虚構と現実


 京介から連絡を受けた都筑は岡田と共に晴嵐高校の正面入口まで来ていた。

 なんとか校舎に入ろうとするものの扉には鍵がかけられており、大声で警備員を呼ぶも返事はない。


「もしかしたら警備員さんも捕まってしまったのかもしれませんね」


 岡田は困ったようにため息を吐く。

 その横で都筑は何度もオートロックに暗証番号を入力し続け、失敗してうるさくビービー音を鳴らしている。


「うちの学校、不審者対策で毎日暗証番号変わってるでしょうが。当番の人以外、暗証番号わからないでしょ」

「誰だよ当番!」

「私です」

「だったらとっとと入力してくださいよっ」

「とっくにやりましたよ。でも駄目だったんです。沼田先生が暗証番号を変えてしまったんでしょうね」


 と岡田は近くの花壇の側に置いてあった煉瓦を一つ取り、力任せに扉に叩きつけた。だが、ヒビどころか傷一つ入らず、そればかりか何故か侵入者を知らせるブザー音も鳴らなかった。

 

「最新鋭の技術を駆使して作られた超強化ガラスでしたっけね」


 都筑は苛立ちを隠せない様子でガラスを力いっぱいに殴った。


「うちの学校のウリの1つでしたっけね。学校案内のパンフレットにも記載されてましたし」


 と、正木は眼鏡をぐいっと押し上げる。


「あーそうそう。校長が誇らしげな顔して玄関扉の前に立ってたっけなあー……て、なんでお前らここにいるんだよっ?」


 都筑はやっと、いつの間にか正木と七瀬、緋夏がいることに気がついた。


「や。京介から連絡がありまして。心配なので来ました」

「友達の一大事に駆けつけないやつはいませんて」


 七瀬は頭の後ろで腕を組み、当然と言った様子で言った。


「私達は時生の友達なんですから。心配するのは当然でしょう」


 腕を組みじっと都筑の目を見ながら、緋夏が言う。 

 危険だから帰れ、と説得しても、きっと彼は一歩も引かないだろう。かと言って一緒に連れて行くのも危険だし、やっぱり帰すしかない───と都筑が考えていると、緋夏達三人は並んで地面に座り込んでしまった。


「おいこら!」

「絶対に帰りませんから」


 緋夏が真っ直ぐな目で都筑の目を見る。

 説得しても無駄だと理解し、都筑は盛大なため息と共に右手で髪をくしゃくしゃ掻き乱す。


「あーもー、わかったよ。その代わり、危険な事だけは絶対にするなよ」

「わかってますよ。それより本当にヒビ一つ入らないんですね、そのガラス」


 正木は煉瓦で必死にガラスを殴り続ける岡田に目を向ける。


「ああ。さっきも言ったとおり最新鋭の技術を駆使して作られた超強化ガラスだからな。トラックが全力で突っ込むとかしねえ限り割れねえんじゃねえか」

「マジかよ。じゃあどっかでトラック借りてくるしかないのか」


 と七瀬が言いかけたその時。

 車の騒がしい走行音が聞こえ、そしてそれはどんどんと近づいてきて……

 なんだ?と一同が校門を振り向くと、ギラギラとヘッドライトを照らしながらド派手なデコトラが三台、列を成して敷地内に侵入してきた。


「な、なんだあっ?」


 都筑は素っ頓狂な声を上げた。

 祭血夜マッチョと力強い筆文字で書かれたシートキャリアは電飾で飾り付けられ、ギラギラと何色もの色を放ち、サイドミラーは長く鋭い爪を持つ悪魔のようで、フロントパンパーは今にも地面をえぐりそうな程に厳つく、まるで怒り狂った鬼の様にさえ見える。そのトラックが、赤や青や紫、とかく様々な色を闇夜に放ちながら、向かってくる。

 トラックの荷台には鬼と天女が戯れる謎の絵が描かれ、それが後方に続くトラックの電飾に照らされ、官能的な雰囲気を醸し出している。


「な、なんだありゃあっ?」


 都筑が素っ頓狂な声を上げると、その答えを提示するようにトラックが停車し、徐に助手席の扉が開いた。ヘッドライトに照らされながら、誰かがゆっくりと降りてきた。ひょろっとして、大きいというより長いと言ったほうがいいシルエットが、都筑達の方に向き直る。


