第7話『紫蛇①』

 森に入った途端、不思議な感覚に包まれる。恐らくは全身が魔力に包まれているからだろう。あちらこちらに気配を感じるのに、五感ではそれを感じ取れない。目に見えない幽霊に囲まれているような感覚でなんだか落ち着かない。


 地球上に転々と存在するこういった魔力が濃い土地は、気流、水流、地形変動、土地を構成する物質等の要因から魔力が一箇所に流れ着き、尚且つ蓄積することで形成される。魔力の量は場所によって異なるが、地層や植物を調べることで予測することができる。


 アルティスとボートが今歩いているのは以前調査のために作られた道だ。と言っても植物を刈って土をならしただけのものだが。


「……う〜ん……?」

「どうかしました?」

「いやな……前までの記録より少し木が低い気がするんだよなぁ」


 ボートの手には板に貼られた資料があり、そこには以前の調査によって得られた情報が書かれている。植物、動物、魔物の種類や大きさなどから、危険度等を設定しているのだ。


「……それって悪い事なんですか?」

「いや、一概にそうとは言えねえ。地形ってのは年々すこ〜しずつ動いているらしいからな。その影響で魔力もすこ〜しずつ無くなってる可能性もある。そうなると植物もすこ〜しずつ小さくなってくから、その場合は何も問題無い。……ただなあ」

「ただ?」

「……例えばたった一体の強力な魔物が、この森の魔力を独占して吸収してるとしたら……相当めんどくさいことになる」

「……なるほど……この森で以前確認された中で一番強い魔物は?」

「B級のフラウドって魔物だ。人型で身長2メートルくらい、肌は白くて体中から木を生やした化け物。記録によるとA級まであとちょっとってとこまで強くなってたらしい」

「そいつがさらに魔力を吸収してるなら、A級モンスターとして対処した方が良さそうですね」

「だな。そんときゃちょっと後ろで見てろ。A級がどんなもんなのか、見てるだけでも知れることがあるからな」

「は〜い」


 それからはこれといった出来事も無く、2人は森の調査を続けていった。


 危険区域ということ、魔力感知ができないこと、初任務だということ等を要因に、アルティスは普段以上に体力を消耗していた。


 肉体的な疲労は少なくとも、精神的な疲労は何もしなくても溜まっていく。不安、恐怖、緊張、慣れない感覚に心が疲労し、肉体もそれに引っ張られる。


「……あー、キツ……」

「あんま無理すんなよ? A級の任務はこんな感じだぞってのは見せれたからな。その大変さも身をもって今感じてるだろ?」

「ですね……なまじC級程度倒せる程度の力があるとこういう緊張感って経験しないですし……。けどまだいけます。この感覚をなるべく体に教え込まないと」

「真面目だね〜」


 などと程々に会話を挟みながら歩くこと数十分。


 木の高さの測定のためにボートが木に登って、アルティスが下で待機していた……その時。


 アルティスの視界に何かが映った。


 一瞬だったが、茶色と緑色に囲まれたこの森とかけ離れた白色の何か。それが道から外れた木々の間を横切っていった……ように見えた。


「ボートさん! 森の奥100メートル以内に何かがいます!」


 そうアルティスが声を上げれば、ボートはすぐさま反応した。数十メートルを超える高さの木から躊躇なく飛び降り、地面に着地する。そしてなんのダメージも無く、アルティスの前に出て大剣を構えた。


「……どんな奴だ?」

「チラッと白色か見えました」

「おいおい、見事な布石の回収か?」


 2人が戦闘体勢に入ってしばらく。“そいつ”は少しずつ近づいてきていることが、草木が揺れる音によって分かる。


 そして数秒後。白い巨人が姿を現した。


 全身が筋肉に包まれた人型の魔物だ。身長は5メートルを裕に超え、歯が剥き出しになっており鼻と目は無い。一際大きな木の根が耳の部分にあり、ウネウネと蠢いている。


 B級モンスター、フラウド。


「なんか……デカくないですか? 身長3メートルぐらいって話でしたけど明らかに5メートルはありますよ」

「やっぱしか〜。魔力吸ってデカくなってる。こいつがこの森の主だな」


 フラウドは草木をかき分け2人に迫る。その口の端は不敵に吊り上がっており、耳から生える木はその精神状態を表すかのように動きを激しくする。


「調子乗ってやがるこいつ。人間様がこねえからってよお〜」


 だが不敵な笑みを浮かべるのはボートも同じだった。アルティスと共に後ろに下がり、道にフラウドを誘き寄せる。まるでかかってこいと言わんばかりに剣を揺らし、フラウドを待つ。


