第14話『白竜事変②』
アルティスとチドイラがトーワンの北西部で戦闘しているその最中。もう1体の白竜は南から回り込むようにしてトーワンに接近していた。
その際白竜が飛翔していたのは地上から約1200メートルの上空。これはチドイラの魔力感知範囲内であるが、通常空は目視での標的の捕捉が可能な場所である。故にチドイラの魔力感知は上空には及ばない。
しかし、戦闘中のチドイラは第二の白竜を警戒していた。それでも白竜がその警戒網を突破したのは、チドイラが北の方角のみを警戒していたからだ。
一見悪手である一方向の警戒。チドイラがそれを実行したのは経験故である。
A級以上の魔物は一個体が有する戦闘能力が高いため、基本的に狩りを群れで行うことはない。同様の理由で待ち伏せや罠といった戦術を活用することもない。S級であれば尚のこと。
つまり、回り込んで奇襲などという行動を白竜がとるはずがないのだ。
上空への魔力感知と上位モンスターの習性。長年の経験が裏目に出た結果と言えよう。
だが何故白竜は生物としての習性すら超え、回り込んで奇襲という行動をとったのか。
その答えは……
(2体の内どちらかもしくは別個体か……S級を統率し、指揮できるほど知能の高い個体……言わばリーダーがいる……‼︎)
ボートの脳内では目まぐるしく思考が回り、その結論を導き出した。
(俺達を一箇所に集める作戦もそうだ‼︎ 餌を食うことじゃなく脅威の排除が目的になっている‼︎ 普通の上位モンスターなら有り得ない‼︎)
街中に残ったS級特選部隊5人は、上空で50メートル近い火球を生成して対空している白竜を見上げ、目を見開いた。
既にフル段階を超える出力に達している火球。あれが投下されれば中央広場なぞ瞬時に消し飛び、数百軒の家屋が粉砕され、トーワンは火の海となるだろう。
しかし。
『単純な実力、攻撃力、機動力、結界術……S級特選部隊は、本来市街地での防衛戦を想定した部隊だからな』
S級特選部隊5名は中央広場にたどり着いた瞬間、白竜の狙いを察知。
次の瞬間には全員が街の防衛における各々の最適解を選択し、行動を開始していた。
「オスマン‼︎」
「キューブ‼︎」
ボートの指示とほとんど同時に、オスマンは右手を広げ白竜に掲げた。
直後、広場の上空約100メートルの地点に、毒々しい紫色の光が出現した。圧縮した魔力の色だ。
その光は急速に広がり、厚みのない面が作られていく。広がりながら光は少しずつ形を四角へと変え、さらに尚も大きくなる。
やがて形成された正方形の光……結界は、4辺を今度は上方向へと伸ばす。
そして完成したのは、上部の面だけが空いた箱状の結界だ。大きさは1辺60メートルほどだろうか。白竜の火球がギリギリ収まる程度だ。
その光急速に広がり、厚みのない面が作られていく。広がりながら光は少しずつ形を四角形へと変え、さらに尚も大きくなる」。
やがて形成された正方形の光……結界は、4辺を今度は上方向へと伸ばす。
そして完成したのは、上部の面だけが空いた箱状の結界f。大きさは1辺60メートルほどだろうか。白竜の火球がギリギリ収まる程度の大きさだ。
その結界が生成されると同時に、他4名の面々は地を蹴り、結界の真下へと移動した。
半透明な結界越しに、莫大な熱を持った火球と白竜が見える。見えづらいが、白竜の目には感情は見えない。怒り、恐怖、軽蔑、憐憫……S級モンスターであれば人間を見下した感情を抱いても不思議ではない。しかし上空で羽ばたく白竜にはそういった色は無く、ただ無感情に、ただ冷徹に、S級特選部隊を殺そうとしていた。
白竜とS級特選部隊、両陣営ともに準備は整った。あとは攻撃と防御をぶつけ、どちらが優れているか確かめるだけだ。
緊張に満ちた数秒の後……殺意の爆弾は投下された。
直径50メートルほどの火球が放たれ、中央広場に向かって突き進む。火球は重力に引かれぐんぐんと加速し、徐々に街に熱が伝わり始める。
そして僅かな間を置いて、4人が動いた。
