第十話 夕焼け小焼けで日が暮れて

 ネコじゃらしに飽きてしまったのか。ゥニャニャニャ! とハッスルして体力を使い切ってしまったのか。はたまた暖かな日差しにただ眠気が勝ったのか。

 リーネは木の根元ですやすやと眠っている。木の枝で横たわっていたときはふて寝か寝たふりだったのだろう。つむった目をつりあげて澄まし顔をしていた。でも、今のリーネは実に気持ちよさそうに、すやすやと優しい顔で眠っている。

 もしかしたら副団長さんが黄褐色の毛をゆったりとした手付きでなでているからそんな顔をしているのかもしれない。


「よしよし、フェナ。……もう一回か? よし、取ってこい!」


『キャワン!』


 団長さんとフェナはというと飽きることなく、ついでに体力が尽きることも眠気に襲われることもなく、フリスビーを投げてはキャッチして持って帰ってくるを繰り返している。

 フリスビーをプレゼントして数時間。日は傾き、夕焼け空になり始めていた。


『これだけ楽しんでもらえたら本望でしょ!』


 なんてプレゼントした張本人であるクリスを見ると――。


「僕が……僕がフリスビーを持ってきたフェナたんをなでなでしたかった……猫じゃらしで遊び疲れたリーネたんのお腹をなでなでしたかった……僕が……僕が……!」


 変態型にはなってないものの、人型というよりは呪詛型になりつつあった。

 ……お願いだからため込んだ恨みつらみで極太ロープを溶かして脱出とか人外なことはやらないでよね。


 と、――。


「フェナ、取ってこい! …………あ」


 数時間に渡ってフリスビーを投げ続けているのに、まだまだ体力がありあまっているらしい団長さん。加減というものを置き去りにしてすっ飛んでいったフリスビーは木の高いところに引っかかってしまった。リーネがふて寝していた枝よりもさらに高い位置だ。


『クゥーン、クゥー……』


 木の幹に前足をついて背伸びをしたりぴょんぴょんとジャンプしたりしてるけどフェナでは届きそうにない。


『仕方ないなぁ。僕が取ってきてあげましょー』


 真っ白な羽をばさりと広げ、僕はフフンと胸を張った。なにせペガサス。大きくて真っ白な羽と風魔法で大空を飛びまわるのが僕たちペガサスだ。

 早速、飛び立とうとした僕だったけど――。


「……ベガ」


 クリスに名前を呼ばれ、首を横に振るクリスを見て、僕は首をかしげた。ハァハァもしてないし変態型にもなってなさそうだけど……なんで僕を止めたのかさっぱりわからない。

 でも――。


「リーネ、あれ。取ってこれる?」


 木の下でリーネといっしょにまったりしていた副団長さん。その副団長さんの言葉でわかった。


『……』


 フー……と鼻でため息をついて起き上がったリーネは前足を右、左と思い切り伸ばすとおすわりして顔をひと洗い。


「……リーネ」


 苦笑いする副団長さんの顔をじっと見つめたかと思うとおすわりの体勢から助走も予備動作もなしで高い枝へと飛び乗った。フェナの力強いジャンプともまた違う、しなやかで音もないリーネのジャンプに団長さんも僕も声もなく見とれた。


「ハァハァ……リーネたんのジャンプ、ハァハァ……!」


 クリスだけがハァハァうるさい。ものすごーくうるさい。雰囲気台無しだから黙って、クリス。


『クゥー……』


 フェナが心配そうに見守る中、フリスビーよりもほんの少し高い位置から伸びている枝に軽々と移動したリーネは前足でちょいちょいとつついてフリスビーを落とした。


『キャウ! キャウキャウ!』


 落ちてきたフリスビーを見事にキャッチしたフェナはうれしそうにしっぽを振った。相当にうれしかったらしい。いっしょに遊ぼうと誘うようにクゥークゥー、キュンキュンと鼻を鳴らし、リーネに向かってジャンプしたり、後ろ足で立ち上がると前足をひょいひょいと動かして器用に手招きしたりしている。

 誘われたリーネはといえば澄ました顔でフェナを見下ろしていたかと思うと枝の上に横たわって落ち着いてしまった。


「リーネはフリスビーよりも猫じゃらしや昼寝か」


『クゥー……』


「……すみません」


 団長さんが肩をすくめ、フェナが肩を落とすのを見て副団長さんは困り顔で微笑んだ。


「でも、それでこそリーネであり、ニャンリル……ですよね?」


 クリスがくすりと笑って目配せすると副団長さんは目を丸くした。団長さんがじっと副団長さんの顔を見つめている。


「……っ」


 なんて返事をするつもりだったのだろう。口を開きかけた副団長さんだったけど――。


『ワオォォォー……』


 不意に響いた遠吠えに全員が声のする方へと顔を向けた。


「もう、そんな時間か」


 黒い鼻を夕焼け空に向け、高く長く遠吠えをしていたのはフェナだった。

 遠吠えが止んで赤く染まった裏庭に静寂が戻る。芝生におすわりするフェナは一方向をじっと見つめている。何かの音に集中するようにピンと立った両方の耳も視線と同じ方向を向いている。

 ピクピクッ! と耳が動いた。

 そして――。


『ワオォォォー……』


 再び顔を空に向けて遠吠えする。


『そんな時間……?』


「夕方の定時連絡です」


 僕の言葉が通じたわけじゃないと思うけど、副団長さんがそう答えた。フェナを見つめて穏やかに微笑んだまま。


「我がルモント国は一方を海に、三方を大国に囲まれています。国境にはフェンリル隊の分隊が配置されており、朝昼夜と定時にこうして遠吠えで報告をするのです」


 ペガサスの僕だと言われてみれば何か聞こえるかも? くらいのほんのわずかな音。人間の団長さんや副団長さん、クリスにはまったく聞こえていないはず。でも、フェナの耳にはきちんと聞こえているらしい。

 一方向を向いて遠吠えを終えると団長さんをじっと見つめてフェナはしっぽをふっさふっさとふる。団長さんがわかったと言うようにうなずくと、また別の方向を向いて耳を澄ませ、そのうちに遠吠えをする。

 

「フェナ、うれしそうに見えませんか?」


 小さな声で副団長さんが言った。


『うん、すっごくうれしそう』


「えぇ、とてもうれしそうです」


 僕とクリスはそろってうなずいた。目を細くして笑う副団長さんもなんだかうれしそうだ。


「国境三方にいるフェンリルたちは元々、団長やフェナと同じ隊にいた仲間なんです。フェナの家族、兄弟もいるんですよ」


 だから、フェナはしっぽを振るとき、うれしそうな顔をしているんだ。ほっとした顔をしているんだ。納得して僕とクリスはそろってほほを緩めた。

 それに団長さんも――。

 

「団長さんもなんだかうれしそうだね」


 クリスも僕と同じことを思っていたらしい。

 そう、団長さんも目を細めて微笑んでいる。仲間とその相棒たちの無事を知って。相棒であるフェナの家族や兄弟の無事を知って。ほっとしたように微笑んでいる。

 僕はクリスに同意するように背中をグイグイと鼻面で押した。振り返ったクリスはくしゃりと、十六才の普通の少年らしく笑うと僕の鼻面をわしゃわしゃとなでたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る