第38話『ブラド・エーアトヌス』

「……で、そのブラドの実家ってどこにあるんですか?」


 クミンは自分に突き刺さる痛い視線を紛らわすようにオスマンに問うた。ブラドに詰められていたオスマンはクミンの方を向くと、必死にブラドを宥めてその問いに答える。


「エーアトヌス家があるのはトゥエフという25番目の王都街です。ここは昔から貴族や富豪が多い街で、全60ある王都街の中で最も広いのが特徴です」

「25番目って……ここ6番目のゼクスですよ? 今から間に合うわけないと思うんですけど……」


 レオの疑問ももっともだ。王都街を1つ移動するのに半日かかるし、馬の体力を魔法でどうにかしたとしても1日2つの移動で精一杯。A級冒険者ともなれば走る速度は裕に馬を越えるが、レオ達にそんな実力は無い。


「そこは大丈夫です。あらかじめ転移魔法を用意しておきました」

「転移魔法……⁉︎」


 さらっとオスマンが言ってのけたその単語に、エイジャックが反応する。それはそうだ、転移魔法といえばエイジャックが戦った誘拐事件の主犯格、マーク・ザ・リッパーが操っていた魔法だ。操っていたと言っても単に転移魔法が使えたというわけではなく、あれはマークの肉体に刻まれた固有の魔法だったのだ。それをオスマンが用意したとあっては、すぐに理解しろというのは難しいだろう。


 オスマンは含みのある笑顔を崩さず、懐から1枚の紙を取り出した。それは5センチ四方ほどの紙で、円形を成した幾何学的な模様が描かれていた。


 オスマンはそれをレオに渡す。


「レオくん、それを上に向けて、魔力を流してみてください」

「上に向けて? 魔力を流す?」


 レオは言われた通りに紙を上に掲げた。そしてそこに魔力を流す。まだ魔力操作ができるようになって数日なのでおぼつかないが、レオの魔力が指先から紙へと移っていく。


 すると、その紙の前に、手のひらサイズの火球が生成された。同時に紙は焼けこげ、次の瞬間火球は真上に射出される。しばらく上空へと登っていった火球だが、やがて少しずつ小さくなっていき、最後には空気中に霧散した。


「お、おお? オレ魔法発動してないぞ?」

「それの名前は魔法陣。魔法を記録、保存したものです」

「魔法を記録?」

「火球を撃つ、水を生成する、光を放つ。こういった簡単な魔法はほとんど誰でもできますし、伝授も口頭で事足ります。しかし、歴代の魔法使いの中にはその人本人しか使えないレベルで高度な魔法を操る人もいました。そういった難しい魔法を記録、保存し、魔力を流すだけで発動できるようにしたのが、魔法陣というものです」

「……じゃあ、転移魔法を用意したっていうのは……」

「はい。転移魔法が記録された魔法陣を用意した、ということです。本音を言えば実用化したいんですけどねぇ〜。魔法陣を作ること自体に相当強い魔法使いが必要ですし、転移先、転移させる対象は変えられませんし、そもそも必要魔力量が膨大ということで中々難しいんですよね〜」

「はあ、そうなんすか……つまり、その転移魔法の魔法陣が描かれた紙があれば、すぐにトゥエフに行けるってことですね?」

「そういうことです。元々転移魔法は開発されていて、マーク・ザ・リッパーがたまたま転移魔法が刻まれていただけで特異体質限定の魔法ではないんです」


 その説明にエイジャックが頷いた。


 まだ冒険者になって4ヶ月半ほどしか経っていないが、エイジャックも色々と勉強してきたつもりでいる。代々冒険者で、培われた経験が幼少期から伝授されるストロガノフ家ならまだしも、エイジャックもまだまだ新人なのだと気付かされる。


(……慢心はするな。俺が死んだら母さんを守れない)


 そんな心の声を反芻させ、気持ちをリセットしたエイジャック。


 そして決意が新たになって最初に行ったことは、仲間を睨みつけることだった。


「で、ブラド。お前はどこに行こうとしている」

「ゲッ、バレた……!」


 レオがオスマンの説明に首を上下させていた傍らで、ブラドはこっそりとその場から逃げ出そうとしていた。一同がエイジャックの視線を辿ると、何故か数メートルブラドが離れている。


