大変だよ、京介君!


 放課後時生は別の社員に迎えに来てもらい、撮影スタジへと向かった。

 時生がスタジオに入るとすぐに何人ものスタッフが出迎えてくれて、まるでお姫様かのように持て囃してくれた。

 今回は十代女子に人気のファッションブランドの特集で、時生は表紙も飾る事になっている。


「いいよいいよ時生ちゃん! 最高だよ! いい笑顔だね! 可愛いねぇ! まるで天使だね!」


 カメラマンが大袈裟に声をかけながら何枚も写真を撮り、時生もそれに応えて最高の笑顔を見せる。

 そうして流行りの服を取っ替え引っ替えしながら何枚も何枚も撮影をし、やっと撮影が終わったのは夜の9時だった。


「お疲れ様でしたー」


 私服に着替えた時生は迎えに来ているはずの社員を探してキョロキョロとスタジオを見回してみるが、どこにも見当たらなかった。周りのスタッフに聞いてみても、誰も知らないという。


「うーん、困ったなあ」


 とスマホを取り出すと、事務所の社長から着信があることに気がついた。

 かけ直してみると、すぐに、若い女性の安堵した声が聞こえてきた。


『ああ、時生ちゃん? ごめんね、ちょっと手違いがあって誰も時生ちゃんの所にお迎え行ってないことにさっき気がついたのよ。本当にごめんね、うちの稼ぎ頭をこんな扱いしちゃって』

「いえ、全然大丈夫ですよ。もう遅いですし、迎えに来てもらうの申し訳ないんで自力で帰ります」

『なに言ってるの、危ないでしょ! いいからそこでおとなしく待ってて。すぐ私が迎えに行くから』

「大丈夫ですよ。私もう高校生ですよ? お姉さんなんですから、一人で帰れますって」


 と時生はえっへんと胸を張って威張ってみせる。


『そういう問題じゃないの! アンタアイドルでしょ! 万が一パレでもしたらどうするの!』

「大丈夫ですよ、ちゃーんと帽子かぶって帰りますから」


 危機感なんてまるでなく、さらっとそんなことを言う時生。彼女的には帽子をかぶっただけで変装しているつもりなのだろうが、そんなもので今をときめくトップアイドルの顔を隠せるはずもない。彼女を知らないという若者がこの日本にいるだろうか?  そう問われれば、誰もが、ノーと答えるだろう。彼女はそれだけの認知度と人気を誇っているのである。だが彼女自身はそれをまるで知らないかのように、分け隔てなく誰にでも平等に接し、そして誰にでも優しさを見せるのだ。それが彼女の長所でもあり、また、大きな欠点でもある。


『駄目ったらだめ! とにかくそこで待ってて』

「むうー。社長さんはすぐにそうやって私を子供扱いするんですからあ」


 時生はぷうっと不満げに頬を膨らませる。その様子を見て、誰が彼女を子供ではないと言うだろうか。誰がどう見ても、まだまだ子供の反応である。


「というわけで、今日は一人で帰りますね」

『えっ……ちょっと時生ちゃんっ……!』


 社長は何か言いかけていたが、時生はそれに気づかず電話を切ってしまった。

 世間一般的に見れば高校一年生なんてまだ子供である。しかし時生は、自分はもう高校生であり大人だから大丈夫だと思い込んでいた。

 何故危険な目に合わないと思うのか? それは、自分が高校生だから。根拠はそれだけである。


「うん! 今日は一人で帰ってお母さんと京介君を驚かせちゃうぞ! えへへ、鈴木さんもびっくりだね!」


 家族や鈴木が『凄いさすが! もうお姉さんだね!』なんて口々に賞賛する様を想像してにやにや笑いながら「お疲れ様でしたー♪」と明るく挨拶をしてスタジオを飛び出してゆく。

 そんな彼女の思惑など露知らず、スタジオのスタッフ達は「お疲れ様でしたー」と明るく返事をするのだった。


  ★


テレビのCMで時生が魅力的な笑顔を弾けさせながら炭酸飲料の宣伝をしている。何でもキャンペーン中で、ペットボトルのQRコードを読み取ると時生からの特別メッセージが見れるらしい。


