第36話『己を討つ②』

 その顔は心底不気味だった。頬は興奮しているのか赤く染り、目はトロンとしていて妙な色気を感じる。浮かべる笑みは優しく、頬に添えられた手も相まり普通の男が見たら心臓が跳ねてしまうだろう。


 しかし、レオはそいつにただただ純粋な嫌悪感を抱いていた。その不気味な笑顔を、マリアの姿をした者が浮かべているのだ。


「……はぁ……ああん……もうちょっと待ってようかと思ったけど……我慢できなかったぁ」

「お前……ッ! マリアに何をした‼︎」

「え? ああ、大丈夫。マリアちゃんには何もしてないよ。私の魔法は遺伝子を摂取した人に変身できるの。一昨日の夜にマリアちゃんの髪の毛を取らせて貰ったんだ。本当はライフちゃんとクミンちゃんのも欲しかったんたけど、怪しまれちゃうからね」


 そう話すそいつの声は、マリアの面影が残っていた。変身というのが見た目だけでなく肉体まで含むとするならば、その声は間違いなくマリアのものだ。


 中身……魂が異なると、こんなにも声が変わり、気持ち悪く感じるのか。レオは混乱する頭でそんなことを考えた。


「……じゃああの資料にあった7人は……!」

「そう、私の変身先。最初は2人までしか変身のストックはできなかったんだけどね〜。成長して7人もストックできるようになっちゃった。ここまでくると管理が大変だから、メモしておいたんだ」


 マリア達が盗んだ7人の人間が記録された資料。外見、性格、癖、対人関係……不自然な情報が記されていたあの資料の疑問が繋がった。


「……お前……何が目的だ」

「目的……うーん、人を殺すこと?」

「……なんで」

「そんなの楽しいからに決まってるじゃん! レオくんも楽しいから戦ってるんでしょ? それと一緒だよ!」

「そんなことで……そんなことで何百人も殺して街に火を放ったのか……⁉︎」


 すると、その女はスンと笑顔を消すと、少し寂しそうな顔になった。


「……ねえレオくん。お母さんとお父さん……もしいれば兄弟のこと、好き?」

「……何をいきなり……」

「私は嫌いだよ? お父さんにはいやらしいことをされてお母さんにはそのせいで殴られて……だから殺したの」


 その女の脳内に反芻する、記憶の声。


『お前なんか産まなきゃよかった』

『お前がいるから俺達はこんな暮らしをしなくちゃいけないんだ』

『せめて責任を取れ。忌み子』

『は? こんだけしか盗めなかった? こっちこい』

『本当、お前なんて生きてて良いことある?』

『泣くなクソガキ‼︎ 泣き止まねえなら死ね‼︎』


 それは、1人の少女の記憶。


「もしも自分が違う場所で生まれてたらって考えたことある? もしも普通の両親の間に生まれて、普通に学校に行って、普通に男の子を好きになって……そしたら殺しに快楽なんて感じなくて、血のついてない綺麗なお洋服を着るの。環境が違えば、こんなことにならなかったのかなって……」

「……」

「でもしょうがないよね‼︎ もうこうなっちゃったんだから‼︎」


 光の無い目、不気味な笑顔を浮かべ、その女はケタケタと笑う。無機質な女の笑い声が、周りの炎に負けじと響き渡る。


 レオはその時、心の底でなんとなくだが理解した。こいつは、既に取り返しがつかないほど壊れてしまっているのだと。構えていた剣がダラリとぶら下がり、レオは笑い声を上げるその少女を茫然と見つめた。


