第13話:3人の日常
「ねえ、みんな。ひとつ提案だけど。シャンプーを一人ずつ違うのにしない?」
「何で?」
「いや、個性を演出するって言うか、3人とも同じ香りなのはちょっとつまんないなと思って」
「確かにそれもそうね。面白いかも。じゃあ、学校帰りにみんなで買い物に行こうよ」
「それ、いいかも」
お弁当を詰めながらメイもこの提案に賛成してくれた。
「ところでさぁー。ここのバスタブって、バブルバスじゃない? それに、詰めれば三人は入れるサイズだからぁ、アワアワにしてさ! お風呂パーティーするのってどうかしら! せっかくレオナちゃんがバスタブからどいて、お風呂がフルスペックで使えるようになったんだしさ!」
おっ、お風呂パーティーだと!! アワアワにしてだとお? メイがまたボクの妄想レンジを超えたキテレツなことを言いはじめた。
「もしもし、メイさん。ご存じの通り、居座りたくて居座っていたのではなくてですね……」
「飲み物とかおつまみとか用意してさ! どうかな?」
「……ヒトの話、全然聞いてないですよね」
ムッとする半面、脳裏にはアワアワまみれなハダカンボの二人が楽しそうにキャッキャッウフフしている様子が浮かんでくる。バブルに浮かんで弾けるその光景に、これ以上追及しないことにした。二人はボクのことを完全に同性と認識してくれているみたい。でもボクは男子といるよりカワイイものや女の子といる方が好きなんだけど……これって男の子の時の記憶を引きずっているってこと!?
「久々の登場でなんなんだけど」
「なんだよ、ヒロミチ?」
「ケントのやつ、今どうしてんのかな?」
6時限目が終わった教室は帰り支度をする者、部活の準備にいそしむ者でザワついていた。西日が長く伸びて教室の中を赤く照らしている。その片隅で笠間ヒロミチと榎原タクヤは部活へ出る合間を縫ってこそこそ話をしている。
ケント?! ボクは帰り支度の手を止めた。
「さあな。俺たちに何も言わずに行っちまうなんて……」
榎原が不機嫌そうに応える。
「けど、ケントのやつ、やっぱりあん時のクスリが原因でどうにかなっちまったんじゃ……」
そこまで言って口をつぐむ榎原。
「だから、ふざけると危ないって言ったんだよ!」
「あっ、アレは、事故だったんだ! 本当に打つつもりはなかったんだ」
「榎原、お前、昼のドラマの犯人みたいなセリフを……」
「でも次の日、あいつは全然元気に学校来てたじゃないか」
「確かにそれはそうだけど……」
「ケントのやつ、今頃、同じ夕日をどこかで見てるのかな」
ヒロミチがしみじみ言うと、おセンチになった榎原も同調する。
「ああ、あん時の夕陽はいつになくしみたなー。やけにオレンジ色が眩しくってよー。忘れようにも忘れらんないぜ」
何故だか「オレンジ」という言葉を聞いた時、ボクの脳裏に鮮やかな夕焼け空が広がった。温かく、とても懐かしいイメージと共に何か大切なものを失ってしまった喪失感のような何とも言えない物悲しさを感じ、その場から動けなかった。これが何を意味しているものなのかよく分からないけど、彼らとの思い出の一部が埋もれた記憶の中から再生されたためなのかもしれない。
そう言えばボクは記憶を失う前一体どんな風に彼らと過ごしてきたのだろうか……。
「レオナちゃん!」
声をかけられてハッと我に帰った。府藤ハルミが笑顔でボクに話しかけてきた。いつも明るくて人当りのいいヒトだ。
「レオナちゃん、どうしたの? 考えごと?」
「ううん。なんでも」
「もし何か、悩み事があったら聞かせて。相談に乗るよ! 私、レオナちゃんと友達になりたいんだけど……どうかな?」
「へっ? ともだち? ああ、問題ナッシンだよ!」
「えっ、うそっ、やったー」
「ハルミはいつも誰と遊んでるの?」
「うーん。最近、あんまり行けてないんだ。あ、でも、でも、ツカサやメイとも仲良しでよく遊びに行ったんだよ。ついでにあそこの男子たちとも」
「へー。そうなの」
「実はレオナちゃんがこの学校に来る前の話なんだけど、兼井ケント君っていう人がいたんだ。ケント君やみんなで集まって遊びに行ったりもしたんだよ……ケント君、突然学校やめちゃっけど……」