 何したんだこいつと視線で述べる一同に、ブラドは腐った苦虫の味を堪能したような、これ以上ないほど嫌そうな顔をした。


 レオは苦笑いを浮かべ、腰に手を当ててブラドに声をかける。


「さっきから妙な反応だな。そんなに実家行きたくねえのかよ」

「……実家に行きたくないッていうより……親父と会いたくねェんだよ……」









 エーアトヌス家。王都を中心に円形に60個並ぶ王都街。直径600キロを超えるその内側、さらにはその外側も含めた流通網を掌握する商会、エーアトヌス商会の会長を代々務める大貴族。王都街内のほぼ全ての店がエーアトヌス商会から商品を取り寄せるため、総資産は子供の言う100億万という幼稚な数が現実になるほどだという。


 とはいえ、エーアトヌス商会が牛耳っているのは大して大きくない一国の市場。ここよりも広い地域を牛耳る商会などザラにあるだろう。


 では何故エーアトヌス家は世界有数とまで言われる貴族となったのか。それはひとえに、エーアトヌス家のおこりが、1000年以上も前のことだからである。


 約1200年前、この地に冒険者という職業が生まれた。当時の王がこの地に跋扈する魔物の対象に苦悩していた時、王は魔物の討伐に資金を与えることでそれを職業とした。


 結果は大成功。人々は与えられる本潤な報酬にやっけになり、命を危険に晒していった。


 そんな時代、後にエーアトヌス家の初代当主となる男は考えついた。やがて冒険者という職業はメジャーなものとなっていくだろう。ならば、冒険者に必ず必要な武具や薬の物流を独占してやろう、と。


 男の読みは当たっていた。冒険者はドンドンとその数を増やしていき、それに伴い武具や薬の需要は一気に高くなった。それの購入元が全てエーアトヌス商会なのだから、男の懐が潤ったのは言うまでもない。


 数十年もすればエーアトヌス家は立派な富豪となっていた。直にエーアトヌス家は王に貴族としての立場や特権を与えられることとなる。


 1127年前。王国制が崩壊し多くの貴族はその立場や特権を剥奪されるという出来事があった。しかし中にはあまりにも世に与える影響が大きすぎるために、貴族という称号を奪われることを免れた家が存在する。


 エーアトヌス家は、既にその一部の貴族の仲間入りを果たしていた。


 エーアトヌス家はその後も流通を独占し、その資産を増やし続けていた。いつしか、エーアトヌス家は世界有数の貴族とまで言われるようになっていたのだ。


 そして時は流れ、解放歴1111年7月22日。エーアトヌス家に、1人の男の子が生まれた。名を、ブラド・エーアトヌスという。


 父はもう何代目かも分からないエーアトヌス家当主、リアス・エーアトヌス。母はリアスが貴族だと知らずに彼に恋をした平民、ピーツ・エーアトヌス、旧姓フラー。


 2人の第一子として生まれたブラドは、物心がつく前から、リアスに貴族としての過ごし方を叩き込まれていた。


「……違うぞブラド。またミスだ」

「……ごめんなさい、お父様……でも、もう指が動かない……」

「そんなことでエーアトヌス家の誇りを踏み躙るつもりか‼︎」

「痛い‼︎ ごめんなさい、ごめんなさいお父様‼︎ 許してください……‼︎」


 ピアノ、ヴァイオリンなどの音楽、絵画などの芸術、チェスなどの娯楽、テーブルマナーなどなど、貴族としての……いや、エーアトヌス家としての振る舞いを、朝から晩まで教え込まれる。


 うまくできなければリアスに殴られ、うまくいくまで何もさせてもらえない。食事、睡眠はもちろん、排泄等も行えず、“それ”はそれで殴られる。


 ブラドは毎日、母であるピーツの胸の中で涙を流した。ピーツはいつも優しく抱きしめ、よしよしと頭を撫でてくれた。その時間はまだ6歳になったばかりのブラドにとって、唯一の心の拠り所であった。


 ある時、ブラドはピーツに本音を漏らした。


「……お母様……僕……」

「ん? どうしたのブラド?」

「……僕、もうピアノやりたくない……ヴァイオリンも、絵もチェスも……もう嫌だ……! お父様には殴られるし、ご飯も食べさせてくれないし、もう体が動かないんだ……!」


 闇の中に見えた、一筋の光。藁にもすがるような想いの告白だった。


 しかし続く母の言葉は、当時のブラドをさらに深い闇へと突き落とす言葉だった。


「……どうして嫌なの? リアスさんにこんなに生き方を教えてもらえるのはブラドだけなのよ? 殴るのもご飯を食べさせないのも、あなたのことを愛しているからよ」


 その時、ブラドは6歳ながらなんとなく察した。母も被害者なのだと。母は父に洗脳されているのだと。


 ピーツの言葉はブラドを深い闇に落とすと同時に……新たな光も与えることとなった。


 すなわち、諦めである。


 ブラドは諦めた。母に縋るのを。父の所業を受け入れるのを。貴族としての生活を。


 ブラドは決意した。父が日頃言っていた、エーアトヌス家の誇り。それをぐちゃぐちゃに破壊してやると。父が2度と日の元を歩けないようにしてやると。


 飲んだ血を魔力へ変換するという魔法がブラドに刻まれているのが発覚したのは、それから間も無くのことだった。父親に殴られて流れた自分の血が口に入った時、魔力が増えるのを感じたのだ。


