変質者だよ、京介君
「ほれ。木漏れ日の宝石だ。500円だ」
ケーキ屋パラディンで店番を任されていた正木は、目の前にいる珍しい客に向かって笑顔一つ見せず接客をする。
珍しい客は悔しそうに真っ赤な顔をして必死に目を逸らしている。よほど彼の店でケーキを買うのが屈辱的なのだろう。
「なんで……貴方がここにいるのよ」
「なんでって。ここはウチの店だぞ、委員長」
「わかってるわよ、そんなこと! お父さんがよくここのケーキ買ってきてくれて、私もお気に入りだったのに。まさか貴方の家だなんてショックが大きするわよ」
緋夏はケーキを受け取りながら、反対の手で額を押さえて項垂れる。
「はっはっは。お買上げどうもありがとうございます」
「ムカつくわね……」
「それより委員長。塾の帰りか。もう7時半だぞ」
「ええ。分からない所があったから塾の先生に聞いていたのよ。真剣に教えてくれるものだからこちらもついつい時間を忘れてしまっていたわ」
「待ってろ。送っていってやる」
「いいわよ別に。そっちも仕事で疲れてるでしょ」
「この間朝礼で話があっただろう。最近ここら辺で変質者が出没してるって。自分だけは大丈夫などという考えは一番危険だぞ」
「ありがとう。でも私なら大丈夫よ、襲うならもっと可愛い子襲うでしょ」
緋夏はそう言うと、「ありがとうね」と、ちょっとだけ微笑んで、店を後にした。
「……無自覚か……」
★
いつもは7時には家に着いているのだが、今日は勉強に熱が入ってしまい帰宅が遅くなってしまった。腕時計を確認すると、もうすぐ八時に差し掛かろうとしていた。
家に連絡は入れてあるが、家族も心配しているだろう。
近道はあるにはあるが、だが、そこは人気のない公園だ。昼間は親子連れや老人、犬の散歩等で賑わっているが、夜ともなれば街頭も少なく、しかも変質者にはおあつらえ向きの茂みや植え込みも多い。
ちょうどその公園の前に差し掛かった緋夏は足を止め、思案する。
変質者が出たらどうする?
だが、私なんかを襲うだろうか?
今日、ここを通ったからって、確実に襲われるわけではない。自分が被害者になる可能性は低いように思う。だから、きっと大丈夫なはずだ。
緋夏は自分に言い聞かせ、勇気をだして公園に足を踏み入れた。
人気がなく静まり返った公園で聞こえてくるのは風と葉擦れの音、そして自分の足音だけだ。
やめた方がよかっただろうか。
一旦は引き返そうと思ったが、腕時計を確認し、その考えを改めた。連絡は入れたが、あまり遅くなると親が心配するだろう。
迎えを断った手前、やっぱり来てくれとも言い難い。
早く通り過ぎてしまおう。
緋夏は小走りで公園の出口へ向かった。
しかしこの公園は緋夏の入った入り口から反対側まで走っても10分は掛かってしまう。
春には花見、秋には紅葉を眺めながらピクニックが楽しめる、そんな公園だが、今はただ変質者の気配を感じているからか、不気味なだけである。無意識のうちに緋夏は走り出していた。
はあはあと肩で息をしながら出口へと急ぐ。
ふと、緋夏は、違和感を感じた。
自分の足音に重なって、もう一つ、足音が聞こえる。それは緋夏の足音よりも早く、そして、どんどん確実に近づいてくる。
緋夏は後悔した。
遠慮なんかせず送ってもらえばよかったと。
ちゃんと親に迎えに来てもらえばよかったと。
勉強なんて、明日、学校で誰かに聞けばよかったと。
そしてついに──
ガッ、と乱暴に腕を掴まれ、身体ごと後ろに引き寄せられた。
「いやっ……!」
小さな悲鳴を上げるも、すぐに片手で口を塞がれ、抵抗も虚しく荒々しく茂みの中に放り込まれてしまった。
顔は見えない。
全身を黒のパーカーで包み込み、フードを目深にかぶってマスクをし、長い前髪で目を隠している。
性別も、年齢も、わからない。
助けて
その一言が、出てこない。
叫びたいのに、恐怖で声が出ない。
不審者の右手が乱暴に緋夏の首を掴む。
五本の指がギリギリと彼女の細い首を締め付け、息を止めようとしてくる。
首の骨が折れるかもしれない。
