第15話:嵐の夜

 翌日は天気予報の通り大荒れとなった。太平洋上で発生した台風が今夜半にかけて急速に接近しているからだ。窓の外は昼間にもかかわらず薄暗く淀み、強風により街路樹が激しく枝葉をゆすっていた。上空を覆う灰色の雲は恐ろしいスピードで流れていく。街全体に張りつめた大気は打ち震え、ボクたちの住むマンションの窓ガラスをしきりに叩く暴風雨は部屋の中にいても不安にさせるほど巨大な破壊力を見せつけていた。コダマも怯えて朝から元気なく丸まっている。当然、学校も臨時休校となった。

「こんな日は家にこもって静かにやり過ごすのが一番だね」

「そうね、不要不急の外出を避けステイホームってわけね」

不謹慎だけど緊急警報発令のアナウンスに興奮気味なボクは、ツカサとメイに巣ごもり中の過ごし方についてどうしたらいいか聞いてみた。

「逆に何かアイディアある? レオナ」

「そうだな……ありきたりだけど映画でも観てまったり過ごすっていうのはどう?」

この提案に乗ってきたメイとツカサはさっそくいそいそと準備を始める。ソファー前に置かれたガラス製のローテーブルにお菓子や軽食、飲み物が並ぶ。なかでもボクのハートをわしづかみにしたのは、メイが用意したハニーバターやクリームチーズをディップしたクラッカーだ。先日スーパーで買った国産ハチミツの濃厚な甘さとバターの程よい塩味が絶妙なコラボレーションを醸しだしている。煎れたてコーヒーで作ったカフェオレに合う、合う! お勧めの一品! メイ、ツカサはボクを真ん中にはさんでソファーに座った。

ネット配信の中から選んだ映画は「テリブルドール」という和洋折衷のホラーものだった。日本の和人形が海を渡り、あるアメリカンファミリーの元へ贈られるところから物語は始まる。このいわくつきの人形が不運なファミリーに呪いをふりまき、周囲の人々を巻き込んで恐怖のどん底におとしいれるという、どこかで聞いたことのあるような内容の映画だった。もはやホラーのジャンルを突き抜けて突っ込みどころ満載の展開だ。

“オーマイガー! タァスケェティェクゥダサァァイ”

しかも吹き替え版のセリフが何故かカタコトで訛っていたため、飲んでいたカフェオレを吹きそうになった。もう少しで深刻なフードテロになるところだった。

次の場面展開が読めるほどテンプレな演出だというのに、むやみやたらと効果音で煽ってくる。そのサウンドと窓の外で唸りをあげている実際の風鳴りとが入り混じって不気味な雰囲気を醸し出す。そのたびにツカサがビクッ、ビクッと体を引きつらせていた。

「ビビってる?」

わざと彼女の耳元で囁く。

ビクッ!

「ビビってない!」

「うそぉ」

「ビビッてないし!」

と強気で返すツカサだったがどうみても怖がっていた。一方、反対側に座るメイは全く平気そうなのが対照的。だんだんクライマックスが近づくにつれ、あからさまにスプラッターシーンが増えてくると、徐々にツカサの座る位置がこちら側に寄ってきて、しまいにはボクの肩越しに覗くようにして画面を覗いている。密着度がハンパない。そんなに怖いなら初めから観るなんて言わなければいいのにと思いつつ、ボクの左腕に触れるふくよかなプニプニ感に全神経の95%を持っていかれてしまい、もはや映画の内容が頭に入ってこない。もちろんこの二つのふくらみはボクにもあるけど、自分のモノとヒトのモノはやっぱり別。集中力と緊張感を強いられる中、いかに平静さを保てるか。平常心だ! 激しく動揺するボクの心内環境とは対照的に二の腕の感覚だけが鋭く研ぎ澄まされていく。こういうところ、ボクの中身は男子高校生のまんまって感じだ。そんな心の内を知らずに、ツカサはますますボクの腕にしがみつきながら顔を伏せたり画面をのぞき見たりを繰り返している。観はじめてしまった以上、この映画の結末がどうなるのか、不運なアメリカンファミリーの行く末が気になってしかたがないようだ。こんなに素直な反応を見せてくれる視聴者がいることを知ったら、この映画の監督や関係者は大いに感激するに違いない。

「このコ、オカルト、ホラー、スプラッター、全てダメ系派閥だから」

メイがポテチをパリポリやりながら画面から眼を離さず事も無げに言った。

「へええー、そうなの?」

ほほう! この好戦的な戦闘民族がねえ……。ツカサにも以外とカワイイとこがあるんだ。いや、見た目はもちろんカワイイんだけど、そのギャップがイジリがいがありますわ。思わずニヤついてしまう。

「だって現実にはこんなこと起こらないもん。対処のしようがないじゃない。不条理なことほど怖いことないじゃない」

恨みがましく言うツカサに、メイが冷静に応える。

「そんなことないよ。事実は小説より奇なりっていうじゃない。現にレオナちゃんの誕生にしたってなかなか驚異的だったじゃない」

「ちょっ、ちょっと! ヒトをB級ホラー映画と並べるなんて!」

などと言っていると映画もついにエンドクレジットが流れはじめた。ちなみにストーリーはこんな感じだった。ここから先はネタバレ注意です!


