鈴木さんだよ、京介君
スマホのアラームに叩き起こされて、目を覚ます。
昨日のことは夢だったのだろうか。そう思うほどに現実離れし過ぎていた。
あれは夢なのか、はたまた現実なのか……京介はヘッドボードに飾られた六尺ふんどし姿の康介の写真を手に取った。
ピンクの写真立てに収まった筋骨隆々とした父親の姿を朝からキメるのはしんどかったが、このお守りが、昨日の出来事が紛れもない真実だということを示していた。
階段を降りるとカウンターキッチンの向こうで時生が嬉しそうにお弁当を作っていた。
1階はダイニングキッチンになっていて、階段を降りるとすぐにキッチンが見える仕様になっている。カウンターキッチンの手前にはダイニングテーブルがあり、もう既にサラダとホットサンドとオレンジジュースが並べられている。
昨日まで朝は適当にトースト一枚だけだったので、なんだか朝から贅沢をしている気分だ。
「あ、おはよう京介君! ごめんね、起こしに行こうと思ってたんだけどお弁当に手間取っちゃって」
髪をポニーテールに結い、制服の上からエプロンを着けた時生の姿が朝から眩しい。
「でも安心して、お弁当完成したから。お昼一緒に食べようね!」
完成したお弁当を京介に見せながら、眩しすぎる笑顔を振りまく時生。色々と朝から贅沢すぎる。逆にとんでもない不幸が降り注ぐのではないだろうか。京介は少し不安になった。
「あ、ありがとう……」
「あらあら、おはよう京介君。うふふ、朝から楽しそうねえ」
のんびりとした美月の声が聞こえる。
見るとこちらもエプロン姿の美月が、ソファから立ち上がって歩いてくるのが見えた。
テレビでは朝の血液型占いが流れていて、A型が最下位という結果が見えた。
「朝ごはんこんな感じでいいかしら? 食べ盛りの男の子だから朝もしっかり食べたほうがいいかと思って用意してみたのだけど」
「ありがとうございます、いつも食パン一枚だったので充分過ぎるほどです」
「あらあー、それじゃ足りないでしょう」
「いえ、元々あんまり食べない方なので……あ、でも、父さんがいる時はちゃんと父さんが色々と作ってくれてますよ。ただ、長距離ドライバーなので家にいない時の方が多くて。朝食は結構適当でしたね。食べないことも多いですし」
「あらあ。それはダメねえ。うふふ。それじゃあこれからは私達がしっかりご飯を食べさせてあげるわね」
「ありがとうございます」
「京介君ー、お弁当できたよ!」
時生が笑顔で振り返る。
朝からこんな可愛い子が自分のためにお弁当を作ってくれている。やっぱりなんだか夢を見ているようだ、と、京介はなんだか不思議な気分になった。
それから三人は食卓を囲み、朝食をとった。
「おじ様、本当に朝が早いんだねえ」
「うん。夜も遅かったり2日3日帰ってこない事もあるんだよ」
「そうなんだ……ちょっと寂しいね」
「うん、でももう慣れたよ」
母・芙美が亡くなってからも父康介は働き詰めで、家にいる時間は少なかった。酷いときは1週間家に帰ってこないときもあり、さすがに京介も寂しさを感じてはいたが、言い出せるはずもなく我慢するしかなかった。
「それに近所にすむ叔父さんがほぼ毎日来てくれてたからね。寂しさはあまり感じなかったよ」
「そっか、それなら寂しくもないし安心だね」
「うん……」
寂しくない、と言うのは嘘だ。
本当なら毎日家に帰ってきて欲しいし、一緒に食事をしたり親子らしい会話もしたかった。でもそんなの無理だとわかっているし、口にしてしまうのはわがままだと思っているから言えるわけもなかった。
自分さえ我慢すれば周りは幸せになれる、それが京介の考え方なのだ。
「そうだ京介君、次の土曜日予定空いてるかしら?」
美月が聞いてくる。
「え? あ、はい、大丈夫ですけど」
「よかったあ。実はね、康介さんお休み取れそうだから、みんなでお出かけしようって話になったのよ。二人とも、どこか行きたいところがあったら言ってね」
「やったあ! よかったね京介君、どこ行こっか? 動物園もいいなあ、水族館もいいなあ」
「時生ちゃん、ちゃんと京介君の意見も聞いてあげてね?」
