対の世界 裏

Scandium

第1話『裏』

「もうやめてよ……無理だよ……‼︎ 私達はここで……もう……‼︎」

「いやだ……絶対に……‼︎ 僕が苦しいだとか痛いだとかは関係ない‼︎ 2人が死ぬか生きるかなんだよ‼︎ そして、2人とも生き残るためには、目の前のこいつを殺さないきゃいけないんだ‼︎ ……アアアアアアアア‼︎」









 だだっ広い草原に、穏やかな風が吹く。草花がそれに体を委ね、葉が擦れ合う音がなだらかに響く。貴族や資産家が多く暮らす街から伸びるこの道はとある施設へと繋がっている。アルティス・ガパオは手に持つカバンが重みを増した様な感覚を覚えながら歩いていた。


 アルティス・ガパオは一般の家庭に生まれた普通の少年である。中肉中背でぼさっとした黒髪、いつも疲れた様な目をしている。


 アルティスがしばらく道を歩いていくと、森に隣接した、広い校庭をもつ大きな学校があった。この学校の名はエーミール学院。蝶を校章とした超エリート校である。


 6月26日、この日アルティスはこのエーミール学院に転入することとなった。時期が中途半端なのは、第7学年に進級するのを6月に入ってから決めたからである。


 この国の学校は6、7歳の時に入学し、6年で卒業することとなる。しかし一部のエリート校は7、8年目も学校に通い、15歳で職に就くための知識を蓄えるのだ。


 アルティスは学院に入ると、一旦職員室の方に通された。しばらくして教室……第7学年第2クラスに通される。


「えー、彼が今日からこの学院に転入してきたアルティス・ガパオです」

「……アルティス・ガパオです……よろしくお願いします」


 教室の前でぎこちなく頭を下げるアルティスに、教室中の視線が集まって来る。それはアルティスを検分するようで、一部の男子は蔑んでいるようにも見える。


「アルティスの席はそこです。では、早速授業を始めましょう。分からないことがあれば、隣のクリスに聞いてください」


 担任は教室の後ろの隅にある空席を指差した。どうやら自己紹介の時間等は無いようで、そそくさと授業の準備を始めてしまう。


 アルティスの隣の席にいたのは、金髪をミディアムカットにした、小柄な方のアルティスより少しだけ背の低い少女だった。先生にクリスと呼ばれたその少女は、隣に座ったアルティスをジトッとした目で見た。


 その日の放課後、アルティスはその隣の少女に呼び出された。2人は生徒用の休憩室にて対面し、クリスは自分より背の高いアルティスを見下すように腕を組んだ。


「……私はこのクラスの学級委員をしている、クリス・レートよ。……一般の学校から生徒を受け入れるとは聞いていたけど……そういう教育を重視したと言えばいいのか、落ちぶれたと言えばいいのか。……これからあなたにこの学院を案内してあげるわ」

「……めんどくさいなあ……別にいいって」

「べつにあなたのためじゃないわ。先生に言われて仕方なくよ。さあ、こっちに来なさい」


 エーミール学院は第7、第8学年がある分教室が多い。それだけでなく2人がいた生徒用休憩室等普通の学校には無い部屋がいくつかある。生徒数に伴い教師の数も多いため学院はかなり大きく、全て回るのにはそこそこ時間がかかる。


 クリスは廊下を歩きながらアルティスに話しかけた。


「……ねえ、私にあなたのことを教えてくれない? 学級委員として、統率を取るには人を知っておかなければならないの。なんでもいいわよ。趣味とか」

「……僕は君の指図は受けないよ」

「な……! 指図とかそういうのじゃなくて! 学級委員にはクラスをまとめる責任が……!」

「ああはいはい……君みたいな口うるさい人は苦手だ……趣味ねえ」

「読書? オーケストラ? そういえば、チェスが好きな子もいるわね」

「……無いかな」

「な、無い?」

「僕は昔から物欲が無いからねえ……自分から何かやりたいと思うことも無いし……失敗してイライラするのも嫌だし……」

「将来の夢とかは? それも無いの?」

「うん」

「じゃあどうしてこの学院に来たのよ。別に適当な仕事に就ければいいのなら、わざわざ転入までしなくてもいいじゃない」

「……親が言ったんだよ。内気な性格を治すのにもちょうどいいんじゃないかって。やりたいことも見つかるかもしれないし、どちらにしろ仕事に就くのも楽になるし」

「ふーん。随分とフワフワした理由でよくこの学院に入れたわね」

「まあ、勉強はできないわけじゃないから」

「……」


 この時、クリスはアルティスに言いようのない嫌悪感を抱いていた。アルティスのウジウジとした言動、ハキハキとしない言葉、常に気だるげで自分勝手なふしがある。これらのアルティスの態度はクリスの心に静かな苛立ちを募らせていた。


