じゃんけんだよ、京介君


 ペンギンコーナーや深海魚コーナー、企画展等を見て回り、イルカショーの最前列で飛沫を被ってびしょ濡れになった時生と康介が楽しそうに笑ってはしゃぎ、その後はアイスを買って食べ、最後はお土産コーナーを見て回った。何だかんだと気がつけば二時間が経過していた。

 久しぶりに楽しかったな、と京介は思った。こんなに楽しかったのはいつぶりだろうか? 記憶を辿ってみると、母・芙美が亡くなる前に家族で行った遊園地が最後だったかも知れない。もちろんその後も康介に遊びに連れて行ってもらったが、やっぱり、どこかで寂しさのようなものもあったのか心の底からは楽しめなかった。

 でも今日は不思議なことに、あの懐かしい子供の頃のような楽しさを感じていた。


「不思議だな……時生さんは他人なのに」


 ぽつりと京介は呟いた。

 人間は怖いもの。だから絶対に自分が大切にしているものを見せたくないし、触れさせたくもない。触れられたら傷ついて壊れてしまうから。だから一生ずっと、誰にも触れさせずに大切にしておきたかったのだ。

 なのに……

 スマホの中にはイルカショーで笑顔を見せる時生の写真がある。アイスを食べる姿、お昼ご飯を食べる姿、デザートのクラゲゼリーを食べる姿、気がついたら恥ずかしいくらい写真を撮りまくっていた。


「うん……さすがに撮り過ぎかな……」


 皆がトイレに行っている間、京介は広場のベンチで写真を確認していた。隣には時生が買ったお土産がどっさり置かれている。


「……僕、時生さんは平気なんだろうか……」


 独りごちながら適当に画像をスワイプする。と、時生が自分のパフェを京介に食べさせようとスプーンを差し出している写真が出てきた。

 写真を撮ろうとする京介に気が付き、いたずらで差し出してきたのだ。もちろん、食べなかった。

 なんだか恥ずかしくなって、慌てて画像をスワイプした。


「……七瀬君には酷いことしちゃったのにな……」


 ため息をつき、がっくりと項垂れる。


「ごめん京介君、お待たせー」


 時生がブンブン腕を振りながら走ってくるのが見えた。

 その後ろを康介と美月がのんびり歩いている。


「お帰りなさい」

「あ、写真見てるんだ。どんなの撮影した?」

「ごめん。僕、調子に乗って時生さんの写真撮影し過ぎちゃったよ。キモいよね……」

「な、なんで⁉ キモくないよ! あ、そだ! ねえ一緒に写真撮ろうよ」

 

 時生はサッと京介の隣に座り、グイッと顔を寄せて写真を撮った。


「えへへ、記念撮影だよ」


 よっぽど楽しいんだなあ

 時生は芸能人だし、仕事が忙しくて遊びにも行けてないのかもしれない。だからこんなにもはしゃいでいるのだろう。

 京介はそう思い、にこにこ嬉しそうに写真を確認する時生の横顔を眺めた。


 その後一同はプラネタリウムや薔薇が見頃の庭園を巡り、気がつくと時刻は夕方五時になっていた。


「さ、さすがに疲れたね。父さん明日大丈夫?」

「子供がそんなこと気にすんなって。言ってるだろ、俺ぁ体力だけが取り柄なんだってよ」


 康介は鍛え上げられて岩のようになった腕を見せつけてきた。

 確かに彼は一日歩き回った程度で倒れる男ではない。それでも、京介はやっぱり心配なのだ。


「お前こそ大丈夫か? 今日は珍しくはしゃいでたじゃねえか」


 康介は笑いながら、ぐしゃぐしゃと乱暴に京介の頭を撫でる。その彼の表情は、なんだかとても嬉しそうである。


 康介とこうして遊びに出かけたのは、もう何年ぶりだろうか。

 親子で一緒に出かけられて、康介も嬉しいのだろう。彼の表情から、それがひしひしと伝わってくる。

 京介も、同じ気持ちだ。

 だから、父が自分と同じ想いだとわかって、嬉しかった。


「……うん。楽しかったから」


 なんだか少し照れくさい。

 でも、嬉しい。

 はしゃいでしまったのは、父と一緒に遊べたからだ。

 昔のように母の不在を寂しがることもなく、一緒に楽しめたから。気まずい思いをすることもなく、父と遊べたから。それはきっと時生と美月がいたからかもしれない。彼女達がいてくれたから、また、康介と楽しく遊べたのかもしれない。

 自分は父と遊べたことが嬉しいのだ。

 そのことに気づき、京介は照れ臭そうに笑うのだった。


 そんな二人を見、時生と美月は顔を見合わせてふふっと笑うのだった。


「それじゃ、そろそろ晩ごはん食べに行きましょうか」


 美月が軽く手を叩く。


「はいはーい! 私、焼肉!」

「お、いいねえ。京介は何が食べたい?」

「えっと……僕は……なんでもいいよ」

「遠慮すんなって。自分の意見はちゃんと言わないと損するぜ?」

「そうだよ京介君! 自分の意見は大事だよ!」

「時生さんは焼肉食べたいんじゃ……」

「それは私の意見だよ。京介君の意見も聞いて、みんなで相談するの」

「そ、そっか……えーと、じゃあ僕は……」


 京介はうーん、としばらく考えてから、


「ラーメン、かなあ」

「お、いいねえ」

「よーし、それじゃあじゃんけんだよ京介君!」


 時生は気合十分と言った様子で右腕をブンブン振り回す。


「え、結局じゃんけんで決めるの」

「じゃんけん!」

「じゃ、じゃんけん……!」




    ★


「んんー! 豚骨ラーメンは最高だよお、京介君!」


 時生は恍惚とした表情で豚骨ラーメンを啜っている。

 夕食時の店内は京介達が入ってちょうど満席になったようだった。男達の楽しげな笑い声やラーメンを啜る音で店内は賑わい、カウンター席では常連達と店主が軽口を 叩き合っているのが見える。何のラーメンなのか、むせ返るようなニンニクの匂いが店内に充満している。


