クラゲだよ、京介君


 時生は素顔がバレないようにと、長い髪をまとめて帽子を目深にかぶり、サングラスを掛けていた。服装もTシャツにハーフパンツにパーカーという、テレビやネットで見るようなアイドル全開の時生からは程遠いボーイッシュな服装をしている。


「うおー、すげえな! 幻想的じゃねえか」


 一際大きな康介の声は、周りの注目を集めるには充分すぎた。京介は焦り、あたふたしながら康介に注意した。


「と、父さん、しーっ」

「あっはっは! #悪ぃ悪ぃ__わりぃわりぃ__#」

「もー、恥ずかしいんだから……」


 京介はため息をついた。


「ねね、京介君。すごいね、海の中にいるみたいだよ!」


 時生が水槽に張り付いている。

 クラゲコーナーはトンネル状になっており、左右はもちろん天井まで水槽になっているため、時生の感想の通りまるで海の中にいるような気分になる。

 クラゲコーナーは薄暗く、明かりは水槽から漏れる淡い光だけだ。青い水槽の中を様々な種類のクラゲが所狭しと泳ぎ回り、その様子はまるで満点の星空のようだ。

「うん、すごいね。クラゲってこんなに綺麗なんだ……」

「ねー、神秘的だよね」

「うふふ、ロマンチックねえ。時生ちゃん、お写真撮ってあげましょうか? インスカ載せるでしょ?」


 美月はそう言いながらスマホを取り出す。



「うん! あ、じゃあ京介君も一緒に撮ろうよ!」

「い、いや、僕と一緒に写っちゃマズイよ……」

「いいのよ京介君。インスカ用にまた別で撮るから、二人で記念撮影しましょ」

 

 美月はそう言うが、先日のフォロー事件と言い、気をつけないと時生なら堂々と写真を載せる危険性がある。まあ、さすがに、彼女もそこら辺は弁えていると信じたいが……

 信じたいが、多少の不安はある。


「うん! 撮ろう撮ろう!」

「ただし」

 

 美月はにっこり笑いながら、ぴしゃりと言葉を遮る。


「京介君と一緒に写った写真は絶対にインスカに載せないように、ね? これは京介君のためでもあるんだから、ね?」


 笑顔ではあるが、彼女からは思わず背筋がゾッとしてしまうほどの圧を感じる。背後に仁王像が見えた気がするが、気のせいだろうか。


「だ、大丈夫だよ今度は気をつけるからぁっ」


 時生は泣きそうになっている。

 この間のフォロー事件も少しネットがざわついたものの、誤フォローだろうということですぐに落ち着き、とくに京介のアカウントにも影響はなかった。だが一般人とのツーショット写真が流出したら、炎上必至だろう。再婚相手の連れ子だと説明しても、同級生の男の子とひとつ屋根の下で暮らしてるというだけでファンの心中は穏やかではないはずだ。

 それどころか学校でも嫉妬に狂った男共に嫌がらせを受けるかもしれない。想像しただけでゾッとする。


「と、時生さん! やっぱり僕は一人で映るよ!」

「がっはっは! いいじゃねえか、せっかくなんだし一緒に撮りな」


 人の気も知らず康介が豪快に笑う。


「うんうん! そうだよ京介君、ほら、一緒に撮影してもらお!」


 時生に強引に腕を引っ張られ、水槽の前に立たされる。

 

「えへへ、記念だよ、記念」


 時生は京介の腕にぎゅうっとしがみつき、満面の笑みを浮かべている。


「ちょ、ちょっと時生さん近っ……」

「はーい、じゃあ二人とも笑ってー」

「えへへ、京介君、笑顔だよ笑顔っ」


 笑顔ってどうするんだっけ?

 京介はとりあえず、できる限り、自分の思うような笑顔を作ってみせた。が、その後、美月に送ってもらった写真を見ると、笑顔とは程遠いひきつった顔がそこにはあった。

 目は前髪で隠れて見えず、口元は釣り針で引っ張られたように不自然に釣り上がり、背景の水槽も相まってなんかもう水の底から生まれた魔物のようになってしまっている。一方の時生は完璧なまでに可愛らしい笑顔を見せている。さすがアイドルだ。


