静 ――義経を捨てた白拍子――

明日乃たまご

1章 傀儡子 ――北へ――

第1話 呼び出された力蔵

 1186年10月、傀儡子くぐつし力蔵りきぞうは鎌倉政府の公文所くもんじょ別当べっとう中原なかはら広本ひろもとに呼びつけられた。広本は朝廷の下級貴族だったが、源頼朝みなもとのよりともに政治能力を見込まれ、行政を司る公文所を任された人物、後の大江おおえ広本だ。


 1087年、大蔵卿おおくらきょう大江匡房おおえまさふさが著した傀儡子記によれば、傀儡子は大道芸を見世物とし、狩りもして諸国を流浪していた者たちだ。女の傀儡子を傀儡女くぐつめといい、謡い踊り、春も売ったという。男たちは、自分の妻が他の男と交わっても平気な顔をしていたらしい。彼らの芸が人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり太神楽だいかぐらのもとだともいわれるが定かではない。


 50歳になる力蔵は、かしこまって頭を垂れていた。身分の低い者とはいえ、一族郎党40数名を率いるおさだ。もはや人生も晩秋の老人だが、歳を重ねるにつれて烏帽子えぼし水干すいかん姿は凜々しく言動も風格を帯び、権力の一端にある広本にも存在感では負けていなかった。


「力蔵、よく参った。お前に頼みがある」


 広本が平伏する力蔵の烏帽子を見下ろした。


「鎌倉殿の懐刀といわれる中原殿が、私などに何の御用でしょう?」


 鎌倉殿というのは頼朝のことだ。


「頼みが三つある」


「はい」


 力蔵は頭を下げたまま、軽くうなずいて見せる。


西行さいぎょうという法師を知っておるか?」


「面識はございません。……が、私ども、神社仏閣で芸を披露させていただいております。その筋から、和歌に秀でた方と、評判だけは……」


 力みのない声が2人だけの板の間に響いた。


「ふむ……。その法師、東大寺再建の勧進かんじんを行うためと称し、鎌倉殿に拝謁した後、奥州おうしゅう平泉ひらいずみへ向かった」


 力蔵は、頭を下げたまま次の言葉を待った。


「西行法師。俗名を佐藤さとう義清のりきよという。かつては北面武士ほくめんのぶし


「北面の……」


 力蔵の頭がわずかに動いた。北面武士は上皇を警護するために御所の北面に詰めた貴族武士であり、平氏の興隆はそこから始まっている。何かと後白河ごしらかわ上皇と対立する鎌倉の政府が北面武士を警戒するのは当然、という程度の知識は力蔵にもあった。


「西行の祖は藤原ふじわら秀郷ひでさと、奥州藤原氏とも遠縁に当たるとか……。奥州平泉まで西行法師の後を追い、その言動を探ってほしい」


「密偵になれと?」


「奥州へ入るのは、初めてではなかろう。嫌か?」


「いえ。そのようなことは……」


 力蔵は独立と自由を尊ぶ傀儡子であり、権力に屈することを潔しとしなかった。しかし、権威を重視する神社仏閣で興行を行うから、多少の妥協は処世術だと心得ている。


「うむ……。そして二つ目の頼みだが、事のついでだ。白河関しらかわのせきから平泉への往復の道中、村々の様子、峠の様子、大河の渡河とか地点、分かれ道の様子などを記録してきてほしい」


 彼の言うのは、鎌倉政府の力の及ばない奥州の地図を作れというのに等しかった。


「それは、戦になるということでしょうか?」


「他言するなよ。昨年、京を出奔しゅっぽんした義経よしつね殿が行く方しれずになっている。しかし、いずれ藤原秀衡ひでひらを頼って奥州に入るであろう……」


 前年4月、源義経の英雄的な活躍で平家が滅び、腹違いの兄の頼朝が武士の棟梁とうりょうになった。だが、その年の内に彼は、京の都に留まる義経を討伐する軍を起こした。棟梁である自分の命令に義経が従わなかったというのが理由だ。