ボート、デスパー、レメン、ピツェッタは全員武器をしまっていた。4人は拳を振りかぶって真上に跳躍。そしてほとんど同時に結界の底部を殴り抜けた。
箱の結界は勢いよく上空に打ち上げられた。火球と結界の軌道は完璧と言っていいほどに重なり、両者間の距離は瞬く間に縮まっていく。
1秒にも満たない間の後、火球は箱の結界の上部から侵入し、その中に収まった。
瞬間、オスマンは結界を操作。空いていた結界の上部を閉じ、一瞬にして火球を結界の中に閉じ込める。さらに同時に、立方体の結界全体を、紫がかった白色の光が包み込む。その間、火球が結界に侵入してから0.3秒以内。
それは月属性魔法の色だ。月属性とは魔力を操作する魔法の分類。オスマンの狙いは火球を構成する魔力を吸収し、火球の威力を弱めると同時に結界の強度を上げることだ。
オスマンの一連の魔法操作が終了すると同時に……火球は結界の底面に触れ、爆発した。
万物を破壊する力である熱。あらゆる物体を粉々にする衝撃。それらが結界の中で振り撒かれた。
瞬間、結界が崩壊した。まるで薄いガラスで銃弾を受け止めるが如く、あっさりと、無情に、無慈悲に、儚げな音を響かせ、結界が粉々に砕け散った。そして漏れ出た爆発の余韻は外部へ放たれる。
しかし、それだけで終わりではない。
オスマンは再び魔法を発動。砕け散った結界の破片が光り輝き、溶けるように霧散していく。同時に破片周囲の空気は爆発の中心に向けて一気に移動し、爆風や熱、煙を僅かに押し留める。結界の破片を構成する魔力で発動させた風属性魔法だ。
閃光、轟音、衝撃、悪臭。火球は確かな破壊の力を持って炸裂した。中央広場の地面に敷き詰められた煉瓦、植えられた植物、設置されたベンチ、取り囲む家屋……それら全てが、一瞬にして消し飛んだ。
爆発が完全に収まった頃には、中央広場は見る影もなかった。地面は赤熱した石の転がる焦土と化し、直径100メートルほどの範囲の家屋は見る影もない。それより外側の街も飛んできた瓦礫で酷い有様だ。
決して無視できない被害だ。たとえこの戦いを切り抜けたとしても、復興には莫大な金と時間が必要だ。
しかし。
「よし、大分抑えられたな」
焦土のギリギリ外側に立っているS級特選部隊5人。
ボートはどこか満足げな表情を浮かべ、溜まっていた息を細く吐き出した。
「うわーエグ。下手したらこれ4、5倍ぐらいの被害出てたんじゃないスか?」
目を丸くしながら、デスパーは跡形もなくなった広場を見渡した。
「ああ。後手に回ったにしては相当マシだろ。人死にも出てないしな」
相手が相手だ。被害ゼロは絶対に不可能。多少の損害は割り切るしかない。A級ともなればその辺りの割り切りにも慣れているのだ。
「……さて」
今度は一転、刺すような視線になったボート。冷ややかで鋭い目を上空に向け、白龍を睨みつける。
白竜は依然として無感情だ。白竜自身にとっても相当強力な攻撃で、眼科の人間を誰一人として仕留められなかったのだ。多少なりとも反応を見せてもいいものだが……想定の範囲内なのか、感情を隠しているだけなのか。
「レメンは翼を攻撃して奴を落としてくれ。ピツェッタとデスパーは攻撃。オスマンは援護射撃。俺が奴の攻撃を捌く」
ボートの指示に各々が了解の意を示す。
「了解です。それじゃオスマン、お願いね」
レメンはそう言ってオスマンに視線を投げる。
次の瞬間、5人は同時に広場跡地に身を投じた。真っ黒になった大地を駆け、白竜の真下の地点へと向かう。
周囲にはものが焼けこげた鼻につく匂いが充満しており、不快感を煽る。それはA級冒険者達に自信が背負う責任を突きつけるとともに、集中力をさらに高めることとなった。
中でもボートは、走りながら意識を研ぎ澄まし、呼吸を落ち着かせていた。その脳内では今までの自分の半生と3年前の紫蛇の襲撃事件の情景が浮かんでくる。
(……ずっと子供達の笑顔を守りたくて戦ってきた。何十年と戦ってきてA級になったが、紫蛇の時は何もできず、何百人も死なせて守る対象のはずのアルティスに置いて行かれて……)