呪いをかけられた和人形を封印するために、訪日したアメリカンファミリーたち。

父親のダディは家族がアキバ観光に出かける中、和人形を供養してもらうために一人険しい富士山の山頂を目指し分け入っていく。途中、人形の呪いによって崖から滑落し気を失ってしまうが偶然通りかかった修行僧に救われ、断崖絶壁に建つ謎の寺院に収容される。寺院では邪悪な霊魂を打ち滅ぼすべく修行僧たちは武術の鍛錬を日々重ねていた。そして彼らの長である高僧を囲み、和人形の呪いを浄化すべく布陣が敷かれる。すると人形から邪悪な気配が立ち上り、屋内に充満してゆく。この禍々しい呪いの人形を生んだ邪悪な呪術師の悪霊がついに具現化し僧侶たちを次々と血祭りに上げていく。そして高僧は命を賭して最後の賭けに出る。彼は自分の命と引き換えに寺の宝物庫に眠る神器、聖なる鏡の秘めたる力を使い邪悪な悪霊を再び人形の中に封じ込めることに成功する。呪われた人形はこうしてお堂の奥深くに奉納され、不幸なアメリカの家族はついに救われる。といったところでこの映画はエンディングを迎える。おそらくパート2へと続く流れだろう。

何となく時間を浪費しただけの陳腐な映画だったが、予想外に怖がりだったツカサのリアクションを楽しむことができて、それはそれで面白かった。

彼女をひとしきりからかった後、本日の映画鑑賞会はお開きとなった。




 夜半、ゴウゴウ吹き荒れる風の音でなかなか寝付けずにいると、誰かがロフトの階段を上がって来る気配に気がついた。目を凝らしていると下からツカサの顔が覗く。

「怖くて眠れないの?」

「べっ、別に、そういうんじゃなくて! 逆にあんたが怖がってないかちょっと様子を見に来ただけ! 勘違いしないでよねっ! それよりロフトの寝心地はどうなのかなと思って!」

そう言って不安そうな表情を見せる。

「寝心地はいいよ。悪くないけど……」

「そう、ならよかった……ねぇ、ちょっと試しにそっち、行ってみてもいい?」

「……いいけど……」

ツカサの顔がパッと輝く。もそもそボクの布団に潜り込んで、ビッタリ体をくっつけてきたかと思うと安心したのかすぐに寝入ってしまった。しなやかで柔らかな彼女の身体がひっついてきた。妄想特急が加速度を増して疾走する! さらに寝付けなくなったボクは、再び誰かが、って一人しかいないけど、ロフトの階段を上がって来る気配に気がついた。メガネを外したメイが下からひょっこり顔をのぞかせる。

「怖くて眠れないの?」

「別に、そういうんじゃないの。ツカサがベッドの隣にいないから心配になって。ちょっと様子を見に来ただけ。」

「ツカサなら横にいるよ」

「うん。そうだよね。それでロフトの寝心地はどう?」

「寝心地はいいよ。悪くないけど……」

「そう、ならよかった……ちょっとそっちに行ってもいいかな?」

「……いいけど……」

メイの顔がパッと輝く。もそもそボクの布団に潜り込んで、ビッタリ体をくっつけてきたかと思うと安心しきった顔をですぐに寝入ってしまった。左右からダブルでプニプニに挟まれて、寝返りすらままならない。さらにコダマまでボクの布団に潜り込んできて、巣箱の中でみっちみちにかたまって眠るハムスターみたいな状態だ。

ボクはロフトの天井を見つめ、嵐の夜が過ぎ去るのをひたすら待った。



 同時刻、とある港湾設備のある埠頭。

横からたたきつける激しい風雨に紛れるようにして貨物船からコンテナが大型クレーンによって陸揚げされようとしていた。こうこうと辺りを照らす照明に長く伸びる幾人かの人影が横殴りの雨にかすんでいた。

海運会社のユニフォームを着た数名が荷受け作業に立ち会っているところだ。

「検察官さん、ご苦労さんです。必要書類はすべてここに揃えてありまさ」

「精密医療機器類ですか。念のためコンテナの中身を確認させてください」

「あーいやいや。何しろ精密医療機器なもんで、この風雨の中での開封はもちろんチリや埃はご法度なんでさ! 下手に開けちまうと高価な機材が全てパーですわ。そうなるとこいつを待ち望んでいる医療機関に届けることができなくなっちまう! うちらは到底責任を負えませんぜ。それだけは勘弁してくださいよ!」

「分かりました。そういう事情であればひとまず略式検査でけっこうですので……」

「へへっ、ありがとうございます」

検察官と思しき人物はバインダーで目に飛び込んでくる雨を遮りながら、施設内に消えていった。後に残った男たちは顔を見合わせる。

「へっ、チョロイもんだぜ! この国の検閲ときたらザルもいいところだ。本気でこいつを医療機器だと思ってやがる」

「なあに、報告書に書く適当な理由を与えてやれば何だって構やしねーのよ。要は積み荷の数さえあってりゃな!」

「もっともこいつを起動させる前に事は済んじまうだろうがな」

「違いねえ」

「そう願いたい。起動実験だって不十分な状態のものを実践投入なんてどうかしてる!」

「ジョン、そう心配すんなって! ガキが生まれたばかりのオマエさんに無理をさせるような真似はさせんよ。作戦終了後は洋上で美味いビールを乾杯といこうじゃないか! わっはっは」

 そしてコンテナを積み終えた大型トレーラーは埠頭から伸びる長く真っすぐな道を風雨にかすむ闇の中へと消えていった。



 台風一過。翌朝は抜けるような青空が広がっていた。希望に満ちた穏やかな朝。

もんもんとした夜を過ごした割には爽やかな寝起きだ。メイとツカサはまだボクの隣で眠っている。衣食住の提供をはじめ、いろいろな面で面倒をかけている彼女たちはボクにとって唯一の拠り所だ。こうして彼女たちの安らかな寝顔を見ているだけでほっこりとした幸福感がわいてくる。彼女たちの笑顔を守りたい。そう思えてくる。今日は久しぶりにツカサの早朝トレーニングに付き合ってあげようかなという気になった。


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