「時生さん。僕は沼に還るべきなのかな」

「なんで沼に⁉」


 落ち込んだ京介の意味のわからぬ独り言に時生も戸惑いを隠せない様子である。


 その後、時生はスマホでクラゲの撮影を始め、その様子を見て京介も写真を撮り始めた。


 蒼く照らされた水槽の中をふわふわと泳ぐ様は幻想的で、どこを切り取っても美しい写真となった。

 まるで銀河のようだ、と、京介は夢中でシャッターを切り続ける。

 そんな彼の様子に気づき、時生がちらりと横目で彼を見る。

 彼の目は前髪で隠れて見えない。でも、彼が目の前の光景に心奪われているのは一目瞭然だった。

 感動のあまりぽかんと口を半開きにしながら何枚も写真を撮影する京介。そんな彼を、時生が嬉しそうに眺めている。


「なあ、この先もっと凄いらしいぜ」


 康介がパンフレットを確認しながら前方を指差す。


「床も水槽になってるんだとよ」

「わあ! 凄いね京介君! 行こう行こう!」


 時生が腕にしがみつき、強引に引っ張って歩き出す。


「わわ、時生さんっ……!」


 時生に強引に引っ張られ、次の部屋へと連れて行かれた。

 先程までの薄暗い部屋を抜けると、そこには、色とりどりのライトに照らされた水槽が広がっていた。左右、天井、そして床……全面ガラス張りの部屋の中、視界いっぱいにクラゲが漂っている。


「うわあ、凄いねえ! まるでクラゲさんに包み込まれてるみたいだよ!」

「う、うん凄いね」

「ねえねえ、写真撮ってもらっていいかな」

「あ、うん。わかった」

「えへへ、それじゃよろしく!」


 時生は小走りで水槽の前まで行き、笑顔で京介を振り返る。



 蒼く照らされた水槽を泳ぐクラゲ達。

 無邪気に笑う時生。

 周りにも客はいるはずなのに、京介の視界は彼女だけしか認識できなかった。……いや、他の人間なんてどうでもよかったのだ。ただ、彼女だけを見ていたいと思ったのだ。

 心臓が早鳴る。

 京介は今まで感じたことのない衝動が心の奥から突き上がってくるのを感じていた。

 

 時生を撮影したい。


 そう、はっきり感じた瞬間に、京介はシャッターを切っていた。


「どう? 可愛く撮れたかな」


 えへへ、と笑いながら、時生が駆け寄ってくる。そしてスマホを覗き込み、わあっ、と感嘆の声を漏らした。

「あ、えっと、どうかな」

「うんうん、いいと思う! 京介君て写真撮るの上手だね!」

「あ、ありがとう……」

「ねえねえ。よかったら私のインスカ用の写真撮ってもらえないかな」

「え……あ、うん。別に構わないけど」

「やったあ! じゃあ、これから、いつでも自由に撮影していいからね」

「って、待って、それって時生さんの日常を撮影するってこと?」

「うん、そうだよ。あ、別に強制じゃないからね? 今だ! って思った時、撮りたいなって思った時に撮影していいよってことだよ。許可取る必要ないから、好きなだけ撮影していいよ。要するに、京介君は専属カメラマンだね!」

「い、いいのかなあ。隠し撮りみたいで罪悪感があるよ」

「許可してるんだから隠し撮りじゃないよ」

「それはそうだけど……」

「ね。それよりクラゲ見ようよ」

 

 時生は京介の手を掴むと、強引に引っ張って歩き出した。


 康介と美月はそんな二人を少し離れた場所から微笑ましそうに眺めていた。


「なんか安心したぜ。新しい家族が増えて京介の奴ストレス溜めてねえかなって心配してたんだよ」

「そうねえ。普段は平気そうな顔してるけど、居づらくないかしらっていつも心配してたのよ。でも楽しくやってるようでよかったわ」

「とはいえ、もっとちゃんと話聞いてやらねえとなあ。普段から仕事にかまけてロクに話も聞いてやれてねえからなぁ」

「そうね。私も二人のこともっと気をつけてみておくわ。なにせ年頃の男女だもの。間違いを起こさないとは限らないものね」

「ははは! 京介に限ってそりゃあねえよ」

「あら。どうしてそんなことが言えるのかしら? 京介君だって男の子なのよ?」

「いやまあ、そりゃあそうなんだけどよ。けどなあ、京介がなあ」

「なんにせよ、気をつけるに超したことはないわ? ね、康介さんも、二人のことちゃんと見ておいてね」

「ん。わかった」

 

 二人は京介と時生に目を向ける。

 時生は楽しそうに笑顔を見せ、京介は戸惑いがちに彼女の話を聞いている。

 そんな二人を、康介と美月は優しく見守るのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る