保健室だね、京介君

 休憩時間になると男子も女子も一斉に時生の席に集まってきた。


 遠慮というものを知らないのか、次々に質問が飛んできて、流石に彼女も少し困った顔を見せている。


 そして誰もが京介の存在なんて忘れて彼の机ごと時生を降り囲んでいるのだから始末が悪い。そんな状況に京介は恐怖と居心地の悪さに胃の痛みを感じて深く俯いているが、当然、周りはそんなことお構いなしだ。


「ねえ、芸能界ってどんなとこ?」

「ねえ、セクミの拓海君に会ったことある!?」

「なんで芸能界入ろうと思ったの?」

「ねえ今度歓迎会やりたいんだけど予定どう?」

「ねえねえ、シャンプー何使ってるの?」

「ねえねえ、よかったらメッセ交換しない?」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問に時生も困り果て、それでもなんとか作り笑いを浮かべて当たり障りなく質問に答えていた。


 だがそんな状況を見兼ねた緋夏が、助け船を出してくれた。


「烏丸さん。校舎の案内をするように都筑先生に頼まれているんだけど、今大丈夫かしら」

「あ、うん! 大丈夫だよ! ありがとう!」


 時生は出された助け舟に全力でしがみつき、すぐに、緋夏の手を掴んで教室を飛び出していった。


 助かった、と京介は安堵する。


 だが、周りからは、ぽつりぽつりと不満が漏れ始める。


「なんだよ五条のやつ。委員長だからって張り切りやがって」

「なんかさ、五条さんてちょっと空気読めないよね」

「だよな。顔は可愛いけど性格がなあ」

「ていうか、自分のこと特別だと思ってるんじゃない?」


 クスクスと女子が笑い、男子は苛立ちを隠せない様子で文句を言う。


 そんな状況に、京介の胸がグッと締め付けられた。


 まただ。


 あの時と同じだ──


 京介の脳裏に幼い頃の緋夏の姿が過る。


 男子生徒に責められ、泣き、女子生徒からも腫れ物扱いされて孤立していた彼女の姿が。



 なんで

 私が悪いの?

 


 あの時、彼女は泣いていた。


 誰にも守られることもなく、笑われ責められたった一人で戦いながら。


 理由は確か──男子生徒が掃除をサボって遊んでいたのを注意したとか、そんな他愛もない理由だった気がする。


 それを注意した彼女が男子生徒からか「いい子ぶるな」「ウザい」等の言葉を浴びせかけられ、普段から彼女をよく思っていなかった女子生徒からもクスクス笑われだしたのだ。


「──あの! 別に! 五条さんは何も悪くないと思うよ!」


 あの時も、無意識に叫んでいた。


 誰もが予想打にしなかったことだろう。


 クラスでは浮き気味で誰も気にも止めない、なんなら存在すら忘れているような人間が突然声を上げたのだから。


 机を取り囲んでいたクラスメイト達がぎょっとした顔で京介を見る。


「は……え、なに、阿賀波って五条のこと好きだったりすんの?」

「マジかよ。いや流石にちょっと気持ち悪くね?」

「えー、阿賀波君てそうなんだ。あー確かにあの子いっつも阿賀波君に話しかけてるもんね」

「なんだよそれで惚れちゃったって感じ?」

「いや流石に単純過ぎんだろ」


 机を取り囲むクラスメイト達がくすくすと京介を嘲笑う。


「ち、ちがっ……僕は別にそんなんじゃ……」


 と京介が弁解しようとすると、


「おい西崎。お前、この間貸したAVの感想をまだ聞かせてもらってないんだが?」


 突然ぬっと正木が現れ眼鏡をクイと押し上げながら、場の空気を読まない発言をした。


「はっ? な、なんのことだよお前っ……!」

「まさか貴様ら忘れたわけではあるまいな。この私からこっそりとAVを借りたことを。そう、私は貴様らの性癖を全て把握しているのだ。これが何を意味するのかわかっているな?」


 正木は虚空をグッと握りしめ、眼鏡をキラリと光らせる。


 彼の発言にその場にいた男子生徒達がうろたえ始める。


 どうやらこのクラスの男子生徒は全員正木からAVを借りた経験があるらしく、つまりそれは、性癖どころか借りたAVの恥ずかしいタイトルまで把握されてしまっているということで……そんなものをバラされたらある意味での死が確定してしまう。


