初めての、ハンバーガー
土曜日。
久しぶりのお出かけが楽しみで、晶は洗濯物を干しながらずっと上機嫌で鼻歌を歌っていた。
この日は朝から雲一つない晴天で、絶好のお出かけ日よりだった。天気予報では来週中には梅雨入りすると言っていたので、週末にこれだけ晴れる日はもうしばらくないかもしれない。
洗濯かごからシャツを取り出し広げてみると、それは黒崎の黒いTシャツだった。広げてパンと叩き、にこにこしながらハンガーに吊るす。その、自分の服に並んで少し大きな服がひらひらと風になびく様子が何だか不思議に思えて、晶はふふっと小さく笑うのだった。
そして何気なくキッチンの方を見た彼女は、大きな欠伸をしながら朝食の洗い物をする黒崎の姿を目撃して、ふふっと嬉しそうに笑った。
(一人じゃないって楽しいなあ)
黒崎は晶の支度を待つ間、ソファに腰掛けてぼーっとスマホを見ていた。
今日は一日晴れのようで、気温も少し高くなり湿度も高いらしい。晴れたのはいいが、高温多湿は勘弁してほしい──黒崎は後ろの窓を振り返り、ギラギラと照りつける太陽に威嚇されてうんざりした気分になった。
「夏は苦手なんだよなあ……」
ぐったりとソファにもたれかかり、今の間に部屋のクーラーを存分に味わっておくことにした。
(しかし今日は一日出かける予定だからな。頑張るか……)
ポケットから黒い髪ゴムを取り出し、慣れた手つきで髪を一つに縛る。
とその時。
「すいません、お待たせしました!」
自室から晶が出てきた。
待たせてしまったことを申し訳なく思っているのか、少し慌てた様子でパタパタと走り寄って来る。
「いや、別に待ってはいないぞ」
クーラーとの別れを惜しみつつ、立ち上がる。
「えへへ。じゃあでかけましょうか」
シンプルな水色のワンピースに夏用の白いカーディガンを羽織り、小さめのショルダーバッグを身につけている。夏らしく爽やかで、彼女によく似合っている。
「……かわいいな」
「へっ……!」
思わぬ言葉に驚いたのか、晶が目を丸くし、そして頬を赤らめる。そして照れ臭そうに、ちょっと嬉しそうに、えへへと笑う。
そんな反応もまた、可愛らしい。
「えへへ。先生もよくお似合いですよ。父の服、サイズぴったりでよかったです」
「いつか会うことがあったら礼と謝罪をせねばならんな」
「先生がうちに泊まってたなんてバレたら先生殺されちゃいますよ……」
「確かにな……」
「あ。髪くくったんですね」
「ああ。もう暑いからな」
「なんだかおしゃれでいいですね」
「そんなでもないだろう。そもそもファッションで伸ばしてるわけではないからな」
「そうなんですか?」
「……美容室が苦手なんだよ。アイツらベラベラ無駄にしゃべり倒して無神経に人のプライベートに踏み込んできた挙句に聞いてもいない自分語りをするだろう。もう、その、ザ・陽キャ感が苦手でな……」
トラウマをほじくり返され、真っ青な顔をしてわなわな震えだす黒崎。そんな彼を見て、晶はオロオロしだす。
「あああ落ち着いてください先生っ……!」
「へー高校の先生なんですかー。いーですねー毎日現役女子高生を生で拝めちゃうんでしょ最高じゃないすかー。えー先生手ぇ出したりしてないスよねえ、なーんちゃって☆……あの時私は人生で初めて殺意が芽生えたんだ」
「そんなに⁉」
「……元々美容室は苦手だったのだが、あれが決定打となってしまった……」
苦虫を噛み潰したような顔をして自分の後ろ髪を弄ぶ。
「なのでいつも自分で切り揃えている。って、そんな話はどうでもいいからとっとと出掛けるぞ」
「じゃあ今度から私が切りそろえてあげますよ。こう見えてそういうの得意なんですから」