「……何となくは聞いてるよ。ちなみに、その、ケント、君、とのどんな思い出が……いや、みんなでどこに遊びに行ったりしたの?」
「ああ、えーと、映画、は、行けなかったけど、アミューズメントパークとか、屋内リゾートプールとか……」
プッ、プール、だと? 聞いてない。ツカサからもメイからも! そんなうらやましいイベントが既に発生していたなんて! 聞いてない! 後で二人から詳しく聞かねば。
「ねえ、ヒロたちとも話してみない? きっと、レオナちゃんなら男子とも仲良くなれるよ!」
ハルミはそう言って彼らとボクを引き合わそうとした。おっと、実はこうしてはいられないんだった。そう、今日はツカサ、メイとの約束があったのだ。
「ゴメン。今日はちょっと用事があって……」
「えっ、ああ、コッチこそ引き止めちゃってゴメンね。また明日ね!」
「うん、それじゃ!」
学校帰り3人でスーパーに寄って日用品や夕飯の材料を買うことになっていたのだ。
彼女たちは既に教室を出ていたので、ボクはハルミに軽く手を振って教室を後にした。
もちろんボクたち3人が同じマンションの1室で暮らしていることはクラスのみんなにはナイショだ。
「ゴメン! お待たせ!」
「じゃあ、行きましょうか」
校門を出たところで待っていたメイとツカサに合流した。
「今日、夕飯の当番、どっちだっけ?」
メイがツカサに聞く。
ちなみにボクは食べ専任だから料理当番の対象外、掃除、洗濯はアシスタントレベルだ。
「私。何かリクエストある?」
「はいっ、ツカサさん!」
「はい、レオナ君!」
「手ごねハンバーグを所望します!」
キリリ!
「ふむ、メイは? それでいい?」
「ええ。異論はないわ」
「では、可決しました。その代わり仕込みに時間がかかるから、レオナにも手伝ってもらうわよ」
言われるまでもなくそのつもりだ。お世話になっている分、何かしら手伝えることがあればやる。あればだけど。自分たちで食べたいものを自分たちで作って食べる。
そのために必要な食材をみんなで買いに行く。こんな当たりまえのことにほんのり幸せを感じる今日この頃だった。繰り返すけどボクはあくまで食べ専だけど。
「ところでハルミから聞いたんだけど」
「なに、レオナ?」
「みんなで屋内リゾートプールに行ったの?」
「なんだ、そんなこと」
ボクは記憶を失う前の自分「兼井ケント」に半分嫉妬してちょっとスネた口調で言ってみた。
「そこんところどうなのさ?」
「そうね、行ったわ」
「へええ、いいなー、いいなー。ボクも行きたかったなー」
「覚えてないと思うけど、行ったのはまぎれもなくあなた自身よ」
ツカサの主張にメイも同調する。
「そーだよ、レオナちゃん!」
「覚えてないから、記憶喪失なんだい!」
「まーまー。過去にこだわっててもしょうがないじゃない。もっと前を向いて未来志向で行こうよ!」
「確かに。いいこと言ってるような気もするけど……」
って、なんか言いくるめられてる? 記憶喪失のボクが過去の記憶にこだわらなくってどうするのさ?
「行ける時があったらまた行こうよ。ねっ!」
メイにやさしく言われると、ことさら自分がわがままを言っている駄々っ子みたいで、惨めな気分になった。なんだか納得いかないけど、それ以上そのことに触れることは止めにした。
ボクたちはスーパーに着くとカートに買い物カゴをセットして売り場をまわった。
「トマトなんて、何に使うの?」
入り口付近の生鮮食料品コーナーでトマトを品定めするツカサに聞いた。
「付け合わせのサラダにするのよ。お肉料理の時にはお野菜もバランスよく摂らないとね! あっそうだ、シャンプーはレオナが好きなの選んできてね」
「ああ、うん。あと国産ハチミツを1瓶、クリームチーズを一箱、よろしく!」
「じゃあ、私は、お菓子の買い出しに回るね」
「メイ、ほどほどにね」
それぞれ目的のコーナーに分かれた後、ボクはお風呂用品の棚を探して店内を回った。あった! 様々なシャンプー&リンスのカラフルなボトルが陳列されたコーナーを見つけて通路の奥に進んだ。どれを選んでいいのか迷ってしまうぐらい多種多様な製品がきちんと陳列されている。
それらは香りや使用感を含めるとさらに細かく差別化されているのだろう。
どれにしようか目移りしてしまう。
“ひゃああ!”