「って、京介っ?」


 七瀬がぎょっとして目を丸くする。


「お、おい阿賀波これは一体……」

「そこ、開かないんですよね?」

「あ、ああそうだけど……おい、まさかっ」

「父さん、やって!」


 京介がそう叫ぶと、運転席にいる筋骨隆々とした上半身裸の男がニヤリと楽しげに笑みを浮かべる。


「おう! 任せときな!」

「ちょ、ちょっと待てっ……!」


 しかし都筑の叫びも虚しく、トラックは全速力で走り出すのだった。


 都筑達は悲鳴を上げながら左右に散り、身を伏せる。と、激しい衝突音と共にガラスや下駄箱を薙ぎ倒し壁を破壊す轟音が響き渡り、コンクリートや木片、ガラス片が飛び散り荒々しく地面を転がってゆく。


 都筑は恐る恐る顔を上げ、背後を振り返る。

 そこには玄関扉を吹き飛ばして頭から校舎に突っ込んだデコトラが、下駄箱を薙ぎ倒して轢き潰し、更に廊下の壁に激突して止まっていた。


「だーっはっはっは! ちぃっとやり過ぎちまいましたかねえ! まあ、後で知り合いの建設会社に連絡して一晩でサクッと修理しときまさぁ!」


 京介の父・康介がトラックからひょっこり顔を出し、豪快に笑う。


 色々と問題はあるが、だが、結果オーライというか、これ以外の解決方法もなかったように思うので、都筑は康介を怒る事もできなかった。


「まあ、これで中には入れますし……今回の事は目をつぶりましょうか」


 岡田は自分に言い聞かせるようにそう言って、よっこらしょと立ち上がった。


「先生達は時生ちゃんの所に急いでください。こっちは俺らでなんとかしますんで」


 康介はそう言うと、バックでトラックを戻し始める。


「なんとかって」


 と都筑が聞きかけた時、遠くから、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。


「それじゃ、私も残りますよ。教師の私から事情を説明した方がいいでしょうし。それに今回の件、警察にも介入してもらわにゃきゃ我々だけでは危険な気もしますしね」


 岡田は面倒臭そうに、やれやれと後頭部を掻く。


「お前意外と大胆なんだなあ。どーすんだよコレ」


 と七瀬が京介を見ると、何故か彼は頭を抱えて俯いていた。


「ど、どうした京介?」

「いや、さすがにやり過ぎたかなと……」

「今更かよっ? いやもうやっちまったもんはしゃーねーだろ。いいからとっとと烏丸さん助けに行こうぜ?」

「う、うん。そうだね」

「ほら、今更後悔してないでとっとと行くわよ」


 と、緋夏は飛び散った破片を気にもせず踏み越えながら、校舎に入ってゆく。入り口扉は完全に折れ曲がって外れて床に転がり、木製の下駄箱は引き潰されて瓦礫と化し、そして砕けたガラスは床に散らばり月明かりに照らされて無駄に美しく煌めいている。


「あー、そうだ。一応、沼田先生の事も話しておいたほうがいいよな。行きながら聞いてくれるか」

「沼田先生の話、ですか?」


 京介が不思議そうに聞き返す。


「……沼田先生と、美海って女子生徒の話だ」

「美海……?」


 京介と正木はその名前に聞き覚えがあった。

 彼女は一体何者なのか、彼とどういう関係の人間なのか。二人は僅かに表情に緊張の色を滲ませた。


「ま、とりあえず行こうぜ」


 と都筑はひらひら手を振りながら、校舎に入ってゆく。それに続いて、京介達も校舎に入っていった。



   ★

 

 校舎の廊下の壁には生徒会からのお知らせや、写真部部員募集のポスター、美術部のコンクール入賞者の作品、食事の大切さと栄養について書かれた保健室からのお知らせ、様々な掲示物が昼間と変わらぬ姿で薄闇に紛れて眠っている。

 そんな、誰の声も物音もなくしんと静まり返った廊下に、革靴の無機質な靴音だけが響く。


 沼田は屋上に続く階段を上がり、ゆっくりと、鍵を開けた。そして重々しく扉を開くと、フェンスの向こう側にひんやりと広がる夜空を哀しげに見つめた。そしてゆっくりと歩を進め、金網に手を掛けた。