「なんか恐ろしいな」
「失礼ですねえ」
晶は不満げに頬を膨らませた。
「じゃあ、まあ、機会があればな」
「はい! 任せてください!」
晶はにっこりと、自信満々に返事をした。
なんだか不安だなあ、黒崎はそう思ったが、敢えて口にはせずにおいた。
★
街に買い物に出たのはもう一月ぶりくらいだろうか。
元来人の多い場所が苦手な黒崎は、休日の人の多さに辟易してしまい、何一つ買い物をしていないのに今すぐ帰りたくなってしまった。が、隣の晶は人混みなど気にもしない様子でにこにこしながら歩いている。
足音、人の声、大型ビジョンから聴こえる流行りの曲、店頭モニターで延々と繰り返されるCM、エンジンの音やクラクションの音……何で都会はこんなにも煩いのだろう、黒崎は小さく息を吐き、雲一つない空を仰いだ。
「おい。迷子になるなよ」
「大丈夫ですよぅ」
「お前の大丈夫は信用ならん。昨日盛大にフラグ回収しただろう」
「き、昨日のはたまたまです! 今度は大丈夫ですっ」
「そうか。じゃあ、気をつけて歩くんだぞ」
「任せてください!」
黒崎は、小さくガッツポーズをする晶を横目に見ながら、彼女を置いていかないようにゆっくりと歩を進めた。数秒後、予想通り彼女が視界から消えた。
「幾ら何でもフラグの回収が早すぎるだろう」
人混みに飲まれて離れてゆく晶の腕を掴み、強引に引き寄せる。晶は涙目になり、ずーんと効果音が聞こえてきそうなくらいわかりやすく落ち込み俯いてしまった。
「そんな落ち込むことか」
「もう大人なのに迷子になるところでした……」
「あんまりこういう場所には来んのか」
「たまに瑠衣ちゃんと来ますよ。でも私が迷子になるので手を繋いで歩いてくれます」
「お前……ほんとよく今まで無事に生きてこれたな」
「はい。今まではお父さんと瑠衣ちゃんが私を守ってくれていました。けど、これからは、きちんと自立していきたいと思いますっ」
真剣な顔で宣言するも、晶の姿は光の速さで視界から消えてしまうのだった。黒崎はそんな彼女の腕を掴んで再び人混みから救い出し、仕方なく彼女の手を掴んで歩き出すのだった。
「はう! 昔少女漫画で見たシチュエーションです!」
「晶の行動がテンプレ通り過ぎるんだよ」
「えへへ。黒崎先生ってやっぱりお父さんっぽいですね」
「私はこんな大きな子供を持った覚えはない」
と、文句を言いながら歩いていると、ふいに晶が繋いだ手を持ち上げて、その手をじいっと見つめてきた。
「なんだ、どうした。って、ああそうか……すまん。さすがに嫌だな、こんなおっさんと」
「あ、いえ。黒崎先生の手って大きいなあと」
しっかりと重なり合った二つの手をまじまじと眺める晶の頬が、目に見えてわかるほど真っ赤に染まった。
よく考えれば今まで彼女は父親以外の異性と手を繋いだ事なんてなかったはずだ。だから、相手が十五も歳の離れたおっさんとはいえ手を繋ぐのは緊張するのだろう。
「昨日はお父さんとの約束を破ったこととか初めて夜に出歩いた事とかでドキドキしてて気づかなかったのですが……その、手……繋いでるんですよね」
「あー、嫌なら服の裾でも」
「いえ、全然嫌じゃないです! 嫌とかじゃなくて、その……手、繋いでるんだなあって」
「だから嫌なら無理しなくてもいいんだぞ」
「いえ、ですから、嫌とかではなくて。むしろ暫くこのままでもいいというか……なんでしょう、なんだか、よくわかりませんが、ドキドキします」
「まあ、今日は暑いからな」
「そ、そうですね」
晶はきゅっと、握る手に力を込めた。
黒崎は服装にこだわりがなく、いつもTシャツにジーパンか楽だからという理由でカーゴパンツを穿いており、今日も、手頃な値段だからという理由でウニクロというファストファッションの店を選んだ。