そんな苦しみと恐怖の中、緋夏は、必死で足をばたつかせて抵抗を試みた。それでも相手は怯むことはなかった。
すると、不審者は、おもむろにパーカーのポケットからスマホを取り出すと、それを緋夏に向けてきた。どうやら緋夏の写真を撮ろうとしているようだ。
と、その時だった。
不審者が突然「ぐはっ!」と呻きながら、横に吹っ飛んだ。
緋夏はむせ込みながら、誰だか知らないが自分を助けてくれた相手に縋りたくて視線をそちらに動かした。
「待て!」
と、男──正木は、情けなくよろめきながら逃げる不審者を追いかけ、果敢にも背後から全力タックルをかまして転倒させ、取り押さえようと腕を掴む。が、その時、緋夏は見逃さなかった。不審者がポケットからナイフを取り出したのを。
「だめ! 正木君! 逃げて!」
緋夏の叫びと同時に不審者のナイフが正木の手を突き刺す。
「っぐあ!」
正木の手にナイフが突き立てられ、血が溢れだす。不審者はそのナイフを引き抜こうとし、だが、正木は相手の腕を掴んでそれを阻止する。
「正木君、もういいから!」
このままでは正木が殺されてしまうかもしれない。恐怖のあまり緋夏は悲鳴を上げていた。
「くそが!」
不審者が悪態をつき、とうとうナイフを諦めて手を離し、走り出す──と同時に、正木はナイフを引き抜き、相手の手に向かって一閃した。
ピッ、と、小指が切れて血が流れた。
だが不審者はそんなこと気にも止めず、全速力で走り去るのだった。
正木はハァハァと肩で息をしながら、緋夏を振り向く。
「大丈夫か、委員長」
「正木君!」
緋夏は泣きそうになりながら、正木に駆け寄った。その時彼女はようやく気付いた。彼がまだ、店の制服のままだということに。自分を心配して、着替える時間も惜しんで追いかけてきてくれたのだ。
「手……! どうしよう、怪我してるっ……!」
「このぐらい大丈夫だ」
「大丈夫なわけないでしょ! 救急車……警察も呼ばなくちゃ!」
「落ち着け。警察は俺が呼ぶ」
と、正木は警察に連絡すると、冷静に状況を説明し始めた。
「ごめんなさい……私のせいで怪我させてしまって……私が近道なんかしなければ」
緋夏はその場に座り込み、己の判断を悔やんできつく唇を噛み締めた。
「悪いのは変質者だ。委員長が気にすることではない」
「でも……」
その時緋夏は、あることに気がつき、慌てて周りを見回した。
そして、数メートル後方でケーキの箱がひっくり返っているのを発見した。しかも蓋が開いて中からケーキが飛び出してしまっている。木漏れ日の宝石という名に相応しい、シャインマスカットをふんだんに散りばめたクリームたっぷりのショートケーキだが、今はその宝石を辺りに撒き散らして地面にべったり張り付いてしまっている。
それを見て、緋夏は、ついに泣きだしてしまう。
「そんなに食いたかったのか?」
「違うわよ。私、正木君に怪我させて、おまけにせっかく作ってくれたケーキまで台無しにしちゃって……ほんと、馬鹿だわ……」
「ケーキを作ったのは親父だ。気にするな」
「おじさんに申し訳ないわよ。せっかく美味しく食べてもらおうと思って作ったでしょうに」
緋夏はボロボロ泣き続ける。
「まったく……」
正木はぽんぽんと緋夏の頭を撫でる。
「ほら、警察が来たぞ」
正木が緋夏の涙を優しく拭ってくれた。
「ん……」
緋夏は小さく返事をし、駆けつけた警察を振り返った。
★
正木が教室に入ってくると、クラスメイト達が僅かにざわめいた。
どうしたんだろう、と京介が顔を上げると、右手を包帯でぐるぐる巻きにした正木が歩いてくるのが見えた。
「うっわ! どうしたんだよ正木それ!」
頬杖をついてぼーっとしていた七瀬が飛び上がり、正木に駆け寄る。
「んー、あー、ちょっとな」
「ちょっとなって、お前な」
「変質者に襲われた私を助けてくれたのよ」
緋夏があっさり答えた。
再び教室中がざわめき、今度は緋夏に注目が集まる。
「おい委員長」
「いいのよ。別に何かされたわけでもないし。……貴方が助けてくれたお陰でね」
緋夏はちょっと照れ臭そうに、もじもじと毛先を弄りながら、ついと視線を逸らす。