 

「美海。今度こそ、私をそちらへ連れて行ってくれるかい」


 その言葉に応えるかのように、夜風が沼田の耳元を通り過ぎる。それはまるで愛する彼女の囁きのようにどこか妖艶な冷たさを感じさせ、振り返れはそこに彼女が立っているのではないかと思わせた。しかし振り向いてもそこには誰もおらず、ただ無音の薄闇が広がっているだけだった。


 そんなのは、当然の事だった。

 なぜなら彼女は今、美術準備室で、愛しい男の帰りを待ってくれているのだから。



 一方、美術準備室の時生は、椅子に座ったまま窓の外に広がる夜空を不安げに見上げていた。すると再び京介からの着信があり、彼女は慌てて通話ボタンを押した。


「京介君っ……」

『おまたせ、時生さん。時生さんは沼田先生に気づかれると不味いから何も話さなくて大丈夫だよ。じっとそのまま、僕の声を聞いていてね』


 イヤホンを通じて、京介の優しい声が聞こえてくる。


「うん、わかった。あのね、今、沼田先生いないんだ。屋上のとびら開けに行ったの。でも部屋の扉が開かなくて逃げられなくて」

『そっか。でも心配ないよ、必ず僕が……ううん、僕達が助けるから』


 京介の言葉は力強く、彼の声を、言葉を聞くだけで胸を支配していた不安がほんの少し和らぐのだった。


「うん。ありがとう、京介君……」


 とその時、ゆっくりと近づいてくる靴音に気が付き、慌てて口を噤んだ。

 しばらくして、靴音は扉の前で止まった。ガチャリ、と鍵を開ける音が一際大きく静寂に鳴り響く。


 やや乱暴に扉が開き、沼田が部屋に戻ってきた。

 不安と恐怖と緊張に、時生は身体をこわばらせる。と、沼田は真っ直ぐに時生に近づいてくると、目の前に立ち、そして、繊細そうな細い指で時生の喉元に触れた。


「さあ、準備はできたよ美海。今度こそ、二人で幸せになろう」


 彼はとても優しい眼差しで時生を見つめている。けれど、その瞳はとても哀しい色をしていた。どうして彼がそんな眼差しを向けるのか、彼が今、その心に何を抱えているのか、時生には全くわからない。けれど彼女は彼に恐怖しつつも怒りの感情はなく、むしろ、彼のその眼差しにギュッと胸が締め付けられるのだった。

 彼がなぜこんなことをするのか、彼女には全くわからない。でも、何故か、彼のことを純粋な悪人には思えずにいた。きっと何か理由があるに違いないと、彼の哀しげな瞳に見つめられた彼女はそんなことを思うのだった。


 すると、その時だった。

 凄まじい衝突音が鳴り響き、校舎が揺れる───時生はイヤホン越しに聞こえた轟音に思わず顔をしかめて無意味に耳を押さえた。


「なんだっ?」


 沼田が慌てて窓の外に身を乗り出し、時生も顔を覗かせて外を確認した。

 すると、校門前に数人の人間と、ギラギラに飾り付けられたトラックが四台並んでいるのと、真下の正面玄関に同じく派手派手しく飾り付けられたトラックが突っ込んでいるのが見えた。

 散らばったガラス片がトラックの電飾に反射して星屑のようにきらめき、どれだけの勢いで校舎に突っ込んだのかを知らせてくれている。おそらくもう、扉は修復不可能な程潰れてしまっているのだろう……扉の様子が見えなくても、時生はなんとなく想像できた。


「くそ、突破されたか。行くぞ美海」

「え、で、でも」


 しかし戸惑う時生の腕を掴み、沼田は歩きだしてしまう。


 部屋を出ると、沼田は強引に腕を引きながら、一切振り返る事もなく足早に前へ前へと進んで行く。

 そんな彼に言葉をかけるタイミングもなく、きつく掴まれた腕を振り払える自信もなく、彼女はただ黙って彼についていく事しかできず、前へ進むばかりの彼の背中を不安げに見つめるのだった。


 時生はその不安を紛らわせる為に京介達の会話に耳を傾けることにし、そっと、イヤホンを押さえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る