第10話:羽化

 新都市警察署内の行方不明者捜索班は今日も朝から慌ただしかった。

特別チームによるブリーフィングの様子が外にも漏れ聞こえてくる。

「おい、ハラパン! 例の宗教団体への苦情はどうなった?」

「はっ、今月に入って2件増えました。いずれも入信したと思われる若者が家族の元に帰らず連絡すら取れないという状況だそうです」

「うーむ、何とか令状とってガサ入れできねえか?」

「はい、しばらく彼らの拠点に張り付いて動向を探ってみます」

「よし! やってみろ。次、デコピン! おまえの報告書を見る限りやはり小笠原教授の失踪には、何者かが関わっていると見たほうがいいな」

「彼の進めていた例の怪しげな研究も関係しているのでしょうか」

「うーむ、教授のアシスタントをしていた堀江美由紀だが、教授に1番近い存在として彼の失踪について何か知っている可能性があるな」

「しかし、第1通報者は彼女です。それはないんじゃ……」

「いや、そうとは言い切れんぞ。もう一度揺さぶりをかければ何か出るかもしれん。それと例の黒い怪人とやらの正体は?」

「いや……まだ、何も……」

「もう1度、洗い直せ!」 

「はいっ」

「あと一件」

「なんだ? デコピン」

「新都市校の男子学生失踪の件ですが……」

「ただでさえ教授失踪の件で人手が足りないというのに……だが、こちらは事件性が薄く、単純な家出の線で片付くだろう。念のため聞き込みだけはしといてくれ」

「はい」

「では諸君、それぞれ慎重に事を進めてくれ!」

「了解!」

刑事たちはそれぞれ割り当てられた任務へと散っていった。

 科学専門誌C&Sグラフの記者、梶谷徹は以前道路交通法違反(といっても黒い怪人に追われ仕方なく速度超過となってしまった件)で世話になった新都市署を訪れていた。

新都市学園大学の主任教授、小笠原信也氏の失踪について自分の目撃した不可解な事件との関連を疑っていたからだ。

梶谷は小笠原教授の担当記者として彼の研究分野、応用遺伝子工学の成果に関する連載を受け持っていた。つい数カ月前にも彼の主催する研究フォーラムにマスコミ枠で出席したばかりだ。そこで発表された内容はかなり刺激的なものだった。教授の口から語られたネクストヒューマンレイス、NXR計画は人類の遺伝子そのものを改変し、種としてのアップデートを意図する危険な思想を含むものだったのだ。事実、当日のフォーラムは参加者によって賛否両論の意見が飛び交い荒れに荒れた。世間へのインパクトの強さを考えれば、もっとクローズドな会合でもよかったはずだ。だが何故、自分たちマスコミの参加までもが許されたのか? 今にして思えば敢えて情報のリークを図り、世間の反応を確認するため、もしくは小笠原教授の立てた計画の一端として初めから意図されていたのかもしれない。いずれにせよ強引にプロジェクトを推進する思惑が教授にはあったのだろう。

だが、その教授が突然失踪するとは!? それと、俺の車に飛び乗ってきた男女高校生と彼らを襲う謎の黒い猛獣、いや怪人。この2つの事件にはきっと何か関係があるに違いない。

警察署を訪れたのは自分の知りうる情報を提供することによって少しでも教授発見の糸口につながればと思ったからだが、同時にこの小笠原教授失踪事件の捜査状況がどこまで進展しているのかが知りたかったというのも本心にはあった。

そう、小笠原教授を筆頭にあの少年少女と黒いパンダはいったいどこへ消えたのだろうか……




新都市学園高等部に在籍していた兼井ケントが失踪して、早くもひと月半が過ぎようとしていた。

学内を含む世間では彼の失踪はこの時期の男子にありがちな、ふらりひとり旅(家出)の線でこともなく処理されていたがクラスメイトであり友人として一緒に遊んでいた笠間ヒロミチや府藤ハルミ、榎原タクヤの心中は穏やかではなかった。

