おじさん構文



 数分前──


 午前中の授業を終えて職員室に帰ってきた黒崎は、大きなあくびを一つしてから、ごそごそとリュックから弁当を取り出した。それは晶が作ってくれた、なんの変哲もないごく普通の弁当だ。うさぴょ丸のお弁当袋に入っている点とうさぴょ丸柄のやや小さい弁当箱に入っている点を除けば。


「おや、またうさぴょ丸ですか」


 朝木が、ぬっと顔を伸ばして弁当箱を覗き込む。


「あー……いや、これは……」

「おやおや。もしかして黒崎先生、彼女さんと暮らしてたりします?」


 にやにやと、朝木が聞いてくる。


「はっ? いや、そんなんじゃありませんよ。この弁当箱はたまたま安売りしてたから買っただけで……」


 そう言いながらぱかっと蓋を開けると、およそ男が作るとは思えないような、可愛らしいうさぴょ丸のデコ弁が姿を現した。海苔とハムとふりかけで可愛く飾られたおにぎり2つ、そしてタコさんウインナーや卵焼き、彩り豊かに飾られた野菜達……それは明らかに、女性が作った弁当だ。


「へえ〜、愛情たっぷりじゃないですか」


 都筑がにやにやのぞき込んてくる。

 黒崎はとっさにバン!と勢い良く蓋を締め、無言で弁当を片付けると足早にその場を立ち去った。


(アイツうううう! いや悪気がないのはわかっている、感謝もしているっ……けど、けど、恥ずかしくて食えんわ!)


 購買に向かう生徒達の群れを縫うようにして、ズンズン歩いてゆく。そうして黒崎は美術準備室に到着すると、後ろ手で勢い良く扉を閉めてため息を吐いた。

 そして机の上に弁当を広げ、改めてその手作り弁当を眺める。一つひとつ丁寧に飾り付けられたうさぴょ丸のおにぎり、ハート型にくり抜かれたハム、色とりどりの野菜……これを朝から作ってくれたのかと思うと、感謝しかない。


「後でまた、きちんと礼を言っておかねばな……」


 と弁当に箸をつけようとしたが、ピタリと手を止める。そして、ほんの少しだけ頬を赤らめつつ、仏頂面で、スマホで写真を撮るのだった。

 そしてきちんと手を合わせて「……いただきます……」とぼそっと呟き、食事を始める。


「ん……美味いな……」

(そういや手作り弁当なんて何年ぶりだろうな……人の作った料理を食うのも、朝起きて誰かがいるのも、もう今後ない事だと思っていたが……)


 そこまで考えて、黒崎はふと手を止めるのだった。


(やめろ。こんなこと、今だけだ。来週には家を出ていくつもりだし、そうしたら私達の関係も元通りだ。そしたらアイツも私のことなんか忘れるだろう)


 そして再び弁当を食べ始める。

 すると。突然スマホが震え、画面に(佐藤母)と表示された。それを見た瞬間、黒崎は凍りつき、震えだすのだった。そしてキリキリと痛みだす胃を押さえ、真っ青になりながら、恐る恐るスマホに手を伸ばす。


「はい。もしもし……」

『ちょっと先生ぇ⁉ うちの娘が部活でダメ出しされたって泣いてたんですけどお! うちの娘、才能あると思うんですけどぉ! 何がだめだったんですかねえ! え、先生もしかして娘の才能に嫉妬してるんじゃないです⁉』

「え……ええと……その事ですが、ダメ出しではなく、もう少ししっかり基礎を学ぶべきだと指導をしただけです。佐藤さんは美大を目指しておりますし……」

『指導ぉおお⁉ なぁんかデッサンが狂ってると言われたそうですけどぉ、そういうのって個性って言いませんかねえ!』

「あーいや……個性っていうのはきちんと基礎ができて始めて生まれるものでして……基礎もできてないのに個性だけ主張されても」

『生意気! 美術教師なんて偉そうに名乗ってるけど、結局はド素人じゃないですか! プロの芸術家でもないくせに! うちの娘は才能があるんですよ! ド素人の美術教師なんかにはわからないでしょうけどね!』 

「たしかに私はプロの芸術家ではありませんが、一応、しっかりと大学で勉強をして教師の資格も持っておりますので……」

『はー! 言い訳なんて聞きたくありませんわ! 娘のセンスが一ミリもわからないような人間に指導なんてしてほしくないんですけど! 娘はねえ、幼稚園の頃に市の絵画コンクールで大賞を取って云々……』

