第22話『前座』
ぼーっとした意識という浮きが、眠りという深い海から浮き上がってくる。ふとした瞬間に目が覚めたことを理解し、起きなければと思うがまだ寝ていたいという心の叫び。
しかしそれは、軽く身を捩った際の違和感によって瞬く間に消滅した。意識が覚醒すると同時に、自分が今、誘拐され拘束されていることを思い出す。
そんなこんなで、マリアは緊張感で無理矢理眠気が吹き飛ばされ強引に目を覚ました。
手足の拘束も目隠しもそのまま。後ろ手に縛られている以上仰向けは辛いので左右どちらかに体を向けることになるのだが、恐らく寝返りが打てなかったのだろう、体の右半身が痺れている。床が硬い板材だという要因もあるだろう。
マリアはゴロンと転がり、左半身を下にして痺れをとろうとした。
しかし、転がろうとしたマリアの体は、硬い何かによって阻まれる。視界が奪われてはいるが、馬車の荷台の端なのだろうと当たりをつける。
ならばと反対側に転がるべく、マリアは力を込めた。
が、直後。
「目が覚めたか」
というあの金髪男の声が聞こえてきた。途端、マリアはビクッと体を震わせ動きを止める。しかし動き出した体は止まらず、結果マリアはうつ伏せの状態で停止した。
突然ゴロンとうつ伏せになり動かなくなる、死んだふりのような動きは……側から見れば、少し滑稽だったかもしれない。
「んぐ……っ」
「何やってんだ」
変な声を漏らしながらも、敵になんて答えてやるもんか、と若干の羞恥心を脳の隅に追いやる。
「……まあいい」
おそらく物音がしたから確認しに来ただけなのだろう。先程は体の痺れに気を取られ気づかなかったが、今度ははっきりと男が遠くへ行く足音が聞こえてきた。
その後程なくして、周りがガヤガヤと騒がしくなってくる。30人近くいるチンピラ達が起き出してきたのか。そうだとすれば直に移動は再開するだろう。
マリアはその時間で、改めて練った情報収集、及び脱出の作戦を整理した。
マリアの考えている作戦は以下の通り。
まず自分達が敵のアジトに連れていかれるという前提がある。この前提が間違っていたとしても、金髪男がおそらく何かしらの計画を立てて自分達を生かしているのだろうから、敵の近くで生存さえできれば問題は無い。いざとなれば無理矢理脱出するしかないが。
敵のアジトに到着した後は、マリアの魔法、昨日判明したクミンの気配察知を使ってできる限りの情報を集める。拘束がより強固にされる可能性もあるが、部屋の6面全てが金属で覆われそこに根本が溶接された拘束具で四肢と胴と首を繋がれる、なんてことにならない限り脱出はできる。
その後敵の行動パターンを把握し、頃合いを見計らって拘束部屋を爆破。出来うる限りアジト及び敵を爆破し甚大な被害を与えた後脱出。この際、転移魔法を持つ金髪男を拘束または行動不能にできるのが望ましい。あとは現在位置を把握し最寄りのギルドに駆け込み、レオ達と合流を待つ。
後半が少々無理矢理というか脳筋だが、マリア達の戦闘力は折り紙付きだ。実際拘束していた少女が突然次々と仲間やアジトを爆破していくのは恐怖だろう。
作戦を頭の中で整理し、話し合える時間はあるのかとマリアが思考を巡らせた時、恐らく金髪男がこの場所に乗り込んでくる音が聞こえた。まもなく馬車が走り出し、寝かされている荷台が揺れだす。
するとその振動でクミンとライフが起きたようで、唸るような声が聞こえてきた。
「……二人とも、起きた?」
「んぅ〜まだ寝かせてぇ〜……ああもう、こんな揺れてちゃ眠れないって!」
クミンは相変わらずだ。同乗している金髪男ももはや呆れたのかめんどくさくなったのか何も言わない。
ライフの方もあからさまに怯えることは無かった。そうは言っても怖がっていることは時折発される震える声で分かる。