「変質者って、こないだ朝礼で言ってたアレか⁉ 委員長大丈夫なのかよ」
七瀬が心配そうに緋夏を見る。
「ええ。私は怪我もなく無事よ」
「まあ、このお礼はたっぷりしてもらうがな」
正木は眼鏡をクイと押し上げる。
「ええ……なんでもするつもりだけど」
「ほう……なんでもか」
正木はキラリと眼鏡を光らせる。
何かよからぬ事を要求されるのでは。と、緋夏が少し警戒して身を固くすると、正木はシャっと両手を構え、何かを揉むようなジェスチャーを見せた。乳を揉ませろ、ということなのだろう。
緋夏は反射的に両腕で自分の胸を隠して怯えたように表情を歪めるも、すぐに、悔しそうな表情で俯き「わ……わかったわ……」と返事をするのだった。
再び教室中がざわめく。
だが乳揉みを要求した張本人である正木はまさかの緋夏の反応に硬直し、冷や汗を垂らすのだった。
「……助けてもらったんだもの……しょうがないわ……」
「い……いやいやいやいや! 待って委員長、さすがにコイツも本気でそんなこと要求しねえよ⁉ なあ正木⁉」
七瀬が慌ててフォローする。
正木も彼女の反応にどう返したらいいのかわからず硬直したままだ。
「や……やり辛い……」
と正木は緋夏の後ろの席でぼーっと自分達を見ている京介に気づき、謎のジェスチャーで「なんとかしてくれ」と頼むのだった。
何故かそれを理解してしまった京介は「なぜ自分が⁉」と驚愕するが、しかし、この気まずい空気を払拭するためには誰かが何かアクションを起こさねばならない──そんなことは京介にも理解できた。
「え、えと、委員長? えっと、あの、その、うん、あれは正木君なりの冗談だと思うよ? さすがに、そんな鬼畜なことしないと思うし……」
「そ、そうなのかしら……」
「そ、そうだよ。確かに正木君はエッチなことが大好きかも知れないけど、さすがに現実と虚構の区別くらいはついてると思うよ⁉ だから、えーと、うん、正木君は紳士なんだよ! 変態紳士ってやつ⁉」
「そうだぜ委員長、正木はこう見えて紳士なんだぜ⁉」
「……俺は紳士だ。信じよ」
正木は両腕を翼のように華麗に広げて見せ、自分が人畜無害の紳士であることをアピールしてみせた。
「わかったわ。……疑ってしまってごめんなさい」
「うむ。わかればよろしい」
広げた両手を何故かゆっくりと掲げ、神の如き厳かな佇まいを見せる。まるで新興宗教の教祖のようである。
とそこへ、
「おはよー! って、正木君、その手どうしたの⁉」
教室に入ってくるなり時生は声を上げ、一目散に正木に駆け寄った。
「例の変質者に襲われた私を助けてくれたのよ」
「緋夏ちゃん襲われたの⁉ 怪我は⁉」
「落ち着きなさい、私は大丈夫だから」
「身近な人が襲われると途端に怖くなるね」
時生は不安げな表情を見せた。
「まあなあ。阿賀波、ちゃんと烏丸さんのこと守ってやれよ?」
「え! あ、う、うんっ……」
急に話を振られ、京介はあたふた返事をする。
「なぜ、阿賀波君が?」
緋夏が不思議そうに首を傾げる。
「あ、いや、なんでもねえよ。ほら、隣の席だしさ。な、烏丸さんっ」
「うん! 隣の席だから、ね」
時生は京介を見、うふふ、と嬉しそうに笑う。
緋夏は不思議そうに眉をひそめた。
正木は1つ咳払いをし、
「とにかく、だ。しばらくは日が暮れてからの外出は控えたほうがいいと思うぞ」
そう言って眼鏡をクイと押し上げた。
「うん、わかった……」
「私もしばらく塾休むように言われたわ。烏丸さんも気をつけてね」
「うん! お互い気をつけようね!」
時生も真剣な目をしている。
彼女は鈴木に送り迎えしてもらうから安全だろうが、緋夏や他の女子はそうも行かない。このまま犯人が見つからなければいずれ何かもっと大きな犯罪に繋がってしまうのではないか、京介は不安を感じていた。
★
3時間目の美術の時間、授業の内容は石膏のデッサンだった。
生徒達は皆、気だるげに、やる気なく手を動かしていて、時折どこからか欠伸が聞こえてきた。
美術教師の沼田すら授業に身が入らない様子で教卓に頬杖をついて暇つぶしに美術史の教科書を読んでいる始末だ。