流行りのBGMが流れる店内は休日とあって親子連れやカップルが目立ち、体力を持て余した子供が目の前を駆け抜けて行ったりカップルがいちゃつきながら服を選んだりしていた。黒崎はそんな店内の片隅にある、数年デザインの変わらないシンプルな定番Tシャツがきっちり収められた棚から適当に何枚かひっぱり出してポイポイとカゴに放り込んだ。
「先生! これ! これかっこいいですよ、絶対似合いますって!」
晶は龍と虎が描かれた謎のど派手な和柄のシャツを二着も持ってきて、キラキラ目を輝かせる。
一方の黒崎はカゴいっぱいに似たような黒いシャツを放り込み、レジへ向かおうとしているのだった。
「って、全部同じじゃないですか⁉」
「私が何を着ようと関係ないだろう」
「どうせならこういうの着ませんか? すごく似合うと思いますよ!」
晶が謎のど派手な和柄のYシャツを突きつけてくる。
「私には似合わんだろう」
「似合いますよ! 私を信じてください!」
「昨日までコンビニ未経験だった人間が生意気に他人をコーディネートしようとするな」
「酷い! 酷い暴言です!」
「だいたいそんなもんどこに売ってたんだ」
「はい! ワゴンセールで五百円でした!」
晶は真夏の太陽のようなにっこにこの笑顔を見せる。
「それは売れ残って在庫が余りまくってる証拠だろうが!」
「みんなセンスがないんですよ」
「なんで自分にセンスがあると思うんだ」
「先生が買わないのなら私が買ってきます」
「絶対に着ないからな」
「一応ですよ、一応」
晶はえへへと笑い、小走りでレジへと向かう。
絶対に着るつもりはないが、彼女が楽しそうなので、買うのだけは許すことにした。
(絶対に着ないがな……!)
★
一通り下着や服を買い集めたので、今度はゲームセンターにやって来た。
ゲームセンターベガス──全国にチェーン展開しているアミューズメント施設で、よくアニメやゲームとコラボして限定のグッズを景品にしている。
1階部分は一般向けのキャラクターグッズ、2階はアニメやゲームのグッズ、3階はビデオゲームコーナーらしい。
店に入ると駆体から流れる安っぽい音楽と店内BGMが入り乱れ、更にそこに客の声も混ざってだいぶ賑やかだ。
店内は若いカップルや学生らしき若者の集団が多く、黒崎が失ってしまった眩しく熱いエネルギーがあふれ返っている。
「……灰になりそうだな」
「何故ですか⁉」
「なんでもない。……何かほしいものはあるか?」
「あ、あの! うさぴょ丸ありますかね! 目つきの悪いうさぎちゃんなんですけど!」
「うさぴょ丸?」
「はい。この子です!」
晶はゴソゴソとバッグからスマホを取り出すと、うさぴょ丸の画像を検索し、見せてきた。
白いうさぎはケープを被ってウエディングブーケを持ち、灰色の方はタキシードを着ている。
「これが、好きなのか?」
「はい! すっごくかわいいですよね!」
「そうか。ちゃんと、自分で好きと思えるものがあるんだな」
彼女は父親に何もかも決められ、生活を制限され、好きな物一つまともに選べない。そう思っていたが、きちんと、自分でハッキリと好きだと思えるものがあることに安堵し、無意識に、口元に笑みを浮かべるのだった。
「へ……?」
「ああ、いや。なんでもない」
「えへへ。実は去年、瑠衣ちゃんから誕生日に貰ったのがきっかけなんですよね。この子達を見た瞬間、体にビビビーって電撃が走ったような衝撃を受けました」
「そんなにか」
