第6話『初任務』

「フギィイイイイ‼︎」


 前方数十メートル、そこに巨大な岩のような生物がいる。


 全身が茶色の薄い体毛に包まれた生物だ。四足歩行で、突き出した口からそれが猪や豚の類だと分かる。だが額の部分が大きく膨れていて、シルエットを歪なものにしている。そして最も恐るべき特徴はその大きさ。なんと体高が2メートルほどにまで達するのだ。


 この生物の名前はイシノシシ。あの膨れた額の部分が異常なまでに硬いことから名付けられた。


 イシノシシの突進は、たったの一撃で民家を破壊する威力がある。階級はC級に認定されており、並の人間が遭遇すればまず死は免れない。


 そんな危険な魔物と相対しているのは、相変わらずボサッとした黒髪を携えた少年、アルティス・ガパオだ。


 服はエーミール学院のピシッとした制服とは打って変わり、薄くて軽い簡素な白シャツに、逆にポケットが多い黒いパンツ。どちらも全くと言っていいほど装飾は無く、オシャレとは言い難い服装だ。


 だがそれ以上に、普通とはかけ離れた服装でもある。


 まず何より、服全体に付着した血液だろう。燃えるような紅い部分もあれば、黒く変色している部分もある。それがアルティスの戦闘経験を物語っているのだが、覆しようの無い不気味さを放っている。


 そして左腰に刺さった細長い容器。僅かに湾曲した筒のようなもの……刀の鞘が、アルティスの左腰に存在する。当然、右手には鞘に収まる本物の刀が握られている。


「あー、やっぱデカイ奴はチマチマ斬っても埓が明かないな」


 アルティスはそう独りごちると、刀に付いた血を雑に払い、納刀した。次いで半身になって右の拳を振りかぶり、そこに魔力を集中させる。


「フギャアアアアア‼︎」


 そんな叫び声を上げると、イシノシシは4本の脚で地面を蹴り、走り始めた。その巨体からは想像し得ないほど素早く脚を動かし、グングンと加速していく。


 その先にいるのは拳を振りかぶったアルティス。小柄な肉体を破壊しようと、巨大な筋肉の塊が突き進む。


 すぐに並の馬の全速力よりも速い速度に達したイシノシシは、あっという間にアルティスの眼前へと迫ってきた。残り10メートル、7メートル、4メートル、1メートル……


 瞬間、アルティスは右の拳を繰り出した。


 アルティスの拳とイシノシシの石頭が激突する。繰り出された拳の速度も成人男性のそれを遥かに上回り、相対的な速度を上げた上での衝突。


 2つの打撃がぶつかり、互いの力を相手に伝える。アルティスの拳には重い衝撃が伝わり……イシノシシの頭蓋は粉々に砕け散る。


 拳はそのまま突き進み脳を破壊。一瞬にして絶命したイシノシシの突進の勢いを体で受け止め、アルティスは地面を滑っていく。


「……っと。あーきったな……よし、倒しましたよー!」


 イシノシシの死体を回り込み、アルティスは声を上げた。


 視線の先には街の入り口があり、そこにいくつかの馬車が停まっている。その御者台や荷台には老若男女様々な人々が乗っており、皆一様にポカンとした表情を浮かべていた。


「……あ、ありがとうアルティスくん……助かったよ……」


 そう言って、御者達のリーダーと思しき初老の男性が、表情を引き攣らせながら帽子を取った。


 アルティスは右腕にこびりついたイシノシシの体液を雑に払い、馬車群の元へ歩いていった。


「いえいえ、C級程度なら簡単に倒せるので。心配ご無用ですよ」

「そ、そうか……C級程度余裕か……は、ははっ、頼もしいなあ……」


 やはり顔を引き攣らせ、男はアルティスに報酬を用意する。硬貨や紙幣を数えて麻袋に入れて渡せば、アルティスも満足げにお辞儀をした。


「では、またトゥエフに来た時はぜひ呼んでください」

「そ、そうだな。面倒な手続きもいらんし、頼むとするよ。ではまたな、アルティスくん」

「は〜い、また〜」


 数台の馬車を手を振って見送り、アルティスはコソコソと報酬の入った袋を確認した。その額に思わず「おお……」と感嘆してしまう。


 8月15日。アルティスがエーミール学院を去って約半年。14歳になったアルティスは現在、フリーの傭兵のような仕事をしている。本当は正式な冒険者になりたいのだが、公的な職に就けるのが15歳からなのでそれまでは個人間のやり取りしかできないのだ。


 アルティスの存在はトゥエフの冒険者の間でそこそこ話題になっている。というのも、大抵の冒険者というのはC級程度で実力の成長が止まるのだ。殉職率の高い冒険者を40歳ほどまで続け、途方もない知恵と経験を得てようやくB級に手をかけることができる。