「ほお。さすがだな七瀬。実にリアルに描かれている」
正木は七瀬の画板を覗き込み、感心して小さく頷く。
「まあなー、中学ん時は美術部だったしな」
「わあ! 緋夏ちゃんの絵は個性的だね!」
時生は緋夏の画板を覗き込み、瞳を輝かせた。
「ちょ、ちょっと、勝手に見ちゃだめよっ」
緋夏は慌てて画板を抱え込んだ。
「はっはっは! 個性的、とは随分親切な言い方だな」
正木が笑い、
「どういう意味よっ。そういう貴方はどうなのよ」
緋夏が怒って、正木の画板に手を伸ばす。
「俺は右手が使えんので実力を発揮できていないだけだ」
ひょい、と、正木が緋夏のスケッチブックを奪い取る。
「あ、ちょ、ちょっと!」
そこには、ピカソも顔負けの個性的な石膏像……いや、もはや、それが目の前にある石膏像なのかも怪しい形状だ。
「……すまん……」
正木は申し訳なさそうに顔を逸らした。
「やめてよ余計に傷つくじゃない!」
「ねえ、阿賀波君のも見せて」
と時生がひょいと京介のスケッチブックを覗き込む。
「あ、いや、僕のは大したものじゃ……」
「うわあ! 上手だね! 凄いよ阿賀波君!」
「マジか。どれどれ?」
七瀬が京介のスケッチブックを覗き込む。
「はは、なんか随分かわいいなあ。なんかマスコットみたいだな」
京介の描いた石膏像は何故か画用紙の右下にちんまり控えめに、どこか寂しげな眼差しで遠くを見つめている。
「そ、そうかな……」
「阿賀波らしくていいんじゃね?」
「うんうん! らしくていいよ!」
時生は力強く何度も頷く。
「そういう烏丸さんのは随分はっちゃけてるわね」
「タイトルはアイドルの休日だよ☆」
時生が誇らしげに画板を頭上に掲げる。そこには石膏像マルスがウインクして舌を出して、ピースサインをしている姿が描かれていた。しかも頭のてっぺんには大きなリボンが飾られている。
「休日要素がどこにあるのかよくわからないけど……まあ、元気でいいんじゃないかしら」
「うんうん! 芸術に答えはないからね!」
などと騒いでいると、
「おい、お前らさっきからうるさいぞ。騒ぐなら出ていけ」
沼田が不機嫌に言い放ち、舌打ちをした。
確かに少し騒ぎすぎだったかも……京介はぎゅっと画板を抱え、時生は慌てて自分の席に座り直し、緋夏は冷静に石膏像に向き直る。
「はは、ちょっと騒ぎすぎたか」
七瀬は頭をボリボリ掻きながら苦笑いを浮かべた。
「しかし出て行けとは随分偉そうだな」
「まあ、俺らも騒ぎすぎたのが悪いしな」
「まあそうかも知れんが……」
と正木は沼田に目を向ける。
「ん……?」
その時正木は沼田の左手小指に絆創膏が貼ってあることに気がついた。
「どした正木?」
「いや……なんでもない」
正木はそう言うと、左手でデッサンを再開した。そんな彼の様子が若干気になりつつも、七瀬もすぐにデッサンに戻った。
★
授業が終わり、皆がやれやれと席を立ち始める。
七瀬がうんと伸びをし、その隣で正木は教室を出て行く沼田を目で追っていた。
「なー正木ぃ。今日購買部でプリンのセールやるって言ってたけどどうする?」
「すまん、私が作った方が美味い」
すまんその話は後で、みたいな感覚で話を終わらせると、正木はすぐに沼田を追いかけた。
「お、おい正木……?」
七瀬に呼び止められたがそんなことお構い無く、美術室を飛び出した。
廊下に出ると、ちょうど数メートル先で、落とした筆箱を拾おうとしゃがんでいる沼田を見つけた。
正木はすぐに彼に駆け寄った。
「なんだ、なにか用か」
「……いえ。その小指の絆創膏が気になったもので」
「これは昨日仕事をしていて紙で切ったんだ。それがどうかしたか」
「いえ、なんでもありません。失礼しました」
「ふん、くだらんことで私の足を止めるな」
沼田は舌打ちし、踵を返して去ってゆく。
そんな彼の後ろ姿を、正木は静かに見送った。
「おーい正木ぃ。沼田先生がどうかしたのか?」
「いや、なんでもない。気のせいだ」
「そう?」
「それより七瀬お前次の時間当たるんじゃなかったか」
「げ! そうだったやべえ!」
七瀬は頭を抑え、絶望に天を仰いだ。