「ちなみに、誰がどのタイトルを借りたのか──1つ残らず全てこの端末に保管している」


 正木はスマホを取り出し、メモ機能を開いて突きつけてみせた。そこにはクラスメイトの名前とともに目を覆いたくなるほどに卑猥なタイトルがずらりと並んでいた。


「お、お前っ……脅しのつもりかよ! なんなんだよ、何が目的だよっ?」

「バラされたくなければ二度と阿賀波にちょっかいを出さんことだな」

「あ、あのな、こんなんちょっとした冗談だろっ?」

「西崎一郎──4月25日、爆乳家庭教師の淫乱課外授業………」

「うわああああああああああああ!」


 西崎は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。


「お、おい西崎っ……!」

「加藤洋太──5月1日、親が海外出張に行ったので生意気な妹に催眠術を掛けて……」

「うわああああああ!」


 西﨑に手を伸ばしかけた加藤が、頭を抱えて膝から崩れ落ちた。


「加藤お前確か妹いたよな……嘘だろ………」


 男子生徒達がドン引きしてどよめき始める。妹がいないなら夢を見てしまうのも仕方がないかもしれないが、実際に妹がいるのに妹物に手を出すというのは多少なりとそういう願望があるからなのだろうか。だとすればこの加藤という男、相当ヤバイやつなのでは。


 その場にいる誰もがゾッとし、後ずさりした。と同時に、下手に正木に歯向かってはならないことが確定した。


「てか男子サイテー」

「きも過ぎる……」


 女子生徒が軽蔑しきった目で男子生徒達を見る。だが、正木はそんな彼女達に対し、


「女子共よ。お前達もだぞ」

「は? あたし達は別にアンタに何も借りてなんか」

「悪いがこのクラス全員のSNSアカウントは把握済みだ。当然、女子共の裏アカもだ」


 と正木はスマホを操作しだす。


「そ、そんな脅し信じるわけ無いでしょ!」


 そう行った次の瞬間、スカートのポケットでスマホが震えた。女子生徒はハッとし、恐る恐る通知を確認───捨て垢からメッセージが届いていた。開いてみると、たった今撮影された自分の写真が送られてきていた。


「なっ………!」

「誰がどんな投稿をしているのか、全部把握しているのでな。俺に逆らわんほうがいいぞ。エロ垢、愚痴垢、人に知られては困るものばかりだなあ」


 正木は眼鏡を押し上げ、ポチポチとスマホを操作する。


 コイツに逆らったらダメだ。 


 その場にいる誰もがそう思い、無意識に後退りした。そして、何事がブツブツと文句を言いながら立ち去るのだった。


「あ、ありがとう正木君……すごいね、なんだかストーカ……ハッカーみたいだね」

「弱みは握っておくに超したことはないからな」

「そ、そうなんだ……」

「それより阿賀波、大丈夫か? 顔色悪いぞ」


 と、七瀬が心配そうに京介の顔を覗き込む。


「あ、うん大丈夫だよ。ありがとう。僕人が苦手だからちょっと疲れちゃって。ごめん、ちょっと休んでくる」


 京介はそう言って逃げるように立ち上がる。が、歩きだそうとした瞬間、目の前がぐらっと歪み、歩こうとしているのに足が進まず気がついたらその場に座り込んでしまっていた。


「うわ! おい大丈夫かよ!」

「ご、ごめん……大丈夫……」

「いや大丈夫じゃないだろ……いいや、一緒に保健室行くわ」

「いや、でも、そんなの悪い」

「こんな顔色悪いやつ放ったらかしにできるかっ! 阿賀波は人に気ぃ使いすぎなんだよ。みんな他人に迷惑かけたり頼ったりしながら生きてんだよ、だからそんないちいち気にすることないと思うぜ? 特に俺と正木は何も気にしないタイプの人間だからな、こんくらいのことで迷惑だとか思ったりしねえよ。むしろ目の前で無理される方が迷惑っつーか……まあ、心配になるから、きちんと頼ってほしいんだよ」


 そう言う七瀬の表情は、どこか呆れた様子にも見えた。


 七瀬と正木のことはよく知らないし、他人というだけで恐怖心を抱いて警戒してしまう。けれども、京介は、自分を助けてくれたばかりか体調まで心配してくれる二人に対し、警戒したり恐怖心を抱いてしまうことに罪悪感を感じていた。


 二人はきっと他のクラスメイトと違って自分を笑うこともしなければ気持ち悪いと思ったりもしないのだろう。それでも京介は、申し訳ないと思いつつも、二人に対する警戒心が拭えずにいた。


 他人に心の中を覗かれたくない。土足で踏み込まれたくない。そうされることが怖くて、もし、二人が自分の心を無遠慮に覗き込もうとするならば、きっとその時は臆病な野良犬のように二人を傷つけてしまうかもしれない。


 もちろん暴力は振るわない。でも、最悪な言葉を口にして逃げ出すかもしれない。


 近づいてほしくない。


 覗かないでほしい。


 大事に抱えている物に触れないでほしい。


 それなのに、二人の優しさに怯えてしまうことに申し訳無さを感じる。


「あ……ありがとう。でもごめん、僕、一人で大丈夫だから」

「いいから無理すんなって」


 七瀬が京介の腕に触れようとする。


 だが、京介は、反射的にその手を弾いてしまった。


 しまった。


 自分のしたことに驚き、硬直する京介。


 だが七瀬は、


「いいから。怖がらなくて大丈夫だから。お前には悪いけど、俺はお前が心配なんだよ」

「あ、ありがとう……」

「よし、じゃあ行くぞ。正木、悪いけど次の時間コイツ欠席って先生に伝えといてくれるか」

「了解した」


 正木はクイと眼鏡を押し上げた。



    ★



 七瀬に付き添われて保健室へとやってきたが、生憎、養護教諭の神滝晶の姿はなかった。人っ子一人おらず、部屋は静まり返り、開け放たれた窓から吹き込んだ風が緩やかにカーテンを揺らしているだけだった。


