ドキドキするね、京介君

「よーぉ、ちぃっとベッド貸してくれや」


 晶が机に向かって仕事をしていると、同僚の教師が気だるそうに保健室に入ってきた。

 

 年齢は45歳。髪は寝癖が目立ち、無精髭も目立つ。スーツはいつも着崩れていて、彼がまともにそれを着ている姿を見たことがない。


「んもー、ここは体調の悪い生徒さんのための場所ですよ。元気な先生が寝ちゃだめですよぉ」


 晶は頬をぷうっと膨らませた。


「相変わらず小言が多いねえ。いいじゃねえか、これから騒がしくなるんだし、つかの間の平和を味わわせてくれや」


 そう言ってその教師・都筑春樹は晶の言葉も聞かず勝手にベッドに寝転がる。


「先生こそ相変わらずいい加減なんですから。ちゃんと阿賀波君と烏丸さんのこと見ててあげてくださいよ」

「俺がそんな信用ならねえか? これでも真面目に教師やってんだがなあ」

「信用はしてますよ。ただ、今回はちょっと特殊じゃないですか。周りの生徒さんにも与える影響が大きいですし、色々と問題も起こってきそうですし」

「まあなんとでもなるだろ。イジメに暴力万引きに薬で補導、こっちも面倒ごとは慣れてっからな」

「教師って大変なんですね」

「何他人事みたいに言ってんだ、お前もこれからだぞ。もうあの頃とは違うんだからよ」

「わかってますよ。これでももう23歳ですよ? いつまでも学生気分じゃありませんから」 


 晶は頬を膨らませてふんぞり返る。


「23ねえ」


 都築は苦笑する。


「むう。なんですか、先生から見たらまだ子供かもしれませんが今の私はもう立派な大人ですよ」

「はは、違ぇねえ」

「もうっ、本当に思ってるんですか? もう担任と生徒じゃなくて、対等な大人なんですからね」


 晶はすねた顔して口先を尖らせる。


 と、その時、扉の向こうを生徒達が慌ただしく走っていくのが見えた。


「マジかよ! 絶対嘘だろ!」

「本当だって! 今あっ君からメッセ届いたんだって!」

「うわー! ヤベーよ、めっちゃ興奮してきた!」


 男子生徒の興奮しきった声が聞こえてくる。何人もの生徒達が保健室の前を走り過ぎていき、その足音はしばらく途切れることはなかった。


「うーん、今日は先生方大変そうですねえ」

「あー。そんでよ、阿賀波のこと、俺も気をつけるけどお前も気ぃつけてやってくれな」

「はい、もちろんです」


 晶は得意げに微笑んだ。



     ★



 その頃、学校の門の前では、大混乱が生じていた。生徒の登校時間真っ只中に高級そうな車が一台門の前に乗り付け、そして、その異様な光景に誰もが目を奪われていると、その車の扉がおもむろに開き、一人の美少女が姿を表した。そう、烏丸時生である。


 生徒達はざわめき、興奮を抑えきれずに絶叫する者、愕然として口を開いたまま固まる者、慌ててスマホを向ける者……反応は様々であった。


「本当に、お一人で大丈夫なんですか? 職員室まで一緒についていきたいのですが」

「大丈夫ですってば。担任の都築先生から、クラスの委員長さんがお迎えに来てくれるって聞いてますし」

「それはそうですが……」

「鈴木さんは何も心配いりません、任せてください!」


 晶は得意げな顔をして鼻をふんすと鳴らした。だが、大丈夫と言われても、既に時生の登場に絶叫し謎に地団駄を踏む者、鼻血を垂れ流す者、写真を撮影しまくる者、と、彼女が登場しただけでこの有様なのだから、心配するなと言う方が無理な話である。


 するとそこへ、


「……おはよう、烏丸さん」


 と、冷静な少女の声が聞こえた。


 時生が声の方を向くと、そこには、顔立ちの整った少し気の強そうな目をした少女が立っていた。緋夏である。


「おはよう、はじめまして! 貴方がクラス委員長の五条さん?」

「ええ、そうよ。マネージャーさん、烏丸さんのことは私が責任持って職員室まで送り届けます。だから安心してください。あと、妙な輩が集ってこないようにきちんと見張っておきます」

