第4話 義経を求めて

 傀儡子と暮らすことになった静は、力蔵と白女夫婦の小屋に住んだ。小屋は、防水と防カビのために柿渋かきしぶを塗った麻布の天幕を大樹の枝に吊った簡単なものだ。大人4人ほどなら横になることができる広さがあった。


 力蔵は長者としての仕事が忙しく、日中は小屋にいることがなかった。白女は四十も半ばで女の盛りをとっくに過ぎていたが、話術と歌に秀でていて日に1人は客をつかまえた。


 静は、暇を持て余した者たちと世間話をし、家事の手伝いをして傀儡子の暮らしを学んだ。逃げ出すことも考えたが、そうしたら、義経に逢えるとは思えなかった。何分、1人で生きる術を知らない。


 傀儡子たちの生活は原始社会的な共同生活で、炊事や洗濯に限らず、大概の仕事は共同で行っていた。能力があって金品や食料をもらえる者が稼ぎ、他の者は家事や子育てをして支え合うかたちだ。収入や支出の管理は長者が行っていた。


 食事でもするように男女の関係を結ぶ彼らも、仲間の妻には手を出さない。共同生活は妊娠や出産で生活が一変することがないから、女も男との交わりを易々と受け入れるのだろう。とはいえ、生活が変わらないことと、愛情のない男と関係を持つことは別だ。多くの傀儡子に関係を迫られたが、静はすべて断った。


 傀儡女が夫以外の男と易々と関係を持つのがどうしても理解できず、白女に訊いた。


「白女さまは、なぜ、力蔵さま以外の男たちと交わることができるのですか?」


 すると問い返された。


「なぜ、夫以外の男と寝てはいけないんだい?……世の中には女に貞操を求める男が多い。特に武士の階級ではそうだ。でもね……、男たちは妻だけでは足りず、めかけを抱き、遊女を抱き、傀儡女を抱くだろう?」


 静が返事をできずにいると白女が続ける。


「男は誰とでもできるというわけではない。女に魅力がなければ先立つモノが役に立たないからね。それに比べたら、女のほうが自由だ。何度でも疲れを知らず交わることができるし、男の顔がどれほど醜悪であろうと受け入れることができる。神様がそういう風に作ったのだとは思わないかい?……それは何故か?……女が強い種を宿すためだよ」


 白女は自分が正しく、静の理屈に無理があると語った。


「それでは、世の中の男たちは、どうして女に貞節を求めるのでしょう?」


 精一杯の抵抗を試みた。


「自分に自信がないからさ。他人の種を育てるのも面白くないのだろう。ただのケチなのかもしれないね。それに比べたら、傀儡子は立派なものさ。傀儡女が産んだ子供なら、種が誰のものであろうと自分の子供として育てるんだ。それが、神様に与えられた定めだからね。実際、ワシが生んだ子の種は、みな違う男のものさ」


「そのことを、力蔵さまはご存じなのですか?」


「さぁ?……わざわざ告げたことはないからね。あの人は、子供たちが自分の種かどうかなど気にしちゃいないよ」


 白女がおけに手を入れ、水を汲んですする。話を終えたいそぶりに見えたが、静は質問をやめなかった。


「白女さまは、見知らぬ男に触れられても怖くはないのですか? 恥ずかしくはないのですか?」


「眼をつむってしまえば、男はみんな同じさ。むしろ、見た目よりも、ワシたちと情を合わせ、気持ちよくしてくれる男が良い男だ。……ここにいれば見知らぬ男とはいえ、みな優しくしてくれる。乱暴を働く者などいないのさ。周りには傀儡子が沢山いる。万が一にも客が乱暴狼藉らんぼうろうぜきを働いたら、大声で呼べばいい。彼らがボコボコにしてくれる。そうなることがわかるから、ワシらを買う客は優しく扱ってくれるのさ。……短い逢瀬おうせほど熱く燃える。そうは思わないかい?」


 なんて恐ろしいことを言うのだろう。……静は震えた。


「静も多くの男に抱かれたらわかるさ。ワシら傀儡女はね、百太夫ひゃくだゆうさまを信じて生きている。おまんまをいただけるのも、元気に生きていられるのも百太夫さまのおかげだ。子を授けてくれるのも百太夫さまだ。だから男たちも種が誰のものかなんて訊かないのさ」