「もちろんだよ。ねね、どこに行くか一緒に決めようね」
「う、うん……」
京介の顔を覗き込む時生の表情は、本当にとても嬉しそうだ。気のせいかもしれないが、ネットやテレビで見る彼女の笑顔とは少し違うように思えた。
「あ。京介君、急がないと遅刻するんじゃない?」
「え! あ、本当だ!」
「ねえお母さん、私も京介君と一緒に登校しちゃだめかな」
「ダメよ。大騒ぎになっちゃうでしょ。それに京介君にも迷惑がかかるわ」
「ぶうー」
時生は子供っぽく頬を膨らませて唇を尖らせた。昨日のどこか大人っぽい雰囲気とはまるで正反対である。
「第一、二人が一緒に暮らしてるってバレたら大変でしょう? 京介君が嫉妬に狂った男共にリンチされる未来しか見えてこないわよ」
「そ、それはダメ!」
「でしょう? それに世間にバレたら大変なことになってしまうわ。親の再婚で仕方なくとはいえ、年頃の男の子とひとつ屋根の下なんて聞いたら、炎上しちゃうんじゃないかしら。一定数過激なファンっているものね」
「むう……確かに……」
「だから、残念だけど、朝は鈴木さんに送ってもらってね」
「鈴木さん?」
「ああ、鈴木さんは時生ちゃんのマネージャーさんよ。真面目で優しい方だから京介君もすぐ仲良くなれると思うわ。もうすぐ時生ちゃんをお迎えに来てくれると思うから、ご挨拶してね」
「あ、はい、わかりました」
こんなトップアイドルのマネージャーだ。きっと物凄く真面目で仕事のできる人なのだろう。イメージ的には黒スーツにサングラスで黒塗りの高級車を運転していそうだが……
京介はホットサンドを頬貼りながら、大統領のSPのような男を想像して少し怖くなった。
「それじゃあ僕は先に行きますね」
食べ終わった食器をたらいの水につけると、京介はすぐに玄関に向かった。
「私も後で行くからね、待っててね」
玄関で靴を履く京介の後ろから、時生の無邪気な声が聞こえる。
「う、うん。でも学校ではあんまり話さない方が……」
その時、突然、玄関のチャイムが鳴った。
「あら、鈴木さんかしら」
黒服にサングラス、そしてけして笑うことのない鉄面皮。時生を守るためなら命を失うことも厭わず、傷だらけになりながらも日々彼女のために戦う。腰に携えた日本刀が鋭く光り、かと思った次の瞬間、鈴木さんの手によって敵は一掃される……
そんな想像が頭をかけ巡る。
果たして鈴木さんとはどんな人物なのか。京介はゴクリとつばを飲み、扉が開かれるのを固唾を呑んで見守った。そして、いよいよゆっくりと扉が開かれる……
「おはようございます。おやこちらの腐りかけたゴボウみたいな男が時生さんの新しいご家族ですか。はぁん、まさに思春期真っ盛りって感じですね。時生さんに妙な真似したらぶち殺しますよ。あ、鈴木#飛翔__つばさ__#です。飛ぶに飛翔の翔でツバサです。キラキラネームとか思いましたね、このクソガキが」
真っ白な頭髪、眼鏡、眉間に刻み込まれたシワ。三白眼で一重で少し釣り目、背丈は時生よりやや低いくらいか……155cmくらいだろうか?男性にしては背が低い方だ。
「ご、ごめんなさい…………」
初対面の人間に弾丸のように暴言を浴びせかけられ、京介はすっかり怯えきってしまう……と彼自身もそう思ったのだが、しかし、なぜか、鈴木に対して恐怖感のようなものは一切感じなかった。
それに気付き、京介は不思議そうに首をひねった。
「ふん。わかればいいんですよ。あ、勘違いしないでくださいね、貴方はただの家族でありけして時生さんの特別ではないのですから。少し優しくされたからって調子に乗らないでくださいね」
鈴木は眼鏡を押し上げ、京介と目を合わせることもせぬまま早口でまくし立てた。
そんな彼を見下ろしていた京介は、無意識に、彼の頭に手を置いた。
「…………小さい…………」
普段ならこんなに早口でまくし立てられたら怯えて逃げ出したくなるはずだが、なぜだか、彼に関してはそんな気持ちがあまり湧いてこなかった。
恐らく彼が小さすぎるからだろう。まるで小動物が不機嫌にピーピー鳴いているようにしか感じられなかった。