『50近くまで冒険者やってると自分の限界も嫌というほど分かってる。魔法って若い奴の方が上達できるのかもな』
(……何が自分の限界だ……‼︎ そんなの単なる諦めじゃねえか……‼︎ 歳も経験も関係ねえ‼︎ おいぼれだろうがジジイだろうが今‼︎ 俺は成長してやる‼︎)
焦土を走る5人の中から、レメンが飛び出す。白竜が上空にいては街のどこを攻撃されるか分からない。被害を抑えるためにはまず白竜を地上に降さねばならず、それに最も適しているのはレメンの巨大な管槍だ。
50メートルを一瞬にして駆け抜け、レメンは白竜の真下に到達。直後に地面を蹴って跳躍し、地面に影を落とす白竜へと飛び上がる。
当然、上空の白竜の注意はレメンに向いた。両手で持つその巨大な槍は他の人間とは決定的に異なる脅威であり、白竜は個別に対応すると判断。地上の人間は一旦放置し、飛び上がってくる一人を確実に潰す。
しかし直後、白竜の意識はレメンから逸れ、放置すると決めたはずの地上の人間に引き寄せられた。
地上にいる4人の内の一人……大剣を下段に構え、尋常でない集中を行うボート。彼の全身からは圧倒的な殺気が立ち上っており、悍ましいとすら言える雰囲気を放っていた。
とはいえボートが持つ剣では、空を飛んでいる白竜に攻撃できるはずもない。それを頭で理解していながら、白竜は己めがけて飛んでくるレメンよりも、地上で剣を構えるボートの方が脅威であると本能が感じ、意識が、思考が、感情が、レメンから外れてしまう。
歴戦のA級冒険者は、その隙を逃さなかった。
レメンは自身の足元に小さな結界を生成。それを足場に跳躍して白竜に一気に肉薄する。
そして高速で肉体を急上昇させながら、槍を一気に突き上げる。狙いは白竜の左翼。さらに管を用いて捻りの動きを加え、その大翼を抉り取ろうと刃が迫る。
直後、槍は白竜の翼に突き刺さった。そこから更に捻りにより傷を広げ、レメンは翼を突き破り、その身を白竜のさらに上空へと踊らせた。
竜種は主に風属性魔法によって飛行を行っている。背中には翼が存在し、それに連なる筋肉も発達しているが、その巨大な体を落ち上げるには及ばない。
とはいえ、翼は空を飛ぶための部位。竜種にもその意識は明確に根付いており、魔法は翼の補助というイメージで運用されている。
魔法はイメージが肝。それは人間以外の魔物とて例外ではない。
魔法は翼の補助というイメージが存在しているならば、翼が傷付けば自らが空を飛ぶイメージは破綻する。
白竜は左翼に穴が空いたと認識してしまった瞬間、その体をガクッとよろけさせた。
同時に、上空のレメンは空中で体をくの字に曲げ、足先を上へと向ける。直後にその足元に結界を生成して蹴ることで空中で方向転換。今度は右翼に向かって槍を突き出す。
空中での姿勢制御が乱れた白竜が、追撃を躱すことは不可能であった。
今度は上からの攻撃で翼に穴を開けられた白竜はとうとうその体を地面へと落下させた。巨体が落下する先は焦土と化した広場の中央辺り。そこへ向けてS級特選部隊の4人が一気に駆ける。
その先頭を走るのはボートだ。大剣を横に振りかぶり、剣のように鋭い視線で落下する白竜を見据えている。
数秒後、白竜は地面に落下した。地響きとすら言える轟音を響かせ、灰となった植物や木片を吹き飛ばし、小さなクレーターをも作って、生物の超越者は地へとやってきた。
胴体を激しく地面に打ち付け、白竜は口からくぐもった声を漏らす。その後ろ足や肋骨には僅かにヒビが入っており、その痛みは白竜にとって生涯初の苦痛であった。
しかし苦痛に何か反応を示すより早く、自らを討とうとする5人の人間が集まってくる。
レメンを除くS級特選部隊は現在白竜とは向かい合っている形となっており、先頭を走るボートと白竜の視線が交錯。両者共に同様の殺意を滲ませていた。
向かいあう2体の怪物は同時に狙いを定める。白竜は最も接近しているボート、ボートは白竜の右後脚。