 また、アルティスが教室に入ってきたその時から、教室中の生徒、そして教師すら態度以前にアルティスに忌避の念を抱いていた。恐らくどのクラスにアルティスが入っても、9割以上の人々が同じ感情を抱くだろう。


 言語化し難いその感情は、エーミール学院に在籍している者達の高いプライドによるものだった。


 エーミール学院は並の努力では入れないほどの超エリート校。この学院に在籍している生徒は皆、どの仕事に就いても即戦力になり得る成績を誇る。高いプライドの原因はそのような結果やそれを維持する努力故……ならいいのだが、1番の原因は他にある。


 それは生徒らの出身である。エーミール学院に通っているのは、金と自尊心だけはある貴族や大富豪の子なのだ。生徒達は幼少期から自分は一般人より立場が上という先入観を叩き込まれ、エーミール学院に通えるのは名誉なことだと教えられる。


 長年培われた価値観が、明らかに一般人で自分達より格下のアルティスを快く迎え入れることを許すはずがなかった。


 アルティスとクリスは、ある程度の時間を費やして校内の案内を終わらせた。続いては屋外、校庭等の案内だ。と言っても特に何も無いので見渡すだけになりそうだが。


 2人が下駄箱までやってきた時、角から1人の男がやってきた。


「あ、ボートさん。こんにちは」

「おおクリス。こんちは。そっちは……今日から入ってきた転入生だな」


 その男は銀色の髪を短髪にし、無精髭を携えた40代ほどの男性だった。濃いめの青色の服の上からでも、その体が鍛え抜かれていることが分かる。そして驚くべきことに、その背中には巨大な大剣が背負われていた。


「け、剣……」

「ああそっか。お前さんは俺のこと知らねえのか」


 男は親指を自分に向け、ニカッと笑ってみせた。


「俺の名はボート・アルフォート。この学校に常駐しているA級冒険者よ!」


 この世には、魔物と呼ばれる人を襲う生物が跋扈している。魔物とは、体内に魔力を含んだ動物のことだ。これらは見た目は普通の動物と変わらないのだが、見た目が馬や牛等の草食動物であろうと皆一様に肉食で人を襲う。


 その魔物の討伐を主に活動する職業、それが冒険者だ。冒険者はギルドという冒険者を支援する施設にて、年に一度行われる冒険者選別試験に合格することでなることができる。


 魔物と冒険者はその実力によりE〜A、そしてS級の6段階の階級に分類される。基本はE級モンスター(E級の魔物のこと)はE級冒険者が、C級モンスターはC級冒険者が、というように魔物と同階級の冒険者が討伐にあたる。


 ほとんどの冒険者はC級止まりで、殉職率が高い冒険者の中でも長年戦い続けた超ベテランがB級になることができ、その中でもずば抜けた才能を開花させた一部の者だけがA級になることができる。


 そしてS級はあくまで例外という扱いで、何百、何千種という魔物の中でも21種のみがS級に認定されており、冒険者でS級になった者は歴史上誰もいない。魔物にS級がある以上冒険者にも必要だよねということで存在しているが、ギルド自身がS級への昇級を厳しくしていることもあり、その座は空席のままなのだ。