 一方、アルティスは刀を構えながらフラウドを注視していた。


(魔力量が分からないからなんとも言えないけど……多分僕じゃ勝てない……でも……)


 アルティスは目つきを鋭くすると、ボートの前に歩み出た。


「すみません、少し僕が戦ってもいいですか?」

「……多分お前さんじゃまだ勝てないぞ?」

「分かってます。ただ、より上位の魔物の実力を明確に知りたいんです」

「……いきなり致命傷、とかはやめろよ?」


 剣を下ろし、後ろに下がるボート。その表情は呆れ3割、心配5割、期待2割といった様子。


 現存する冒険者が単独で処理できる中で最高階級であるA級モンスター。本来ならまだ冒険者にすらなっていないアルティスが戦ったところで相手にならない。普通初撃を対象できずに致命傷だ。


 だがボートはアルティスの中に眠る爆弾を知っている。


(……あの時、エーミール学院でウィルリーと教師を痛めつけていたアルティスは、俺ですら下手に動けないほどの威圧感があった。その正体は並はずれた魔力量……! 殺さないよう出力は抑えていただろうが、もしあの魔力量で全力で攻撃していたなら……もしかしたら“あれ”すらも……。……見てみたいねぇ……)


 含みのある笑みを浮かべるボートのことなど露知らず、アルティスはいたって真剣な表情で刀を構えていた。


 同時に、フラウドは自分に敵意を向けているのが背の低い方だと察知した。


 瞬間、フラウドの耳から生える木が一気に10メートル以上伸びた。さらに先端は軌道を曲げ、鋭く刺突に特化した木がアルティスに迫る。


 同時に、アルティスは走り出していた。迫ってくる木の下を潜り、地面に左手を突いて体を支える。木を回避した瞬間に体を持ち上げ、左手は刀へ。そのまま両手で刀を斜めに切り上げた。


 その刀の軌跡、フラウドの肉体に、転々と赤い斑点が浮き上がってきた。


(浅い……!)


 フラウドは耳の木を引き戻しながら右腕を振り抜く。アルティスは真上に跳んで回避したが、拳は地面を撃ち抜いた。肘の辺りまでが土に埋もれ、その殴打の威力が表れている。


 フラウドよりも高く跳躍したアルティスは、刀を納め真上にあった太い枝に手をかけた。体を持ち上げ、足を枝にあてがい、蹴る。アルティスは横向きに跳躍し、道を挟んで反対側の木に横向きに着地。直後にまた跳躍し、右の拳を振りかぶりながらフラウドに一気に接近する。


 腕を地面から引き抜いた直後のフラウドは、カウンターは不可能と判断。両腕を交差させて防御の姿勢をとった。


 直後、アルティスの拳がフラウドの腕に激突。


 強い衝撃と振動が森に広がる。フラウドの肉体は押し出され、地面を抉る。その腕にはビリビリと痛みが走る。


 力を全て拳に乗せたアルティスは空中で一時停止。衝突の余韻が収まらないうちに地面に着地しようと脚を伸ばした……瞬間。


 フラウドは右の足を振り上げ、アルティスを撃ち抜いた。つま先がアルティスの腹部に直撃。フラウドは後ろに倒れかけるが、背中から木を生やして自分を支えた。


 腹部への強烈な痛みに苦悶の表情を浮かべるアルティスを、フラウドは容赦なく攻撃する。背中の木をさらに伸ばし、体を前方に加速。交差していた腕を解き、下から掬い上げるようにしてアルティスの腹を殴りか抜ける。


