第3話 平穏な午後

 朝に聞いたのと同じ鐘が鳴った。


 学校から子供たちが出てきて、大人たちのいる鍋の近くに座る。


 住人たちの座り位置は大体決まっていて、新しく入った私はホタルの隣をいただいた。


 衛生管理者だという大人数人が分担して、全員にとうもろこしを配った。


 齧ってみる。なんの味もしない。贅沢なことを考えている自分に気がつき、崩壊を実感させられた。


 ふと、子供たちが蛇口に群がり、とうもろこしを濡らしている様子が目に入った。そうしているのは子供だけだが、何か意味があるのだろうか。


「彼らはなぜ濡らしているのですか」

「十三歳以下は、糖分を多く摂らなきゃいけないからね〜」

「あの水は、砂糖水なんですか」

「え、砂糖水って。砂糖が含まれてない水があったら、それはそれで面白いね」


 そう言って笑うホタルに、ツユキが指摘を飛ばす。


「水が糖分を含むようになったのは約140年前のことで、崩壊前の水の殆どは無味だったと、聞いたことがあります」

「えっ、そうなの? じゃあ崩壊前の子供たちは、とうもろこしは我慢して食べてたってこと?」

「崩壊前は土壌が豊かで、とうもろこし自体に充分な味があったんですよ」


 それを聞いたホタルはひとしきり驚いた後、不満そうにとうもろこしを齧った。


 完食した住人たちは食べかすを集め、木でできたボウルに入れて立ち上がり、同じ方向へ歩いていく。その先に、この地で唯一崩壊前の日本の民家と同じ建築様式を採用した、木造の平家がある。私も衛生管理者にボウルをもらい、周囲に倣ってその平家に向かった。


「あれ、僕の家なんです」


 ツユキが平家を指差して言う。見るからに長老の邸宅といった感じだ。


「長老はなぜ出てこないのですか」

「すごい少食だから……」


 ツユキは苦笑する。


 住人たちは二列に並び、長老宅の敷地内に掘ってある大きな穴に、次々と食べかすを投入していく。少し後ろめたく思いながら、私も倣った。


「あれが来月の食糧になるんだよ」


 私の疑問を、ホタルは察してくれたらしい。


「どういうことですか」

「僕らの食べかすを餌とする虫があの土にだけ住んでて、その虫たちがする糞が栄養源になって、農作物が育つんです。月に一度の収穫は、衛生管理者の方々がやってくれます」


 学校で「地学」として習うことらしく、ツユキは補足説明として詳細な理屈を教えてくれたが、崩壊後限定の化学が前提知識として用いられていたので、恥ずかしながら聞き流してしまった。


 民家から、私たちを呼ぶ声がする。ホタルが駆け出した先には、若い女性と、ツユキと同い年ぐらいの少女がいた。


「紹介するね、わたしのお母さんと」

「瀬奈アカネです」

「妹!」

「瀬奈ユイナです!」


 可愛らしい服を着た二人に、こちらからも自己紹介をし、ホタルに促されて家にあがった。


 家の中には、アカネの趣味だという木彫りの彫刻、服をかけるための竿、教科書や絵などを置くための棚、簡易的な机と椅子、そこに積み上げられた大量のノート、そして地下の寝室につながる扉がある。


 寝室に通してもらうと、眠くなりそうないい香りが鼻に飛び込んできた。壁から突き出るように咲いている、紫色の花が香りの源らしい。


「あれはカワシグサっていう花で、一年に五本だけ、長老の家の庭に咲くんだよ。匂いの効果は十三年でなくなるから、十二年ごとに植え替えるの。睡眠の質を上げるための必須アイテム!」


 その効果は非常に高く、説明中なのにウトウトしてしまう。目をこすって寝室を出ると、ユイナが机にノートを広げて何かを書いていた。


「ねえ、ヒミコさんは、何の科目が好きだったの?」

「私は、学校ができる前から寝てたので……」

「えー、そうなんだ。あたしはね、文学!」


 ユイナが広げて見せてくれたノートには、見たことのない文字が書き連ねられていた。


「ユイナは文学ばっかりやってて、数学は二年生にも教えられないのよ」

「数学はツユキくんが二人分教えるからいいの!」


 アカネの揶揄いも意に介さず、ユイナは全ページをめくって見せてくれた。


「この文字は、何語なんですか」

「タルマケシュラン語! リンさんのタール語と、アキトさんのシユラ語から派生させた、あたしのオリジナル言語!」


 ユイナは目を輝かせ、文法の解説までしてくれた。崩壊前に流行っていた英語と似ているが、あれよりも単語のつくりが洗練されていて学習しやすい。


 しかしこの少女が天才扱いされていないということは、この地での知的娯楽は相当発達しているのではないだろうか。背後にある、アカネが作ったという彫刻も、趣味の域を凌駕した大作である。


「こういうのは、学校で習うんですか」

「ううん。学校で教わるのはもっと簡単なことだけ。難しいことは、詳しい先輩が教えてくれるの」

「私の彫刻だって、美学で習ったのは基礎的な彫り方だけで、専門的な部分は、ほら、あそこに住んでるタケさんに教わったんですよ」


 アカネは遠くを指差して言う。


 この村はあまりに平和で健康的すぎて、世界を復元しなければという義務感が揺らいでしまう。博士の顔を思い出すことで立て直せるが、本当に戻してしまっていいのだろうかという疑問は誤魔化しきれない。


 家屋も、見ているだけで面白い。


 ずっと木製だと思っていたが、もしかしたら違うものでできているのかもしれない。彫刻と同じ素材でできているようにも見える。


「ヒミコさんはどれにします?」


 アカネに聞かれて振り向くと、衛生管理者がメモを手にこちらを見ている。夕食のメニューのアンケートを取りにきたらしい。


「リゾット、ナポリタン、そばがありますけど」

「リゾットで」


 私の注文をメモすると、衛生管理者は隣の家に向かった。

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