直後、白竜は口を開き、魔法を発動。破壊の光線、ブレスが放たれた。
ブレスは寸分の狂い無くボートへ突き進む。A級最上位冒険者といえど、まともに食らえば重症は免れない。
ボートはタイミングを見計らい、ドロップキックのように体を倒し、両足をブレスの先端へと向ける形で跳躍した。更に足元に一辺2メートル弱の結界を生成。
僅かな間を置き、ボートの結界とブレスは衝突。結界でブレスを防ぎながら、ボートは白竜へと更に接近していく。
一見かなり薄く脆そうな結界であるが、ボートの精度と出力で圧縮されたそれの強度は計り知れない。
とはいえ相手はS級だ。ボートの結界も無傷とはいかない。だがボートは結界が傷ついた傍から魔力を注いで修復。更にブレスを構成する魔力を吸収しながら、自身は全くダメージを負うことなく突き進んでいく。
ブレスは炎属性魔法を発動させながら魔力を放つことで成されている。放たれた魔力はすでに白竜の制御からは外れており、言うならば強奪が可能。14ある魔法の属性の1つである月属性は、体外の魔力を操作する魔法の分類だ。ボートは月属性の基本魔法、ムーンを使用することで、まだ炎に変換されていない魔力を吸収したのである。
天才的なバランス感覚により姿勢を崩すことなく、ボートは白竜に接近。
数秒のブレスサーフィンの後、両者の距離は残り数メートルという所まで縮まった。
その瞬間、ボートを襲っていたブレスが勢いを衰えさせた。ブレスの直径が一気に小さくなり、やがて消滅する。
同時に白竜は口をより一層広げて、首を伸ばした。鋭い牙の並ぶ口内がボートに迫る。
白竜の狙いはボートの捕食。ブレスの衰退から口を突き出してくるまでの間はほとんどない。十分に“同時”という言葉の範囲内であるだろう。
しかし、その“同時”と呼べる時間の間に、ボートもまた動いていた。
ボートの足元に広がる結界が、その大きさを一気に増す。一瞬にして3メートルを超える大きさにまで変化した結界は、白竜の捕食を妨げる。
口先が結界にぶつかり、汚れた牙は空を噛む。
衝突の余韻を受け流し、ボートは結界を蹴り今度は地面に急接近。僅かな間に足を地面へと向け、着地と同時に地を蹴り標的に接近。
標的は変わっていない。地を滑るボートの狙いは、白竜の右後脚。
焦土の縁から走り出してから、片時も緩めず振りかぶっていた大剣。ボートは目の前に存在する大木が如き脚に、己の獲物を叩きつけた。
刃が分厚い鱗を絶ち、皮膚を破り、筋繊維を断つ。傷口からは赤い血が噴き出し、大剣に纏わりつく……が。
それまでだ。
ボートの大剣は白竜の脚を切断するどころか、骨にまで達するどころか、一矢報いるどころか、ほんの数センチ刃を食い込ませるだけに止まった。
ボートは目を見開き、歯を食いしばり、己の無力さに打ちひしがれる……
はずだった。今までのボートならば。
ボートは大剣が止まった瞬間、白竜の脚を両断する自分を幻視した。
「……ッおおおおおおお‼︎」
本格的な戦闘が始まって初の人類の雄叫び。
ボートは寸分の狂い無く、己の幻に追従した。
止まっていた刃が動き出す。肉を破壊し、血管を破り……骨をも砕く。
ボートは大剣を完全に振り切った。大剣の軌跡では血が舞い、ボートは鬼気迫る表情で息を吐く。
地面を蹴り、振り返って白竜を正面に捉え、ボートがその場から離脱すると同時に……白竜の脚が両断され、巨大な血溜まりを作りながら、白竜はその体勢を崩した。
「……ヴァアアアアアアアア‼︎」
激痛。
その一瞬、白竜の脳内を埋め尽くしたのは耐え難い激痛であった。
四肢の切断など到底耐えられる痛みではない。しかも今の白竜は脚を輪切りにされ、傷口を地面に押しつけ体重をかける形になっている。
生まれてこの方勝利のみを味わって生きてきたS級モンスターだ。その苦痛は生涯初の絶叫を上げさせるに足るものだった。
だが、それは人類の反撃の始まりに過ぎない。