「そうですか……少々心配ではありますが、まあいいでしょう。時生さん、何かあったら必ずすぐに私の方に連絡してください。いいですね」

「わかってますよ。本当、鈴木さんは心配性なんですから」


 全くもう、と時生は呆れてみせる。


「それじゃ行きましょう。いつまでもここにいたら混乱が収まらないわ」

「うん! それじゃあ、また放課後よろしくね、鈴木さん」

「はい。くれぐれも気をつけて」

「はあい。じゃ、案内して五条さん」


 時生は緋夏の手を取り、パッと走り出した。


「ちょ、ちょっと烏丸さん、走ると危ないわよ」

「えへへ、平気平気ー」


 緋夏の注意も聞かず、時生は嬉しそうに走り続けた。そんな二人の背中を見送りながら、鈴木は不安げにため息を吐くのだった。

 




 一方その頃教室では、京介が校門の人だかりを不安げに眺めていた。時生が車から降りてほんの2分程の出来事だ。あっという間に彼女の周りに生徒達が集まり、大騒ぎとなったのだ。



 その様子を見ながら、京介は、今後の学校生活に一抹の不安を感じていた。もし彼女とひとつ屋根の下に暮らしていることがバレたら大騒ぎ、最悪厄介な奴らに目をつけられてイジメられてしまうかもしれない。


 いや、それならまだいい。嫉妬に狂ったファンにあることないことSNSに書き込まれて拡散されて退学に追い込まれたり……


 そこまで考えて、いや、でもそれだと彼女がこの学校に来ることを迷惑がっているようで嫌だ、僕はなんて最低な人間なんだ……と自己嫌悪に陥って頭を抱えた。


「ああああ、僕は、僕はなんて最低な人間なんだ………」

「よー阿賀波。知ってるか? なんか、この学校に烏丸時生が転校してきたんだってよ。今、学校中が騒ぎになってるぞ」

「ふわあああ!」

 七瀬に突然声をかけられて、京介は仰け反るほど大げさに驚いた。


「うわあびっくりした! なんだよ、そんなビビらなくてもいいだろ。俺なんかしたか?」

「えあ! ごごごごめん! 何もしてないけど、あの、急に話しかけられてびっくりしちゃって! ごめん、本当にごめん」

「待て待て待て待て! そんな謝らなくても大丈夫だって。ほんと阿賀波って気にしぃだよなあ」


 七瀬は苦笑する。


 その表情は確かに苛立ちも怒りもなく、むしろ、何か小動物を見るときのような優しささえある。


 そんな彼の表情にすら京介は怯える。彼に敵意はないと理解はしているのに、それでもだ。


「ご、ごめん七瀬君……」

「あー、圭介でいいよ」

「いや、それは、ちょっと……」

「なんでだよ。俺も京介って呼びてーんだけど」

「ご、ごめん! それもちょっと!」


 七瀬が、少しずつではあるが、心の距離を詰めようとしているのを察して、反射的に顔を逸らして声を上げてしまった。


 自分でも最低だと思うほどにハッキリとした拒絶である。


「そっか……ごめん」

「う、うん……僕の方こそなんかごめん……」

 

 顔を逸して俯き、ぎゅっと身を縮める京介。気まずい沈黙が流れ、ほんの数秒すらも永遠のような時に感じられた。


「む。七瀬、貴様また阿賀波をいじめているのか。緊縛の刑だな。安心しろ、縛り方はこの【ドMリーマンと痴女っ子超絶ドSメイド人妻OL禁断の監禁純愛家庭教師】で見た」


 いつの間にか現れた正木が、学校には一番相応しくないであろう、赤い紐で緊縛された男をボンテージ姿の巨乳お姉さんが踏みつけにしているパッケージのDVDを取り出した。


「なんつーもん学校に持ってきてんだよ!? そんで女側の情報量多過ぎだろ! あと監禁と純愛て矛盾してないか!?」


「孤独を抱えた二人が出逢いお互いの傷を舐め合い求め合うという内容なのだ。一見すると犯罪臭の漂うタイトルだが男の方も女に囚われることを望み女も男をいたぶる事で男に必要とされていることを実感し心を満たし傷を癒やし孤独を埋めているのだ」