「その事を瑠衣ちゃんに話したら、それが好きって感覚だよって言ってくれて。それで、私、うさぴょ丸ちゃんだけはハッキリと好きって思えるようになったんですよね。あ、私の部屋、うさぴょ丸ちゃんのグッズ結構あるんで、帰ったら是非見に来てくださいっ」
えへへー、と嬉しそうに晶は話す。
その表情を見ていると、つい、無限にうさぴょ丸を与えてやりたくなる。
「よしわかった。今日はたっぷり景品をゲットするぞ」
「たっぷり!」
晶は興奮して瞳をキラキラ輝かせる。
「というか今うさぴょ丸フェアしてるらしいぞ」
黒崎は壁に貼られたうさぴょ丸フェアのポスターを指差す。うさぴょ丸五周年を記念して過去のプライズ商品を期間限定で日替わり復刻しているらしい。更にベガス限定衣装の景品もあるらしい。
「あああ! これ、瑠衣ちゃんに教えてもらいました! 一緒に行こうよって誘われたけど、お父さんとの約束破ることになるから断っちゃったんです……それでも一生懸命説得してくれたんですけど、やっぱり怖くて」
「……そうか……」
「瑠衣ちゃんに申し訳ないです……」
瑠衣という友達は晶を大切に想い、心配してくれているのだろう。だから晶は父親の言いつけを破ることができずに瑠衣の気持ちを無下にしてしまったことを申し訳なく思っているのだろう、萎れた花のようにわかりやすい程しょんぼり俯いてしまうのだった。
だから黒崎はそんな彼女の手を引いて、半ば強引に店の中を進んでいくのだった。
「だったら、今日のことを報告してやるといい。勇気をだしてゲームセンターに行ったと、コンビニにだって行けたんだと。だから今度、一緒に遊びに行こうと誘ってみたらいい。きっと喜ぶんじゃないか?」
「あ……」
「今度はその瑠衣という友人と、まだ行ったことのない場所に行ってみるといい。私と行くより遥かに楽しいだろうしな」
そう言って、黒崎はほんの少しだけ口元に笑みを浮かべる。すると晶は驚いたように目を丸くし、頬を赤らめ、じっと彼を見つめるのだった。
「どうかしたか?」
「あ、いえ! なんでもないです!」
「お。あれじゃないか?」
と黒崎は、店の奥、壁際にずらっと並んだ駆体を指差す。
壁には『祝! うさぴょ丸五周年!』と可愛らしく飾り付けられ、両端に灰色と白のうさぴょ丸のイラストが貼り付けられている。
よほど人気があるらしく、カップルや若い女性達が集まって楽しそうにわいわいしながらプレイをしている。そんな中に、晶も一緒とはいえ、38のおっさんが入っていくのはなかなか勇気がいる……黒崎は一瞬躊躇ったが、しかし、隣で晶が嬉しそうに瞳をキラキラ輝かせているのを見ると、躊躇いもどこかに吹き飛んでしまうのだった。
「すごい! すごいです! あれ全部うさぴょ丸ですよ先生!」
「あ、ああそうだな……」
「えへへ。早く行きましょう!」
晶は黒崎の腕にぎゅっとしがみつき、強引にグイグイ引っ張って歩き出した。
「おい、そんなに焦らなくても」
「だって、楽しいんですもん」
えへへー、と幸せそうな顔で笑う晶。
そんな彼女が可愛くて、思わずほんの少しだけ胸がくすぐったくなる。が、すぐにそんな気持ちを振り払い、真っ直ぐ前を向く。
到着してみると、ちょうど新登場のウエディングうさぴょ丸の筐体が空いていた。
「わあ! 可愛い! 先生、これどうやって取るんですか⁉」
「ちょっと待ってろ」
黒崎は尻ポケットから財布をを取り出し、小銭を確認する。だが生憎百円玉が1枚もなく、仕方なく両替することにした。
「すまん。ちょっと両替してくる」
「あ、あの。お金は私が払います」
「居候の身なんだ、このくらいさせろ」
「でも」
「じゃあ行ってくるからそこで待ってろ」
晶の言葉を遮って、黒崎はさっさと両替機に向かう。