なっ、なに? 突然、悲鳴が聞こえた! と同時に商品棚に何かがぶつかった振動が走り、シャンプーボトルやラミネートチューブなど背の高い製品が棚から落下し、通路に散乱した。この棚の裏側で何かが起こったのだ。ボクは慌てて棚エンドから回り込み奥の通路を覗いた。その瞬間、異様な光景が目に飛び込んでくる。
何だか分からないけど、そこには二本足で立つ黒くて毛むくじゃらな生き物の後ろ姿があった。
その足元には天井のパネルがいくつか落ちている。
そしてその前方には腰を抜かして通路にひっくり返ったメイがいた。
いつもの調子でふざけているわけではなさそうだ。
どうやらこのケモノはメイのフレンズ……ではなさそうだ。
こいつが! この黒いケモノが前にツカサが言っていた襲撃者!
だとしたらメイは今まさに危険な状態だ!
黒いケモノは右手を上げると先端から4本の鋭い爪を突出させた。
猫の爪のような仕組みらしいが、その先端は鋭利な刃物のようになっている。
ヤバい! これはヤバい状況だ! 助けなきゃ! メイを助けなきゃ!
予期せぬ緊急事態に足がすくむ。けど、躊躇している場合ではない。
ツカサとの辛く厳しい早朝訓練の日々はいったい何のためだったのか!
少しでも長く寝ていたいという根源的欲求を代償にしてまで手に入れた強い精神力を今こそ発揮すべき時だ。
「メイ!」
「レオナちゃん! 来ちゃダメ――――」
メイが叫ぶ! 考えるより先に体が動いた。
「おいっ、やめろ! メイから離れろ!」
ボクはそいつの右手の爪を警戒しつつ、背後から大きな頭部を掴んだ。
メイからできるだけ引きはがそうと思ったからだ。
そいつも必死で振りほどこうと暴れまわる!
鋭い爪を振り回して背後にいるボクを切り刻もうと躍起だ。
爪の切っ先がかすると商品棚に積まれた缶詰のカンはいとも簡単に切り裂かれ、中身が床にぶちまかれる。
一瞬の油断が、即、死につながることを予感した。
ビシッ
「あっ!」
予想を上回る可動域を持った毛むくじゃらの腕が右わき腹をかすめた!
脇腹をえぐられるイメージが脳裏をかすめ、ボクのセーラー服がズタズタに引き裂かれ、何かがベロンと垂れ下がり白い生地を赤く染めた。赤い塊が肌を伝って滴り落ち足元に広がってゆく。赤く濡れた床がぬめり足を取られる。
辺り一面にむせかえるような鉄の匂いが充満する。それでも今手を放すわけにはいかない。
やつの背後にいる限り、正面から対峙するよりもまだボクにはアドバンテージがあるはずだ。
「っく!」
グギギギ……
商品棚に挟まれた売り場の通路でこいつの脅威からメイを遠ざけるためには、ボクとこいつの位置を入れ替えればいい。
そう考え、毛むくじゃらの向きを変えようと首を思いっきりねじった。
たちまちブツンという音がして、黒いケモノは両腕をだらりと垂らし抵抗を止めた。
ガクっと膝を折り、ケモノはその場に倒れこんだ。
「あれっ? なにこれ?」
ボクの手の中には大きな黒い塊がひとつ残され、ズシリとした重みを伝えていた。
反対側へひっくり返してみると、クマの生首が舌をだらりとだらしなく垂らしていた。
その生気を失った虚ろな目は戦慄するボクの顔をどんよりと映し出していた。
慌ててボクはソレを投げ捨てた。
「うわあああん! ヤっちゃった! ボクは、取り返しのつかないことをしてしまったああー」
「レオナちゃん……」
メイの顔が恐怖に曇る。
「見ちゃダメ!」
通りがかった親子連れが子供の目を慌ててふさいだ。
そのころには騒動を聞きつけて集まった店員さんや、お客さんたちでボクたちの周りに人だかりができていた。
「二人とも無事?」
人垣の中から買い物袋を両手に下げたツカサが、慌てて駆けつけてきた。
「ボッ、ボクは、悪くない……」
思わず言い訳から入る。自分でも何を言っているのか分からなくなるほどパニックに落ちいっていた。
「メイ、大丈夫?」
「ツカサ、私は大丈夫。それよりレオナが!」
「レオナ! どこかやられたの?」
「脇腹に一発食らった、みたい……」
ツカサは、その場に荷物を落とし、ボクの身を案じ体をまさぐって傷の具合を確かめた。ここに転がっているケモノに切られた時の冷たく鋭い鉄の爪の感触が今も脇腹に残っている。アドレナリンの過剰分泌で今の今まで何の痛みも感じなかったが、無残に切り刻まれたセーラー服と赤く染まったシャツが損傷の激しさを伝えていた。
これで無傷なんてことはあり得ない。ツカサの悲痛な表情から察するとかなりの深手を負っているようだ。
「何ともない。よかった~~」
彼女はほっと胸をなでおろした。安堵したせいか目が潤んでいる。
ツカサの意表を突く言葉に“えっ”となる。何ともない? そんなはずないでしょ!