 その瞬間に、ブラドの生きる目標が決まった。


 貴族は冒険者を嫌う節がある。自分の命を投げ打ってまで他人を助けるという考えを、彼らは真っ向から否定している。


 だから、ブラドは冒険者を目指した。


 父が冒険者を嫌っていたから冒険者を目指した。父が汗で家を汚すのを嫌っていたから家で必死に汗を流して体を鍛えた。父が卵アレルギーだったから、父の飯に卵を混ぜた。


 学校は基本6、7歳で入学し、11、12歳までの6年間通う。しかし一部のエリート校には第8学年まで存在し、14歳で卒業となる場所もある。


 エーアトヌス家出身であるブラドも当然第8学年まで学校に通い、14歳になって卒業する頃には……


「貴様‼︎ 屋敷の中で汗を流すなと言っている‼︎ 俺の言うことが聞けないのか⁉︎ また殴られたいのか‼︎」

「やッてみろよバァァァァカ‼︎ ゲヒャヒャヒャヒャヒャ‼︎」


 見事にグレていた。


 ボディーガードに家を摘み出されれば、扉を爆破して家に入った。食事を出されなければ父の食事を強奪して素手で食った。父の前で屁をこき、父が使うトイレで糞をして流さなかった。


 筋トレは飽きたのでもうやめていたが、8年以上もの間鍛えられた魔法の出力は、既にベテランであるB級冒険者に匹敵するほどのものとなっていた。


 そこからさらに1年後。解放例1127年4月7日。ブラドはトゥエフギルドにて冒険者選別試験に参加。圧倒的な魔法により出会う会場の魔物をことごとく倒し、楽々試験を突破し、一ヶ月後に解放歴1127年度の特別新人訓練部隊に選ばれることとなった。


 しかし、そこでブラドは行き詰まった。父親を否定するために冒険者になることはできた。けれど、それまでだ。冒険者になってからやりたいことが無い。


 「冒険者になったならなったでちゃんとやれ」と父は言いそうな気がしたので、依頼は受けずに家を出る日に父の部屋から盗んできたお金で生活をしながら、魔物とひたすら戦った。特新部隊の指南役の呼びかけも、ギルドからの依頼もサボり。実は食事を奢ってもらえるなんて知らずに。


 そんなこんなで、いつのまにかブラドが冒険者になってから4ヶ月が経とうとしていた頃。当時ブラドはより多くの魔物と戦うため、トゥエフから時計回りに王都街を周っており、ゼクスという街に泊まっていた。


 ふとギルドに立ち寄った際、ちょうどオスマンから連絡が入ったのだ。


「え? オスマンさん? なんで水晶の中にオスマンがいんだ?」

「これは遠くからでも会話ができる魔法ですよ。……ブラドくん、時間が無いので早速ですが本題に入ります。昨日、フィフスという街を数百人の男女が襲撃し、特新部隊のメンバー3人が誘拐されました。彼女らの奪還に、ブラドくんも協力してください」

「えェ〜?」

「……お願いしますブラドくん。どうしてもあなたの力が必要なんです」

「……オレの力が必要……?」


 ブラドの精神年齢は実年齢より少し低い。リアスにひたすらに貴族としても振る舞いを叩き込まれていたので、普通の子供が触れるべきものを触れてこなかったのだ。


 結果としてブラドの心は幼く……そして純粋になっていた。


 生まれてこの方自分を必要とされなかったブラド。「あなたの力が必要」というシンプルな言葉が、ブラドの中に宿る冒険者魂とも言うべきものに火をつけた。


「……じャあやッたりますよオスマンさん! オレがバッタバッタと襲撃犯共をぶちのめしてやりますよォ!」

「ほ、本当ですか? ありがとうございます……!」


 そしてその翌日。ブラドのいるゼクスにやってきたオスマンと再会し、同じ特新部隊のメンバーとの初対面を果たしたのだった。


「紹介します。解放歴1127年度特別新人訓練部隊最後の1人……ブラド・エーアトヌスくんです」

「オウお前ら、よろしくなァ!」

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