第35話 手紙

 総勢28万騎といわれる鎌倉軍は、大手軍、東海道軍、北陸道軍の3軍に分かれ、白河関、勿来関なこそのせき鼠ヶ関ねずみがせきの三カ所から奥州に侵入した。対する奥州勢は17万騎。奥州合戦と呼ばれる戦いの始まりだった。


 佐藤基治は、百姓の男たちを大鳥城に招集した。この時代、農民は貴重な戦力だった。武器や防具は城に用意されていて貸し出される。以前から武士になりたいと願っていた勝之介は、これ幸いと弓を教えた若者たちを率いて飛び出して行った。雉女は、「鎌倉との戦力の差は歴然」という力蔵の言葉を借りて止めたが、火のついた勝之介の気持ちを変えることは出来なかった。


 頼朝自身が率いる大手軍は、8月の太陽が焼く奥州街道を進撃する。奥州軍は厚樫山の防塁に集結しているから、途中の守備は堅くない。無人の野を走るようにして、十日ほどで信夫庄に達した。


 信夫庄の年寄りや女子供は山や森に隠れた。盆地の夏は蒸し暑く、誰もが汗だくになって木々をかき分け坂を上った。雉女も龍蔵を背負い、龍之介を抱いて岑越山に入った。沢子はサトに背負わせた。


 山頂には五十辺集落の者たちの顔が並んだ。不安にうつむく者があれば、木々の枝の隙間から遠く、伏拝峠を見つめる者もいた。そこには夕日に赤く染まってひしめく鎌倉軍の旗があった。


 すでに先鋒は五十騎、百騎と隊を組み、整然と坂を下り始めていた。そこからある隊は奥州街道を直進、別の隊は西に折れ、田畑を踏み荒らして白鳥城へ向かっている。


 ひとりの老婆が雉女に向かって手を合わせた。


「あんたは鎮護国家の弁才天だべ。田畑を何とかしてくれ」


 出来ることなら助けてやりたいと思う。しかし、一介の傀儡女にできることはなかった。


 陽が沈むと、方々でたかれた篝火かがりびや松明が平地を飾った。山上から見るそれはとても幻想的な光景だが、喜ぶ民はいない。篝火にされているのは、打ち壊された自分たちの家々なのだ。


 龍蔵が眠った後、雉女はサトに沢子を預けた。


「山を下りて様子を見てきます。あなたはお母さんと一緒にここでお待ちなさい」


 じっとしていられず、龍之介を抱いて山を下った。


 鎌倉軍は五十辺までは達しておらず、雉女の家の周囲は闇に包まれていた。雉女は燈明に火を灯し、葛籠つづらから純白の水干と緋袴を取り出して身に着けた。細身のために実践には役立たない刀も、ないよりはましだと思い脇に置いた。正装するのはいつ以来だろう、ひどく懐かしい。


 一通の手紙をしたためる。山を下りる途中で閃いたことだった。それを書き終えても灯りは消さない。そうしていれば漏れる灯りを見つけて誰かがやって来ると確信してのことだ。来るのが話の通じる相手か、あるいは強盗同然の者たちか……。それで運命が決まると考えていた。気にかかるのは幼い龍之助のことだが、親子は一心同体と覚悟を決めた。


 チリチリと油の燃える音がする。ふと、これではいけないと気づいた。演舞用の物とはいえ、武器を側に置いては訪ねてきた者が怪しんで心を閉ざすだろう。自分の武器など所詮、武士相手には無力。手元に置く意味はない。