「ゴェッ……‼︎」


 アルティスは地面を転がり木に激突。腹と背中に広がる痛みに、呻き声を上げることしかできなかった。


「ウゥ……ッ‼︎ ごめんボートさん……! 無理だ……!」


 巨大な木の根元に転がるアルティスを守るように、ボートはアルティスとフラウドの間に割って入る。


 ボートはしゃがみ込み、アルティスに手を掲げた。すると掲げられた手とアルティスの体が白乳色に光り輝く。


 これは星属性魔法の光だ。星属性は生命力を操る魔法の分類のこと。生命力とは酸素や栄養素など、人間の生命活動に必要なものの総称だ。


 自身の生命力をアルティスに少し渡し、ボートは立ち上がり剣を抜いた。振り返り、フラウドを視界の中心に据える。


「さすがにA級並相手は早かったな」

「はい……痛いです……」

「まあ14でA級倒せてたら正直ドン引きだ。俺がA級冒険者になったの38だぞ。普通このぐらいの歳でようやくB級だってんだから、焦る必要ないぜ?」


 アルティスの無事を確認すると、ボートはどこか引き攣った笑みを浮かべた。


 向上心があるというか、理想が高いというか、せっかちというか。ともかく成長のテンポが早すぎると、ボートは心の中で呟いた。


「ま、とりあえずここは任せておけ。言ったろ、見てるだけでも知れることがあるって」


 ボートは背中の大剣を抜き、両手で構えた。途方もない重量があるであろう金属の塊はピタリと静止し、まるでその重さを感じさせない。


 フラウドは背の高い草をかき分け、ズンズンと2人に近づいてきていた。アルティスを吹っ飛ばして調子に乗っているのか、口の両端は吊り上がり憎たらしい笑みが浮かんでいる。


 草の生えていない道に出ると、フラウドは地面を蹴って前方に跳躍した。右の拳を振り上げ、ボートに迫る。


 常人が食らえば全身の骨が砕けるだろう殴打。そもそも反応すら厳しい速度の中、ボートは大剣から左腕を離し、フラウドの拳の軌道上に添えた。


 フラウドの拳が、ボートの左腕に直撃する。ボートは地面を削りながら滑り、木にぶつかって止まった。


 普通なら上半身が潰れているだろう攻撃だが……ボートは何のダメージも負った様子が無く、どころか余裕のある笑みを浮かべていた。


 フラウドの吊り上がっていた口の端が垂れた。


「……たしかにB級にしちゃ破格の威力だが……A級にしちゃ下の中ぐらいだな」


 そう言いながら、ボートは右手の大剣を片手で振り上げた。


 その刃は左腰、腹、胸、肩を切り裂き、フラウドの体に赤い一本の線を作り出した。


「グガァ⁉︎」


 その場から飛び退き、驚愕を顕にするフラウド。最強になったはずの自分の攻撃を防ぐなんて、と歯を食いしばる。


「うっそ……」


 驚愕しているのはアルティスも同じだった。


 自分が二発でダウンしてしまった攻撃を片手で受けきり、さらには転々と出血させるのがやっとだったフラウドの体をこうも簡単に切り裂くとは。


 普段飄々としているボートからは想像し得ない貫禄と実力。アルティスは素直に尊敬すると共に、心の中では若干引いた表情を浮かべていた。


(強すぎ……こりゃあ何十年もかかる実力だなぁ……)


 感嘆の表情を浮かべるアルティスの前方で、巨大な大剣を軽々振り回すボート。歯を食いしばるフラウドを嘲笑うかのような目線を放ち、口元はニヤリと笑っている。


「はっ、驚いたか? この森じゃお前は王様かもしれんがな、世界ってのは広いんだぜ?」

「ガアァァァァァァ……‼︎」


 フラウドは傷口を抑えながら地面に膝を突いた。息を荒げ、驚愕、恐怖、悔しさ等が入り混じった表情を浮かべている。倒れそうな体を、体から生やした木で支え、呆然とボートを見上げる。


 直後、ボートの後方、アルティスとの間の地面から、5本の巨大な木の根が突き出てきた。地面を破り、鋭い先端を宿したそれらは、一気に数メートル伸びた途端に軌道を変え、ボートを突き刺さんと迫ってくる。