何もかもをも失って行き場を失くした自分を嫌な顔一つせず受け入れてくれた相手に対し、山盛りのスナック菓子やクレーンゲームだけではまだまだ足りない。だから、無事に引越し先が見つかったら、改めてお礼をしようと考えていた。
両替機に3枚目の千円札を突っ込みながら、黒崎はそんなことを思っていた。
(取れるだけ取ってやるか……)
小銭入れが100円玉でパンパンになったのを確認して、両替をやめて晶のもとへと戻る。
すると。
「えーなになに? これ欲しいの? じゃあ俺らが取ってあげるよー」
「え。てか一人? 良かったら一緒に遊ばない?」
大学生風の若い男二人が躯体と自分達で挟み込むように晶の前に立ち、戸惑う彼女の様子など無視してしつこく誘い続ける。
「あ、あの困りますっ……! 今日は人と来ててっ……」
「マジ? じゃーさとりあえず連絡先交換しない?」
「今度一緒に飲みにいこうよぉ」
うまく断りきれないと踏んだのか、二人組は殊更強引にナンパを続けようとする。
黒崎はそんな二人の背後に立ち、ゆっくりと、頭を鷲掴みにするのだった。すると二人は小さくヒッと声を上げ、ゆっくりと彼を振り返る──そして彼がギッとひと睨みすると、悲鳴を上げてあたふたと逃げ出すのだった。
「まったく……。大丈夫か?」
すると、晶がぎゅっと胸にしがみついてきた。
「ふぃー……怖かったです……」
「ナンパ男は怖いんだな」
晶の肩を掴んで、ひょいと体を引き離す。
「はい。ああいう人達は優しくない気がします」
「私だって優しくはないぞ」
「えへへ。黒崎先生は優しいですよ」
「あんまり簡単に人を信じるものじゃない」
と、黒崎は五百円玉を投入口に入れ、さっそくクレーンを動かし始めた。それに気づいた晶はハッとし、筐体に張り付いてゲームの様子を見守った。
クレーンは灰色のうさぴょ丸をがっしり掴み、ゆっくりと持ち上げる……晶は嬉しそうに瞳を輝かせるが、しかし、クレーンが天井に到達した瞬間、その衝撃でぽろりと落ちてしまうのだった。
晶はわかりやすいくらいがっかりした表情を見せた。
「惜しかったですね」
「そりゃあな。一回では取れんよ。こういうのは運の問題でもあるからな。安心しろ、小銭はたっぷり用意してある」
「お、応援します!」
それから二人は何度も失敗を繰り返しては一喜一憂し、あれこれ作戦を練りながらプレイを続けた。途中で晶もゲームに挑戦し、むうっと真剣な表情で景品を睨みつけながら景品を狙うが敢え無く失敗、その後十回ほど挑戦し、なんとかクレーンから落ちずにゆっくりと取り出し口に運ばれて行き、二人は顔を寄せ合いハラハラしながらその様子を見守った。
そしてついにうさぴょ丸は取り出し口に落下するのだった。
「やったー! やりましたよ先生!」
うさぴょ丸をゲットして大喜びの晶が、黒崎に抱きついてくる。
「よし。白い方もゲットするぞ」
「はい! 頑張りましょう!」
こうしてウエディングうさぴょ丸や復刻うさぴょ丸等合計十体ほどぬいぐるみを手に入れ、晶はほこほこ満足気な笑顔を見せるのだった。
ウエディングうさぴょ丸は卓上サイズだが、その他に30cm超えのぬいぐるみが二つもあるので、一気に荷物が増えてしまった。
「えへへー、幸せです」
ハンバーガーショップのソファー席で、巨大なうさぴょ丸のぬいぐるみを抱きしめながら、晶は幸せそうに満面の笑みを浮かべる。
黒崎は無邪気に笑う晶を見て、連れて行ってよかったと思った。そして、そんな彼女を不覚にも可愛いと思ってしまうのだった。
すると、隣の席から、こそこそと話し声が聞こえてきた。
そちらに目を向けてみると、隣の席の四人組がチラチラと晶の方を見ながら、
「なあ、あの子すげー可愛くね?」