「へえ。そういえば学校の自販機でもいつも売り切れてるなあ」


 美月が晩ごはんを作っている間、京介は家族の洗濯物を畳んでいた。普段から家の手伝いはきっちりする方で、洗濯物を畳むのも慣れたものである。ちなみに洗濯物を畳みながら夕方のニュースを見るのが日課でもある。


「今なら千人に一人! 添い寝しながらおやすみ&おはよう動画が手に入る! 君もどんどん買って恋人気分を味わっちゃおう!」


 ナレーションが大げさな抑揚をつけて叫ぶ。


「な、なんて悪どい商売なんだ……」


 このとき京介は、大人の汚さを垣間見た気がした。

 

「そういやこの前テレビでランダム握手券付きのCDの話やってたなあ。20人グループの中で誰の握手券が入ってるかわからないから毎回推しの握手券が出るまで買い続けて破産した人……しかも握手券、十枚に一枚の割合だったっけ」


 その話を思い出し、破産した人の気持ちや部屋に積み上げられた大量のCDを想像して思わずぞっとしてしまうのだった。


「アイドル怖い!」


 などと悲鳴を上げていると、


「えっ……時生ちゃんがっ? ええ、はい、はい、わかりました。こちらからも電話してみます」


 焦った様子の美月の声が聞こえてきた。


「どうかしましたか?」

「京介君……それがね、手違いで誰も時生ちゃんをお迎えに行ってなかったみたいで。時生ちゃん、一人で帰っちゃったみたいなの」

「ええっ? もし万が一時生さんってバレたらパニックになっちゃうんじゃ」

「それもあるけど、結構過激なファンもいるから心配なのよね。前に一度下校途中に後をつけられて襲われかけたことがあって」

「ええっ?」


 京介は思わず立ち上がっていた。


「それで学校の送り迎えは鈴木さんにお願いしているのよ」

「あ、あの! 僕、迎えに行ってきます!」

「わかったわ。何かあったらすぐ連絡ちょうだいね?」

「は、はい! あ、でも、今どこにいるんだろ時生さん」

「たぶん姫坂の撮影スタジオを出たばかりだからその辺りにいるはずだけど……GPSアプリ入れるのはやり過ぎかと思ってたけど、やっぱり入れておけばよかったわ」


 美月は冷静を装っているが、その顔には焦りと不安が滲んでいる。そんな彼女の様子を見て、京介も更に焦りと不安が募るのだった。


「とりあえず僕からも電話かけてみます。それじゃ行ってきます!」


 洗濯物を蹴散らしてしまった事にも気づかず、京介は慌ただしくリビングを飛び出していった。そんな彼の背中を見送った後、美月は不安げに表情を歪めてきゅっとスマホを胸の前で握りしめた。


 ★


「えへへ。やっぱり誰も気づかないじゃん。あの時みたいな過激ファンなんてほんの一部だろうし、みんな心配しすぎなんだよきっと。うんうん、きっとそうだよ」


 危機感なんて1ミリもなく、呑気に人混みを歩く時生。

 前だけを向いて歩き続ける者、ずっとスマホを見ながら歩く者、とかく誰もが周りの人間に無関心で、ほんの少しも時生に視線を向ける者はいない。

 と、時生は、アパレルショップのショーウィンドウの前でふと足を止めた。そこには水色を基調とした夏用のワンピースが飾られていて、ふわふわのフリルや白と水色の2色のハンドバッグ、それに水色の花がワンポイントについた白いハイヒールサンダルが時生の心を鷲掴みにした。