と、そんな七瀬の後ろを、京介がそおっと通り過ぎる。
「あ。阿賀波ー、一緒に教室帰ろうぜ」
七瀬に呼び止めら、京介はビクッと肩を震わせた。
「え、いや、僕は……」
「あ、私も一緒に帰りたい! 緋夏ちゃんも一緒に行こー」
時生は美術室からひょっこり出てくると、緋夏の手を引いて京介に駆け寄った。
「ちょ、ちょっと烏丸さんっ」
「あ、いや、僕はひとりでも……」
「てかさー、英語の授業ダルくないか? 朝木先生ってすぐ海外自慢するしさあ。別にお前がどこで何食ったかなんか興味ねーっての」
「あら。私は興味深く聞いているわよ」
「朝木先生のインスカ凄いよ! セレブみたいなんだよ!」
「高校教師の給料がどんなもんか知らないけど、セレブは無理しすぎなんじゃねえの?」
「今はブランド品も安くレンタルできるみたいだしね。上手く活用しながらSNSを楽しんでるんでしょ」
「あ。インスカといえば阿賀波君の写真も凄く素敵なんだよ!」
時生がそう言った瞬間、京介は、ビクッと肩を震わせて硬直してしまった。
「ねね、みんなにも見てもらおうよ!」
「……ごめん……それはできない……」
「でも」
「ごめん、だめ!」
京介は激しい拒絶を示し、バッと背中を向けた。
が、すぐに、ハッとした顔を見せ、小刻みに震えながら俯く。
京介にとって、自分の大切にしている物事を他人に知られるというのは恐怖でしかない。誰かに知られて指を差されて笑われるくらいなら、誰にも見つからないようにずっとずっと抱きしめて守り続けたいのだ。
そう、絶対に、絶対に、誰かに触れさせてはいけないのだ。自分の大切なものを永遠に守り続けるために。
「ご、ごめん僕……」
「大丈夫よ阿賀波君。落ち着いて」
緋夏が優しく声をかける。
「う、うん。本当にごめん」
京介はその場から逃げるように、走り去って行った。
「私、悪いことしちゃったかな……」
「阿賀波君は昔から、あまり人に心を開こうとしないのよ。私もそんなに彼のことを知っているわけではないけれど、でも、いつも何かに怯えるように俯いては人を避けていたのは知っているわ。彼の過去になにがあったのかはわからないけれど、相当、傷付くようなことがあったんじゃないかしら」
「なんか、ほっとけねえなあ」
七瀬がぽつりと呟いた。
「何が幸せかは人それぞれだからな。みんながみんな誰かと仲良くできるわけではないし、それが幸せの正解なわけじゃない」
「なんだよ正木、随分冷たいこと言うな」
「相手がこちらを拒絶している以上、あまり無闇に近づかんほうがいいということだ。向こうもしんどいだろう」
「そりゃそうかもしんねえけどさ……」
「ああいうのは餌付けでじわじわ慣れさせるのがいいんだ」
「犬かよ……」
「人間不信の野良犬みたいなものだろう」
「あー……確かにそれっぽいけどよ……」
「はっはっは。安心しろ、餌付けなら得意中の得意だ。シュークリームだろうがマフィンだろうがババロアだろうがなんでも作ってやるぞ」
「本当の意味での餌付けかよ。そんなんでいけんのか?」
「ものは試しだ」
正木はクイと眼鏡を上げる。
「あの人はそんな単純じゃないわよ。たぶん、部屋の扉にカギかけて閉じこもってる状態だと思うわ」
緋夏が呆れ顔を見せた。
「……けど、なーんかほっとけねえんだよなあ」
七瀬はくしゃくしゃと頭を掻く。
「放課後寄り道して買い食いしてくだらない話してさ。そういうの、すげえ楽しいのにな」
「それは人それぞれだろう」
「なあなあ。久しぶりにメック行かねえ? 新作のバーガー出たよな」
「すまん。放課後は用事がある」
「ちぇー」
七瀬はつまらなさそうに口先を尖らせた。
一方時生は、自分の無神経さを悔い、ぎゅっと拳を握って俯いていた。
「仕方ないわよ。だって烏丸さんは阿賀波君のことまだよく知らないんだから」
「うん……」
緋夏はそう言ってくれるが、時生はやっぱり自分が許せないようで、深く俯いてギュッと固く手を握りしめるのだった。
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