絶叫を上げる白竜の口内に、黒い球体が転がり込んだ。人間が片手で握れる程度の大きさのそれが3つ、大っぴらに開かれた喉に落とされたのだ。
その上空には、口の端を吊り上げて笑う白髪のオッドアイが。
「オヤツタ〜イム!」
デスパーは体に括り付けられていた3つの球体を白竜の口に投げ入れ、笑いながら地面に着地した。
直後、白竜の口先を1本の槍が貫いた。
レメンが下から飛び上がり、白竜の顎に槍を突き出し串刺しにしたのだ。
白竜は口を開けることができなくなり、
「……ボム!」
直後、デスパーが遠隔で起爆した爆弾の力を、余すことなく食らうこととなった。
盛大な吐血をした白竜であるが、まだまだ猛攻は勢いを衰えさせない。
そこからは後方にオスマンを置き、残りで白龍を全身全霊で攻撃する体制が敷かれた。
ピツェッタ、レメン、デスパーがそれぞれの得物を振るい、確実に白竜の体を蝕んでいく。そのダメージに叫び声をあげ、尻尾を振り、脚を振り落とし、ブレスを吐き出す白竜であるが、そのことごとくをボートに的確に受けられ、いなされ、弾かれる。更に少しでも気を抜けば遠方よりオスマンの魔法が飛んでくる。火球、雷、圧縮された水の矢、金属の刃、その全てが白竜に的確なダメージを負わせていく。
大剣が、短剣が、槍が、爆弾が、魔法が……ボートが、ピツェッタが、レメンが、デスパーが、オスマンが、的確に、確実に、徹底的に、無慈悲に、連携して、集中して、白竜の体を破壊していく。
全身を駆け巡る激痛。自らの制御を外れ脱力する肉体。迫り来る死の恐怖。己を追い詰める人間への恐怖。格下だと信じてやまなかった認識が破壊される恐怖。恐怖、恐怖、恐怖、恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。
「ヴァ……ヴァアアアアアアアアア‼︎」
脳を支配する恐怖に、白竜は絶叫した。それは白竜の悲鳴であると同時に、人類の雄叫びのようであり、S級特選部隊の5人の集中を更に深めることとなった。
瞬間、白竜の全身を魔力が渦巻いた。肉体に秘める魔力のほとんど全てとすら思えるような量。A級最上位冒険者をしても、背中を冷たい鉄の棒で貫かれたかのような悪寒を感じるほど、その魔力は悍ましかった。
後方支援のオスマンを除く4人は、咄嗟に後ろへ全力で跳躍した。
今の白竜は、魔力を全身に纏っている。今現在人類が開発した魔法において、そのような魔力の運用をする魔法は多くない。
そしてほとんどの場合、魔力を全身に纏った後に発動する魔法は……全方位への無差別攻撃である。
白竜を覆っていた魔力その全てが、莫大な熱を孕む炎へと変貌した。白竜の巨体を裕に包み込む炎の球体。尚もその大きさを増しながら、火球は焼けこげた焦土を更に破壊してく。
初撃と同様に現れた小さな太陽。今度は攻撃ではなく自らを守るために生成されたそれはいきなり巨大化するでもなく、爆発するでもなく、一定の大きさに達した後に変化を止める。
約3秒後、そこにあったのは1体のS級モンスターを包み込む、直径30メートルほどの火球であった。
「んん? これどゆことっすかあ?」
デスパーが爆弾でお手玉をしながらこぼす。それに応えるのは5人の中で最も魔法の扱いに長けるオスマンだ。
「魔法の句で言えばスフィアの状態……中に空洞を作った球体状の魔法です。つまり、奴は炎の殻に籠ったと言うことですね」
「やはり妙だな……S級とは思えないほど狡猾と言うか……」
僅かに乱れた呼吸を整えながら、ボートは自分の顎を触る。
やはり今回の白竜2体の行動は不自然だ。片方を囮に使用したり、奇襲を行ったり、標的を1箇所に集めたり、今だって、恐怖に暴れるのではなく冷静に防御したり。
防御に関しては性格の個体差ということでまだ納得できるが、他の不自然な点を鑑みると僅かな違和感も無視できない。
(囮、奇襲、標的の集中……今の防御も、万が一の時はあの行動を取れと指示されていたら……いや、流石に飛躍しすぎか……?)