「……ねえ金髪の人ー」
しばらく馬車に揺られ、マリアが再び作戦の思案に勤しんでいた時、そんなクミンの声が聞こえてきた。
「なんだ」
「お腹すいた」
「飯は無いと昨日も言っただろう」
「あたし達が餓死してもいいの?」
「水さえあれば1週間は死なん」
「もしかしたらあたし達既に1週間断食した後かもよ?」
「そんな元気な声でよくもまあそんなことが言えたものだな」
「チッ……あーレオ〜。お肉食べたーい。取ってきてぇ〜。じゃなきゃ夜這いするよ〜」
とうとうそんなうわ言を言い出すクミン。一回脅されても効果が微塵も無い。そのことを分かっているのだろう、金髪は何も言わない。しかし内心の苛つきは隠せていないようで、貧乏ゆすりをする音が聞こえてくる。
その後も「エッチな発散ができないよ〜」だとか、「そろそろトイレも行きたい。こればかりは譲れない」だとか、なんの遠慮も無く言い続ける。
そして約3分後。早くも金髪が折れた。
「……トイレはあと10分もせずに着くから我慢しろ。飯はこれでも食ってろ」
「んむぅ⁉︎」
そう言って、金髪の足音がクミンに近寄り、恐らく携帯食でも口に突っ込まれたのであろうクミンが声を上げる。モゴモゴとそれを食べ、満足そうに息を吐くと、クミンは静かになった。
マリアはというと、あと10分もしないで目的地に到着するという男の言葉について思考を巡らせていた。
街を襲撃などという大事件を起こしたため、アジトはかなり離れた場所にあると予想していたのだが、想定よりよっぽど近い。拘束された直後の転移で距離を稼いだ可能性もあるが、それでも10キロ以上はありえないだろう。向かっているのがアジトではないのか、一度立ち寄るだけなのか……。
と、その時。
「前方に魔物発見! 戦闘部隊は出ろ!」
進行方向から声が飛んできた。すぐさま馬車は停車し、周りの馬車から物音が聞こえて来る。
これはマリア達にとっては少しまずい事態だ。仮に現れた魔物が強力だった場合、自分達も襲われる危険性がある。そうなれば強行脱出を余儀なくされ、作戦の練り直しが必要だ。
知らず知らずのうちにマリアが冷や汗を垂らしていた時、マリア達のいる馬車に新たな来訪者が訪れた。
「ありゃりゃ。こりゃ大変っすね〜」
そんな声と共に、荷台に乗り込んでくる音が聞こえる。声は中性的で、性別を特定させないが、僅かな響きから男性だろうと当たりをつける。
「僕も行ってこようか?」
「いやいい。お前は温存しておけ」
温存。その言葉にマリアの眉がピクリと動く。そして金髪と親しみがある様子から、昨日ここにきた若い男と共に幹部のような立ち位置にいるのではないかと予想する。
すると。
「な⁉︎ C級の
「があああああ‼︎」
「く、来るな‼︎ ガハッ‼︎」
男達の叫び声が魔物がいるであろう方向から聞こえてきた。
マリアは叫ばれた顎亀という名に聞き覚えがあった。顎亀は体長2メートルにも及ぶ陸亀の姿をしたC級モンスターだ。読んで字の如く顎の力がとても強力で、骨などは容易に噛み砕いてしまう。厄介なのは移動速度はまだしも、噛み付く際の首の動きが異様なまでに速いことだ。そのため鈍い移動に慢心して近づいた冒険者が反撃を受けるという事例が跡をたたない。しかしそれさえ知っていれば後方から魔法で攻撃すればいいのだが……どうやらここのチンピラ達はその知識を持ち合わせていなかったらしい。
その後も断末魔が響き渡り、血が飛び散っているのか水音もする。
「……あ、ああっ、ああっ!」
絞り出されるように発されたその声の主は、あの中性的な声の人物だ。それは無惨にも命を刈り取られた仲間に絶望し、悲しむ声……ではなく、どこか妖艶さを含んだ、可楽を感じているような声だった。
「あはぁっ、血が……ゾクゾクするなぁ……我慢できなくなっちゃうよ……」
やはりその声には明らかな興奮が含まれており、マリア達3人はゾッとする嫌悪感を抱いた。
「全く……所詮は寄せ集めか」
大した訓練を受けていない一般人は、E級モンスターでも倒すのに苦労する。D級でも複数人で作戦を練ってようやくというところだろう。ほとんど魔物と戦ってこなかったチンピラなら、複数人でもC級相手にはボコボコにされてしまうだろう。
チンピラ達の断末魔はその後も絶えず響き渡っていた。中途半端に体を喰われたのだろう、その断末魔は恐怖より苦痛の色が濃い。
マリア達3人が気分を害していると、金髪が荷台から降り、顎亀の方へ歩いていく音が聞こえた。そしてしばらくすると、
「クアアアアッ‼︎」
という顎亀のものであろう叫び声が聞こえてくる。しかしそれはすぐに
「グゴァッ⁉︎」
というくぐもった声に変わり、それを最後に顎亀の声はしなくなった。
恐らくあの金髪があっという間に討伐してしまったのだろう。金髪の実力が垣間見える。その実力はB級以上は確実か。正面から戦えば、マリアでも敵わない可能性もある。
「あはぁ……ああ、いい前菜になったっすぅ」
その声が聞こえた瞬間、3人は冷たい金属で背中を貫かれたかのような怖気を感じた。気配察知能力を持っていないマリアとライフでも分かる。今この男は、自分達を絶対零度の目で見ている。それは人を見る視線ではない。おもちゃやデザート、ただ己の欲望を満たすための道具という認識を、自分達に向けているのだと肌で分かる。
ライフはまたも恐怖から震える声を漏らし、マリアとあれだけ呑気なことを言っていたクミンも、口をきつく結んで冷や汗を垂らした。
「はは、そんな怯えなくても大丈夫だよ。まだあまり乱暴なことはしないからさ」
まだ。あまり。そんな不穏な言葉に、さらに空気が張り詰める。
「……なんだ、お前何した」
「別に何もしてないっすよ?」
馬車に戻ってきた金髪と軽口を叩き、中性的な声の男は後方の馬車へと向かっていった。その足音が消えた後も、3人はしばらく恐怖の余韻に抱かれ、身じろぎ一つできなかった。
その後すぐに馬車は再び進み始めた。いつのまにかチンピラの断末魔は聞こえなくなっており、こんな末端のチンピラが回復魔法が使える技術を有しているとは思えないので、恐らく出血多量でこと切れたのだろう。時間的に死体の回収はしていないようだ。
そしてしばらく馬車の揺れに身を任せること約8分。マリア達の体感だと倍以上の時間ではあったが、とうとう馬車が停止した。
金髪の男が荷台から降り、仲間に指示を出す声が聞こえてくる。
「御者は馬車を奥に隠せ! 他は分担して荷物の運搬だ!」
それだけ言うと、男はもう一度荷台に近づいてきた。そしてもう一つの足音が、マリア達のいる荷台に乗り込んでくる。
「お前は銀髪の女を運べ」
「分かったわ」
恐らく3人目の幹部格と思われる人物は女の声だった。凛としているが、どこかおっとりしている声。しかしこの集団に混ざっているということは、この女もきっと残忍な性格をしているのだろう。
その女はマリアに近づくと、背中と膝に手を回して抱き上げた。すぐさま警戒を強める。しかし何かされるわけでもなく、いわゆるお姫様抱っこ状態でマリアは運ばれていった。ちなみに、マリアは見えていないがクミンとライフは金髪に両肩に担がれていたりする。
「ひぃっ⁉︎」
「あっちょっと、変なとこ触んないでよっ!」
ライフとクミンの声が聞こえてくる。2人も危害を加えられた様子はない。
3人は抱えられた状態でどこかへと運ばれていった。夏の暑い日差しが照りつくのを感じる。それもあって自分が今どのような環境にいるかは分からない。
数分間その状態が続き、ある時運んでいた女と金髪が立ち止まった。そしてガシャンという、金属扉を開けた音が聞こえた。再び3人は運ばれ、どうやら地下に向かっているようだ。扉の前はすぐさま階段になっていたのだ。
石を踏み鳴らす音が規則的に響き、地下へ地下へと潜っていく。やがて下方向への移動が終わり、今度は横へと歩いていく。
数十秒間歩き続けると、女と金髪は歩くのをやめ、また金属扉を開ける音が響く。その響きは、明らかにここが地下空間であることを物語る響き方だった。
その中へ入ると、3人は再び横にさせられた。伝わってくる感覚は、先ほどまでの馬車の荷台の板材ではなく、硬く冷たい石の感覚だった。日差しが無い分外より体感温度は低いがいかんせん湿度が高い。不快度で言えばここの方が断然上だ。
マリアがゴツゴツとした床に不快感を覚えていると、先程の女の手が頭に伸ばされた。咄嗟に魔法で攻撃しそうになるが、その手は後頭部に伸ばされ、何やらゴソゴソとした後、引っ込められた。
同時に、マリアの目隠しが外される。女は後ろで鉢巻のように結ばれたマリアの目隠しを外したのだ。
久しぶりに取り戻した視界に最初に映ったのは、綺麗な女性の顔だった。ウェーブした髪を肩まで伸ばし、声に違わずおっとりした顔をしている。
肩越しに後ろを見ると、金髪にクミンとライフも目隠しを外されていた。クミンは特に表情は無かったが、ライフは見ている方が痛々しくなるほどの泣き顔をしていた。
「はい、大丈夫。でも、手足は縛ったままなの。ごめんなさいね」
それだけ言うと、女は金髪と共に部屋を出ていった。扉から出る時、女はマリア達の方を一瞬だけ振り向き、
「……メインディッシュは誰になるかしら?」
と言い残していった。
それからは敵側からの接触も全く無くなり、ただ時間だけが過ぎていった。クミンはまた喋ろうとする度に見張りに怒られ、ライフが見張りの「どの女がいい?」「俺はあのちっこいの」という会話に恐怖の声を上げるという出来事はあったが。
そして体感夜。蒸し暑さが和らいできたぐらいの時間帯。
マリアは部屋の隅に極力音を立てないようにゴロゴロと移動し、2人に背を向けて寝転んだ。
「……2人とも、聞こえてる?」
するとクミンとライフの耳にマリアの声が聞こえてきた。慌てて扉の方を見るが、見張りは気づいている様子はない。
「聞こえてるなら、自然な感じで声を出して」
「え……? う、う〜ん……」
「むにゃむにゃ、むにゃむにゃ」
ライフ、クミンが少々怪しい声を出した。見張りはこれには気づいたようで、訝しむような会話をしたがすぐに雑談に戻った。
「うん、大丈夫。今、魔法で2人だけに声が届くようにしてる。……これから調査と脱出の作戦を伝えるから、よく聞いて」
これは14ある属性の内の一つ、音属性の魔法である。音属性魔法は発する音に様々な効果を付与するのが多いが、この魔法もその一種だ。名はディレクション・サウンド。一定の方向に魔力を伸ばし、それをそのまま音に変換する。これによって、周りに聞かれることなく相手に話しかけることができるようになる。
「……決行は多分、明日の昼から夜になると思う。充分な情報収集ができないようなら、もっと早くなる。だから、いつでも戦える準備はしておいて」
作戦を話し合えると、マリアはそう話を締めくくった。肩越しに振り返ると、こちらを見つめるクミンとライフと目が合った。ライフは決然とした表情を浮かべ、クミンはレオに似たニヤリとした笑みを浮かべている。
マリアもまた、2人を見て表情を和らげた。
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