 つまり、現在の冒険者のトップはA級冒険者であり、そのA級に認定されているボート・アルフォートは、冒険者の中でもトップクラスの実力を有しているということだ。


「A級冒険者……? 本当に……?」

「おうホントよホント。嘘なんかつかねえって!」

「でもなんで冒険者がここに……」


 そんな至極真っ当なアルティスの疑問に、クリスが答える。


「この学院、街から離れてるでしょ? だから万が一魔物に攻めてこられた時のために、ボートさんが常駐してくれているのよ」


 エーミール学院は、トゥエフという街から北へ抜け、草原を数百メートル進んだ先にある。学院は森に接するように建てられており、草原にも森にも魔物がいる。


 貴族や富豪の坊ちゃん嬢ちゃんが通う学校が魔物に襲撃されるなどあってはならない、と、お偉いさん達は考えた。まるで一般人は襲われていいという言い分だが実際そんな感覚なのだから酷い話だ。


 それにしても、冒険者のトップたるA級を常駐しておけるのだから、エーミール学院の財力は凄まじい。生徒の安全というより学院の面子のためではあるが、実際安心感はあるだろう。


 ボートと別れた後、アルティスとクリスは靴を履き、校庭に向かった。


 校庭は正門から見て校舎を左に90度回り込んだ場所にある。そのすぐ横は木々の生い茂る森になっていて、朝早くに学校に来ると心地よい小鳥の囀りが聞こえてくる。


「……本当に森に隣接してるんだな……」


 森と学校の敷地を仕切る塀越しに森を見上げならアルティスはそう零した。


「虫が苦手な人とか大変なんじゃない?」

「まあ、たしかに虫はよく来るし……稀にだけど魔物の声も聞こえるわ」

「え……魔物……? この森には魔物がいるの?」

「……ええ。ボートさんが常駐してくれているのはそれが1番の理由よ。……本当に、なんで私達貴族が通う学校がこんな危険な場所に建っているのかしら」


 実際、街からこんなにも離して学校を作る必要性が分からないのは事実だ。


 近くにあるトゥエフは貴族の街と呼ばれていて、エーミール学院に通うような貴族や富豪ばかりが住んでいる。敷地を広くするために話しているという考えもあるが、それにしたってこんなに離す必要はない。


 なおさら街から離れた場所に学校を立てるのは反対されそうだけどな、とアルティスは塀を眺める。すると校庭の真ん中辺りの場所に、大きめの両開きの門があった。


「……クリス、あそこに門があるけど……」

「ああ、あれね。あそこから森に出られるけど、誰も使ってないわ」

「そりゃ魔物が出るんだもんな……にしても、木の塀で大丈夫なの?」

「中に分厚い金属板が入ってるのよ。見て呉れが悪いから木で装飾しているだけ」

「ふーん」


 とはいえ、上級の魔物は10数センチの金属板でも破壊してしまうほどの力がある。S級モンスターともあればメートル単位の鉄塊でも粉々にできるし、A級でも民家を木っ端微塵にしてしまう。エーミール学院を囲む塀程度の厚さならB級ですら突破できるだろう。本当に安全を確保したいなら、何層も金属板を重ねるべきだ。


 しかしクリスも言った通り、プライドの高い貴族達は見て呉れも重要視する。分厚い塀があるとまるで要塞のようになって美しくない、というのが彼らの思考だ。


 恐らくそれもあって大金を注ぎ込んでまでA級冒険者のボートを常駐させているのだろう。


 塀を眺めていたアルティスは塀をコンコンと叩いた。確かに単なる木でできているわけではなさそうだ。


 それを確認すると、アルティスは突如塀に飛びつき、よじ登ろうとした。


「な、何やってるのよ!」

「ちょっと向こう側を見るだけだって」

「別にそれならここの門を開ければいいじゃない。別に開けちゃだめなんて決まり無いわよ」


 そう言いながらクリスが門のかんぬきを開けようとした、その時。


「クリス待って‼︎」

「え?」


 小さな金属音を響かせ、閂が開けられたその瞬間、クリスは凄まじい横への圧力により吹き飛ばされていた。直後、金属や木が破壊される耳をつんざくような音が聞こえてくる。


 そこまで知覚したと同時にクリスは地面を転がった。全身、特に腹部と胸部がひどく痛む。巻き上げられた砂埃に咳をし、激痛に顔を顰めてクリスは顔を上げた。


「な……何が……え……」


 地面に倒れ込んだクリスの目の前で、彼女を睥睨する者がいた。それは体長180センチほどの赤い狼だった。体を覆う体毛は血のように赤く、泥や葉がくっつき汚れている。口が突き出、細い目に浮かぶ黒い瞳は目の前の獲物を狙う狩人のそれ。