と、ボートが思案を巡らせ始めた……瞬間。
「ヴァアアアアアアアアア‼︎ ヴァア‼︎ ヴァアアアアアアアアア‼︎」
聞き間違えるはずもない白竜の悲鳴が、あの火球の中から迸った。
続いて地響き。中で白竜が暴れ回っているのだろうと容易に察せられる重い地響きが鳴り響く。
5人は再び真剣な顔つきになるが、そこには確かな困惑と不安の色がある。
何事かと5人が思考を回し始める、そのほんの少し直前……眼前の炎の球体が消滅した。
少しずつ炎の色が薄まり、その向こう側が見えるようになる。一部から炎が消滅していき、まるで糸が解けるように霧散していく。
そこにあったのは、ぐったりと首を地面に倒す白竜……否、白竜の死体であった。陽の光を反射し白く輝くはずの鱗は今は真っ赤に染まっている。血だ。血が体を覆っているのだ。その血の出どころは首の付け根。たくましい胴体の上部が数メートルも裂け、夥しい量の血を排出するとともに内臓を露出させている。
数秒前まで殺し合っていた魔物の突然の死。しかしS級特選部隊がその事実を認識するのは、火球が消滅してから僅かに間を置いてのことだった。
白竜の死体よりも更に意識を釘付けにするものが、その死体の前に存在したのだから。
それは小さな竜だ。小さな、と言っても頭から尻尾まで3メートル弱といったところで、人間と比較すれば十分巨大である。全身を真っ白な鱗に覆われ、白銀とすら言える光を持つその竜は、白竜の子供であろう。
しかし、5人はその結論を否と脳内で否定してしまう。
まず、体の構造が明らかに違う。
本来の白竜は退化したとも言えるほど小さな前脚に、それと相反する屈強な後脚を持つ。首は体長を有意に底上げするほどの長さを持ち、尻尾は太くそれを振り回すだけでほとんどの生物を殺せるとすら思えるほどだ。
しかし眼前の小さな竜は前脚後脚ともに十分に発達しており、しっかりと四肢で地面に立っている。首は大して長くなく、一見人間よりも短いとすら思える。これまた尻尾は短く、体との比で言えば犬と同程度だろう。
そのフォルムは、竜よりも狼といった方が近いだろう。
そしてS級特選部隊がその狼のような竜に意識を引き寄せられた最大の理由……それは、奴が内包する圧倒的なまでの戦闘力である。
先程まで戦っていた白竜の数倍とすら思える尋常でない量の魔力。全身を覆う筋肉、佇まい、無意識の動作から放たれる雰囲気。
……次元が違う。
それを理解できる……できてしまうことが、彼ら彼女らが人類最強の部隊である証明であろう。
全身の体温が下がる。激しく動き回り体が熱いはずなのに、身を包むのはひんやりとした寒気……否、悪寒だ。
5人全員が目を見開き、思考を止めようとする脳を必死に回転させようと……
瞬間。
4人の耳が、空気が唸るゴウッ、という音を捉え、ついでビチャアッという液体が飛び散る音を捉え、体の神経が自らを撫でる空気の動きを感じ取った。
何が起こったのか。そんな考えすら浮かばない時の狭間。
状況を正確に認識していたのは、ピツェッタ・ルガリーただ1人だけであった。
その瞬間、竜は地面を蹴り、翼をはためかせ、魔法を発動死、5人の元へ一気に迫ってきたのだ。そして標的をボートに決定し、牙の並ぶ口を開いて飛びかかった。かろうじてそれに反応できたピツェッタは咄嗟にボートを突き飛ばしたのである。
4人が聞き取った音は、竜が高速で襲いかかってきた音、たったの一噛みで右腕を喰いちぎられ、飛沫するピツェッタの血の音、そして竜が移動して空気が押しのけられたことによって発生した突風だ。
ピツェッタは右腕を失くしたことによる痛みを感じるより先に動いていた。