 白女は貴重な紙に刃物を当てて人形ひとがたを切り出し、百太夫の身代わり人形にんぎょうだと言った。それを布で作った百太夫人形の前に置いて両手を合わせる。彼女に促され、静も同じようにした。


「百太夫さま、静を守りたまえ」


 白女が声にして願う。


「人はね、同じところに留まると、あれやこれや無駄なことを考えてしまう。百太夫さまを旅先の社に奉納して巡れば、静も、幸せがどういうものかわかるようになるさね。次の社に行ったら、奉納するんだよ。今度は自分で作ってみるといい」


「はい……」差し出された紙人形を受け取り、しげしげと見つめた。


 翌日、静は力蔵と2人きりで向かい合った。


「静よ、そろそろ我々と本当の家族になるつもりはないか?」


「本当の家族?」


 小首を傾げると、力蔵の眉間に縦皺が浮いた。


「お前は、何もしていないではないか……。それどころか皆を拒んでいる。交わらない、働かないでは、家族ではあるまい」


 静の中にも働かずに生かしてもらっている後ろめたさはあった。だからといって義経以外の男に抱かれる気持ちにはなれなかった。


「ここでは嫌なのです」


 半分は時間稼ぎのためだ、半分は奥州平泉へ向かわせるための策だった。


「何故だ?」


「鎌倉が近いからです。あのお方は、私を笑おうとして、ここに置いているのではないのですか?」


 鎌倉で取り調べを受けるうちに心に巣食った頼朝への敵愾心てきがいしんが言わせた。


「あの方とは鎌倉殿のことか? 源氏の棟梁が、そんなに小さな方であるはずがなかろう。ここに逗留とうりゅうしているのは我々の都合だ。少なくとも五日、ひと所で働くのがワシの流儀だ」


「でも……」


 静は目を伏せる。思うのは義経の凜々しい面立ちだ。


「ここを離れたなら、我々と共に働くのだな?」


「北へ行けば……」


「北だと……」力蔵が目を細める。「……いいだろう。すでに五日が過ぎた。明後日には、ここを発つ。次の宿では、働いてもらうぞ」


「次の宿はどちらで?」


 静は、うまく誘導できたと喜んだが、表情には出さなかった。


「さて……、浜田はまだから関戸せきとへ出て、武蔵国むさしのくにの国府辺りか……。地名を言ったところで、京育ちの静にはわかるまい」


 力蔵が小屋を出ていくとすぐに、「静、いるか?」と熊蔵の声がした。


「はい。お入りください」


 静は、堅苦しい物言いをする力蔵より、親しげに声をかけてくれる熊蔵に好意を持っていた。とはいえそれは、義経に抱いているような恋心ではない。父親に対するようなものだ。


「兄者とは、上手くやっているか?」


 笑顔の熊蔵がのそりと入ってくる。


 上手くいっているともいないとも判断のつかない静は、「お陰様で……」と曖昧に応えた。


「なんだ、先を越されたか……」


 力蔵に身体を許したものと誤解されたようだ。静は焦った。


「いえ、そのようなことは。私は源義経さまのしょうですから……」


 鈍い男にもわかるように話すと、驚いた顔の熊蔵が静の口を押えた。


「おいおい、こんな場所でその名を口にするな。せっかく解き放ちになったのだ。鎌倉殿に聞こえたら面倒なことになる」


 熊蔵が耳元でささやき、静の瞳を覗いた。声の出せない静は、眼だけでわかったと合図した。


「ここは東国、もはや静の暮らした都ではないのだ。ごうに入っては郷に従え。傀儡子と旅するなら、傀儡女になりきれ」


 静の口から手をどけた熊蔵の顔が、あっという間に近づいて唇と唇が重なった。


 静は頭を振り、熊蔵の背中を叩いてその腕から逃れようとした。が、ヒシっと抱え込んだ熊蔵の懐から逃げ出すことはできなかった。


「俺たちはきらびやかな水干を身にまとって謡うが、和歌を贈りあうような流暢りゅうちょうなことはしない。田舎者、野蛮な者だと思うかもしれないが、女を慕う心に貴族も野蛮人もない。妻がいようが夫がいようが、人を好きになったら抱きたい、一夜を共にしたい。そう思うのも、貴族も野蛮人も違わないだろう。もちろん、武士だって同じはずだ」


 言葉を発した唇が、再び静の唇をふさいだ。


 これまでなのか……。そう思う静の目尻から涙があふれた。

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