 にも関わらず、14歳という若さでC級の実力を持つアルティスの異常性と潜在能力は、強さに憧れる冒険者達の注目の的になっていた。


 その噂を聞きつけ、物は試しにと雇ってみた者は大体表情を引き攣らせるのだ。先程の御者のように。


 アルティスはその高額な報酬を眺めることに満足すると、先程討伐したイシノシシの元へと歩いていった。そして懐に忍ばせていたナイフで、皮を削いでいく。


 すると。


「いやー、やっぱ強いなアルティスくん!」


 という男性の声が聞こえてきた。


 それはアルティスにとっては聞き馴染みのある声だった。


 もしやとイシノシシの死体からひょこっと顔を出すと、そこには銀髪を短く切り揃え、巨大な両手剣を背中に背負った大男、ボート・アルフォートが立っていた。


「ボートさん!」

「よお! 久しぶりだな」

「どうしてここに……!」


 アルティスは抑えられない驚きと喜びを声色に乗せ、ボートに駆け寄っていった。


「な〜んかお前さんのことが噂になってたからな。ちょっと様子見に来たんだ。そしたらどうよ、イシノシシのあたま正面からぶち破りやがった! 全く恐ろしいぜ、それで14だってんだから」

「いやー、まだB級はたまに苦戦するんであれが今の限界ですけどね」

「……そうか。ならもっと特訓しないとな」


 などと口では言いつつ。


(B級は『たまに』苦戦……ね。ほとんどの冒険者がいい大人になってまでC級を息切らして倒してんのにこいつときたら……)


 心の中では苦笑いを浮かべるボート。


 だがすぐに切り替え、アルティスへ持ちかけようとしていた本題を話し始める。


「……で、だ。様子見に来たっつっても実はちゃんとした用件があんだ」

「用件?」

「近年……正確に言えば10年ぐらい前から、魔物による被害が有意に増加しつつある。強固な壁に囲まれている旧都街は例外としても、街間の移動中の人々や点在する村、集落を魔物が襲うという事例が後を絶たない。それ自体は無情だが珍しくもなんともない。5年単位で件数が増減するのも別に普通だ。だが10年前から現在までの魔物による被害の増加は、あまりにも不自然で極端なんだ。グラフにすると分かりやすいが、10年前をきっかけに大きな波ができている。10年前……もしくはその前後に、“何か”が起きている」

「……」


 そのことについては、アルティスにも僅かに心当たりがあった。


 数年前、アルティスが人との関わりに恐怖を抱くことになってしまった事件。アルティスは魔物に襲われていた少女を助けた。


 今も昔も、アルティスは旧都街から少し離れた場所にある集落に住んでいるのだが、当時集落に魔物がやってくるなど滅多になかった。しかし現在は半年に一度ほどのペースで魔物が目撃されている。戦闘ができるアルティスがいることと、C級の冒険者を雇って警備をしてもらっているため大事にはなっていないが、危険度は何倍にもなっている。


「その“何か”を探るのは専門家に任せるとして、それが分かるまで、もしくは分かっても対処できない場合、魔物は俺達冒険者が対処しなきゃならん。……小難しい話を長くしちまったが、用件ってのはつまり任務のお誘いだ」


 ギルドは冒険者の支援をするための施設だが、主に行なっているのは民間人と冒険者の仲介だ。ギルドには掲示板が存在し、そこには冒険者が受ける依頼が貼られている。民間人はギルドに申請することで、冒険者への依頼を掲示板に貼ることができる。本来依頼を受けてくれる冒険者を探さなければいけない所を、ギルドを仲介することで依頼に適した冒険者が依頼を受けてくれやすくなるのだ。


 だか稀に、B級以上の魔物の討伐や危険区域の調査などを、ギルドが独自に必要だと判断する場合がある。当然それらが依頼として持ち込まれることも。その場合、ギルドが会議の末適していると判断した冒険者に、任務という形で依頼を出す。危険だったり早急に対処せねばならない場合、このようにすることでより被害を抑えることができる。


 これがギルドの依頼と任務の体制だ。


「お前さんはまだ正式に冒険者になったわけじゃねえから、ギルドから任務が課されることはねえけど……ま、俺個人が出すお前さんの初任務だな」

「……任務……。……その内容は?」

「簡単に言えば旧都街北西部の調査だ。地図広げてみりゃ分かるんだが、この国は北西にデカイ森がある。そんでそっからさらに進むと、S級モンスターが住んでるって噂の地帯が広がってる。このあたりは旅行者も通らねえし、何か資源があるわけでもねえから情報が出にくいんだ。だから定期的に冒険者が調査に出向くんだが、その調査についてきてくれって話だ」

「なるほど……北西か……」


 アルティスは頭の中で周囲の地図を思い浮かべた。確かに他の国に向かうにしても通らない上、開発もされていない場所だ。いつのまにか妙な魔物が住み着いていてもおかしくない。