「うん、美味しいね。醤油ラーメンも最高だよ」

「俺のニンニクマシマシスタミナキムチラーメン鬼盛り辛味百倍メガマックスも美味いぜ。京介も頼めばよかったのに」

「いや……それは明日大変なことになるからいいや……」


 匂いの正体は目の前にいたのか。

 京介は思わず鼻を摘みたくなった。


 とそこへ、


「あん? よう、阿賀波ー……と、家族で出かけてたのか」


 都筑が通りかかった。

 隣には晶もいる。


「あー、っと、京介と時生の担任の」


 康介は箸を置き「息子達がお世話になってます」と深々と頭を下げた。美月も二人の方に体を向け、丁寧に頭を下げた。


「ああ、ああ、そんな畏まらなくてもいいですって。それより阿賀波、今日は家族で出かけてたのか?」

「あ、はい。えと、今日はみんなで水族館へ……」


 と、京介が、少しだけ笑った。

 都筑はそれを見逃さず、彼がちゃんと家族で仲良くしていることに安堵した。


「そっか、よかったな」

「わあ、よかったね、楽しかった?」


 晶も隣でにこにこしている。


「ところで先生達はデートですか?」


 時生はど直球な質問をした。


「こら時生ちゃん、失礼でしょっ」

「いーんすよ、デートは事実ですから」

「んもー! 違います、デートなんかじゃありません! 見回りでしょう!」


 晶は怒って腕をぶんぶん振り回す。

 照れ隠しというより本気で否定しているようだ。


「見回りって、なんかあったんスか?」


 康介が訝しむ。


「んあー、実は昨日うちの女子生徒が何人か夜道で変質者に襲われる事件がありましてねえ。明日朝礼で注意喚起するんですけど、とりあえず、しばらくの間は夜は教師総出で見回りすることになりましてね」

「へえ、そりゃまた物騒ですね。被害はどんな感じなんで?」

「それが、夜道で押し倒されて顔写真撮られるって感じで、何が目的なのかいまいちよくわからなくて」

「なんだか気味が悪いですね」


 時生は不安げに京介の袖を掴んだ。


「性的な被害はないものの、被害にあった女子生徒は精神的ショックで部屋から出れなくなっちまいましてね。警察も動いてくれてはいるんですけど、なかなか証拠が掴めないらしくて。烏丸、お前も気をつけろよ」

「は、はい……」

 時生は不安げな表情のまま、小さく返事をした。





 襲われて恐怖に歪んだ顔なんて撮って何の意味があるのだろうか。どうせ撮影するなら笑顔の方がよくないか? それともそういう性癖なのだろうか。

 何度考えても京介には全く理解ができなかった。

 家に帰り風呂も済ませ、さっぱりした所で今日一日の楽しかった出来事を反芻しようと思っていたのだが、ベッドに転がった京介の頭に浮かんできたのは事件の事だった。

 考えても仕方ないのはわかっているが、もし時生や委員長が襲われたら、という不安が頭を過るのだ。

 そんな不安など露知らず、腹の上で猫のマルコが気持ちよさそうに寝息を立てている。


「早く犯人捕まるといいなあ」


 呟いて、手探りでスマホを掴み、電源をつけた。


 カメラロールには今日一日の楽しい思い出が詰まっている。クラゲ、魚、ペンギン、イルカショー……

 康介と美月と時生の楽しそうな様子も何枚も収められている。


「今日は久しぶりに楽しい一日だったよ。マルコはどんな一日だった?」


 マルコに独り言のように話しかけるが、当然、返事はない。それでも京介は満足だった。


「あ、時生さんからメッセだ」

『今日は楽しかったね、京介君。おやすみ☆』

『うん、おやすみなさい。僕も楽しかったよ』


 京介が返信すると、時生の自撮り画像が送られてきた。今日がよっぽど楽しかったとわかるほど、緩みきった笑顔を見せている。


「うん。やっぱり笑顔の方がいいよね。そうだ、時生さん今日の写真インスカに載せたのかな」


 と、気になって見てみると。


『今日は家族で水族館に行ったよ☆クラゲパフェ美味しかったー♪』


 というコメントと共に、クラゲの水槽、ペンギンコーナー、イルカショーの他にパフェをすくって京介に食べさせようとしている写真が載せられていた。


『うわー! かわいい! デートなうに使ってもいいよって奴かな!(古』

『とっきーとデートしてるみたいでドキドキしちゃうね///』

『最高の写真! なんだか彼氏気分になっちゃうよ~』

『とても素敵なお写真ですね。まるで僕も時生さんとデートしてるみたいな気分になります』

『ああー!とっきー可愛いよとっきー!』


 絵文字をふんだんに使った明らかおじさんのコメントや、女の子らしき人のコメント、若い男性のコメントなどがずらっと寄せられている。

 そのコメント達を見て、京介は胸が痛んだ。

 その写真を撮ったのは京介で、時生は京介に向かってスプーンを差し出しているのだ。

 その事実を思うと京介は申し訳無さで胸が痛くなるのだった。


「罪悪感が凄いよ時生さん……」




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