第9話 長老

 朝起きて地図を確認してみたが、ネジは回っていなかった。条件は慰霊碑を拝むことではなかったらしい。


 今日から本格的に仕事が始まる。その事実に、全身の血管が躍動する。


「今日だよ。覚えてる?」


 トマトスープを飲みながらホタルは言う。


「覚えてます」


 私はスープを飲み干し、長老宅の扉を眺める。重厚な木製の扉には装飾がなく、それが厳正な雰囲気を醸し出している。


 聞くところによると、ツユキとウタゲも毎日会えるわけではないらしく、他の住人たちと同じようにソワソワしている。


 今日の朝食の時間は、心なしか終わるのが早い。皿を下げ終わった住人たちは、昨日のライブのように扉の前に集まり、開くのを待つ。


「毎回こういう風に待っているのですか」

「そうだよ。不文律ってやつ」


 そんなことを話していると、住人たちに「ヒミコさんは新入りだから」と押し出され、最前列で待つことになってしまった。いずれ対面して話す相手とは言え、なんだか緊張してくる。


 ギギ、と音がして、扉がゆっくりと開いた。住人たちは一瞬にして静かになり、玄関口に視線を集める。


「皆さん、おはようございます」


 そう言って姿を現したのは、二十代の若い男性だった。長老の執事だろうか。それともウタゲの弟だろうか。


 周りを見ると、住人たちが全員頭を下げている。私は驚き、慌てて頭を下げる。


「おはようございます、長老」


 耳を疑った。この村の混沌はとどまるところを知らない。最年長でもない者を長老呼ばわりとは。学習データが狂ってしまいそうだ。


 顔を上げると、長老と目が合った。ほら自己紹介、と隣の住人に囁かれて、慌てて「桜庭ヒミコです」と言った。


「ヒミコさん、ですね。長老の、貝野イシカゲです」


 それから、一昨日産まれた赤ちゃんも紹介して、解散となった。しかし長老に用がある私は、じっとその場から動かない。長老も私を見つめ、仁王立ちしている。


「中で話しましょうか。ツユキは、図書室にでもいなさい」


 そう言って隣にいたツユキを離れさせると、私を家の中に招いた。


 照明が不十分なせいで、廊下は薄暗い。玄関には立派な絨毯があり、最初に見える部屋には大量の書籍と木の机、次に見える部屋には大量の工芸品と大きな食糧貯蔵庫がある。


「他の住宅とは全然違いますね」

「うちは特別なのでね……」


 イシカゲは急な階段を軋ませながら登っていく。この一歩で崩れてしまうのではないかと心配になりながら、私も登っていく。


 二階に上がると、また大きな部屋が二つ見えた。誘導されるがまま左の部屋に入ると、テーブルを挟んで四つの椅子があった。


「ここです。どうぞ、座って」


 座面の革の音を響かせながら、イシカゲの真正面の椅子に座る。


 部屋の中には本棚が二つと、おさらしい重そうな机があり、光源の乏しさも相まって異様な緊張感が漂っている。


「桜庭ヒミコ、でしたっけ。アカネかホタルが思いつきそうな名前ですね」


 私の反応を見ながら、長老は水を飲む。


「この村、生存街・地では、タケの彫刻やウタゲの作曲のように、多くの住人がそれぞれの専門分野を持っています。私の専門は……」


 イシカゲは立ち上がって引き出しを探り、薬草のようなものが詰まっている瓶を取り出して机に置いた。


「ご覧の通り、アンチエイジングです」


 あの幼さで自作の言語を持っているユイナを思い出した。崩壊前の常識からは大きく外れているが、あり得ない話ではない。


「長老はいま、何歳なのですか」

「私は117歳です。肌、血管、免疫力、骨密度、脳機能、筋肉量、ホルモン、消化と排泄、恒常性維持機能、全てが24歳の平均水準に収まっていて、生きた年数だけが117という状態にあります。肉体だけなら、孫のウタゲより若く見えるでしょう」


 しかし実年齢の五分の一ものアンチエイジングなど、本当に可能なのだろうか。


「信じられませんか?」


 イシカゲは再び立ち上がり、十枚の写真の束を十一個と、七枚の束を一つ持ってきた。


「この村には、一年に一度、住人全員で集合写真を撮るという習慣があります。ご覧ください」


 束を手に取り、一枚ずつ捲って確認する。


「これが私です」


 イシカゲはそう言って、最も古い写真に写っている赤ちゃんを指差す。


 捲っていくと、十七歳までは年相応の成長を見せている。しかし十八枚目に写っているウタゲは、十七枚目のそれと全く一緒だった。


「私がアンチエイジングに興味を持ったのは、十七歳の頃です。そろそろ、見た目が変わらなくなってきたんじゃないですか」


 三枚捲ると、ようやく十八歳の見た目になった。そこから十九歳まで4枚、二十歳まで6枚、二十一歳まで7枚、二十二歳まで12枚、二十三歳まで19枚、二十四歳まで31枚かかった。


「ああ、そこからはもう、何も変わらないです」


 その言葉は事実で、私はそれから枚数が117あることを確認するだけの作業を黙々と行なった。幼少期のアカネやミキも写っているこの資料は、信用に値するだろう。


「信じていただけましたか」


 私は頷くと、イシカゲは満足そうな顔をして身を乗り出してきた。


「先程、この村の住人たちは専門分野を持っているという話をしましたが、ヒミコさん、ツユキの専門は何だと思いますか?」

「地学……ですか?」

「それだと、専門と言うには少々広すぎますね。単刀直入に、ツユキの専門は、あなたです」


 口調のせいか脅しのように聞こえて、一瞬怯んでしまった。


「彼はあなた——ヒト型パーソナリティーディスプレイH-03について理解することが、この村の謎を解明することに繋がると考えています」


 イシカゲは腰を引き、楽な姿勢に戻った。


「あなたには使命があると聞きました。よければ、聞かせてもらえますか」

「全ての生存街を巡り、世界の文明を復元することです」


 確かな眼差しでイシカゲの目を見つめ、全ての文字をはっきりと発音した。イシカゲは深く息を吸い、立ち上がった。


「なるほど。では、ついてきてください」


 私は言われた通りに、部屋を出て階段を下る。イシカゲは玄関とは反対の方向に進み、風呂場の床下収納を開けた。


「梯子があります。気をつけて」


 そこは隠し扉になっていた。

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