「はあ……はい、ええ、ですから先ずは基礎を……そうでないと……ええ、はい……………というか佐藤さんなんですが、他の生徒に対して見下すような発言や勝手に人の作品に手を加える等の問題行動が目立っておりましてね。ご家庭でもご指導をお願いしたいのですが」

『はああっ? 娘は凡人に指導してあげてるだけでしょう! だいたい、それって先生に問題があるんじゃないですかね! 結局先生がド素人過ぎてまともに指導できてないってことでしょう! それを人の娘のせいにして! 本当、最低だわ!』

「いや、あの、ですから」


 もし人間にHPゲージがあるならば、今、確実にゴリゴリ減っていっているだろう。ゲージは赤く染まり、緑のHPが端へ追いやられている……そんな状態に違いない。


 娘への指導に怒り心頭だった保護者の主張はいつの間にか『芸術なんて何もわからない、才能なんて微塵もないだめ教師』への怒りと罵りに変わっていた。


 反論したい。言いたいことは山ほどある。だが反論したところで相手はソレを真っ直ぐには受け止めてくれないだろう。何故なら、電話の向こうの相手は、娘の才能に嫉妬して意地悪をしている、才能のないダメ教師、教師失格……そんな内容の暴言をさっきからずっと喚き続けているからだ。


「あの……とりあえずですね、先程も申し上げましたように、きちんと基礎を学ばないと光るはずの個性は光らないままになってしまいますので……とりあえずもっとデッサンと人体の構造について勉強をですね」


 しかし相手はそんな言葉聞いちゃくれない。

 もう当初の目的も忘れ、一方的に黒崎を罵ることだけに注力している。

 胃が痛い――――黒崎のHPは残りわずかとなっていた。だがその時だった。ガラッと扉が開き、お弁当を持った晶が現れた。

 HP残りわずかとなった黒崎は虚ろな眼差しでぼんやりと晶を見る。晶は黒崎の様子に気が付き、おろおろし、そして慌てて彼に駆け寄ると、そっと彼をその大きな胸で包み込むのだった。そして、よしよしと頭を撫でる。

 黒崎の、瀕死の状態だったHPゲージがぐんぐん回復してゆく――――が、電話口では聞くに耐えないような誹謗中傷が絶え間なく飛んできて、回復したHPをゴリゴリ削ってゆく。

 なんとか耐えなければ……無意識に晶の背中に手を回し、彼女のたわわな胸に顔を埋めてHPを回復しつつクレーム対応をする。


「ええ、はい……はい、仰る通りで……いや、しかしそれは…………はい、はい、はい……」

 