 これこそが人を襲う意志を持つ災害……魔物である。この狼に冠された名は赤狼せきろう。草原や森で集団で暮らす狼型の魔物だ。


 赤狼はクリスが門の閂を外すのとほぼ同時に門へ突撃し、門を金具もろとも破壊したのだ。クリスの右後方には木っ端微塵になった門の残骸が落ちている。


「グルルル……!」


 と唸りながら赤狼はクリスを睨む。クリスは「あ……あ……」と声を漏らしながら、必死に後ろへ下がろうとする。しかし何故だか上手く力が入らない。


 赤狼が痺れを切らしたのか、クリスにとびかかろうと脚に力を込めた……直後。


 塀の所からすっ飛んできたアルティスが、赤狼の頭に全力で拳を叩きつけた。


 頭蓋骨が片割れ、脳がぐちゃぐちゃにされ、血が滝のように流れてくる。たったの一撃で絶命した赤狼は体液を撒き散らしながら地面に倒れた。


 アルティスは赤狼の死体に一瞥もくれず、地面に倒れたままのクリスへと駆け寄った。


「……クリス、大丈夫? 意識はちゃんとある?」

「……あ……アルティス……」


 クリスが起きあがろうとするが、やはり力が入らない。


「動かないで。頭を強く打ってる」

「え……頭……?」


 先程からハッキリとしない思考で、クリスは自分の額に触れた。ヌメッとした感触が指に伝わり、手を下ろして見てみれば、指の先には真っ赤な血がベットリと付着していた。


「……血が……」

「待ってて。大丈夫だから」


 そう言うと、アルティスはクリスの傷口に手を掲げた。直後、その傷口が紫色に光り輝いた。一口に紫と言ってもその中にはどす黒い赤や暗い青などが混じっており、毒々しい印象を受ける。


 完全に毒が注入されているようにしか見えないが、これは魔物の体内にある魔力を圧縮することで物質化し、傷口を治すという回復魔法だ。これは相当魔法の特訓をしなければ辿り着けない領域。圧縮そのものの難易度もそうだが、そもそも圧縮するだけの魔力量がないといけないのだ。


 しばらくすると傷口は見る影も無く消滅した。


「……よし、これでいい。痛みは無い?」

「う、うん……」


 回復魔法により意識も覚醒したクリスは体を起こし、アルティスの方へ向いた。


「……ありがとう、アルティス……それと、ごめんなさい……」

「いやいい。森を見たいと言った僕が悪いんだ。……とりあえず、このことをボートさんに報告を……」


 と、その時。


「お、おい2人とも‼︎ 何があった‼︎」


 そう叫びながら、ボートが校庭を走ってくる。座り込んでいるクリスに気づくと駆け寄り、怪我が無いかを確認する。


「……2人とも怪我は無いな。……門が……」


 破壊された門を見て、ボートはアルティスとクリスに何があったと問いかけるような目線を送る。


「あ……あの……」

「僕達が校庭を歩いていたら、突然門が破壊されて赤狼が飛び出してきたんです。幸い僕達は怪我をしなかったので、すぐに仕留めました」

「仕留めたって……君が?」

「……はい」

「……いや、今はいい。俺は門を塞ぐ。2人は念のため保健室へ」


 それだけ言い残すと、ボートは開け放たれた門の跡地へ走っていった。


 保健室への道すがら、クリスは俯いてアルティスに話しかけた。


「……また、ごめんなさい……」

「……いいって、これぐらい」


 アルティスは先程、クリスが門を開けようとした時に赤狼が入ってきた、とは言わなかった。それはクリスのことを守るためだった。


 アルティスはこの日1日で、クリスのプライドの高さを嫌というほど分かっていた。しかし同時に、クリスの並々ならない自信もだ。それは家柄や金故のものではない、自分が今までしてきた努力故だとアルティスは感じ取ったのだ。


 2人はそれからは一言も発さずに保健室へと歩いていった。そしてクリスは、心に言いようのないモヤモヤを抱えて。



※※※※※


 「対の世界」(本編)


https://kakuyomu.jp/works/16817330648164551035

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