る。


「さ、最後のなでなで、もみもみ、ぺろぺろを……!」


『キャワ!?』


『シャーーー!!!』


「我が獣騎士団の誇りにして牙である相棒に何をする、このど変態が!」


『ヒール! クリスを斬ることに一切のためらいがなくなったね、団長さん! ヒール、ヒーーール!』


 軽々しく振るわれる団長さんの立派な剣にもうしわけない気持ちになりながら僕はクリスの〝いせかいてんせい〟人生が終わっちゃわないように一応、ヒールをかけた。


「フェナたん、ハァハァ……! リーネたん、ハァハァ……!」


「とりあえず拘束する」


 すっかり慣れた手つきで団長さんがクリスを極太ロープでぐるぐる巻きにする。床に転がされたクリスを副団長さんが困り顔で見下ろした。


「クリス殿、お急ぎかもしれませんが陛下にお会いになってから出立していただけませんか。陛下はクリス殿が高名な動物画家だから、というだけで呼びつけるような方ではありません」


「何か大切な話があるのだろう」


 副団長さんと団長さんの真剣な表情を見て、ようやく人型に戻ったクリスは考え込む。

 真面目な顔をしてれば金髪碧眼きゅるっと王子様系の顔をしてるのにね。クリスパパ、クリスママの美男美女遺伝子を完全に無駄使いしてる。変態が台無しにしてる。

 ……なーんて、僕がこっそりため息をついているあいだにクリスは考え事を終わらせたらしい。


「わかりました。王宮に案内してください」


 そう言ってこくりとうなずいた。

 そして――。


「あの人もいきなり他の国の王宮に入り込んでくるような非常識な真似はしないだろうし。もしかしたら王宮の方が安全かもだし。ね、ベガ!」


 僕に向かってにっこり。


『他国の王宮を避難シェルター扱いしないでよ、クリス』


「そんな理由で陛下との謁見を決めるな。王宮をなんだと思っているんだ」


『ごめんね、団長さん。クリスが変態なうえにちょっと世間からずれた感覚してるせいで。……ヒール』


 額を抑えて深々とため息をつく団長さんの胃にごめんなさいをして僕はそっと癒しの魔法ヒールを唱えた。


「ん? なんだか胃の痛みが引いたような……」


『やっぱり痛かったんだね、団長さん』


 僕の言葉が通じない団長さんは急に胃の痛みが引いたもんだから不思議そうな表情で首をかしげた。


『ごめんなさい、団長さん。クリスがド変態なばっかりにご迷惑をおかけします。……ヒール』


 僕は視界を涙でにじませながらおまけとお詫びとしてもう一度、団長さんにヒールをかけたのだった。

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