 回復するのが早いか減るのが早いか、まさに一進一退の攻防を繰り広げていた。


 とそこへ、


「失礼しまーす! お手伝いに来ました!」


 扉が勢い良くガラッと開き、烏丸時生と友人達が現れた。そして彼女達は目の前に現れた、理解し難い光景に驚き目を見開いて硬直するのだった。

 晶は人差し指を口に当て、「しーっ」と静かにするよう促し、時生達はそれに従いそーっと扉を閉めた。


「はい……はい、それでは失礼します、はい……」


 電話を切ると、黒崎は、晶の背中に手を回したままじっと固まった。ゴリゴリ削られたHPを回復しているのだろう。


「えと……先生は何をしているんでしょう?」


 京介が聞くと、晶は黒崎の頭をよしよしと撫でながら、


「理不尽なクレームで削られていくHPを私のおっぱいで回復しながらクレーム対応してたんだと思う」

「そんなんで回復するものなの? てか変態ぽいんですけど……」


 緋夏が少し引いた感じで顔を引きつらせる。


「いや、回復するな。あれは完全に回復するぞ」


 正木がチャッと眼鏡を押し上げる。


「あーでも京介君も落ち込んだ時にぎゅってしてあげるとちょっと元気になるよね」


 時生が無邪気に京介の背中に流れ弾を食らわせる。


「な、なななな何言ってるの時生さん⁉」

「そんなことより。お二人がお付き合いしてるなんて知りませんでした。黒崎先生うちに来てまだ二週間なのに……意外と手が早いんですね」

「違う! 付き合ってるわけではない!」


 ようやく晶を引き剥がし、全力で否定する。


「そ、そうだよ! お付き合いはしてないよ! 一緒には暮らしてるけど!」

「は? 付き合ってないのに一緒に暮らしてるってどういう……」


 緋夏が訝しげに眉をひそめる。


「なんでもない! 気にするな!」

「いや気になりますよ。晶先生って先生にも生徒にも人気があるんですから。特に独身の教師はみんな晶先生狙いだって噂もあるくらいで」

「本当に歩く誘蛾灯だな」

「誘蛾灯て。もう少し可愛い例えないんですか」

「いやコイツ少し歩けば変な男にすぐ声掛けられるんだぞ。もはや呪いレベルだぞ」 

「そんなに……」

「で。お付き合いしていないのに一緒に暮らしてる、というのはどういうことですかね?」


 正木がチャッと眼鏡を押し上げる。


「何の話だ」

「さっき晶先生が仰ってましたが」

「幻聴だ」

「それに晶先生黒崎先生のこと抱きしめてましたよね。お二人はどういったご関係で」

「幻覚だ」


 真顔で気のせいで通そうとするも、正木達は納得してくれず、じーっと疑いの眼差しを黒崎に向けるのだった。


「……頼む。見なかったことにしてくれ」

「そう言われましてもねえ。何故かスマホに証拠が残ってしまいましたので」


 正木は「はっはっは!」と笑いながら、晶に抱きしめられて頭をなでてもらいつつクレーム対応する黒崎の動画を突きつけるのだった。


「ぶわあああああああ!消せえ!」


 慌ててスマホを取り上げようとするも、ひらりと交わされてしまう。すると京介が、


「あ、あの。僕も撮りました。結構いい感じに撮影てきたと思います」


 デジカメの画像を差し出した。

 そこにはカーテン越しの柔らかな陽射しに包まれるようにして写る二人の姿があった。陽射しのおかげで晶の優しさがより深く感じられる一枚となっている。


「いい感じに撮るな! 今すぐ消せ!」

「ええ! 結構気に入ってるのですが……」

「じゃあ先にお二人の関係を教えてくださいませんかね」


 正木がワクワクしながら聞いてくる。

 と黒崎は諦めたように深くため息を吐くと、ガクッと崩れるように椅子に座り直した。


「……私達の関係はお前達が思うような特別なものではない。金曜の夕方にな、住んでいたアパートが隣人の寝煙草が原因で全焼してしまったんだ。それで行く宛もなく雨の中途方に暮れていた私を晶が拾ってくれてんだ。もちろん断ったが、半ば強引に連れて行かれてな」

「だってお腹空かせた野良犬みたいでほっとけなかったんですもん……」

「私のことそんなふうに見えていたのか……」

「ご、ごごごめんなさい!」

「………まあ、心配せずとも今週中には出ていくつもりだがな」

「んもー! だから、ずっといてくださって構いませんてばあ! 出て行かないでください!」

 

 わあ、と晶が再び黒崎に抱きつく。

 

「随分懐かれてますね。何したんですか」


 緋夏が聞く。


「コンビニに連れて行ってスナック菓子食わせてゲーセン連れてってハンバーガー食わせただけだ」

「どゆこと?」

「あー……晶の親父さんは凄く過保護らしくてな、未だに八時以降の外出はもちろんコンビニもゲーセンもハンバーガーショップも不良になるって禁止していて一昨日までスナック菓子すら食ったことなかったんだ。ちなみに中高一貫の女子校に通って大学も女子大だったらしい」

「ま、待ってください! 私別にコンビニとかゲームセンターが理由で懐いてるわけじゃないですよ⁉ ていうか懐くって、なんか餌付けされたワンちゃんみたいじゃないですかっ? 酷いです!」

「お前犬みたいだぞ?」

「どこがですかっ?」

「どこがって……にこにこ笑いながらくっついて歩いてるところとか……なんか犬っぽくて可愛いぞ」

「かっ……かわっ……?」


 不意打ちをくらい、真っ赤になって動揺する晶。

 だが黒崎は正直に答えただけで、その言葉の重要性に気づいていない。

 

「コンビニもスナック菓子も未経験て……嘘でしょう?」


 思わず正木が聞く。


「信じられないかもしれないが本当だ。この間初めてコンビニに連れて行ったらテーマパークでも行ったかのようにはしゃぎまくっていたぞ」


 頭を押さえ、はあ……とため息をつく。


「ていうかコンビニに連れて行っただけで目を輝かせてはしゃぎスナック菓子を食わせてだけで感動し、ハンバーガーを食わせただけで大喜びて…………あまりにも安すぎるだろっ!」