一方の鈴木は、突然もすっと頭に手を置かれた上に小さいなどと言われ、心を日本刀で一突きにされたような衝撃を受けた。
「…………あ、髪………柔らかい…………」
ふわふわすべすべな髪が皮膚を撫で、そのあまりの心地よさに何度も指で弄んだ。もちろん無意識に、ただ心地よさを堪能するために。
「貴方、自分が少し背が高いからって調子に乗らないでくださいね」
「へっ? ああ、すみませんつい! なんか、その、小さくて可愛いなって!」
京介はあたふたと後ろに下がった。
「可愛い、ですか。それは褒め言葉として受け取ってもよろしいのですかね」
「うわああ! ごめんなさい、けして馬鹿にしたワケではなくて、あの、そのっ」
「まあいいでしょう。貴方など所詮背の高さしか取り柄のない腐ったごぼうのような男です。それに比べ私はどうでしょう。頭脳明晰で仕事もできる。背丈を馬鹿にされたくらいでは傷ついたりしませんよ」
チャッ、と眼鏡を押し上げる鈴木。
だがその体は小刻みに震えている。
「あ、あの、本当にごめんなさい……」
「うふふ、朝から賑やかで楽しいわねえ」
「鈴木さんはすごくお仕事できる人なんだよ。事務所入ってそんなすぐにはお仕事貰えないだろうなって思ってたけど、すぐにCMとかモデルのお仕事とかいただいちゃって、半年後には歌手デビューまでさせてもらったんだ」
「それは時生さんの才能があったからこそですよ。見た目はもちろん性格、明るさ、頭の良さ、カリスマ性……その全てが今のお仕事に繋がっているのです。というわけで、うちの大事な烏丸時生に変な真似しないでくださいね」
「は、はい、もちろんです」
「京介君、そろそろ行かないと遅刻しちゃうんじゃない?」
京介は時生に言われ、慌てて腕時計を確認した。
「うわああ! ヤバい遅刻する! ごめん、それじゃ先行くね!」
京介は慌てふためきながら家を飛び出した。
バタン、と荒々しく扉が閉じられ、京介の足音が遠ざかる。
「時生ちゃんもそろそろ準備しといたほうがいいんじゃないかしら」
「うん、わかった」
時生はスカートを翻し、走り去った。
「本当に大丈夫なんですかね、彼」
「京介君はとってもいい子ですよ」
うふふ、と美月は笑う。
「だったら尚更心配ですがね」
「あら、というと?」
「いえ、別に」
「大丈夫ですよ、二人のことはきちんと康介さんと見守っていきますから」
「そうですか。まあ、彼のことは私には関係ないですが」
鈴木はクイと眼鏡を押し上げた。
京介は学校へと向かいながら、先程の自分の行動を大反省しながら鈴木の髪を撫でた右手をじっと見つめていた。
人見知りで臆病で常に人の顔色を窺っている自分がなぜ、初対面の人間にあんなことをしたのだろう。最初こそ彼の勢いに怯えたが、しかしすぐに何故か警戒心が消えていくのを感じた。
「僕はなんであんなことを……」
京介は、他人に軽率に触れてしまったこと、恐らく不快な思いをさせてしまったであろうことを大反省しながら、自分の行動を冷静に分析してみた。
そして、あることを思い出した。
小学生の頃、康介にハムスターを買ってもらったことがある。目つきは悪いけど小さくてふわふわで可愛くて、初めて見たときあまりの嬉しさに涙が溢れたほどだった。
「どうだあ京介? かわいいだろ。名前、なんにする?」
「ポン! なんか、丸っこくて、ポンって感じがするから! よろしくね、ポン」
とケージに指を入れた瞬間、シャーッ!と威嚇されて指を噛まれた。
真っ白で小さくて丸くて目つきの悪いそのハムスターはそれから3年間、大きな病気をすることもなく、寿命が尽きるまで元気に生きたのだった。
「なるほど。ポンちゃんにそっくりなのか」
京介はぽんっと右手で左の手のひらを叩いた。昭和のリアクションである。
鈴木の目つきの悪さ、なんかちまっとした感じ、そして怒りっぽいところ、まさに彼はジャンガリアンハムスターのポンである。
「ポン・鈴木……」
京介はぼそりと呟いた。
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