 その時。


「うわああああん‼︎ お母さあああん‼︎」


 子供の声が響いた。それを聞くと、女は後ろを振り返る。


 真っ黒な死体の前で、子供が泣いている。どう見ても既に手遅れな死体に抱きつき、「お母さん‼︎ お母さん‼︎」と連呼している。


 そして次の瞬間、女は動いていた。子供の方へと走り出し、懐からナイフを取り出す。子供を地面に押し倒し、上から覆いかぶさって逃さないようにする。


「いや‼︎ やめて‼︎」

「な……⁉︎ やめろ‼︎」


 レオが動いた時にはすでに手遅れだった。


「いや‼︎ いや‼︎ やめて‼︎ 離して‼︎ やめ」


 子供の首に、女はナイフを突き刺した。子供の悲鳴がブツリと途切れ、抵抗が無くなる。


 女はナイフを引き抜き、噴き出てくる血をうっとりと眺めた。そして。


「あは……あはは……! あははははははははははははは‼︎ あははははははははははははははははははははははは‼︎」


 狂気の笑い声を上げた。


 女はひとしきり笑うと、レオの方へ向き直る。


「……あのね、レオくん。私レオくんに1つお願いがあるの」

「お願い……?」


 女は左手で自分の胸に触れ、右手をレオへと差し出した。


「私のお婿さんになって!」

「……は……?」

「私ね、さっきまでの森の戦い見てたんだよ。血と叫びが満ちてて凄く楽しかったけど……レオくんに目が止まったの。他の人は斬られて苦しそうな表情をして呻き声を上げるのに……レオくんは違った。斬られても笑顔で、笑いながら敵と戦って……私、血を流して笑ってる人なんて初めて見た! その時ね、私レオくんのこと……好きになっちゃった」


 頬を染め、恥ずかしそうに身を捩るその女の姿は、一見して普通の少女だった。しかし血に塗れた姿と先程までの狂気のせいか、それが逆に不気味さを放っていた。あれだけの狂人が普通の女の子のような反応をしている……現実との摩擦が、レオの思考をさらに乱す。


「……本当に……意味が分からない……」

「レオくんが望むなら一生マリアちゃんの姿のままでもいい! だから一緒にいっぱいお話ししようよ!」

「……そうか……もう、分かった」

「分かった?」

「これ以上マリアを汚すな。マリアの声で話すな、マリアの姿で人を殺すな」


 この時、ようやくレオの思考がまとまった。


 己の心の底から湧き上がる怒り。レオはマリアの姿で暴れ回る女に怒りを覚えていた。


 同時に、目の前の女は一連の事件の主犯であること、一刻も早く捕らえないと被害はドンドンと拡大していく一方だということを理解し、女は中途半端な拘束は意味を成さないと予測する。


 結果下した結論は……


「……オレがお前を殺す」

「……レオくんが……私を? ……ふふっ……ふふふっ……あははは! いいねそれ!」


 それを聞くと、女は再び狂気的な笑い声を上げた。しかしすぐにそれを収め、笑顔でレオに問いかける。


「いいけど……レオくんに私が殺せるの?」

「殺せるさ。殺害許可も降りてるしな」

「ううん、そうじゃなくて……レオくんにマリアちゃんが殺せるの?」

「……」


 レオは静かに俯く。


「……無理だな……たとえ偽者だと分かってても……マリアを傷つけるなんて、できねえ……」

「やっぱり? やっぱりマリアちゃんのことが好きなんだね。いいなぁマリアちゃん。私もレオくんに好きになって」

「そこでオレは考えた……結果、こうすることにした」


 言うやいなや、レオはいつものニヤリとした笑みを浮かべて顔を上げ、自分の頭に右手を当てた。直後、ボン! という爆発音と共に、レオの2つの眼球が破裂し、さらに両耳からも血が垂れる。


 それを見た女はぽっと頬を染めた。


「あは……! 一体何を」

「いってえええええええええええ‼︎」


 レオは両目を押さえて悶絶した。突如として視覚と聴覚を失い、さらに激痛が駆け抜ける。尚も痛みに叫び声を上げ続け、それを見ている女はうっとりとしている。


「フーッ、フーッ……オレがお前を攻撃できないのは、オレがお前をマリアだと認識するのがいけないんだ……見えも聞こえもしねえなら、お前がマリアの声や姿でも容赦なく攻撃できるってわけさあ‼︎」


 レオは両目両耳から血を垂らしながら、剣を構えて走り出した。


 女はそんなレオを見て一瞬頬を紅潮させ、湿った吐息を吐く。しかしすぐにバックステップで距離を取り、持っていた杖をレオへと向けた。


「あははははは‼︎ レオくん、凄く素敵だよ‼︎」


 女は杖の先から火球を3発射出した。それらは真っ直ぐレオの方へと飛んでいく。視覚も聴覚も失ったレオに、それを回避する術は無かった……はずだった。


 レオは1発目の火球を右に跳躍して回避。着地した瞬間に今度は真上に跳躍し、2発目を回避。さらに空中で向かってきた火球を剣で迎え撃ち、自身への直撃を避けた。レオの口角は上がっており、山勘ではないことは確かだった。