 黒崎は思わず叫んだ。

 すると正木が、

 

「ていうかアレですね……晶先生って男に都合が良すぎませんか」

「ちょっと、なんてこと言うのよ」


 緋夏が軽くたしなめる。


「コンビニに連れて行っただけでソレって、マウント取り放題だろう。言うなればコンビニマウントだ」

「なにそれ……」

「コンビニでコーヒー買えることも知らなさそうだし、買い方を教えただけで『凄いさすが!』と持て囃し、男は『え? このくらい普通だよ? よかったらホットスナックも買っちゃう?』そして『わあ! 凄い凄いさすがです!』と感激するだろう。そして男は安い牛丼やハンバーガーで知識と言う名の常識をひけらかし、見事晶先生のハートをゲットするのだ」

「あー、そういう……」


 緋夏が哀れんだ眼差しを晶に向ける。

 そして京介と時生も憐れみの眼差しを晶に向けるのだった。


「まっ……待ってよ、私そんな単純じゃないよっ?」

「いや……だが男にとって都合が良すぎる存在なのは事実だろう……」

「黒崎先生っ?」

「可愛くて乳がデカくて料理が上手くて少し疲れた顔を見せたらそのデカい胸でぎゅっと抱きしめて頭を撫でながら甘やかしてくれて、膝枕までしてくれて、しかも『先生は何もしなくて大丈夫ですよ、私が全部してあげますから』とか言うしおまけ弁当まで作ってくれて! 幻覚以外なんだというんだ! はっ! 幻覚! そうかお前幻覚なのか!」

「幻覚なんかじゃありません! 私はちゃんと実在しています!」


 晶はちょっと涙目になりながら、ぎゅううーっと黒崎を抱きしめる。


「……確かに。あまりに男にとって都合のいい要素しか詰まってないわね……」

「うん……まるで男の人の理想を具現化したみたいだよ……」

「た、確かにちょっと……なんていうか、ダメ人間製造機っていうか……」


 京介はちょっと申し訳なさそうに言う。


「なるほど。過保護に育てられ何もかも禁止されて生きてきた結果、あまりにも男に都合が良すぎるモンスター女神が爆誕してしまったんですね」


 正木の眼鏡がキラリと光る。


「モンスター女神て何よ……」

「一見すると可愛くて優しい皆の憧れの女神様だが、現実はとことん男をだめにするとんでもない女性ということだ」


 正木がキラッと眼鏡を光らせながら晶を見る。


「そのうち変な男に引っかかって骨までしゃぶりつくされてしまいそうで怖いですね」

「ほ、骨までっ?」


 晶が青ざめる。


「特に性欲を持て余した中年男性がわらわら集まってきそうですよね」

「ちょっと貴方、さっきから酷くない?」


 正木の発言に緋夏が眉をひそめる。


「いや。でも実際、晶先生のような優しくて乳がデカい癒やし系の女性に憧れる男性は多いぞ。グラドルのインスカなんかまさに地獄絵図そのものだ」

「ど、どういうこと?」


 京介が不思議そうに尋ねる。


 すると正木はボケットからスマホを取り出し、インスカを立ち上げた。


「このようにだな。皆、絵文字たっぷりのおじさん構文でセクハラ発言をお披露目しているのだ」


 とグラビアアイドルのインスカを皆に見せる。

 そのコメント欄には絵文字たっぷりで『わあ!ぬぬこ!チャン!今日もエッチで!可愛いネ!朝から僕のムスコが元気に!なっちゃったヨ!挟んでほしいナ!なんちて!』


 笑顔やウインク、汗、きらめくハートの絵文字、バナナ、それらを惜しげもなくふんだんに使って元気いっぱいにセクハラ発言を貼り付けている。


「な、なんだこれは……」

「はっはっは! こんなもので驚いていてはいけません。まだまだ序の口ですよ」


 と正木は別のグラドルのコメント欄を見せる。


『真帆チャン!柔らかそうな!おっぱいだね!今日もエチエチで素敵!だよ!そんな目で見て!欲求不満、なのカナ!僕のムスコ、使ってイイヨ!真帆チャンに!ドピュドピュ!したいナ!あ!腰が!止まらない!パンパンパンパン!ゴメンネ!』

