第34話『マーク・ザ・リッパー』
解放歴1108年6月18日。マーク・ザ・リッパーは、ある平民の夫婦の間に生まれた。ただし、それは望まれぬ形であり、あまりに悲惨な人生の始まりであった。
マークの両親は、俗に言うデキ婚というものをした。気が弱い父親が母親に性被害を受け、運悪く妊娠。労働力が増えるからという理由で母親はマークを出産。
しかし母親は子育てというものを甘くみていた。泣く以外に意思を伝える手段を持たない赤ん坊は、彼女からしたら目障りでしかなかった。当然母親からマークへの愛など微塵も無く、この家庭に暴力が蔓延ったのは想像に難くない。
それでも、父親はマークを心から愛していた。母親は働かず、ただでさえ一日中の重労働で疲労が溜まっているにも関わらず、マークを育て、泣けば代わりに殴られる。
「ごめんな……父さんが弱いから……本当に……ごめん……ごめん……」
夜にはマークを抱きしめ、泣きながら何度も何度も呟く。
そんな生活が数年間続いた。
マークが5歳になり、物心がついた頃には、彼は感情を表に出さなくなっていた。当時、マークは家から追い出されることが多く、街にいる時間が長かった。だから知っていた。楽しそうに母親と遊ぶ子供達を見て、自分がおかしな状況にあると。本来母親というのは、子供を愛するものなのだと。自分の母親は、これ以上無いほど狂っていると。
ある日の夜。マークは母親に殴りかかった。
「わあああああ‼︎」
「ちょっ、離れろクソガキ‼︎」
いくら女性と言えども、5歳の体格で敵うはずもなかった。マークは殴り飛ばされ、地面に転がる。
「お前なんか死んじまえ‼︎ お前なんかがいるから父さんが泣いちゃうんだ‼︎」
「うるせえんだよこの木偶が‼︎ おいアンタ‼︎ とっととこのグズ泣き止ませろ‼︎」
「ご、ごめんなさい……ほらマーク、落ち着いて……」
「嫌だ‼︎ 殺してやる‼︎ お前だけは‼︎」
「ったく、元はと言えばテメェが私を孕ませたのが問題だろうが‼︎ だったらその責任は果たせゴミカス‼︎」
その日はマークと父親共に1時間以上殴られた。それ以来、母親から父親への攻撃はどんどんと激しくなっていった。朝起きては飯が不味いと殴られ、一日中働き、帰ってくれば金が無いと蹴られ、母親の機嫌が悪い時はマークを庇い、苦労して働いて得た賃金は全て母親が溶かす。
そんな生活に一般人……いや、例え訓練された騎士だとしても、耐えられるはずがなかった。
解放歴1116年7月7日。マークが8歳になって少しして、父親は遺書を残して自殺した。その遺書にはマークへの愛の言葉と謝罪、自己嫌悪の文が書き連ねられ、最初で最後のマークへのお小遣いとして、本当に僅かな、露店で何が安いものが買えるかどうか程度のお金が封入されていた。
そして、母親は家を出た。収入が無くなったのだから当然だろう。当然、マークを残して。
当時マークは学校に通うことができており、教師達の手厚い支援と残された家により一命を取り留めた。
母親が家を出て数日後、マークは父親のお墓の前でひたすらに泣いた。マークが泣いた……いや、感情を表に出したのは3年ぶりのことだった。泣いて泣いてずっと泣いて……その間、マークの瞳には1つの炎が灯ろうとしていた。
そして、父親の墓石の前で、ある1つの決意を固める。
(……絶対に許さない……父さんを死に追いやったあの女を……必ず殺す)
マークの瞳に、憎悪の炎が灯る。もしかしたらこの瞬間にようやく、マークの人生は完全に歪んだのかもしれない。もし、この時に母親を忘れられていたなら……きっと彼は悲惨な過去を持った1人の平民として人生の幕を下ろしていただろう。
それからマークは1人で生活を始めた。学生ながらに力仕事を引き受け給料を貰い、心の復讐心を大切に育てながら生きていく。12歳で学校を卒業してからは、短期の仕事を受けながら街を転々とし、奴を探した。
そして解放歴1123年10月26日。マークが15歳になった年。ようやく、見つけた。奴はとある街の飲食店で仕事をしていた。それを知った時、マークはかなり驚いた。奴がまともに仕事なんてできたのかと。てっきりまた誰かのヒモにでもなっていると思っていたが。
カランカラン。まだ空気の冷たい朝方、店のベルが鳴る。
「あ、すいませんねお客さん。まだ開店してないんですよ」
しかし入ってきた客はズカズカとテーブルに座り、顔を俯かせる。
「ち、ちょっとお客さ」
「俺が誰だか分からないのか」
「は、はあ? いや、アンタと会ったことなんか一度も……」
そして顔を上げた男の顔……それが己の記憶と重なる。
「お、お前は‼︎」
その瞬間、マークは立ち上がり……母親の腹にダガーを深く突き刺した。
「ガハッ……‼︎」
母親は床に倒れ、恐怖に染まった目でマークを見る。
「な……なんでお前がここに……‼︎」
「なんでって……分からないのか」
マークは床に広がる母親の血を指につけ、床に「ジャック」と書き記す。
「お前が殺した父さんの復讐だよ」