「うわあ! 可愛い!」


 ショーウィンドウに両手をついて、食い入るようにワンピースを見る時生。すると、バッグの中からスマホの着信音が聞こえてきた。


「んもー、お母さんは心配性なんだからあ」


 不服そうにぷうっと頬を膨らませ口先を尖らせ子供のような表情を見せながら、スマホを取り出す。が、そこに表示されていたのは母ではなく京介の名前だった。


「京介君だ!」


 時生は嬉しそうに笑顔で電話に出た。


「もしもし? どうしたの京介君?」

『どうしたのじゃないよ、一人で帰るなんて危険すぎるよ! 今どこ? 迎えに行くからそこでじっとしてて。や、やっぱりどこかカフェにでも入って待っててっ……』

「大丈夫だよ、こう見えて私もう私お姉さんなんだからね!」


 時生は自信満々にそう言って、


「京介君は心配しなくて大丈夫だよ。そうだ。家に帰ったら、一緒に映画観よ? スタイリストさんが面白そうな映画教えてくれたんだよ」

『うん、うん、わかったから。わかったから、僕が迎えに行くの待ってて、ね?』

「大丈夫だってば。もう、どうしてみんな私を子供扱いするのかなぁ」

『だって時生さん、ファンの人に襲われたことあるんでしょ?』

「確かにあるけど。あんなことするのはごく一部のファンの人だけだよ。それに襲われたって言っても私と恋人同士だと思いこんで浮気してるだろって怒鳴りつけてきただけだし」

『いや十分危ないよっ? だけじゃないよ!とにかく、迎えに行くから待っててっ……』

「大丈夫大丈夫。京介君は心配し過ぎなんだよ。それじゃ、また後でね」


 と電話口で京介がまだ何か言っているのを無視して電話を切る。


「……だって。いつまでも送り迎えしてもらってたら、みんなと帰れないんだもん」


 とショーウィンドウに視線を戻す。と、横に五歩ほど離れた場所に、二人組の女の子が立っていることに気がついた。

 二人はチラチラと時生に視線を向けながら、こそこそと「どうする? 声かけてみる?」などと話している。


(あ……ヤバい、これバレたかな……)

 

 時生は鍔を掴んで帽子を深くかぶると、足早にその場を立ち去る……つもりだったが、二人組は進行を遮るように前に立ち塞がり、興奮気味に声をかけてきた。


「あ、あの! 時生ちゃんですよねっ? 烏丸時生ちゃん!」

「あ、いや、私は違……」

「きゃー! やっぱりそうだ! あの! 私達とっきーのファンなんです! この間の新曲も最高でした!」


 興奮した二人組は周りの事も気にせず大声ではしゃぎまくり、そして、その結果周りも時生に気が付きざわつき始めるのだった。


「ちょ、あの、ごめんっ……」


 時生が困惑していると、時生に気がついた人々がスマホを片手にわらわらと集まってきた。

 さすがの時生もこれはまずいと慌てて走って逃げ出したが、しかし、周りはそんな彼女を放ってはおかない。

 走り逃げる彼女を追いかける者、写真を撮ってSNSに載せる者……あっという間に辺りは大混乱となってしまった。

 

どうしよう?

このまま電車に飛び乗っても大丈夫だろうか?

いや、もうSNSで情報が拡散されているはずだ。このまま電車に飛び乗ってもまた混乱を招くだけかもしれない。

 じゃあ、どうする?

 どうしたらいい?