「いやアウト過ぎるだろ⁉」


 黒崎の体にぶわっと鳥肌が立ち、時生と緋夏と京介も青ざめて口を押さえるのだった。


「ん? ちょっと待てて……」


 黒崎はズイッとスマホに顔を近づける。


「はまぬま……よしお……? て、このアイコン」

「はい。うちの浜沼先生です」

「は……」


 数秒の沈黙が部屋を包み込み───そして一同は青ざめながら悲鳴じみた声を上げるのだった。

 ちなみにアイコンは上目遣いのキメ顔で、背景は自宅らしき場所の風呂の扉の前だ。もちろん加工なども一切されていない。


「いやいやいやいや嘘だろ⁉ いや、これはっ……ない! これは無い!」

「ちなみに浜沼先生はほぼ全てのグラドルのコメ欄に現れるので、ネット上で『おじさん構文の魔術師』『沼から生まれた童貞モンスター』等と呼ばれています」

「有名なのか……嫌すぎる……」

「後ですね」

「まだ何かあるのか⁉」

「こちら、浜沼先生の最近のお気に入りのアイドルです」


 と正木がとあるアイドルのインスカ写真を見せる。 

 そこにはまだ未成年と思しき幼い少女がふりふりの可愛らしい水着を着てはしゃぐ姿があった。


『結菜チャン、今日も可愛い!ネ! 学校は、楽しいカナ⁉まだ発育途中だネ!でも安心!してイイヨ!うちの生徒も、ゆっくり、成長、してるから!あ!昨日は、コメントできなくて、ゴメンネ!怒った?あ、怒った結菜チャンの顔も可愛いカモ⁉なんちて!ゴメンネ!小さいおっぱいも、好きだよ!安心してネ!』


 ウインク、キス、ハート、バナナ、汗……とにかく使える絵文字をふんだんに散りばめながら、高校生アイドルに元気溌剌なセクハラコメントを投げつけている。

 

「ちなみに白鳥結菜は今年高校生になったばかりの十五歳です」

「うっ……!」


 色々と耐えきれなくなった黒崎は吐き気を催し慌てて口を抑えた。その顔は真っ青で、全身鳥肌がびっしり立ってしまっている。


「きゃああ先生!」


 晶は慌てて黒崎を抱きしめて頭を撫でる。


「待って、私達と同い年の子にコレを送ってるの……?」


 緋夏もガタガタ震えている。


「こういう男性は結構いると思うぞ。まあ、つまり、晶先生はこう言った男性に狙われやすそうなので気をつけてくださいってことだ」

「狙われるも何も、今朝職員室で浜沼先生にセクハラされてたぞ。何言ってるかまでは聞こえなかったが……」

「えええ! なんだか心配だよ晶先生ぇ!」


 時生が叫ぶ。


「何言われたんですか?」


 緋夏が冷静に聞く。


「えっと……なんか、住んでたアパートを家賃滞納で追い出されちゃったらしくて、住むところがなくて困ってる……と」

 

 晶は人差し指を顎に当て、浜沼との会話を思い出す。


『いやあー実は住んでたアパートを追い出されてしまいましてねえ。いや、ほんの半年滞納しただけですよ? まあ、それで、今住むところがなくて困ってるんですよねえ。いやあ本当困っちゃいますよねえ。これからどうしたらいいと思います? あ、ところで話は変わりますけど神滝先生お一人暮らしでしたよねえ。いや、いやいや、だから何というわけではないんですねどねえ! ただ、そういや家も近かったなーなんて……ぬふふふふふふ……いやあー本当困っちゃいましたよお……』


 体がくっつきそうなほどの距離でニチャア……と笑いながら話す浜沼。体を仰け反らしても、お構いなしに更に距離を詰めてくる。


『ところでお一人だと何かと不安じゃないですかねえ? これでも私、腕っ節には自身がありましてねえ。いえ、だから何というわけではないんですがね? ぬふふふ……女性お一人では何かと不安なんじゃないかなあと……ヌフふふふ……』


 分厚い眼鏡の向こうから、ねっとりとした眼差しが晶を見つめてくる。そしてその視線はぬるりと胸へと移動する………



「いやそれ明らかに居候しようとしてるでしょ!」


 緋夏が悲鳴のような声を上げた。


「ええっ? そうなのっ?」

「お前、本当気をつけろよ!」


 黒崎は晶の肩を掴んで揺さぶる。


「だ、大丈夫ですようっ」

「……しかし、これはアレですね。晶先生が浜沼先生を拾っていた世界線もあるということですね」


 正木が発言すると、一気に部屋中がしんと静まり返った。そして一同の脳裏に、でろんでろんに顔の皮膚を伸ばしきった浜沼が、よだれを垂れ流しながら妖怪のように舌を出して晶に絡みつく様子が再生されるのだった。