「うわ、ほんとだ。すっげえ可愛い……」
「てか乳でけー」
「え、あれ彼氏?」
「親父じゃね?」
「いや父親にしちゃ若いだろ」
そんな話をしていた。
が、黒崎が自分達を見ていると気づくと、慌てて目をそらして黙り込むのだった。
(昨日のナンパ男といい今日のナンパ男とといいこいつ等といい……コイツどんだけだよ。まあ確かに可愛いとは思うが……)
コーラを飲みながらじっと晶を見る。
それに気づいた晶は不思議そうにキョトンとした後、幸せそうに笑顔を見せてうさぴょ丸に頬を寄せた。そんな仕草もまた、とても可愛らしい。
「……アンタ、可愛いよな」
「ふえ⁉ な、なんですか急に!」
晶は動揺して頬を真っ赤に染める。
「いや、別に……」
「んもー。私そういうお世辞言われ慣れてないんですから。どう反応したらいいのかわかんないですよ」
「いやお世辞ではないが……」
「も、もーいいですってばっ」
晶は顔を真っ赤にし、うさぴょ丸で顔を隠した。
「それより早く食べましょう」
晶はうさぴょ丸を隣に置くと、紙に包まれたままのハンバーガーを両手で持った。そしてもの珍しげに一通り眺めた後、慎重に包み紙を剥がし始めた。
ハンバーガーにそんな反応を見せる人間も珍しいな、と黒崎は彼女の様子をついつい観察してしまう。
晶はちょこっとバンズをかじり、それから、意を決したようにぎゅっと目を瞑ってハンバーガーにかぶりついた。
「うまいか?」
「お、おいひいです!」
もぐもぐ咀嚼しながら、感動して天を仰ぐ晶。
「でも、お父さんとの約束破っちゃって申し訳ないです……」
「そのうち慣れるだろう」
と黒崎もハンバーガーにかぶりつく。
「あ、そうだ! 写真撮って瑠衣ちゃんに送らなくちゃ!」
と晶は食べかけのハンバーガーを置くと、えへへと嬉しそうに写真を撮った。
「写真撮ってやろうか?」
「本当ですか⁉ えへへ、ありがとうございます」
と晶はうさぴょ丸を抱きしめて無邪気に笑い、黒崎は自分のスマホでそんな彼女を撮影した。
「ん。送ったぞ」
「えへへー、後で報告しようっと。瑠衣ちゃん驚くかなぁ」
「ああ。きっと喜んでくれるだろう。で、この後はどうする? 予約していたゲーム機を取りに行く予定だが。他に行きたい場所があるなら先にそっちに行ってもいいが」
「えっと……うーん……」
と晶は人差し指を顎に添え、考える。
するとその時、晶のスマホからピコンと通知音が鳴った。
「あ、瑠衣ちゃんからです」
と友人からのメッセージを確認した晶が、キラキラと瞳を輝かせた。
「わあ、凄いっ……いいなあ、可愛い。行ってみたいなあ」
「んあ? どっか行きたいのか?」
晶の独り言をはっきりとは聞かなかったが、行ってみたいという言葉は聞こえた。なので指についたソースを紙ナプキンで拭きつつ聞いてみた。
「ふあっ? えと、いや、あのっ……」
「別にどこでもいいぞ?」
「ふぃ……や……あの、でも……えと、ほんとうにいいんですか……?」
スマホを口元に持ってゆき、真っ赤な顔でもじもじする晶。その反応を見るに、大人が行くには抵抗のある場所なのだと推測できる。恐らく子供向けアニメの映画でも観たいのではないだろうか。だがいい年した大人が子供向けアニメ映画を観たいなんて恥ずかしくてなかなか言い出せないのかも知れない。
「なるほどな。まあ、今時、大人でも抵抗なくそういう所に行ったりするぞ」
「へっ? そ、そうなんですか⁉ こ、恋人同士ではなくてでもですか⁉」
「ああ。友達同士でも普通に行くらしいぞ」
「せ、先生も……恋人さん以外と行ったりするんですか?」
「んあー……趣味の合う人間がおらんから行ったことはないな。さすがに一人は抵抗があるし」
