生存街・地
第2話 村の朝
寝室を出ると、地図上の島は実際には島ではなく、文明の無い部分を便宜上海としているだけなのだと分かった。となるとあの島々は、やはり全て生存街を表しているのだ。
この街の門は、木材でできた簡素なものだった。そのアーチの両脇から、家々を囲うように広くレンガがばら撒かれている。
それらを積んで壁にしないのは、そうしなくても誰も外に出ないからだろう。
レンガの外には乾いた岩と砂の地面が果てしなく続いていて、この先にはなにもないのだと一目でわかる。ここに壁を作ることは、閉塞感と好奇心を募らせることにしか繋がらない。
崩壊した瞬間にここまでの荒廃が完成したわけではないだろう。一体崩壊からどれほどの年月が経っているのだろうか。
どこからか、鐘の音がした。すると町内に散らばる木製のかまくらのような住居から、住人たちがぞろぞろと出てきた。
住人たちは、おはよう、おはよう、と挨拶を交わしながら、大きな鍋の近くに輪になって座る。私も混ぜてもらう必要がありそうだ。
「みんな、見て!」
水色の可愛らしい服を着た一人の少女が、こちらを指差して叫んだ。住人たちもこちらを見て、ざわざわし始める。
「どこから来たんですかー?」
「……ここから」
寝室を指差してそう言うと、住人たちのざわめきは加速した。ほんとに住んでたんだ、嘘だろ、なんて言ったの、と口々に言い合う。
「こっち来てください、朝ごはんできてますよ!」
少女に呼ばれ、その輪に参加する。空けてくれた場所に座ると、炊事担当らしき人が、木製の皿にオニオンスープをよそってくれた。
敬語じゃなくてもいいかと聞かれ、二つ返事で承諾した。
「わたしは瀬奈ホタル、よろしくね!」
溌剌とした声でそう言い、握手を求めてきた。
「よろしくお願いします、H-03です」
握手を返すと、ホタルは不思議そうに首を傾げた。
「えいち……どこまでが苗字?」
口頭での説明は煩雑になりそうなので、落ちていた枝を拾って地面に名を書いた。
「苗字とかはないです」
「えー、なんかロボットみたい」
「厳密に言えばアンドロイドなんですけど、まあ、ロボットみたいなものです」
そう明かすと、ホタルだけでなく、会話が聞こえていた住人たち全員が寄ってきて、腕や脚を触ってきた。
「ほんとだ、肌じゃない」
「なにこれ、金属でもない」
「何で出来ているかは、私も知らないんですよ」
目を輝かせる住人たちに、苦笑いで返す。
「これ、もしかして」
足を触っていた一人の少年が、顔を上げた。
「あれじゃないですか? 崩壊前に政府が所有していた遊水池に保管されていた……えっと……」
少年は高速で指を回し、頭の回転を促す。周りにいる友達に聞いてみるが、悉く「お前が知らないんじゃ誰も知らないよ」と突っぱねられてしまった。
少年はため息をつき、スープの残りを啜る。
自分の肌が何でできているかに興味はないが、知り合っておくべき少年のような気がしたので、話しかけてみることにした。
「崩壊前について、知っているのですか」
「はい。ひいじいちゃんが本を持ってて、それに書いてあったんです」
「こいつは長老のひ孫なんですよ」
さっき突っぱねていた少年が補足する。
「貝野ツユキっていいます。お姉さん、本物のH-03なんですか?」
「そうですよ」
ツユキは興奮してノートを取り出し、そこに何かを書いた。
「あの、ずっとここにいるんですか」
「そういうわけにはいきませんけど、少なくともあれを回すまでは居るつもりです」
そう言って、寝室の屋根の上に取り付けられた世界ネジを指差す。ツユキはまた何かを書いた。
「やっぱり、あれが世界ネジだったんですね。すごい、すごい」
鐘が鳴り、住人たちは皿を片づけ始める。私も見ようみまねで片づけ、仕事に取り掛かることにした。
ネジが回る条件を、私は知らされていない。ただ、重箱の隅をつつくようなものではなく、比較的自然に見つかるものだということだけ知らされている。
「あそこって、寝室だったんだ」
「そうですよ。博士が拵えてくれたんです」
ホタルと共に、街を一周する。地面も住居も公共施設も土の色をしているが、衣服だけはなぜか崩壊直前のように色鮮やかだ。ホタルの服には、リボンまでついている。
「なんか、H-03って呼びづらいね。名前作っちゃえば?」
「な、名前ですか……。良いの、ありますかね」
「う〜ん……H、3、だから、
「桜庭ヒミコ、良いですね」
博士ですら、苗字は選択の余地がなかった。これはありがたいことなのだ。
「今のはほんとに、こんな感じってだけのやつだから、嫌だったらまたちゃんと考えるけど……」
「いえ、とても気に入りました」
微笑むと、ホタルは嬉しそうに握手してきた。
「やった〜! よろしくね、ヒミコさん」
私は握手を返す。
崩壊という字面が持つイメージとはかけ離れた、実際の生存街の持つ明朗な雰囲気に、ついつい気が緩んでしまいそうになる。その度にレンガの外の光景に頬を叩かれ、私は再び襟を正した。
子供たちの行列が、何かの葉で作られた仕切りの中に入っていった。バンダナを着けた中年女性が鐘を鳴らすと、子供たちは駆け足になる。
「何が始まるんですか」
「授業だよ。今日は火曜日だから、歴史かな」
学校があるということに驚いたが、人類が滅びてしまったわけではないのだから、教育はあって然るべきだろう。
中の様子を知りたいが、生徒と教師以外が入ることはできないらしい。許可を得て、近くに建てられた櫓に登って、教室内を覗かせてもらうことにした。
教室内には24セットの机と椅子があり、年齢が若い順に教卓側から六列になっている。六年生、四年生、二年生がそれぞれ一つ下の学年の子に知識を伝達し、必要があれば教師が補足する、という形をとっているようだ。
「変わったシステムですね」
「明日は五年生と三年生が教え役をやって、一年生と六年生には課題が与えられるんだよ」
ホタルは身を乗り出し、最後列にいるツユキを指差した。
「ツユキくんは十三歳だから、年齢で言ったら四年生なんだけど、飛び級して六年生をやってるの。長老の家には本やデータがいっぱいあって、物心ついた頃からそういうのに触れてきたおかげで、美術以外はもう完璧なんだって」
「美術があるんですか? なんのために?」
訊かれたホタルは、不思議そうに首を傾げた。
「もしかして、崩壊前からずっと寝てたの?」
「ええ。なので崩壊については、あまり知らないんです」
「じゃあ、150年間睡眠だ……」
なんと。博士は50年以内には目覚めるだろうと言っていたのに。これは一刻も早く、ネジを回し切らなければならない。
「そういうことになりますね」
「……えっとね、崩壊してからは、実用性そのものに意味がなくなっちゃって、学校の目的といえば、教養と遊び道具を得ることぐらいしかなくなっちゃったんだよね。食べ物も家も人数分あるから、職業という概念もただの歴史の暗記事項だし。そもそも崩壊後二十年間は、学校が無かったらしいからね」
良くも悪くも争いの無い、ひたすらに穏やかな生活。150年も経てば、ここまで変わってしまうのか。
遺跡のような村を見下ろしながら、仕事の行く末を案じた。
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