「いやあああああああああああ!」


 晶が悲鳴を上げ、


「さ、流石に怖すぎるよ浜沼先生!」


 京介も悲鳴を上げ、


「浜沼先生は駄目だよ晶先生!」


 時生が涙目で訴える。

 

「お前! さすがに、さすがに、お人好しが過ぎるぞ!?」

「ですから、大丈夫ですってば! さすがに浜沼先生は拾いませんよっ!」

「いや……雨の中寂しそうにぽつんと座ってたら拾いそうだぞ」

「そ、それは……」


 と晶は虚空を見上げて少し考え、困ったようにうーんうーんと唸り始めるのだった。


「危なっかしすぎる!」

「もし浜沼先生を拾っていたら今頃全身舐め回された挙句に食べられちゃってましたかもねえ」


 正木の発言は一同の脳裏に鮮明な映像を浮かび上がらせるには十分すぎた。

 黒崎は青ざめ、


「ぶわあああああああ!」


 叫び、晶をひしっと抱きしめた。


「ぴゃあっ?」


 ふいに抱きしめられて、晶は思わず変な声を出してしまった。

 

「おわ! す、すまんっ」


 慌てて晶を引き剥がす。

 晶は真っ赤な顔をしてカチコチに固まっていて、額にびっしり汗まで浮かんでいる。


「だ、大丈夫か?」

「ひゃ、ひゃいっ……!」


 意中の相手に抱きしめられる、という経験が生まれて初めてだった晶は、恥ずかしさと緊張で気を失いそうなほどだった。

 けれど彼女の気持ちなど知らない黒崎は彼女がなぜそんなふうに不自然に固まっているのか、顔を真っ赤にしているのかわからず困惑するのだった。


「本当に大丈夫か? 風邪でもひいたんじゃ」

「ちちちち違います!」


 晶が半分裏返った声で半ば叫ぶようにそう言うと、緋夏が飽きれたように口を挟む。


「自分は抱きしめるくせに逆はなんで駄目なんですか」

「そ、そんなの全然違うよお! ああああ死んじゃう!」

「す、すまん……そんなに嫌だったか……」

「わあああ違います違います! むしろもっと抱きしめてほしっ……ああああああああああああああ!」


 耳まで真っ赤になって、わあっと顔を両手で押さえて下を向く。


「お、落ち着いてください晶先生」


 なだめようと、あわあわと京介が声をかける。


「けど……浜沼先生はなんで家賃滞納なんて」

「浜沼先生の話はもういいわよ、疲れたわ」


 純粋に疑問を口にする京介を遮り、浜沼の話題を終わらせようとする緋夏。すると正木が、すかさず浜沼情報をお知らせするのだった。


「浜沼先生には20名程のお気に入りのグラドルがおりましてね。そのお気に入りグラドルの撮影会に頻繁に足を運び、当然DVDも写真集も発売日と同時にゲット、可能な限り全ての発売記念イベントにも参加……まあ、それだけなら、別に問題はないんですがね。ですが、数が数ですからねえ。撮影会も1回一万から二万程度らしいですが、全員毎回通しで参加してるようなので、まあ、ざっくり一回で五万程度は使ってるんじゃないですかね。更に各種イベントにも頻繁に参加してるようですし、毎回高額のプレゼントをしたりもしてるようですよ。更に毎回ライブ配信での高額スパチャは当たり前で、一回で十万とか投げてる時もあります。で、更に最近では白鳥結菜のコンサートやグッズもプラスされてますからねえ、俺も心配はしてたんですよ。あ、ちなみに全部本人がSNSで報告してました」

「逆に没頭できる趣味があって羨ましく思えてきたんだが脳みそが壊れ始めてるんだろうか……」


 黒崎は頭を抱えてうなだれる。


「たぶんそれ、ただ疲れてるだけだと思います……」


 時生は憐れむような眼差しを黒崎に向けた。


「まあ、要するに、浜沼先生は無類の女好きってことですよ。特に若ければ若いほどいいんです。で、グラビアアイドルのような体型で可愛くていつも近くでニコニコしてくれる晶先生なんて、もう、堪らんでしょうなあ。なんとかしてお近づきになってあわよくば自分のものにしてしまいたいと思っているかもしれませんよ」