 考えながら、アルティスの視線は自然に太陽とは逆の方面へと向いていく。そしてその先には丁度森があり、手前には大きな建物が。


「……やっぱ気になるか?」

「……え?」

「アルティスくん、ちょいちょいエーミール学院に来てるだろ」

「ええ……⁉︎ なっ、なんでそのことを……!」

「お前さんほどの魔力に気づかないはずないだろ? 皆が授業受けてる間こっそり裏の森に入って魔物倒して。優しいんだからなあ。それとも実は特別な想いがある相手がいたりして」

「うぅ……それ以上はやめてください……」


 罰の悪そうな顔を浮かべ、目を逸らすアルティス。ボートは笑いながら「悪い悪い」と謝ると、腕を組んでどこか真剣味を帯びた視線をアルティスへと向けた。


「……で、どうする? 受けるか? 正直言うとA級以上の魔物と遭遇する可能性もある。相当危険な任務だが……」

「……受けます。……このまま街の周辺で適当な依頼受けてるだけだと、成長できないと思うんです。……もっと多くの人を救えるようになるためにも、僕が成長しないといけない。そのためなら、多少危険な任務だろうと乗り越えなきゃいけないんです」


 どこか遠い所を見ているようなアルティスの視線が、ボートの目を射抜く。


 自分よりよっぽど歳下だというのに、その目の中には途方もない力が眠っている……ように感じる。


 ボートはそんな感覚に、アルティスが先走ってしまわないかという不安感、眠る力に対する恐怖感……そして確かな期待感を抱いた。


 ボートは口の端をにやりと吊り上げた。


「よしっ! ほんじゃ早速準備に取り掛かろう! いつが空いてる?」

「特に依頼受けてないんでいつでも」

「じゃあ明日準備と休憩して明後日出発だ。1日野宿して、明々後日調査開始! それでいいか?」

「はい、問題ないです」









 8月18日8時16分。旧都街北西約50キロ地点。


 アトアミナは地形の起伏が少ない国だ。旧都街南部や北部に大きな山脈などはあるものの、円形に並ぶ旧都街の内部はほとんど草原だ。大きい川が一本北の山から伸び、中央の旧都を突っ切り、その後枝分かれしてアトアミナ各地に水を運んでいる。


 その大きな川の周囲には大きな森が聳え立ち、まるで川を守っているような神秘的な景色を作り出している。当然だが水が無い場所には植物が生息しにくいため、川が無い場所に存在する森は地下に水源がある場合がほとんどだ。


 しかし一部、全く水源の無い場所に、他の場所よりも大きな森が作られる場合がある。そういった森には10メートルを超える高さの木々などざらにあり、広さも他の場所の森とは比較にならない場合が多い。


「うわぁ……たっか……」

「こういう不自然にデカい植物ってのは魔力を吸収して育ってるんだ。だから普通じゃありえんぐらいデカくなるし、ここで採れる果実は魔力を含んでいる。魔物にとっちゃ楽園さ」


 アルティスとボートは眼前に広がる森の入り口で上を見上げていた。多少バラつきはあるものの、木々の高さは軒並み数十メートル。太さも直径数メートルある。


 ここが旧都街北西部に存在する森だ。ここの大地には魔力が多く含まれており、植物が異様な成長を遂げている。


「こういう場所は地面の魔力が濃すぎてちーと魔力感知が難しい。油断してっとやられるからな」

「確かに……ボートさんの魔力をはっきりと感じ取れない……」


 魔力感知を会得すると五感での索敵が疎かになりがちだ。魔力が濃い土地では生物の魔力を感知し辛くなるため、普段以上に気を引き締めなければならない。


 と、アルティスの表情が真剣味を帯びた……直後。


「キィーーーッ‼︎」


 という声と共に、近くの木から何かが飛び降りてきた。


 それは猿だ。全身を茶色い体毛に包み、尻尾を生やした猿。身長は1メートルほどという中々迫力のある大きさ。


 そんな猿が1匹、アルティス目掛けて落下してきたのだ。


 猿は右の拳を振りかぶっており、その目線はアルティスを向いている。眉の端が吊り上がり、大きく開けられた口は、明確な敵意を表していた。


 アルティスは猿の拳を、左腕で問題なく受け止めた。それから流れるように右の拳を繰り出し、猿の腹にめり込ませる。猿の口から変な音が出るが無視し、さらに回し蹴りを繰り出せば、猿は叫び声を上げながら吹っ飛んでいき草むらの中へと消えていった。


「わあびっくりした。こういうことか」

「そういうことだ。ああいうE級かD級あたりなら不意打ち食らってもなんとかなるが、A級モンスターもいるかもしれねえからな。気を引き締めていけよ」

「了解です」


 2人はそれから意を決し、森の中へと足を踏み入れた。

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