第23話 化け物
傀儡子たちは小屋をたたみ、社に紙人形を奉納して北を目指す。久しぶりの移動で誰もが意気揚々、長い上り坂も苦にせず歩いた。
「この先の
熊蔵が蓬莱山と言ったのは、早朝、雲海に浮かぶ
「へぇー、せっかく来たのだもの。蓬莱山は拝みたいねぇ」
女たちが口々に言う。
「その峠を下ったところが信夫庄で、
どこで聞いたのか、熊蔵が得意げに話した。
「温泉はいいねぇ。湯の中で手足を伸ばしたいよ」
桔梗が歩きながら背伸びをする。
あと少しで峠というところで西から流れてきた黒雲が空を覆い、景色が陰った。
「雨が来るぞ! 森へ隠れろ」
力蔵の指示で左手に広がる森に入り、大木の下に隠れた。途端に大雨になり、時おり雷も鳴って人や馬を驚かせた。
「長雨が終わったと思ったら雷か……。まったく祟られているな」
熊蔵が木々の枝の隙間から黒い空を見上げる。
「なんでも、昔この辺りには手足に水かきのある
春日が、得意げに話す。その目線は熊蔵に向いていて、彼を水熊と一緒にしているようだった。
「ワシも大蟹や大蛇の話を聞いたよ。さすが東夷の国には、大和と違った生き物が住んでいるねぇ」
伝説を信じたのか、梅香は真顔だ。雉女は尋ねた。
「それらも日本武尊や後の皇子たちが退治して歩いたのでしょうか?」
「雉女まで昔話を真に受けるんじゃないぞ」
熊蔵が眉間に縦皺を浮かべた。
「そうでしょうか?
雉女が思う所を話すと、熊蔵が声を上げて笑った。
「九尾の狐も八岐大蛇も、我々の演目ではないか。それを雉女は事実だというのか?」
「いいえ。世の中には人知では測れない不思議なことが多い、と言っているのです。京でさえ二百年ほど前に
「そんなこと知るものか。親や爺様の代から演目が語り継がれてきただけだ」
「そうでしょう。誰が何をもとに伝説や演目を作ったのか……。それがわからなければ、一概に噓とは言い切れないと思います」
「なんともややこしい話をするのだな」
「はい。世の中にはわからないことが多いもの。私も傀儡女になって身につまされています。傀儡女の暮らしは、貴族はもちろん、百姓町人とも全く異なるもの……」
雉女が自分の体験を引き合いに出すと、熊蔵は唇の端を歪めた。
「ワシは、化け物退治などという話は信じないぞ」
「では、逆の話ならどうでしょう?」
「どういうことだ?」
「熊蔵さんたちが聞いて回っている西行法師の話です」
「ん?」
「京にいたころ噂に聞いた話です。その法師は、高野山の山奥で
「骨が生き返ったのか?……化け物ではないか……」
熊蔵が顔をひきつらせた。
「噂話ですが、信じますか?」
「骨を生き返らせるなど、神か魔物だけだろう。そんな話、信じられるかっ」
怒るように言うと、熊蔵は口をつぐんだ。
「あんたぁ、怖いのかい?」
黙った熊蔵を、梅香が笑った。
1時間ほどで雨はあがり、傀儡子たちは街道に戻った。雨水が道を小川に変えていた。泥を踏んで少しばかり歩いたところが伏拝峠で、そこから信夫庄が見渡せた。
「なんだ、これは……」
傀儡子たちが峠で目にしたものは、雲海に浮かぶ蓬莱山でも緑豊かな信夫庄でもなかった。盆地は東半分が水に没している。蓬莱山に姿を変えるはずの岑越山は、大きな湖に浮かぶ島のような姿をしていた。
「あれを見ろ。ここ数日の雨と雪解け水で多くの河川があふれたのだろう」
力蔵が平地の西を指す。そびえる吾妻連峰から伸びるいく筋もの流れが、あちらこちらで森の樹木をなぎ倒し、地肌を露出させていた。
「大鳥城に行くのも難しそうだ。黒池神社に戻るか?」
熊蔵が力蔵の隣に並んで訊いた。
「いや。山裾伝いに石那坂に向かおう」
「道も分からず、行けるのか?」
「行くしかない。……出立するぞ。足元が滑る。みんな気をつけろ」
力蔵が足を踏み出し、足場を選んで雨水に削られた坂を下った。その後を、そろりそろりと長い列が続く。雉女は伊之介の肩を借り、膨らんだ腹をかばいながら歩いた。
――陸奥の しのぶもぢずり
詩を口ずさんで緊張しがちな心を
「雉女さんがつくった和歌ですか?」
後ろを歩くフジが訊いた。
「いいえ。
「へぇー、雉女さんは何でも知っているのねぇ。そんな人に間違われたなんて、私も嬉しいわ」
「それで誘拐されたんじゃないですか。気をつけてくださいね」
「あれは桔梗さんが悪いのよ。白女さんといるのが雉女だと話したから。でも、雉女さんに間違われたんだもの、光栄よ」
「池に落ちて、死ぬところだったんですよ」
「それもそうね」
フジがウフフと笑った。
「へらへらしていると、転んで舌をかむぞ」
前を歩いている蔵之介が声を怒らし、女たちを怖がらせた。
運の良いことに天候は回復し、時折、暖かな日が指した。透き通る
力蔵は勘を頼りに、道と思しき場所を盆地の縁を巡るように歩いた。そうして数日をかけて多くの川や沢を渡った。どの河川も水が暴れて橋が流されていた。
男も女も袴を脱ぎ、小袖の裾を腰までまくり上げて半裸になった。全裸の若者もいた。彼らは沢につかり、流木を並べて橋を掛け、あるいは女や子供、年寄りを馬に乗せて何度も行き来して渡らせた。
所々に土石流に埋まった集落や畑があり、
一方、土石流の影響がない場所は、新緑が輝きを放ち、草木が白、青、山吹色の花を咲かせていた。
「わずかな隔たりしかないというのに……。死と生、破壊と再生の姿を並べて見せられているようです」
激流を渡った後、雉女は花々の咲く場所から土砂にのまれた小屋を見て言った。そこの住民がどうなったのか、想像すると胸が痛む。
「これは神の意思だ。人にはどうすることもできないぞ。我々がするべきは、真摯に神の声を聞くことだ。そうして荒ぶる神をやりすごすのだ」
隣で休む裸の勝蔵が語った。
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