もそもそとポテトを食べながら、ぼけーっと虚空を眺めながら答える。すると晶は不思議そうに小首をかしげた。
「趣味? あ、お部屋ですか」
「あ? 部屋? ……お前、なんの話をしてるんだ」
「あ……でも、やっぱり、さ……さすがにまだ早いかもしれません……あ、でも、行ってみたい……かな……」
「だから一体どこに行きたい……」
「……ここ……です……」
左手をグーにして口に添え、頬を真っ赤にして顔を逸らしながらスマホを見せてくる。
ピンクで統一された部屋にコッテコテの天蓋付きプリンセスベッド、天井にはシャンデリア──
「な、なんだこれは?」
「えと……ら、ラブホテル……だそうです」
コーラを飲んでいた黒崎は、それを聞いて、思わずむせ返ってしまった。
「行くか! そういうのは彼氏と行け!」
「あう! だ、だって友達同士でも普通に行くとおっしゃったから……」
「すまん。子供向け映画の話かと思ったんだ……」
「ああ、なるほど……」
晶は頬を赤らめたままスマホを口に添え、上目遣いでチラッと黒崎を見る。
「でも、凄く可愛いですよね」
「私と行っても何もすることなんかないだろう」
「何も……」
晶はちょっと虚空を見上げて何かを想像し、一気に顔を沸騰させるのだった。
「ああああああああ!」
「馬鹿者! 想像するなやめろ!」
右手をぶんぶん振り、晶の脳裏に浮かんだであろう卑猥な映像を消そうとする黒崎。
黒崎は片手で顔を抑え、疲れたように項垂れる。
「まったく……軽々しく男をそういうところに誘うものじゃないぞ」
「ごめんなさい……」
「それに、そういう場所に行きたいならホテルじゃなくても探せば他にあるだろう。今度友達に相談してみたらどうだ」
「はい、わかりました……」
「まったく……」
はあ、とため息をつき、コーラを一口飲む。
ぼんやりと、ベッドの上でガウンをはだけさせた晶が頬を赤らめながら切なそうに自分を見てくる姿が浮かんできた。
思わず想像してしまってから、なんだか恥ずかしくなって顔を押さえてうなだれるのだった。
「ちょっ……先生、今なにか想像しませんでした⁉ だめですよ!」
晶が勢い良く立ち上がって、黒崎の頭の上で両腕をブンブン振り回す。
「くっそ! 私は童貞の中学生か!」
「こ、この話は終わりにしましょう!」
「誰のせいだ……」
コーラを一口飲み、ポテトをもそもそ食べ始める。
ちらっと晶を見ると、彼女はにこにこと幸せそうにハンバーガーを食べていた。
「そんなに美味いか」
「はい! とっても!」
「そうか。どうせなら今度はもっといい店に行くか。話題の店とか、もっと美味い店に。って、そういうのは友達と行ってるか」
「えへへ。黒崎先生と一緒に行ってみたいです」
「流行りの店は親父さんも許してくれるのか?」
「一応許可を貰ってから行ってます。お店のホームページと口コミを確認した上で判断してるそうです」
「マジか……なんか、めちゃくちゃガラの悪い店に連れて行きたくなるな」
「うえええ⁉ い、行きませんよ⁉」
「冗談だ」
「でも。行ったことのない場所、もっとたくさん行ってみたいなって思います」
「ああ。これからはきっと、どこへだって行けるだろうな」
「えへへ。楽しみですね」
晶は無邪気に笑う。
そんな彼女が可愛くて、不覚にもほんの少しだけドキッとしてしまう。でも年齢差を考えたら彼女に特別な感情を抱くなんて有り得ないし、だから今のは気のせいだと自分に言い聞かせ、残りのコーラを一気に飲み干すのだった。
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