「だからそれ純愛なのかよ。あとなんか哀しいな。って、そんなことどうでもいいんだよっ」

「阿賀波、お前もこういうのは好きか?」

「い、いや僕はそういう痛そうなのはちょっと……」

「ははあん、癒やし系お姉さんがいいのだな。了解した。ならば明日、とっておきの───」

「っだああもう! どっちが阿賀波いじめてんだよ、もういいからそれ仕舞えやっ」

「まったく七瀬は頭が硬いな。そんなことではモテんぞ」

「いや俺は普通なだけだぞ……」

「ところで阿賀波、今日、あの烏丸時生が転校してくることは知っているか」

「え、いや転校っていうか……」


 元々この学校に入学予定だったんだよ、と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。彼女が入学予定だったことを、教師以外、誰も知らないはずだ。なのに自分がそれを知っていたらおかしい。怪しまれてしまう。


「転校っていうか?」

「あーいや、ほら、その……転校っていうか、降臨って感じするなあって………あはは」

「あー、確かに。阿賀波、お前本当に烏丸時生が好きなんだなあ。ファンクラブとか入ってたりするのか?」

「いや、ちが、僕は別にファンとかじゃなくてっ」

「貴方達、さっきからうるさいわよ」

 弁解を遮るように、緋夏が席に戻ってきた。呆れとほんの少しの苛立ちの混ざったような視線が、京介を突き刺す。


「ご、ごめん委員長……」

「別に阿賀波君にだけ言ったわけではないわよ。けど、珍しいわね、阿賀波君が誰かとおしゃべりなんて」

「い、いや、僕は別に」

「ところで阿賀波君。その……貴方のお隣、空席よね」

「え? ああ、うん、そうだけど」

「そう。あー……ええと……そう、なにか困ったことや心配事があったら委員長の私に相談しなさいね。他の子だったらほら、ちょっと頼りないっていうか?」

「う、うんありがとう?」

「んだよ、悩みごとなら委員長より俺に相談してくれよな! 俺、こう見えて長男だから、相談乗るの得意なんだぜ!」


 七瀬が力強くウインクしてビシッと親指を立てる。が、そんな彼を、緋夏が静かな怒りを含んだ目で睨みつけるのだった。


「うわ! な、なんでそんな目で見るんだよっ?」

「貴方は少し口を慎んだほうがいいかもしれないわね」

「なんでっ? 俺なんか変なこと言ったかっ?」

「まだまだだな、七瀬は」


 正木は人差し指でクイと眼鏡を押し上げた。


「だからなんでっ?」

「貴方は貴方で空気読みすぎて何かイヤ!」


 緋夏は察しの良すぎる正木に若干の恐怖を覚えて身震いした。


「あ、あの、もうすぐ先生来ちゃうから……」


 あんまり周りで騒がれるのは嫌だ。


 京介はなんとかして三人に静かにしてもらいたくて、ゴニョゴニョと精一杯の注意をしてみたが、彼らの耳には届かない。


「ところで貴方ね、さっきも見たけど、また変なDVD持ってきていたでしょう! 先生に言いつけるわよ」

「それは構わんが……なんと説明するつもりだ?」

「は? そんなの、正木君がいかがわしいDVDを持ってきてたって」

「いかがわしいDVDとは? 詳しく説明してもらわんとわからんぞ」

「だ、だから、それはっ……!」

「まあ、どうしても告げ口したいというのならばブツを確認させてやってもいいが。ちなみにタイトルはドMリーマンと痴女っ子超絶メイド……」

「いい、いい、やっぱりいいわよ! ていうか、未成年がそんなもん買ってんじゃないわよ!」

「父さんからの誕生日プレゼントだ」

「どんな父親っ?」