「……ま、所詮は魔物か」


 その呟きと共に、ボートは右手に持った剣を振るった。地面に向けて、剣は半円のような軌道を描く。


 瞬間、ボートに迫っていた木の根は突然勢いを無くし、地面に落下した。


 木の根が落下する振動を感じながら、ボートはフラウドに歩み寄っていく。


「ごめんな〜、色々喋っちゃって。後輩の前でカッコつけたくてよ〜」


 一歩一歩、確実にこちらに歩み寄ってくる人間。本来単なるエサでしかない人間が、技をことごとく破ってくる。


 フラウドはボートに恐怖を抱いた。


 同時に、ボートは動いていた。


 地面を蹴り、小さな土煙を起こしながらフラウドに接近。繰り出した右の膝をフラウドの腹に叩き込む。


 さらに空中の間に左の足も突き上げ、顎を打ち上げる。そのまま回転しながら地面に手をつけバック転。


 体勢が元に戻った瞬間、再び地面を蹴るボート。今度は右腕を腰の辺りで振りかぶり、掬い上げるようにフラウドの腹を殴り抜けた。


 同時に拳から10メートル近くの大きさを誇る火球を生成。瞬時に起爆し、その凄まじい衝撃はフラウドをさらに10メートル以上打ち上げる結果となった。


 地上から約20メートル。うつ伏せのまま宙を昇っていくフラウド。そしてそれすら飛び越える青い影。


 ボートは一度の跳躍で、フラウドに追いついていた。体の前面が焼け焦げ、口からは叫び声だけが洩れるフラウドの真横には、両手で剣を振りかぶったボートがいる。


 瞬間、ボートは剣を振り下ろした。刃がフラウドの体に触れ、切り裂き、突き進み……いとも簡単にその肉体を分断した。


 だがそれでは終わらない。腹の辺りで切断されたフラウドの体にさらに斬撃を加えていく。振り切った剣を振り上げ、斬り払い、フラウドの体を切り刻んでいく。


 一瞬にして、フラウドは頭から爪先まで、20センチ程度の肉片へと変えられた。肉片同士を繋ぎ止めるのは自由落下する血液のみ。


 ボートはバラバラになったフラウドに向けて右手を向けた。瞬間、そこから3メートル程度の火球が放たれる。火球はフラウドに直撃し、爆発。フラウドの肉体は木っ端微塵に吹き飛び、森の中へと散乱していった。


「……凄い……」


 血と肉片の雨が降る中、アルティスは唖然と上空を見上げていた。


 ボートは周囲の大木の枝に着地し、そこからさらに飛び降りて地面に立つ。


「……どうだった? A級の戦いは」

「……正直僕がそのレベルまで行ける未来が見えないです」

「その台詞はまだ10年早いな」


 撒き散らされた血を拭いながら、2人は雑談に興じた。普通嫌悪する鉄臭い液体を、まるで夏場の水遊び後のように、ちょっと面倒くさい程度の様子で掃除していく。


「アルティスくんぐらいの年齢なら、まだ基礎を鍛える段階だからな」

「まあ魔力出力とかは積み重ねですもんね……筋力と同じで……」

「逆に言やあ早めにガッツリやっとけば将来化けるっつーこった。ちゃんと毎日がんば」


 瞬間。


 会話をしながら森の奥へと進もうと、2人が前に出した足が、ビタリと止まった。


 同時に、全身を恐怖が包み込む。


 前方約200メートル先。大きなカーブを描く道の先から、尋常でない魔力を感じたのだ。


 この森では魔力を感じることなどできないはずだ。そんな思考を辿ることなく、2人は圧倒的な力を持つ怪物を察知した。


 先程あまりにも格上だと理解したA級の実力。アルティスの頭にはフラウドとボートの動きが鮮明に残っている。


 だというのに、今すぐ近くにいる怪物は、その更に上を行く力を持っているという現実が、恐怖と絶望感を呼び起こす。


 2人がその場に静止したまま数秒が流れる。


 そして地面を削るような重い音が響き始める。


 更に数秒後、“そいつ”は姿を現した。


 ドス黒い紫色の蛇。その体表は粘性のある液体に包まれ光を反射している。体を豪快にくねらせ、道端の石を乗り越え、弾き、砕きながら豪速で迫りくる。その体高は3メートルを超え、平均的な蛇のそれを遥かに凌ぐ。


 “そいつ”が視界に入った瞬間、アルティスとボートは全力で跳躍し、大木の枝に避難した。


 戦おうとは微塵も思わなかった。本能と理性双方が、死の呼び鈴を聞いたから。


 当然だ。この蛇を見て恐怖を感じないならば、それは生物として重大な欠陥であると言えよう。


 “そいつ”は地球上で僅か21種しか登録されていないS、級モンスターの1種なのだから。


 S級モンスター、紫蛇ゆかりへび

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