 義経は妻や愛人を沢山連れて京都を脱出、逃亡者となった。当初は九州へ逃れて再起を図るつもりの彼だったが、瀬戸内海で船が難破。九州行きを諦めて退路を北へ求めた。東北の雄、奥州藤原氏を頼るためだ。


 義経は、頼朝の平家討伐軍に加わる5年ほど前から藤原氏の下で暮らしていた。その縁もあって藤原秀衡に佐藤継信つぐのぶ忠信ただのぶという兄弟を配下として預けられている。もっとも、継信は2月の屋島やしまの戦いで戦死、忠信は11月、頼朝の兵と奮戦した後に吉野で自刀した。奥州平泉を目指す義経の側に、佐藤兄弟の姿はない。


 広本が言葉を続ける。


「……そうなれば鎌倉殿が動く。その時のために白河から平泉までの地勢が知りたい。ついでの仕事だ……」


 西行の動向調査は、その仕事を引き受けさせるための呼び水にすぎないと気づいた。戦のために地形を調べていると地侍に知られれば、一族郎党の命が危ない。ついでというには、あまりにも難しい仕事だった。


「力蔵、否やはあるまいな」


 武士などに傀儡子の自由を奪われたくない。その思いだけで返事が遅れた。


「お前が断るなら、息子に頼むが……」


 口調は静かだが、それは恫喝どうかつだった。


 ワシを殺し、勝蔵かつぞうにやらせるというのか……。仕事の内容を知ってしまった以上、断るには遅すぎた。


 生真面目な勝蔵は、広本の要求を断れないだろう。どのみち断れないならば……。ギリギリと奥歯が鳴った。


 広本の手にした扇子がパチンと鳴る。返事をしろという催促だ。


「……鎌倉殿のために、働きましょう」


 力蔵の額が床に着いた。駆引きは、彼の完璧な敗北だった。


「勘違いをするな。今回の仕事、この広本のための仕事だ。鎌倉殿は何も知らぬこと」


 秘事が奥州に漏れても頼朝の立場が揺るがないよう、広本が釘を刺した。どんな世界でも優れた官僚の配慮は権力のために行き届いている。


「さて、三つ目だが……」


 この上、この年寄りに何をさせようというのか……。力蔵は目の前が暗くなるのを感じた。


「この春、ここ鎌倉に磯禅師いそのぜんじしずかという白拍子しらびょうしが来たことを知っておろう」


 静は、いわゆる静御前。義経の愛人であり、磯禅師は静の母親である。2人は義経の逃亡先の取り調べのために鎌倉に移送されていた。頼朝が静を口説いて断られたことも、世間の噂になっていた。


「はい。静御前はこの世にも稀な美女と噂に高く。……市井しせいの者がそう騒いでおります」


「その静が放免されることになった。表向きは京に帰されることになっているが、奥州に連れて行け」


「はて……。義経殿に返されるということでしょうか?」


 これから殺そうという敵に愛人を送り届けろというのか?……力蔵には広本の意図が理解できなかった。


「いや。お主への報酬として下げ渡す。静は名うての白拍子。お前の仲間として、一生、使いつぶしてくれて構わん」


「しかし……」


 力蔵は続く言葉をのんだ。白拍子は男装で舞う芸人にすぎないが、静は違う。源氏の血を引く義経と契りを交わした時点で、高貴な人々の範疇はんちゅうに入ったといっていい。


「義経殿はもはや罪人。そして静はその婢女はしため同然。何も案ずることはない。あの女の美貌、お主たちの役に立つだろう。煮るなと焼くなと好きにしろ」


 力蔵の躊躇いを察した広本が唇の端で笑った。


 恐ろしや……。力蔵は歪んだ権力の傲慢に恐れおののいた。

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