「ハハハハハハハ‼︎ そんなもんかあ⁉︎ ハハハハハハハハ‼︎」


 現在、レオは間違いなく目と鼓膜が破壊され、視覚と聴覚を失っている。しかし、頭部に走る激痛による興奮、それに伴う極限の集中、レオが会得している気配察知……それらの要素が組み合わさり、結果、レオは現在気配察知を空間察知まで拡張させ、視覚のある状態と遜色ない……いや、それすら超越する空間把握能力を得ていた。


 周りの建物の形だけでなく、炎の形、自分の位置、放たれた魔法の威力……そして当然相手の動き。それらを完璧に把握し、レオは戦う。


「凄い‼︎ 本当に目取れてるんだよね! 気配察知ってここまでできるんだ‼︎」


 女は何度も火球を射出し、レオを迎撃する。しかしそれらは尽くレオにはたき落とされ、女もドンドンと後ろに下がっていく。


「私の変身はね! 脳みそまで変身できるから本人の記憶も読めるんだ! けど本を読むように覗くから私の人格には影響は無いはずなんだけど……おかしいよね‼︎ マリアちゃんの身体になってから、レオくんが凄くかっこよく見える‼︎ あはははははは‼︎」

「もう届くぜえ‼︎」


 レオは剣を横に払い女に斬撃を加えた。後ろに跳ぼうとした女だったが一足遅く、腹部から胸部にかけて深めの傷が浮かび上がる。そこから血が垂れ、服を汚す。


 女はそこに手をやり、自分の血を見た。そして、ニタリと口の端を吊り上げる。


「……あはははは‼︎ レオくんが私を斬った‼︎ これ、私の血なんだ‼︎ 痛い‼︎ 斬られるのってこんなに痛いんだね‼︎ あははははははははははは‼︎ あははははははははははははははははははははははははははははははは‼︎」


 恐怖心を引き摺り出されるような笑い声を上げ、女はレオを回り込むようにしてななめ前に跳躍した。


「あはははははははははははは‼︎ 楽しいねレオくん‼︎ 戦いって‼︎ 2人共血が流れてるよ‼︎ あははははははははははははははははははははははは‼︎」


 その時、女は奇しくもレオと同じく、戦いに可楽を見出していた。従来の殺し、血への快楽。己の血と声すらその対象に入り、二重の快楽に溺れた女の笑い声は……狂気以外に、表しようのないものだった。


 女が地面に着地し、さらにレオから距離を取ろうと跳躍した、その時。


「“視えてる”ぜ‼︎」


 レオは女の動きをすぐさま把握し、女をさらに回り込む。両足の脹脛ふくらはぎを剣で切断し、レオは女の正面に移動した。さらに剣を振りかぶり、女に迫る。


 女は足に力が入らなくなり、地面に座り込んだ。


 そして血に塗れた手を赤く染まった頬に添え、おっとりとした心底幸せそうな笑みを作る。


「……愛してる」


 次の瞬間、レオは剣を振るい……女の胸部を深く、深く切り裂いた。


 女はうつ伏せに倒れ、そこから血溜まりが広がっていく。もう、あの狂気的な笑い声は響かず、辺りでは炎が燃え盛る音しか聞こえなかった。


「……本当に……意味が分からない……」


 レオは少女の遺体の横に両膝をつき、地面に座り込んだ。









 ズィーベンに放たれた炎は、ズィーベンの襲撃犯の確保後、主にA級冒険者によってすぐさま消火された。炎が襲撃犯達の予想よりも大きくなったために動きが乱れ、結果的に予定より早く、ズィーベン襲撃を行った約100名の襲撃犯の一斉確保に成功。その後にアクルド・センイが魔法で雨を降らせたことで炎は一気に弱まり、消火はスムーズに進行したのだった。


 ズィーベン消火後、マリアは南北に伸びる大通りを走っていた。マリアが受け持っていたのは南通り。炎が消えてから中央の住民避難用結界に向かったが、そこにエイジャック、クミン、ライフはいたが、レオの姿は無かった。


 アクルドに聞いたところ北通りを任されたということなので、マリアはレオを探しに北通りを走っているというわけだ。

   

 しばらく走ると、不自然に住民の死体が多い場所に出た。四肢のどこかが無くなっていたり、黒焦げだったり、喉に刺されたような傷があったり……まるで冒険者に襲撃されたような惨状だった。