空中で身を捩り、回し蹴りを竜の頭に叩きつける。なんらダメージを負った様子のない竜であるが、念のためということなのか後ろへ跳躍。ただ1回の跳躍から着地までの間を逃さず、ピツェッタは残った左手でダガーを振り、両足を繰り出し、100という数に勝るとも劣らない連撃を叩き込む。
他の4人が状況を理解したのは、ピツェッタの連撃の数が30を超えた時だった。
同時にまた別の問題の結論にも到達する。
(こいつだ‼︎ S級すら統率する超越者の王‼︎ こいつが2体の白竜をけしかけたんだ‼︎)
咄嗟に反応できないほどの速度で開始された戦闘。遅まきながら行動を開始する4人であるが、その胸中にはある種の絶望が渦巻き、脳内は必死にこの状況を打開できる策を導き出そうと回転する。
5人の頭には、自分らがあの王を討伐できるイメージが存在できないでいた。たったの1撃。それだけで圧倒的な実力差が理解できてしまった。
竜の行動開始から約2秒後。武器を振りかぶり正面から突撃するS級特選部隊5人。
常人では目で追うことすらできない一瞬の行動であるが……超越者の頂点に君臨する王にとっては、子供とのかけっこに等しい。
次の瞬間、竜は5人の背後にいた。
その背後では血の噴水が存在する。ピツェッタの左腕が消し飛び、それに突き飛ばされたオスマンの腹が裂かれ、デスパーの右脚が噛みちぎられ、レメンの左脚が粉砕され、ボートの大剣が砕かれ両手首に歯形が浮き上がり血が噴き出ている。
圧倒的な実力差。理解していたことではあるが、それを見せつけられて5人は歯を食いしばる。
それと反し、竜の目はこの上なく退屈だという色を浮かべていた。こんなもの、戦いでも狩りでもない。子供の遊戯だ。圧倒的な格下の感情にただただ振り回されているだけだ。
そんな傲慢ではあるが揺るぎない事実。竜の脳内には既に5人のことなど存在しない。
「……ヴァァ……」
ふと竜が吐息……否、ため息を漏らした……
瞬間。
「フル・サンダー」
竜の脳天を、極太の雷が直撃した。青白い光が天から降り注ぎ、竜の全身を駆け巡る。筋肉は硬直し、一部の細胞は焼け焦げ、視界が光に包まれる。
更に直後、背後から凄まじい衝撃が走った。竜の体は宙に浮いて吹き飛ばされ、地面を転がる。
姿勢を正し、竜が振り返ると、そこには見覚えの無い2人の人間がいた。
1人は乱れた黒髪を携えた少年だ。抜き身の刀を右手に持ち、気だるげだが鋭い目を向けている。
もう1人は深い皺の刻まれた老人だ。こちらは刀を腰の鞘に収めており、右脚を上げて下駄を揺らしている。恐らくは背中の衝撃はこの老人の蹴りであろう。
その2人の人間……アルティス・ガパオとチドイラ・デンドロンは、ボート達を庇うようにして立ち、自分達の知る姿とはかけ離れた竜を見据えている。
「アルティス……! チドイラさん……!」
かろうじて地面に倒れていないオスマンとボートの2人が、アルティスとチドイラの姿を視界に収める。
「お前らは怪我を治して撤退しろ。こやつは俺とアルティスの2人で倒す」
「ッ……‼︎」
「悔しい気持ちも分かるがな。こやつと戦うには、俺でようやく最低レベルの実力だ」
「……分かりました……!」
チドイラの指示に、ボートは歯噛みしながら首肯する。その傍らではオスマンが回復魔法の光を放ちながら、一行の怪我を治療していた。
しばらくして、全員に最低限の治療を施し終わり、デスパー、レメン、ピツェッタの3人が立ち上がる。
5人が背後へと走り撤退していく間、眼前の竜が動くことはなかった。
「……さて」
「ラスボスですね」
チドイラが刀を抜き放ち、アルティスが左手に雷を纏う。
竜の姿勢が僅かに下がり、初の臨戦体勢をとった。
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