第十二話 同じじゃないから
キャンパスの右手には高い木の枝の上で腰を低く構え、遠くを見つめるリーネ。左手には風に揺れる青草に立ち、空に顔を向けて遠吠えするフェナ。奥には連なる山々とその稜線から半分ほど顔をのぞかせた太陽が描かれていた。
リーネの姿もフェナの姿も逆光になっていて、ほぼシルエットだ。それに二匹ともすっかり背中を向けてしまっている。
だけど――。
「リーネとフェナがどんな表情をしているか。不思議なくらいはっきりと思い浮かびます」
「……私もだ」
絵をじっと見つめたまま団長さんと副団長さんが言う。絵を見つめて僕もにっこりと微笑んだ。
動物画家クリス・ブルックテイラーが描く絵は〝神々しく、幻想的〟と評される。今回の絵もクリスらしく、神々しく幻想的にフェンリルとニャンリルの姿を――フェナとリーネの姿を描いていた。
遠く、近くの気配に耳をそばだて、目を配る。二匹の後ろ姿は凛としているけれど、まとう空気は怖いばかり、鋭いばかりじゃない。
フェナが呼びかけ、リーネが見つめる先にいる仲間たちの無事を祈る優しさとか。フェナとリーネが背中を預ける相棒たち――団長さんと副団長さんへの信頼とか。
そういう温かな空気がにじんで見える。
「幻想的な絵ですね。二匹が見つめる空……朝日にも夕日にも見えます」
副団長さんがほーっと吐息をもらしながら言った。
「右半分は朝日、左半分は夕日。一枚の絵に朝日と夕日が共存しているようにも見えるが……」
言いながら団長さんの眉間にしわが寄った。
「自己満足的に描いたところなんですが……そこに気付いてもらえるのはうれしいです」
聞こえてきた声に団長さんと副団長さん、僕はそろって足元に転がっているクリスを見下ろした。
長旅のあと、徹夜で絵を描きあげたのだ。起き上がれるだけの体力は残っていないのだろう。クリスはごろりと転がって仰向けになると僕たちの顔を見上げた。
「朝日と夕日は光としては同じなんです。でも、大気の状態が違うからほんのわずかに色の見え方が異なる。夕日の方が赤く見えるんですよ」
その微妙な差を団長さんは本能にも似た勘で読み取ったらしい。微細な違いとこだわりに気が付いてもらえたことがうれしかったのだろう。クリスはにっこにこの満面の笑顔を浮かべた。
「フェンリル隊は数百年もの歴史を持つ由緒ある隊。かたやニャンリル隊はほんの十数年前にできたばかりの新しい隊。まだまだ未知の部分が多い」
まさに昇ったばかりの太陽。朝日そのものだ。
「二匹を描いていて思ったんです。フェンリルのがっしりとした体は持久力、ニャンリルのしなやかな体は瞬発力にすぐれている。それにフェンリルは群れで行動し、ニャンリルは単独で行動する。全然違う動物です」
クリスの言葉に副団長さんはキャンパスをそっとなでた。シルエットのフェナとリーネの姿をそっとなでた。
「昨日のリーネたん、とーーーっても魅力的でした。猫じゃらしを真剣な表情で追いかけたり、高い枝にひょいっと飛び乗って引っかかったフリスビーをちょいちょいって前足で落としたり、ご機嫌ななめで木の上でふて寝したり……ハァハァ……思い出すだけで……ハァハァ……!」
『不機嫌の原因は完全にクリスだったけどね』
「それにそれに! 昨日のフェナたんもとーーーっても魅力的でした! みんながリーネばかり注目するからって団長さんに構ってアピールしたり、投げてもらったフリスビーをしっぽをふりふり持って帰ってきたり、仲間の遠吠えにうれしそうに遠吠えを返したり……ハァハァ……思い出すだけで……ハァハァ……!」
僕のツッコミは見事に聞き流して、クリスはゴロンとうつぶせになるとバシンバシンと床を叩き、足をジタバタさせてハァハァと変態吐息をもらした。
ひとしきり悶絶して落ち着いたのか。
「もちろんフェナたんが高い木の枝にのぼったり、リーネたんがフリスビーを取って来いしたりしてもかわいいと思います。かわいいと思いますが……自然体の二匹が一番かわいくて魅力的だと思いませんか?」
再びゴロンと転がって仰向けになったクリスは団長さんと副団長さんを見上げて真顔で言った。
「同じになんてなれないし、同じになってしまったら魅力半減! なんなら全減です! デレなフェナたんがいい! ツンなリーネたんがいい! しっぽふりふりなフェナたんがいい! しっぽバッシンバシンなリーネたんがいい! ハァハァ、ハァハァ……!」
『真剣な顔して変態吐息をつかないでよ。気持ち悪さ倍増、なんなら激増だよ』
と、冷たい目でクリスを見下ろしていた僕は――。
「……フーベルト団長!」
副団長さんの小さな、だけどきっぱりとした声に視線を向けた。
うつむいていた副団長さんは意を決したように顔をあげると団長さんの目を真っ直ぐに見つめた。
「ニャンリル隊が参加する作戦の内容や役割について、ぜひ相談させてください。とりあえず……」
そこまで言って副団長さんは困り顔で微笑んだ。
「式典などの参加は遠慮させてもらえればと。自由気ままなニャンリルたちに数十分、一時間とおすわりの体勢でじっとしていろというのは無理です」
怖い顔で副団長さんの話を聞いていた団長さんはフー……と息をついた。副団長さんの笑みが引きつる。胃がキリキリしてるのかもしれない。ヒールをかけなきゃと構えた僕だったけど――。
「確かにそうだな。……わかった」
団長さんが苦笑いでうなずくのを見て副団長さんといっしょになってほーっと息をついた。
でも――。
「いや、ちょっと待て」
団長さんが渋い顔で腕組みするのを見て僕と副団長さんはそろってピシッ! と背筋を伸ばした。
「列席者が国内の者だけのときにはニャンリル隊も参加しろ」
「で、ですが……」
「式典の最中に緊張感なく熟睡するニャンリルを微笑ましく見ている列席者はそこそこいるのだ。大っぴらには言えないが……陛下も、な」
陛下――と聞いて副団長さんは目を丸くした。
でも――。
「そうですか。……そうですか!」
そのうちに顔をくしゃくしゃにしてうれしそうに笑い出したのだった。
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