 そしてその奥……1人の少女の遺体の横に、彼はいた。


「レオ!」


 レオは地面に座り込み、俯いていた。微動だにせず、死んでいるのではないかとすら思える。


 しかしマリアの心臓が嫌に跳ねたとき、レオはピクリと動き、顔を上げた。


 そしてレオの顔を見たマリアはゾッとした。レオの両目と両耳からダラリと血が垂れているのだ。


「レ、レオ……一体何が……」

「あー、今そこに誰かいますよね?」

「……え……?」

「すんません、今オレ目が見えなくて耳も聞こえなくて……地面の振動で人が来たってことは分かるんですが……」


 マリアはしばらく呆然とレオを見た。少ししてレオの前に座り込み、レオの右手を取り、握る。


「……この手……マリアか」

「レオ……」

「あー良かった、マリアが来てくれて……オレの横の死体は、この一連の事件の主犯だよ。ほら、マークが言ってた“あいつ”って奴。オレの目と耳は……まあ、色々あってな……後で話すよ」

「……」


 レオの横に周り、肩を持って立ち上がる。


「あ、ごめん。ありがとう」

「……本当に……何があったの……?」


 2人はゆっくりと歩いて行き、中央の結界へと向かっていった。









 ボランジェはマークをしばった縄の端を持ち、馬車の横に立っていた。ここはゼクスとズィーベンを繋ぐ街道。掃討作戦の舞台となった森の近くだ。ここに捕らえた襲撃犯を輸送するための馬車が止まっている。


(……にしても凄いなこの縄……WD・Sって研究者が作ったらしいが……何者だ?)


 マークを縛っているのは、月属性魔法が組み込まれた縄だ。縛った対象の魔力を強制的に奪い取る性質を持つ。


 縛られたマークはもう既に魔力はほとんど無い状態だった。胸の十字の傷は深く、血が止まらない。ここに回復魔法の使い手はいないし、魔力による身体強化で出血を抑えることもできない。マークはもうじき死ぬだろう。


 先程まで炎に包まれていたズィーベンは、いまは静まり返っている。灰色の雲が空を多い、嫌な空気が立ち込めていた。


 ボランジェがマークをチラリと見、馬車に詰め込まれる襲撃犯達を見やったその時。ズィーベンの方面から1人の冒険者が駆けてきた。


 その者は手に持った紙を広げて中身を読み上げる。


「報告! ズィーベンの襲撃では、街に炎が放たれ家屋、及び住民への被害が拡大。家屋の損害はギルドが出費すると思われ、人的被害は未だ調査中です……そして森での戦闘を含め、スフィー襲撃に加担した者とこの襲撃まで温存されていた者、計約200名を確保……そして、一連の事件の主犯と思われる少女の死亡が確認されました」

「おお、そうか……主犯死亡、か」


 ボランジェが関心し、ズィーベンへと視線を向けた……その瞬間。


「……死亡……?」


 マークがそう呟いた。


 ……それからのことはあまりにも一瞬だった。


 マークの体がほのかに紫色を含む白に光り、月属性魔法ムーンが発動された。周囲の人間、木々、大地から大量の魔力を奪う。


 ボランジェが振り返った時には、すでにマークの地面が円形に光り輝いていた。さらに、マークは力技で縄を引きちぎる。


「……お前‼︎」


 ボランジェはすぐさまダガーを取り出し、マークの首元に突き出すが……一瞬遅かった。


 直前、地面の光が一気に強まる。そして突き出されたボランジェのダガーは空を突く。そこには、既にマークの姿は無かった。


「な……⁉︎ 嘘だろ……⁉︎」

(なんだあの魔法の威力は……‼︎ エル……いや、下手したらオル段階にまで達するぞ‼︎)

「ボ、ボランジェさん!」

「周囲半径10……いや30キロまで捜索隊を組め‼︎ 奴は今消耗している‼︎ ここで逃したら2度と捕まえられないと思え‼︎」

「り、了解‼︎」

「クソ……ッ‼︎ 油断した……‼︎ ……クソッ‼︎」


 解放歴1127年8月11日午前7時11分。同年同月8日、スフィー襲撃に端を発した一連の事件は、こうして幕を下ろした。



※※※※※


 第16話〜第36話:誘拐編

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