第5話 殺意

 力蔵は静の旅装束を商人に売り、静御前は姿を変えて京へ向かったと教えた。噂好きの商人たちににせの噂を広めさせ、静を世間の目から隠すためだ。広本から受け取った報酬の宋銭を馬や米、粟、塩、紙、乾物などにも交換して旅の準備を整えると、一党43人は鵠沼を出立した。


 前を歩くのは水干姿の凜々しい男が数名、荷物を入れたおいを背負い自衛のための長い刀をいている。狩りのための弓矢を背負った者もいた。中ほどを被衣姿の女たちがソソと歩く。そこまでなら貴族の行列にも見えたが、半分より後ろにはしゃべり歩く子供と老人がいた。勝蔵の妻の夢香ゆめかは妊婦で、大きな腹を突き出して必死の形相で歩いている。


 誰ひとり置き去りにすることなく面倒を見るのが力蔵の方針で、歩けない年寄りは大きな荷物と共に馬の背中にあった。馬は武士が乗りつぶした駄馬や老馬ばかりが11頭。官道以外は荷車の通れる道が少ないから、馬は必需品だった。それには槍や薙刀も載せていて、若い傀儡子が手綱を引いている。


 最後尾を弓矢を肩に掛けた勝蔵が歩いた。そこで一党を見守るのが次の長者になる修練なのだ。


 半日歩いて浜田に入る。そこから東に折れて小高おだかに向かった。彼らは歩きながら野草や木の実を摘み、鳥や獣がいれば、それを射て食料とした。


 集落に入ると住民が集まる。子供たちは手を打ってはやしながらついて歩いた。「興行を行ってくれ」と頼む大人もいるが、力蔵は「また今度」とあっさり断り、足を止めることがなかった。


 秋の日が落ちるのは早い。力蔵は境川さかいがわを渡ったところで行列を止めた。


「ここで夜明かしをする。男どもは年寄りと子供の分だけ小屋をつくれ。女は夕餉ゆうげの準備だ」


 力蔵の指示で男たちが林の中に六つの小屋を張り、三カ所に火をたいた。


 火の周囲に輪を作り、暖を取りながら食事をとる。静は輪の外側に座って緩い粥をつついた。


「野宿は初めてか?」


 熊蔵が隣にやってきて、自分の女房に対するように言った。


「はい。いつも母に守られていましたから……、野宿などは……」


 吉野山で道に迷ったことを思い出したが話さなかった。忘れていた磯禅師を思い出し、胸が痛む。


「なるほど。しかし、野宿をさせてはいるが、我々も子供を大切に育てている」


「あ……、そういう訳では……」


「傀儡子には傀儡子の、白拍子には白拍子の生き方がある。傀儡子の子供は、それを不幸とは考えないぞ」


「ハイ……」


「だからといって、傀儡子が一生、傀儡子で終わるわけでもない。己に運命を変える気力があり、それなりに努めたなら、僧侶にもなれるし武士にもなれる」


「白拍子も傀儡女になれと?」


「いや、白拍子でも傀儡女でもない。女になれ」


「えっ……、あほなことを」


 一昨日、唇を奪われた記憶が脳裏を過った。


「1人では風邪を引く。俺の懐に入れ」


 熊蔵が水干の上に羽織った直垂ひたたれの懐を開いた。


「御冗談を。梅香さまに叱られます」


「梅香が嫉妬などするものか。むしろ喜んで自分も若い男を探すに決まっている」


 熊蔵が声を上げて笑った。


 焚火たきびで赤く染まった傀儡女たちの中から梅香の声がした。


「ワシが何だって?」


「静に抱かせろと頼んでいたのよ。冷え性のお前を抱いていては、俺が凍える」


 傀儡女たちが笑う。槍をかついだ男がひとり飛んできた。野盗を警戒していた爽太だ。


「抱かれるなら俺にしろよ。熊蔵のような爺さんではだめだ」


 傀儡子の間には、老人を敬う気持ちはあっても儒教的な上下関係はない。生きることには平等なのだ。上下関係があるとすれば、長者か、そうでない者か、という違いだ。


「爽太なんかやめておけ。俺の嫁になれ」


 二人の間に伊之介いのすけが割り込んだ。


「いやぁー、若い者は元気がいいな」


 熊蔵が困惑する静を置いて移動した。


 焚火の周りでは幾組かの男女が絡み合った。が、それを好奇の眼で見る者はなかった。夜が深まると、見張りを残して皆寝入った。静も焚火から少し離れた大木を背にしてうとうとした。そうしていつの間にか熟睡したものらしい。気づいた時に人の声はなく、こずえを渡る風の音と、遠くで鳴くふくろうの声だけがした。


 ――シャリ……、風の音に混じって落ち葉を踏む音がする。最初は野盗を警戒する男の足音だと思ったが、それにしては足の運びが足音を隠そうとしているように感じた。


 もしや、野盗なのか……。全身を耳にして音の行方を探る。


 ――シャリ……、足音は一つで、徐々に近づいてくる。


 叫び声を上げるべきか……。それとも誰かを起こすべきか……。迷っている間に足音の主は、静が背にしている大木の後ろにいた。


「静、起きているのだろう?」


 押し殺した声は熊蔵のものだった。驚きと安堵で返事が出来なかった。すると熊蔵が隣に腰をおろして肩を抱き寄せた。


「この前は静の涙に負けたが、今は闇。涙をこぼしたところで眼に入らん。ワシが引導を渡してやろう」


 彼の大きな手が衣の内側に滑り込んでくる。助けを呼ぶには静のプライドが高すぎた。


「何をなさいます……」


 声を潜めて抗議する。それが熊蔵の本能を刺激したのかもしれない。彼は慣れた手つきで着物の裾をまくりあげた。


 ゴツゴツした指が下腹部の柔らかい場所を開き、彼が侵入してくる。犯された静は恥ずかしさと悔しさで全身をかたくし、唇をかんで耐えた。


「静、お前が美しすぎるから悪いのだ。だから義経や頼朝ばかりか、有象無象うぞうむぞうやからが寄ってくる。楽しいことも苦しいことも、過去は忘れろ。お前は傀儡女になったのだ」


 全てが終わったあと、熊蔵は屁理屈を残してその場を離れた。


 静は死のうと思った。境川に戻り、たもとに石を入れて冷たい流れの中に身を沈めた。火照った身体もあっという間に熱を失い、水が胃を満たした。ところが流れは浅く、もがくうちに川底に足がついた。すると身体が勝手に浅瀬に歩いてしまう。


「静、馬鹿なことをするな」


 流れから静を引き上げたのも熊蔵だった。


「死なせてください……」


 静は泣いた。泣いて泣いて、涙が出なくなるまで泣いた。


「お前はもう死んだのだ。これからは生まれ変わった静として生きろ。そうして義経殿を見つけてみろ。何かが変わっているかもしれない」


 それは熊蔵の行動を正当化するものだったが、不思議なことに静の気持ちを変えていた。彼女は生きることを選んだ。


 翌朝、白女が静の顔を覗き込んだ。


「どうしたんだい。顔色が悪いよ」


「いえ、何でも……」


「初めての野宿がきつかったのかい。もう少し休んでいるといい。人手は多いから……」


 静は朝食作りの作業を免除された。目だけで熊蔵を捜す。その男は、何もなかったような顔をして仲間と談笑していた。


 あの男、義経さまに殺してもらおう。……静は誓った。

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