「気休めはよして! 血が、血だまりがこんなに! 相当深い傷が……」
「それ、トマト缶のトマトだよ! 切り傷どころかミミズ腫れにもなってないよ」
「ええっ! ああ、そう……ベッタベタだな……」
「レオナは、ちょっと特殊な体質だから……とにかく二人とも無事でよかった」
ほっとしたと同時に何だか気が抜けた。その時、首がちぎれ床に倒れていた黒いケモノの胴体がビクビクっと動いた。
「うわっ! 気色わるっ!」
首のない胴体は、むっくりと上半身を起こした。本来そこにあるはずの首は床に転がったままだ。が、よく見ると千切れた首の代わりに別の首がついていた。
「なんだ、普通の人間じゃない」
この襲撃犯の正体はあたり前にただの人間、あろうことか若い女だった。
まだ目の焦点が合っていない。恐らく着ぐるみの頭部のねじれに強く抵抗したために頸動脈が圧迫されて一時的に気を失っていたのだろう。
「ただの着ぐるみじゃんか! ビビッて損したよ!」
意識を取り戻しつつあるその女は、フラフラと立ち上がり、今さら着ぐるみの手の甲で顔を隠す。
「覚えてろ!」
そいつは弾かれたように機敏な動きを見せると捨て台詞を吐き、手近な商品棚を派手に倒して追跡を阻んだ。そして取り巻いていた人垣をなぎ倒して店内奥のバックヤードへと逃走していった。
「あいつ、逃げるぞ!」
「待って! 追わなくていいわ」
「でも、また来るかも!」
「かもね、でも彼女自身は顔が割れたから、今後は動きづらくなると思うわ」
「ツカサがそう言うのならいいけど……」
「どうせ、彼女を確保したところで大した情報は引きだせないわ。ブラックマーケットで雇われた単なるアルバイトだろうし……」
「えっ、バイトなの?」
かろうじて敵の襲撃をしのいだボクたちだったが、精神的なダメージにドッと疲れてツカサのマンションに帰ってきた。
「ひどい目にあったな。で、結局あいつの雇い主はいったい誰なわけ?」
ボクはツカサに単刀直入に聞いてみた。
「人は平等の名のもとに、みな同じじゃなきゃいけないという思いで強く結ばれ、些細な違いや多様性、変革なんかを認められない狭量な思想の集合体……かな」
「具体的には?」
「以前に話したことがあるんだけど、人類救済会という新興宗教団体。それを隠れ蓑にした一部の過激な組織が小笠原教授の研究を中止するよう一方的な通告を出しているわ。おそらく彼らが関与しているのだと思う」
「じゃあ、教授の失踪にかかわっているのは、そいつら……あっ、これも聞いたことある?」
「そうね、教授の失踪に関してはまだなにもわかってないの」
「にしたって、そんな物騒な連中はさっさと抑え込んじゃえばいいんじゃないか?」
「もちろん野放しにはしていない。常に監視対象としてマークしているわ。」
「今回の件って、レイカに伝えた?」
「ええ、早速、襲撃者の照会情報がきたわ。名前は中野ヒトミ……私たちの学校の1年先輩だわ。ちなみにミッションに失敗した彼女は即刻解雇されたって」
「マジョですか……」
幸い死傷者もなく、これを機会にブラックなバイトから足を洗うよう中野ヒトミ先輩にはくれぐれもお願いしたい。彼女は以後、少なくともレイカとツカサから厳しい監視の目を向けられることになるだろう。まあ、だからって例の黒いパンダが今後一切出現しないかというとそれは分からないらしい。何しろ中のヒトは誰でもいいらしいから。
損害を出した店舗からのクレームについてはWBF専属クリーナーによってうまく処理されたようだ。
こんな不本意なことで日用品や食料品を調達する行きつけのお店から出入り禁止にされなくて本当によかった。
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