「わ、私は殺してない‼︎ あの男は自殺し」
「よくもまあそんな戯言を吐けるな。そうだな、なら2度とふざけたことを言えないように喉を裂いておこう」
「や、やめろ、来るな‼︎ 頼む‼︎ 今までのことは謝るから‼︎ お願い、殺さな」
……彼女と出会ったのは、母親を殺してから2ヶ月後のことだった。12月26日。その日は雪が降り積もっていたことをよく覚えている。
母親を殺してから、俺は生きる目的を失い、空虚な日々を送っていた。何もしたいことは無い。だからといって死ねば父さんを侮辱することになる。
その日も何もすることが無く、適当に街を歩いていた。そして1つの路地裏を通りかかり……俺はその時初めて彼女を目にした。
俺が彼女の後ろ姿を見た直後、彼女もまた振り返り俺の姿を見た。
……その時俺は彼女を、ガラスでできた花のように思った。手には血塗られたナイフを待ち、体の前面は血まみれで、なのに顔は酷く美しく、今にも壊れてしまいそうに感じた。
同時に、彼女は俺に向かってナイフを突き出してきた。俺は片手でそれを受け止める。彼女の顔を見ると驚きと同時に、キョトンとした疑問顔を浮かべている。
そして、彼女のお腹から可愛らしい音が鳴った。
「……腹減ってんのか」
「うん。最近お金盗れてなくて」
「……来い。奢ってやる」
「え、私を捕まえないの? 殺人鬼だよ、私」
「……オレももう人殺しの身だ。今更どうこうするつもりは無い」
本当に、ただの気まぐれだった。俺が気取っていいものではないが、人助けの一環として。
しかし俺は、この時まだ彼女の“狂気”を甘くみていた。
「あはは! あははははは! じゃあ私達は人殺し仲間だね! お友達!」
「お友達……?」
「ねえ、君のこといっぱい聞かせてよ! お友達なんだから、いっぱい一緒に遊ぼうよ!」
あんまりしつこく聞かれるので、俺は立ち寄った飲食店で自分の生い立ちを話した。母親がクズで父親諸共暴力を振るわれていたこと。8歳の頃に父親が自殺し、母親は姿を眩ませたこと。そして2ヶ月前……7年の月日が経ち、ついに母親を殺したこと。
「……ふふ、ふふふ、あはははははは!」
「……そんなにおかしいか」
「あははははは! だって私とほとんどおんなじなんだもん! ねえ、今度は私についてきて!」
彼女が俺を連れて行ったのは、先程とは違う路地裏だった。俺を横の建物に通すと、彼女は路地裏から顔を出し、通りかかった1人の男性に声をかけた。
「あ、あの……!」
「ん? どうしたんだい?」
「パパが、パパが瓦礫の下敷きに……! 助けてください!」
「な、なんだって⁉︎ 危ないから離れていなさい!」
男は大慌てで路地裏に入っていった。そして、事故の現場も無く少女の父親もいない路地裏を目にする。
「あ、あれ……? 瓦礫なんてどこにも……」
その瞬間、彼女は男の背中にナイフを突き刺した。
「ガ……ッ⁉︎」
「あはははははは! あはははははははははは‼︎」
地面に倒れ、這いずろうとする男の背中を滅多刺しにする。痛みと恐怖と混乱で叫び声を上げる男。かろうじて男は振り返り……自らを殺す少女の姿を目に入れる。
「ごめんね、おじさんいい人だよね」
男の首にナイフを突き刺す。
「でも、気持ち良くてやめられないの」
赤く染まる頬、不気味で艶かしい笑顔、血だらけの体。その全てが悍ましく、その光景を見た俺の顔はまさに戦慄の表情だった。
男が完全に絶命したことを確認すると、彼女は死体からお金を抜き出した。それを、純粋な笑顔で俺に差し出す。
「はいこれ。さっきはご飯ありがとう。そのお礼」
その時の俺はただ目の前の少女に戦慄し……そして僅かな同情の念を抱いていた。
「……お前、名前は?」
今度は俺が、彼女の生い立ちを聞いた。彼女は自分の生い立ちを、心底楽しそうに話した。笑顔の少女の口から語られるには、その話はあまりに悲惨すぎた。
話が終わった時、俺は静かに涙を流していた。彼女は、環境に狂わされた。俺なんかとは比べ物にならないほどの地獄。1人の少女が狂ってしまうには、充分すぎるほどの。
その時、オレは彼女を可愛そうだと思った。同情した。自分と重ねた。
そして、心から彼女に尽くしたいと思った。それは、母親への復讐を果たした俺にとっての、新たな生きる目標であった。
「あれ、なんで泣いてるの?」
彼女の名前を呼ぶ。
「なあに?」
「……俺はこの一生を、お前のために捧げる。お前のためなら喜んで殺されてやる」
「どうして?」
「……お前には、幸せになって欲しいから」
「うーん……? まあいいか。じゃあさ、今度は一緒に殺そうよ! その方がきっといっぱい殺せるし、見つかりにくいよ」
「……喜んで」
環境のせいで狂わされ、今まで何一つ幸せを得られなかった彼女には、本当に幸せになって欲しいと思った。
たとえその幸せの形が、限りなく歪んでいたとしても。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます