対の世界

Scandium

第1話『表』

「スゥ……スゥ……」


 女性が心地良さそうな顔で小さな寝息を立てている。


「……フッ……」


 その女性の顔を見た男は静かに微笑んだ。









 だだっ広い草原に、穏やかな風が吹く。草花がそれに体を委ね、葉が擦れ合う音がなだらかに響く。そんな草原を、レオ・ナポリは歩いていた。


「風が気持ちいいな〜」


 レオ・ナポリは短めの茶髪を靡かせる8歳の少年である。細めだがたくましい肉体は、本当に8歳かと疑いたくなるほどだ。


「こんな日はどこかに冒険にでも行きたいな〜」


 そんなことを呟きながらレオがしばらく草原を歩いていくと、木造の家々が集まる集落にたどり着いた。そこからさらに少し歩き、この集落の学校へと入っていく。


「あ、レオ! いいところに」


 教室に入ると、真ん中で雑談していたレオのクラスメイト達がレオに駆け寄ってきた。


「な、なんだよ」

「今度の休みさ、レオん家の近くにある森に皆で探検に行こうぜ!」

「探検〜?」


 レオは鞄を机に置きながら首を傾げた。


「そう! クミンから聞いたんだけどさ、レオん家の近くにデカい森あるんだろ? 何もすること無くて暇だからさ〜、連れてってよ!」

「何もすること無いって、宿題は?」

「グッ……」

「……まあいいぜ! 面白そうだし、オレも最近つまんなかったからな」

「本当⁉︎ やったー!」


 クラスメイト達は大はしゃぎ。女子達から白い目で見られ、近くの教師からもお叱りを受ける。しかし仕方ないだろう。皆8歳の男子なのだ。はしゃぎたい年頃なのだ。探検だとか冒険だとか、そういうのに憧れる年齢なのだ。









 あっという間に数日が経ち休みの日。レオとそのクラスメイト計5人は、学校のある集落から東に広がる草原を朝からひたすらに歩いていた。まだ日は昇り切っておらず肌寒い。


 朝っぱらから1時間ほど休憩しながらもほとんどずっと歩いている。子供には……いや、大人でも1時間ひたすら歩くのは辛いだろう。


「ねー疲れた〜」

「レオはよく毎日こんな歩けるね」

「走ってりゃすぐ着くよ」

「うっそだあ〜。もう10キロぐらい歩いてるってえ〜」


 もう足がクタクタになった子供達は会話で疲労感を紛らわそうとしていた。そんな時だった。先頭を歩いていた子が前方を指差し、「あっ!」と声を出した。


「え? ……な、何あれ!」


 指を差された先には、茶色い体をもつイノシシが草原を歩いていた。それだけなら別になんてことはないのだが、そのイノシシが普通でないことにすぐに気づいた。体が巨大なのだ。具体的には体高が2メートルほどもある。


「い、イシノシシだ……!」


 イシノシシ。ぷっくりと膨らんだ頭が石のように硬いことから名付けられた魔物。その突進の威力は凄まじく、民家など一撃で粉砕できるという。この付近ではとても恐れられている魔物である。


 イシノシシは子供達に気づくと、その巨体をゆっくりと子供達の方に向けた。


「ね、ねえどうすんの……!」

「……教科書に書いてあっただろ、イシノシシに会った時は刺激しないようにゆっくりと……」


 子供達が半ばパニックになりながら話していると、イシノシシは相手を格下とみなしたのか突如子供達に向かって突進してきた。その速度はたとえ大人であっても逃げきれないほど。草原の草花を散らし、土を巻き上げながら猛烈な速度で突っ込んでくる。


「え⁉︎」

「逃げろ‼︎」

「うわあああああ‼︎」


 その姿を見て子供達は恐怖に駆られ、踵を返して全力で逃げだした。しかしその速度差は歴然。ドンドンとイシノシシとの距離は縮まっていく。


 イシノシシは突進の最中、1人背中を向けていない少年がいることに気がついた。その少年、レオ・ナポリは自身に全く臆さずにその場に立っている。まだ幼さの残る顔には恐怖の色など微塵も無く、あくまで自分に立ち向かうつもりのようだ。


 そんなイシノシシの考えなど知らないレオは、イシノシシの突進をその場から動かずに見ていた。両者の距離はものの10数秒で5メートルほどまで縮まった。


 瞬間、レオは飛んだ。巨大な猪を裕に越える高さまで。そのままイシノシシは走り、自身が標的にしていた獲物がいないことに気づき停止する。着地したレオはまたも飛び上がり、イシノシシの上空から頭を全力で殴り抜けた。


「ハアッ‼︎」


 膨らんだ頭部にレオの右手は直撃し、嫌な手応えとともに頭を粉砕した。「ぷぎゃぁ‼︎」という声と共に命を落とした一頭の獣は、体を地面に横たえ動かなくなった。頭に空いた穴から血と脳汁が垂れ、地面を汚していく。


「よし……おーい皆! もう大丈夫だぞ!」


 なりふり構わず逃げていた4人はレオの声に振り向いた。そして血塗れになり絶命したイシノシシが目に入る。4人は唖然とし、ハンカチで拳の血を拭うレオを見た。


「……レ、レオがやったの……?」

「うん。オレん家街から離れてるからさ。こういうのいっぱい倒してんだよ。オレがいれば皆大丈夫!」

「は、はは……凄いや……」


 子供達は引き攣らせた笑みを浮かべた。中々にグロテスクな現場に出くわしたものの5人は大したショックも無いようだった。1人は「うわ気持ち悪!」と言い見ないようにしていたが。


「それより、もうすぐそこだよ、オレの家」


 レオはイシノシシの死体を回り込むと草原の奥を指差した。見ればその先にはこぢんまりとした一軒家と、そこから少し離れた場所に巨大な森が存在した。


 子供達はそれを見ると


「おお!」

「でっけえー!」


 などと感嘆の声を漏らし、それまでの疲労感など瞬時に消し飛んだように走り出した。レオはというと、懐からなんとナイフを取り出した。それをイシノシシに突き刺し、肉を剥ぎ取っていく。


「……ちょっと待てよー!」


 それからしばらくして、5人は森の入り口まで辿り着いた。薄暗くジメジメした森はどこか不安を煽る雰囲気を持っていたが、それは子供達の探究心に火をつけるだけだった。


「よし早速行こう!」


 と1人が森に足を踏み入れようとした、その時。


「あ、待って。この肉家に置いてっちゃうから」

「え、食べるの?」

「食べるよそりゃ。食べないならなんのために倒したんだよ」

「そ、そっか……」

「じゃあ待ってて。5分ぐらいで戻ってくるから」









 レオが自宅に肉を届け、また森の入り口まで戻ってきたのは、それから約10分後のことだった。まだ血抜きが充分でなかったために手間がかかったのだ。


「やっばー。怒られちまう」


 すぐさま家を飛び出し、森に向かって走る。ほんの100メートルほどを8歳とは思えない速度で走り抜け、森に辿り着く。


 しかしその場には、クラスメイト4人の姿は無かった。


「あれ……まさかもう入っちゃったか。まあ遅れたのはオレだししょうがないかあ」


 そう呟くと、レオは森の中に入っていった。ナポリ家が作った、木々が伐採されてできた道には風で落ちた落ち葉が散乱している。そこには明らかに人が踏んだ後があり、4人が先に進んでしまったことは明白だった。


 今は夏場なので、多少ジメジメしながらも日光が当たらず、気温が低めの森は過ごしやすい。レオが歩きながら欠伸をした、その時。レオが脚を下ろすと、落ち葉とも土とも違う、水気を帯びた感覚を覚えた。


「ん? ……は⁉︎」


 下を見ると、紅い液体が落ち葉の上から降り掛かっていた。少し前を見れば同じ液体が点々と奥へと続いている。


「血……⁉︎ 皆‼︎」


 レオは駆け出した。森の奥に進んでいくほどに地面の血の量は増えていっている。場所によっては引きずられたような跡があったり、周りの木に飛び散ったりしている。


「ハア、ハア、ハア……‼︎」


 5分ほど走った時だろうか。地面の血が周りの木々へと曲がり、さらに奥へと続いていた。そこに駆け込み、尚も走る。


 するとすぐに、レオはとある木の影に倒れている1人の男子を発見した。後ろを向いているが、レオのクラスメイトだとすぐに分かった。


「だ、大丈夫……」


 その木を回り込んだ時、レオは見た。何者かの足を口に咥え、口から血を垂らしている紺色の狼を。倒れていた男子の下半身は欠損しており、狼の奥に転がっている。周りには他のクラスメイトも倒れており、誰もが体から血を流している。それに喰らいつくもう2体の狼。


 レオが最初に見た狼は肉が喰われ、骨が露出した足を地面に落とし、姿勢を低くした。その瞬間にレオは本能で危険を察知し、腕を交差させた。


 次の瞬間、狼はレオに向かって飛びかかってきた。鋭い牙が左腕に突き刺さり、さらにその衝撃で後ろに倒れてしまう。


「うっ!」


 レオは倒れながらも右の拳を繰り出した。狼の鼻先に命中し腕から離れるが、立ちあがろうとした瞬間には右から2体の狼に襲われる。レオは咄嗟に左に跳び、距離をとった。


 この狼の名は紺狼コンロウ。文字通り紺色の体毛が特徴の狼型の魔物である。紺狼に遭遇した際は無闇に逃げない方がよい。なぜなら協調性が高く、仲間のいる場所に誘い込まれてしまうからだ。


 レオは奥で倒れているクラスメイト4人を見やった。下半身が千切れている子供は当然のこと、他の3人も出血量から見て既に手遅れであることを子供ながらに理解した。


(皆……‼︎)


 一瞬の思考の隙を突き、2体の紺狼は動いた。左右に分かれ、レオを挟み撃ちの形で攻撃する。レオが繰り出した拳は右の紺狼に当たり怯ませたが、左から腕を爪で切り裂かれた。


 更に始めにレオに噛み付いた紺狼も攻撃を再開。正面と左右の3方向から噛みつきと鉤爪の攻撃が迫ってくる。


「ハアアアアッ‼︎」


 レオは左の紺狼の頭目掛けて左脚を繰り出した。渾身の蹴りは紺狼のこめかみに直撃。他の2体を巻き込んで吹っ飛んでいく。


(……なんだ、この感覚……)


 地面に倒れた紺狼を追い、レオは紺狼の頭を何度も何度も全力で踏みつけた。今度は全力で紺狼を蹴り飛ばし、追撃のために走り出そうとした……瞬間。


 背後から2体の紺狼がレオに飛びかかり、地面に押し倒した。四つん這いになったレオに紺狼2体分の重さがかかる。四肢や胴体に噛みつかれ、激痛が走る。もう既にレオの体はボロボロで、とても8歳の子供が耐えられるダメージではなかった。


 しかし。


(……友達が死んでるっていうのに、今にも殺されそうだっていうのに、全身が痛いっていうのに……なんだこの高揚感は‼︎)


 レオは1体の紺狼の脚を掴むと全身の激痛を無視して立ち上がり、背負い投げで紺狼を紺狼に叩きつけた。直後に背中をもう1体の紺狼に切り裂かれる。しかしレオは振り向きざまに全力でそいつの頭を殴り抜けた。


「は、はは、はははは‼︎ いいぜお前らかかってこいよ‼︎ オレがぶっ倒してやるぜ‼︎ ハーッハハハ‼︎」


 この瞬間、レオの頭はイカれていた。いや、元々イカれていた本性が解放されたというべきか。今レオが感じているのは苦痛と恐怖……そして確かな興奮と高揚感だった。


 殺したたかいに楽しみを見出し、他の生物を殺す。普通の人間ならあり得ないだろう。しかし長年の狩猟生活で構築された死生観と、生まれ持った戦いへの適正。それらが今まで普通だったレオを破壊した。


 レオはひたすらに飛びかかってくる紺狼をぶっ飛ばし続けた。頭を殴り、腹を蹴り、投げ飛ばす。体の痛みなどは脳内麻薬によって遮断され、自然に脚を動かして歩くように、無駄の無い動きで敵を薙ぎ倒していく。


「ハア、ハア、ハア、ハア!」


 どれほど乱闘が続いた時だろうか。紺狼もレオも体力が限界に近づいてきた頃、レオは錆びついた滑車のように動かない脚で正面の紺狼の頭を蹴った。しかし限界に近い体から放たれたそれはあまりにも弱々しく、少し後退させる程度でしかなかった。


 その時、とうとうレオの身体に限界が訪れた。突如として目眩が訪れ、レオはその場に膝をついた。


(まず……)


 顔を上げて目に入ったのは、自分目掛けて飛びかかってくる、口を大きく開けた紺狼だった。紺狼の体もボロボロだが、動けなくなった獲物を仕留めるぐらいわけなかった。


 レオがその紺狼を睨んだ……瞬間。


「レオー‼︎」


 という女性の声が森に響いた。同時に目の前の紺狼の顔面に、色白の脚がめり込んだ。紺狼は吹っ飛んでいき1本の木に激突。そいつは頭から様々な液体を垂れ流しながら絶命していた。


 レオの前に着地したその人は、長く色の薄い金髪を垂らした少女だった。


「姉ちゃん……」


 2体の紺狼は突如現れた少女を危険因子と判断。左右から同時に飛びかかった。同時に、少女は跳んだ。一瞬にして高い木の枝まで到達し、両足を枝につける。2体の紺狼が重なったタイミングで枝を蹴り、地面に向かいながら拳を振り抜く。レオがそれを認識し、脳が情報を処理した時には2体の紺狼は重なって死んでおり、2体とも体の真ん中に穴が空いていた。


 少女は拳を紺狼の死体から引き抜くと、軽く頭を振った。ちょうどその時少女に日が差し、スポットライトのように少女を照らす。金髪が日の光を反射してキラキラと輝き、神々しさすら感じる。背中はこちらを引っ張ってくるように凛々しいのに、美しさも備わっていた。


「レオ‼︎ 早く傷を塞がないと……!」

「……かっこいい」

「え? と、とにかく早く家に!」


 レオは少女……姉に肩を貸してもらいながら家に戻った。その最中に事の経緯を姉に説明。レオを送り届けた後すぐに姉が森に入ったが、やはり4人は既に死亡し、手遅れであった。









 2年生5人が森に侵入し4人が死亡。この凄惨な事件が大問題となったことは想像にかたくない。学校側は自分らが子供を預かる責任というものを理解できていなかったと謝罪。しかし5人の親もまた自分らの教育が足りなかったのだと述べ、学校と親の共同会議が行なわれた。


 様々な案が出され、子供に対する関心は深まっていった。しかし失われた命は戻ってこない。4人の親は悲しみに暮れ、魔物を憎み、自身を呪った。しかし無情にも時は過ぎていき、事件は記憶となり、過去のものへとなっていく。


 あの一件から7年が経過していた。


 15歳となったレオ・ナポリは、例の森をのんびりと歩いていた。春の穏やかな空気に包まれ、欠伸をしながら進んでいく。


 すると道の真ん中に紺色の狼……紺狼がいた。


「おっ、紺狼か。……こいつが旅立ちの日の飯になるとは、運命ってやつかな」


 紺狼は吠えながらレオに向かって走ってきた。レオはタイミングを合わせて拳を振るい、紺狼の頭を一撃で砕く。


 地面に落ち動かなくなった紺狼を無視し、レオは左前方の木の影に回り込んだ。そこにはもう1体紺狼がおり、自身の居場所がバレていたことに驚愕しているようだった。


 そいつの脚を掴み、道の反対側に放り投げる。これまた木の影に隠れていたもう1体の紺狼も巻き込み、2体は木に激突した。レオは吹っ飛んだ2体を走って追いかけ、途中で跳躍。膝蹴りを2体にまとめて喰らわせ、同時に絶命させた。


 拳と膝についた血をハンカチで拭き取りながら、レオは口元をニヤリと歪ませた。


「……いよいよ明日だ……あの日、姉貴の背中見て決意してから7年か……いよいよ明日、オレは冒険者になるんだ!」



※※※※※


対の世界 裏

https://kakuyomu.jp/works/16817330648165051154/episodes/16817330648954000777


ビフォーレジェンド(対の世界の短編版)

https://kakuyomu.jp/works/16817139559023464875

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