 時生はひたすらに人混みを走り続けた。

 つまらなさそうにスマホを見る者、ただ前だけを向いて歩き続ける人々、そんな光景はもう、なかった。誰もが人混みを逃げる時生に注目し、スマホを片手に彼女を撮影する。

 息を切らしながら走り続け、しかし、このままではだめだと狭いビルとビルの間に転がり込み、ポリペールの影に背を向けて隠れた。

 必死に息を殺しながら、こっそりと群衆の様子を窺うと、誰も時生がビルの谷間に逃げ込んだことに気づいてないらしくスマホ片手にきょろきょろと辺りを見回している。

 時生はほっと胸を撫で下ろすと、四つん這いで路地の奥へと進んだ。その先がどこへ続いているのかわからないが、この場に留まっているよりは安全だと判断したのだ。

 そうしてしばらく進んだ所で、突然、目の前に何者が立ち塞がった。


「……やっと、見つけたよ」


 冷たい男の声に時生は小さく悲鳴を上げ、肩を震わせた。そして怯えながら恐る恐る顔を上げる。

 だが彼女はその声の正体に気づくや、ほっと、胸を撫で下ろすのだった。

 そこにいたのは、彼女のよく知る人物だった。


「沼田先生……」

「さあ、私と一緒に行こうか」


 沼田は口元にやさしげな笑みを浮かべながら時生に手を差し出した。

 時生は差し出された手をなんの疑いも無く取ると、ゆっくりと立ち上がった。


「あの。沼田先生、昨日から無断欠勤してるそうですけど、どうかしたんですか? 京介君もみんなも心配してましたよ?」


 しかし沼田は何も答えず、強引に時生の手を引いて歩き出すのだった。


「あ、あの沼田先生?」

「安心しろ美海。もう、お前を一人にはしない」

「え……あの、私は烏丸時生です」


 しかし沼田は彼女の言葉など聞こえていないかのように返事をせず、歩みを進める。


(どうしよう……なんだか様子がおかしいよ。京介君は悪い人じゃないって言ってたけど……やっぱり先生は怖い人なのかな……)

「あ、あの先生。私もう帰らなくちゃ」


 その言葉に返事をするように、時生の腕を掴む手にギリギリと力が込められる。


(やっぱりなんか変……。どうしよう、怖いよ京介君)


 時生はこの時やっと、きちんと周りの忠告を聞いておけばよかったと、後悔したのだった。だが今更後悔しても、既に遅かった。きつく掴まれた腕を振りほどく程の力もなくて、がむしゃらに抵抗して暴れる程の勇気もない。もし暴れて悲鳴を上げたら、何をされるかわからない。今の沼田からは、それ程の狂気が感じられた。だから時生は抵抗することもできず、彼に従って歩くしかなかった。



  ★


 強引にタクシーに放り込まれ、時生が連れて来られたのは、晴嵐高校の美術準備室だった。すっかり日が暮れて月明かりだけに照らされた薄暗い部屋の中には、描きかけの時生の絵が散乱し床一面を覆いつくしている。

 そして時生に似た、けれどもどこか彼女とは違う、眼球が真っ黒に塗り潰された不気味な少女を描いたキャンバスが五つ、不気味に佇んでいる。


「美海。ここで待っていなさい」


 沼田の表情は、とても穏やかだ。だがそれは時生に安堵を与えるものではけしてなく、逆に彼女は言いしれぬ不安と恐怖を感じていた。


「あ、あの、ここで何をするんですか?」


 時生は不安げに訊ねる。

 美術の授業で使う木製の椅子が、今日はやけに冷たく固く感じられた。


「こんな場所ですまないね。本当はもっと君にふさわしい場所を選びたかったのだがね、私にはもうあまり時間がないみたいでね」

「ふさわしい場所? 時間がない? ……あの、一体なんの話をしてるんですか?」

「ああ。君と一緒に死ぬための場所としてこんな場所はふさわしくないだろう。本当はもっと美しい花々の咲き誇る場所を用意したかったのだがね」

「し……死ぬため……?」

「でももう私には時間がない……そう……時間が……」


 沼田は右手で己の顔を押さえ、悔しげに顔を歪める。


「時々、現実と虚構の区別がつかなくなる時があってね。今、自分がどちらにいるのかわからなくなる時があるんだよ。最近は正気を保てている時間が短くなってきていてね……もうそろそろ、私は虚構に飲み込まれて消えてしまうだろう」


 そう言ってそっと、時生の頬に触れて来る。

 その眼差しは穏やかで、けれどとても悲しげで、口元に浮かべた笑みもどこか自嘲気味だ。

 時生はそんな彼を見て、ぎゅっと胸が苦しくなった。


(違う。先生はもう、現実にはいないんだ。先生の見ている世界は私の見ている世界と違うんだ)

「あの、先生」

「屋上の鍵を開けてくるよ。すまないがもう少し待っていてくれるかい」

「飛び降りるんですか……?」

「あの時みたいに喉を裂くより遥かにいいだろう。それに今度は私も一緒だ。何も怖くないさ」


 そう言って、時生の頭を撫でる。


(駄目だ。きっと説得しても今の先生には伝わらない)


 あの時。喉を切り裂く。

 それがなんの事か時生にはさっぱりわからなかったが、彼が既にもう現実の世界を見ていないということだけはハッキリとわかった。だから説得なんて無意味だし、もしかすると逆上して早々に殺されてしまうかもしれない。