「ひいぃ……」


 晶は青ざめて己の体を抱えた。


「はあ……もう浜沼先生の話はいいわよ、頭痛くなってきたわ」


 緋夏は人差し指と中指で額を押さえ、深いため息を吐き出した。


「……ところで。今更だが、お前達はえーと……ああ、一年の生徒か」

「今更ですか」


 正木がちょっとむっと眉間にシワを寄せる。


「烏丸時生です! 美術室のお掃除お手伝いに来ました!」


 時生は元気に右手を振り上げた。


「あ……えと、阿賀波京介……です」

「五條緋夏、一年C組のクラス委員長をしています」

「正木宗介です。自他ともに認めるAVマニアです。見たいAVがあるならいつても仰ってください、いつでもお貸ししますよ。まあ、ジャンルに偏りはありますが」

「いらん……」

「だ、駄目です! 先生はそんなの見ちゃ駄目です!」


 と晶はがばっと、その柔らかな胸に黒崎を抱きしめる。

 

「だああ! 見ん! 見んから離れろ! 居候の身でそんなもん持ち込むわけ無いだろうが!」

「生身の女連れ込むわけじゃないんだから問題ない気もしますが」


 チャっと眼鏡を上げつつ、純粋に正木が答える。


「駄目え!」

「正木お前黙れ!」

「もう、なんでもいいからお掃除しちゃいましょうよ」


 緋夏が何度めかのため息を吐いた。


「しかし、まあ、掃除を手伝ってもらえるのはありがたいな。前任の先生はだいぶ……その、雑な人だったようだからな」


 と黒崎は部屋を見回す。


 スチールラックに乱雑に詰め込まれたプリント類や蓋の空いたままでカラカラに乾いてしまった油絵の具達、大小様々なサイズの描きかけの絵や完成した作品達、あとは美術書の類が押し込まれ、部屋の隅には画用紙に描かれた少女のラフ画が押しやられて山となっている。


「片付けできるような精神状態じゃなかったからなあ沼田先生……」


 京介はポリポリと頭を掻く。


「あ。ちょっと待ってくれ、まだ飯の途中だったんだ」

「あ、そうです! 私も一緒に食べようと思ってたんです!」


 と、晶は机においた自分の弁当箱を取り、にっこり笑う。


「うわあ可愛い! それ晶先生が作ったんですか!」


 時生は瞳をキラキラ輝かせながら黒崎のお弁当を覗き込む。時生のお弁当も美月の作ってくれたとても美味しそうなものだったが、彼女はキャラ弁というものを生まれて初めて見たので、しかもそれが今流行りのうさぴょ丸だったので、興奮と感動の混じった気持ちで弁当を見つめるのだった。


「うん、そうだよ。えへへ、先生喜んでくれるかなーって」

「別にこんな凝ったもの作ってくれなくてもいいんだぞ? 普通に弁当を作ってくれるだけでもありがたいというのに」

「えへへ。いいんですよ、私が作りたいだけですから」

「はっはっは。そんなこと言って、記念に写真撮ったりしたんじゃないですか?」

「とととと撮っとらんわ!」


 否定しながらも、つい、ささっとスマホをズボンのポケットに突っ込むのだった。


「と、撮ってくれたんですかっ?」


 晶が瞳をキラキラ輝かせる。

 その嬉しそうな顔を見ると、黒崎は、どうにも否定することができなくなり、


「……せ、せっかくだから……な……」


 頬を赤らめ、ぷいと顔をそらすのだった。

 そんな彼を見て、晶は嬉しそうに「えへへ、えへへ」とニヤニヤ笑うのだった。


 そんな二人を見、思わず時生は言う。


「お付き合いはしてないんだよねえ?」

「んー……晶先生の方はだいぶ懐いてるみたいだけど」


 緋夏はじとっと半眼で二人の様子を見る。


「まあ、黒崎先生ここに来てまだ二週間だし、さすがに付き合うのは早すぎるかと……」


 と京介。


「なんだか面白いことが起きそうでワクワクするな」


 はっはっは、と正木は笑う。


「性格悪いわねえ」


 緋夏は汚いものでも見るように顔をしかめて正木を見た。 

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