「ケーキ屋パラディの店長だ。ちなみに洋菓子の世界大会で何度か優勝している」

「凄い……けど、そういうことを聞いてるわけじゃなくてっ」


 なんて、二人が騒いでいると、突然教室の扉が開いて担任の都筑が現れた。


「おーい、静かにろよー。ホームルーム始まんぞ」


 都筑は気だるげに教壇に立ち、出席簿を教卓に軽く投げ置いた。


 緋夏は慌てて席につき、涼し気な顔をして席に戻っていく正木の背中を恨みがましそうに睨んだ。


「あーえーとな、今日はお前らに紹介したい奴がいる。けど、あんま騒ぐなよ?」


 都筑がそう言うと、突然、教室中がざわめき始めた。


 もしかしたら烏丸時生ではないか? 


 誰もがそんな期待に胸を膨らませ、狭い教室が一気に熱を帯びはじめる。


 だがそれに反して京介はと言うと、憂鬱のあまり重々しく項垂れるのだった。都筑はそんな彼を教壇の上から確認し、少し困ったように頭を掻いた。


「あーまあ、とにかく……入っていいぞ、烏丸」


 そして扉がゆっくり開き、時生が姿を現すと───

 ライブ会場かの如く教室中が沸き立ち歓声が溢れ返った。


 その声は廊下、他クラスまで響き渡り、窓ガラスをも、草木をも揺らすのだった。


「はじめまして、烏丸時生です。本当は4月からこのクラスでみんなと一緒にお勉強する予定だったんだけど、色々事情があって1ヶ月ずれちゃいました。皆さん、これからよろしくね」


 烏丸時生が微笑めば、男子生徒は興奮のあまり奇声を発しながら総立ちし、女子生徒も彼女の国宝級の可愛さに歓声を上げるのだった。


「ほらほら、静かに。今は芸能人じゃなくてお前らと一緒のただの高校生なんだからな。あー、じゃあ烏丸、お前の席あそこな。一番後ろの窓際の席……阿賀波の隣だ」


 都筑が京介を指差し、指の指し示す方向を目で追って彼を確認した時生は嬉しそうに瞳を輝かせた。


 そして、彼女的にはこっそりとのつもりなのだろうが、小さく手を振った。京介は慌てて顔を逸らして顔を伏せ、グッと両手を握りしめた。


 そして時生が席に向かって歩き出すと、クラスメイト達は彼女の姿を追って視線を動かし、結果、隣の席の京介にも視線が集中することになるのだった。


 別に自分を見ているわけではない、わかっていても、彼女を見ようとすれば必然的に彼のことも視界に入ってしまうわけで……それが彼には地獄のような苦しみだった。


「よろしくね、京介くん」

「あ、あの、学校では阿賀波君で……」

「あ、そうだったごめんねっ」

「うん、こっちこそなんかごめんね……」

「ねね、きょ……じゃなかった阿賀波君」


 時生がこそこそと耳打ちしてくる。


「うん、どうしたの?」

「なんか、秘密の共有ってドキドキしない?」

「ええ……?」

「なんだか楽しいね」


 くすくすといたずらっ子みたいに無邪気に笑う時生。


 悪気はないのだろうが、自分がどういう存在なのか、どうして秘密にしているのか、あまりよくわかっていない印象を受けてしまう。


「そ、そうかな……」

「うん。二人だけの秘密」 


 小悪魔、という言葉が脳裏を過る。


 小さくニッと笑って白い歯をチラリと覗かせて、顔を覗き込んでくる。こんなことをされたら、他の男子生徒は失神してしまうのではないか?


 そんなことを思いながらチラッと周囲を確認してみると。さっそく男子生徒が嫉妬に狂った眼差しを京介に向けていた。 


 先が思いやられる……


 京介はため息をグッと飲み込んで、ぐったり項垂れた。



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