 仕方ないので勝手にベッドを使わせてもらうことにし、靴を脱いで布団の中に潜り込んだ。


「ま、そのうち戻ってくるだろ。別に薬とかいらないだろ? それとも吐き気とかあるのか?」

「あ、いや、吐き気は大丈夫……えと、本当にありがとう……」

「そか。まあ、ゆっくり寝ときな。じゃ、俺戻るな」

「うん。あの、ありがとう」

「何回ありがとう言うんだよ、そんなの一回で充分だって」


 七瀬はふっと吹き出し、可笑しそうにクスクスと笑った。


「ごめん……」

「あーもー、なんで謝るかなあ」

「ご、ごめん……何回もお礼言っちゃったから」

「お前面倒くさい奴だなあ」

「ご、ごめ……」


 ごめん、と言い終わらぬうちに手で口を塞がれてしまった。


 驚いて七瀬を見ると、何故か真剣な目をしてじっと京介を見つめていた。


 何か彼を怒らせるようなことを言ってしまっただろうか? 


 不安になり、また、ごめんと言いそうになった……が、口を塞がれているためそれが声として口から漏れることはなかった。


「ごめん禁止な」

「ふぐっ……?」

「俺と正木と委員長に、ごめんは禁止だ。破ったらラーメンおごりな。絶対だからな」

 

 七瀬は楽しそうに笑う。


 その笑顔はまるで親しい友達に見せるような、そんな屈託のない笑顔だ。


「んじゃ、もう行くな」


 七瀬は軽く手を上げ、京介に背を向けた。

 すると、


「あら。ごめんね、ちょっと校長先生とお話してて」


 カーテンが開き、晶がひょっこり顔を覗かせた。


「うわ! あ、晶センセ!」


 七瀬は大袈裟なくらい動揺し、あたふたしながら二歩ほど後ろに下がった。


「阿賀波君、大丈夫?」

「あ、はい。少し目眩がして。それで七瀬君が付き添ってくれたんです」

「そっかー、ありがとね七瀬君」

「あ、いやあ……まあ、普通に心配だったから」


 七瀬は照れ臭そうにポリポリと頭を掻いた。


「七瀬君は体調大丈夫? 困ってることとかない?」

「あ、はい。俺は全然大丈夫ですよ。なんなら元気すぎるくらいです。妹達もいるし体調崩してなんかいられないですって」


 七瀬は両手を腰に当て、ふんぞり返って元気アピールをする。


「そっかそっかぁ。うんうん、元気なのはいいことだね。でも、困ったこととかしんどいことがあったら我慢せずに言ってね? あ、そうだ。この間美味しいハーブティー貰ったんだけど飲む? いっぱいあるから妹さん達の分も分けてあげるね」

「やったあ! 妹達喜ぶなあ。ありがとうございます!」

「うん。ちょっと待っててね」


 晶はそう言うと、すぐにカーテンの向こうに消えていった。


「へへ、晶先生優しいなあ」


 七瀬はそっとカーテンの隙間から晶の様子を覗く。幸せそうな、くすぐったそうな、嬉しそうな、なんだか不思議な──けれど、それがすぐに、七瀬の晶に対する特別な感情の現れなのだということはすぐにわかった。


「……七瀬君って神滝先生のこと好きなの?」

「はっ?」

「あ、いや、ごめん! なんでもないごめん!」


 京介は慌てて両手で口を塞いだが、もう遅い。七瀬は真っ赤な顔をして頭を掻きながら、恥ずかしそうに顔を逸らしてしまった。


「あ、あの、本当ごめ……」

「や、別に謝ることじゃねえって。てかお前、変なとこで勘がいいよなあ」

「そ、そうかな」

「このこと、お前の他には正木しか知らないんだからな。絶対誰にも言うなよ?」


 照れ臭そうに笑いながら、人差し指を口に添える。


 なんだかわからないけれど、京介は、胸がくすぐったかった。誰かが誰かに恋をしているのを見るのはこれが初めてかもしれない。好きとか恋とかそんな感情はまだ京介にはよくわからないけれど、でも、それが人にとって、とても特別で大切な感情であることは理解できた。


 人が人を好きになるということは、きっと、とても幸せなことなのだろう。けれど、人に触れられるのを恐れる京介にとってそれは未知の感情のように思えた。 


 自分もいつか誰かを好きになる日が来るのだろうか?


 一瞬そんなことを考えたが、すぐに心の中でもう一人の自分が首を振った。


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