 刀は布にくるんで縁の下に投げ入れた。武器を捨てると無防備さに不安が膨らむ。来訪者が善人であることを祈って不安と戦った。


 どれだけの時が過ぎただろう。ゴトゴトという鈍い音とともに板戸が開く。雉女は正座して来訪者を迎えた。


 闇夜から土間に飛び込んできたのは3人の坂東武者だった。


「いらっしゃいませ」


 雉女は、両手を床について頭を下げた。命を差し出す覚悟だ。


「女、何をしている?」


「このような時に水干姿でいるとは……」


「物の怪か!」


 彼らは刀を抜いた。刀身に映る燈明の灯りが怪しく揺らめく。


「私は雉女。関東の傀儡子、力蔵のところの傀儡女でございます」


「その傀儡女がひとり、何をしている?」


 雉女に敵意がないと安堵したのか、男たちは刀を鞘に納めた。


「いい女だな……」ひとりの男が上がり込み、雉女の顎を持上げて舌なめずりする。


「力蔵だと……、待て!」


 別の武者が、先に上がり込んだ男を止めた。


「力蔵殿の所の傀儡女なのだな?」


 間近で顔を確認する。


「はい。雉女と申します」


 覚悟を決めていたものの、取り囲む武者の圧力に声は震えた。


「黒須、何だというのだ? まもなく陽が昇る。時間がない。やっちまおう」


 焦る男は早くも鎧の一部を外し、雉女を犯そうとしていた。


「待て。力蔵殿は中原広本殿と通じている傀儡子だ。その力を借りて殿はゆるされた。いわば恩人」


「何だと……」男は慌て、外した鎧を取って下がった。


「もしや、静殿ではないのか? ここに残っているのは力蔵殿の命令か?」


 武者が目を細めた。


「え……」雉女は息をのんだ。何故、この武者が自分のことを知っているのか……。


「ワシは佐竹秀義の家臣、黒須永俊。安積の八幡神社で世話になった者だ」


「あの時の……」フジがさらわれた事件を思い出した。


「そうだ。お蔭で主君は赦され、こうして奥州征伐軍に参加している。先陣を切るために、今夜は偵察に出ていたのだ。何か、力蔵殿からの言付けでもあるのか?」


「力蔵は、皆を連れて関東に向かいました。私は皆さまにお願いがあり、お待ち申し上げていたのです」


 改めて頭を下げた。


「願い事だと?」


 永俊が仲間に視線を向ける。彼らが小さくうなずくのを見てから再び雉女に訊いた。


「どんな願いだ?」


「信夫庄の民をお救い下さい」


「それは佐藤基治を倒せということか?」


「いいえ。武士同士の戦いは、勝手にしていただけば良いのです。百姓町人、女子供に手をかけることないよう、そして家を焼かず、田畑を荒らすことがないよう……」


「そんな、無茶なことを……」


 永俊が呆れた。


「無茶なお願いでしょうか?」


 雉女が小首を傾げると、その妖しげな美しさに男たちの喉が鳴った。


「戦うのに田畑を避けることなど出来ないし、敵が潜んでいれば家は焼く。戦が終わった後、金銀や美女を獲るのは命を掛けた男に対する報酬よ」


「それでは山賊と同じです」


 蔑むように言うと、永俊がチッと舌を鳴らした。


「戦場の厳しさを、身体で教えてやろう」


 一度は引き下がった男が前に出る。永俊も、今度は止めなかった。


「仕方がありません」


 雉女は自ら衣を脱ぎ、男たちの相手をした。


「いいぞ、いいぞ。まさかこんな田舎で、こんな女を抱けるとはな」


 静を犯す男たちが喜び、汗だくになって一順した頃、外が白んだ。


「雉女、世話になった。……いや、傀儡女なら平気なことではあったか……」


 永俊が冷笑する。


「……これから信夫庄は地獄に変わる。俺たちはおとなしく帰るが、気の荒いやつは犯した後に殺すだろう。せいぜい気をつけろ」


「もし……」小袖を羽織り、雉女は正座した。


「なんだ?」


 鎧を身につけながら永俊が応じる。


「傀儡女を抱いたら対価を払うものです」


「戦場で銭など持ち歩くはずがなかろう。命があるだけ、ありがたいと思え」


 男たちが笑った。


「それでは傀儡女の名折れ」


「名折れだと? 武士でもあるまいに」


「武士も傀儡女も、神に一つの命を授けられた生物ものです」


「面倒な女だな。切るか?」


 1人が他の2人に目くばせする。


「止めろ。あれもこれも世話になった上に、銭がないからと殺しては、この女の言う通り山賊と同じだ」


 永俊が仲間を止めた。


「銭の代わりに仕事を頼まれて下さい……」雉女は文机の上の手紙を取った。「……これを鎌倉さまに……」


 先ほど書いた手紙を床に置き、細い指でそっと永俊に押し出した。


「もともとそれの使いをさせるつもりだったのだな。……何が書いてある?」


 手紙を見下ろす瞳には不安の色がある。下手なものを届けたら自分の命が危ないと考えているのだ。


「皆さまにお願いしたことと同じです。このふみに目を通しても鎌倉さまの気持ちが動かないのであれば、私も諦めましょう」


「仕方がない」


 永俊が手紙を取って胸元にねじ込んだ。


「ありがとうございます。お命、大切になさいませ」


 雉女が頭を下げたままでいると、「女、お前もな」と言って永俊たちは去った。


 ――ふぎゃー……。突然、龍之介が泣いた。雉女は外の井戸で身体を清めてから、龍之助を抱いた。


「よしよし。龍之介、よく辛抱していたね」


 夢中で乳を飲む息子に声をかけ、手紙が無事に届くことを百太夫に祈った。

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