彼らもまた、例の黒い襲撃者の関与を真っ先に疑い周囲に訴えていたが、誰も彼らに耳を貸すものはいなかった。

当日、一緒のアルバイトに参加していたはずの片平メイと斬山ツカサにしても肝心の黒いパンダに関する記憶は曖昧だった。気を失っていたメイは別にしてもヤツの脅威を目の当たりにし、ケントと一緒にその場を逃走したはずのツカサはなぜだかこの話については否定的でグループ間の意思統一が図れなかった。

一部生徒たちの間では都市伝説のように、学校のトイレで得体の知れない黒い影に襲われ、あっちの世界に連れていかれたのでは、と言うような噂話がしばらく流布したのみでマトモに取り合う者は教師を含めて一人もいなかった。

当然、ツカサとメイが事実を公表することもなく、ひと月待たずして兼井ケントの名前が話題にのぼることすらなくなっていった。

「メイ、私たち罪に問われるとしたら、何になるのかしら?」

「……さあ、拉致、いや監禁罪?」

「でも、本人の意思確認ができないんだから、それはないんじゃないかな……」

「確かに、そうね……」

同じ悩みというか問題を抱えたメイとツカサが急接近する流れは、そう不自然ではなかったが、一人の男子高校生の失踪をきっかけにして女子高生2人の奇妙な同居生活が始まって既に一カ月半余りが経過していた。彼女たちが生活の場を一つにするツカサのマンションから本当の姉妹のような会話が聞こえてくる。

「メイ、あれからどれくらい経ったっけ?」

「49日目ね」

「もうそんなに……そろそろ何らかの反応があっても良くないかな?」

「そうね、脈動はしているけど、中を開けてみるわけにはいかないし……」

「でも、ちょっとぐらいなら……」

「ダメよ! ツカサ。今が一番デリケートな時なの。『チッ、トロけてやがる、早すぎたんだ!』なんて状態、イヤでしょう?」

「確かに……」

お風呂場で浴槽の中を覗きながらツカサとメイが話している。

「みゃん!」

ツカサの足を何かが柔らかく撫でた。メイが自宅から連れてきたペットのコダマだ。

諜報員という仕事柄、ペットを飼う機会に恵まれなかったのだが、本来ネコ好きなツカサはメイの「世話はちゃんとするから連れてきてもいい?」というお願いに抗うことができず了承したのだった。

しかし、コダマはただの子ネコではない。元々研究動物だということを忘れてはならない。

この子は研究所で蛹化(ようか)を経て、蛹(さなぎ)からかえった新生物だそうだが、改めて言われなければちょっと耳が長めの金色の毛並みを持つかわいい子ネコにしか見えない。だが、本来こういった動物は研究施設外に出してはならないし、殺処分の対象だったところをメイが半ば強引に引き取ってきたのだ。毛長種の猫をベースとした異種生物とのハイブリッドといったところだが、どんな遺伝子がブレンドされているのかは詳しく聞いていない。ネコのくせに泳ぎが得意だということだからカワウソとかラッコとかの血筋でも引いているのだろうか。いつかバスタブの先住民(ケント君)がそこをどいたら、たっぷり水を張った湯船で遊ばせてあげようとツカサは思う。

 「ところで今日の夕飯は、何がいい? リクエストある?」

「ああ、メイの当番か。じゃあ、久しぶりにパスタというのはどうかな?」

「じゃあ焦がしバター風味和風パスタ、ストリングチーズ添えで」

「トッピングに半熟タマゴもお願いね。私はその間にお風呂……いいえ、シャワー浴びてくる」



ツカサは、シャワーを浴びながら思う。最近ではこの状況に慣れてしまって普通にバスルームが使える自分はどうなのだろうと。

このシャワーカーテンの向こう側、バスタブに鎮座する得体の知れない物体、いや得体は知れているけれど。ちょうどヒトが膝を抱えて座ったほどのサイズの物体は麻袋でできた土嚢の上からさらに半透明なビニール袋をかぶせたような外観をしている。