 そう思った時生は疑問を口にするのをやめ、じっと彼の行動を見守ることにした。


「それじゃあ、行ってくるよ。屋上から落ちればちゃんと死ねるはずだよ。だから美海は何も心配する必要はないからな」


 そう言うと、沼田はもう一度優しく微笑んでから背を向けて、去っていった。

 時生は彼の足音が完全に聞こえなくなるのを待ち、それから急いで扉に駆け寄り扉に手を掛ける……が、扉はどれだけ力を込めてもびくともしなかった。

「鍵掛けられちゃってる……」


 扉から逃げるのは諦め、今度は窓に駆け寄る。事務机に登って鍵を開け、地上を見下ろす。だがその高さは飛び降りて無事でいられるようなものではなく、壁を伝って下に降りる事も考えたが、しかし万が一足を踏み外せば怪我どころでは済まないだろう事は明らかだった。その高さを目にした時生はこの場所が五階であることを思い出し、絶望のあまりがっくりと肩を落とすのだった。 


「どうしよう……私死んじゃうのかな、京介君……」

 

 そう口にした瞬間、時生はハッとし、急いで事務机から飛び降りてカバンに駆け寄り、スマホを取り出した。

 そしてすぐに、縋るような想いで京介に電話をかける。


「あっ……京介君っ」

「時生さん! 今どこにいるのっ? なんか七瀬君から『時生さんが新宿を爆走してる動画がSNSでバズってる』って連絡が来たんだけどっ?」

「あああやっぱり拡散されてたんだ……」

「それで今どこにいるの?」

「そ、それが……正体ばれちゃって大勢の人に追いかけられちゃってね、それでビルの谷間に逃げ込んだんだけど、そこに沼田先生が現れてね」

「沼田先生が? よかった、先生無事だったんだ」

「それが……なんだか様子がおかしくて」

「どういうこと?」

「私ね、今学校の美術準備室に閉じ込められちゃってるんだ」

「はっ? え、なにそれどういうことっ?」

「わかんない。でも先生私のこと七海って人だと思いこんじゃってるみたいで。それでね、なんか、先生その人と死のうとしてるみたいで……先生今、屋上の鍵開けに行ってるからその隙に逃げようと思ったんだけど扉は鍵かかってるしここは五階だし……。ねえ京介君、怖いよ。どうしよう」

『……大丈夫。僕が必ず助けに行くから』


 はっきりと、京介はそう言った。

 その声にはいつもの自信なさげな弱々しさはない。その声は力強く、まるで目の前にいてしっかりと手を取ってくれているような、そんな安心感をお覚えるものだった。


「うん。……待ってるね」


 京介の力強い声に安心し、ぽろっと涙が零れ落ちた。


『そうだ。時生さんイヤホン持ってる?』

「え? うん。持ってるけど……どうして?」

『うん。僕の声が聞こえてた方がいいでしょ? 電話繋いだままにしておくから、沼田先生にバレないように髪で隠しておいて』

「う、うんわかった」


 時生はバッグを探ってイヤホンを取り出し、耳に装着すると髪で耳を隠した。そしてスピーカー機能をオンにし、


「装着したよ京介君」

『そうだ。ちょっとやらなきゃいけないことがあるんだ。一旦電話切るね。大丈夫、またすぐに電話するから』

「うん、わかった。待ってるね」

『大丈夫。必ず助けに行くから』

『うん。信じてるよ』

『じゃあ、一旦電話切るね』


 そうして電話は切れてしまった。

 時生はスマホをぎゅっと胸に抱きしめ、心の中で「大丈夫、大丈夫。必ず京介君が助けに来てくれるから」そう言い聞かせた。



     ★


 もう既に夜も九時に差し掛かろうとしているにも関わらず、新宿西口駅前には相変わらず人で賑わっていた。目的もなく暇そうに適当に会話を続ける人や楽しげに腕を組んで歩くカップル、疲れきった顔で帰路につく会社員らしき人々……そんな彼らを街の灯が照らし出す。

 忙しなく流れる風景の中で一人立ち止まった京介は、どこかに電話をかけていた。


「……父さん、ごめん。ちょっと頼みたいことがあるんだ」


 京介の視線の先には、駅前でひときわ存在感を放つ大型ビジョン。そしてそこには歌い踊りながら笑顔を弾けさせる烏丸時生の姿があった。


 

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