これこそがメイが話していたNXRの過程で生成される蛹化した兼井ケントの姿だそうだ。その中に閉じ込められてしまった彼のことを思うと、気味が悪いと言うよりは気の毒としか言いようがなかった。

生命活動を維持していることは脈動していることから容易に確認できるが、本当に彼が復活するかどうかはNXRプロジェクトチームの研究メンバーであるメイにも確証できないようだった。

NXR、ネクスト・ヒューマン・レイス計画なんて無茶苦茶なものがなければケント君もこうはならなかった。いや、それを言うならそもそも私もここには派遣されていなかっただろう。これも何かのめぐりあわせと言うべきか。

それはそうと、今、浴室内に漂っているこれまで感じたことのない、ただならぬ気配は、違和感を通り越してツカサの素肌にじわじわとまとわりついてくる。それはシャワーカーテンで隔てられているにも関わらず、何者かの呼吸する息遣いさえ伝わってくるようだった。

「……いま……なん、じ……」

そしてついにシャワーの音に紛れて微かだが人の声を聞いたような気がした。

さすがにこのまま無視し続けることはできなくなって、恐る恐るカーテンに手を伸ばす。

カーテンの端を掴むと、シャッ! と一気にまくった。

「!!!」

何となく予期していたとはいえ、ツカサは言葉を失った。

そこには何か粘液に濡れそぼった全裸の人物がボンヤリとつっ立っていたのだ。

次の瞬間バランスを失ったその人物は浴槽のフチに足を取られて、ツカサの方に倒れ込んできた!

「あっ!」

狭いシャワースペースでは逃げ場もなく、咄嗟にその人を受け止めてしまったが、足腰が立たず、おまけにヌルヌルする全裸の身体を女の子が一人で支えるのは想像以上に至難の業だった。

二人とも体をくっつけあってその場に崩れるように床に倒れこむ。

お互いに真っ裸で粘液にまみれて重なり合うという少々マニアックなシチュエーションが出来上がってしまったが、今更後悔しても始まらなかった。

「ケント君! 兼井ケント君? しっかりして! メイっ、メイ来て!」

ツカサは扉一つ隔てただけのバスルームからキッチンに立つメイに向かって叫んだ。が、ヘッドフォンをつけ音楽を聞きながら夕食の準備をしている彼女の耳には全く届かない。

それに冷静に考えるとこの状態、たとえメイと言えども見られるのは少々よろしくない。

助けを呼ぶことをひとまずあきらめて落ち着こうと努力してみる。下敷きになった自分の身体をその人の重みから解放するところから始めることにした。

「ケント君、悪いけど、どいて!」

幸い粘液が潤滑油の役割を果たし、体をずらすときの摩擦抵抗を減らしてくれている。

半身をよじり手が自由になると、ぐったりしているその人物の覚醒を促しつつ、粘液を洗い落とすためにシャワーをかけながら呼びかけを続行する。

ツカサは体の自由を取り戻すとラックの上のバスタオルに手を伸ばした。

無防備だった体にバスタオルを巻き付け、ひとまずホっと安堵した。

「ケント君! 目を覚まして!」

ぐったりした頭を膝枕にのせてしばらく呼び続けていると、ぼんやりしていた目に光が戻り周囲をゆっくりと見回す。

意識が戻りつつあると言うよりも、生まれたての赤ん坊が初めて見る景色に戸惑っているようだった。

「……ここは? あなた、だれ?」

そしてついにその人物は言葉を絞り出すようにしゃべった。

「よかった! 気がついた!」

声がしゃがれてうまく発声できないようだ。喉を枯らしているのだろうか。

「……マ? ママ?……」

「ママじゃない! 私よ! ツカサ! 斬山ツカサ! 覚えてないの? まさか忘れちゃった?」

「……わからない……」

「わからないって……冗談なら怒るわよ!」

「ホント……わからない」

「長いこと休眠状態だったから、意識が混乱してるのかな?」

そう言いながらもツカサ自身、自分の膝を枕に横たわる兼井ケントと思われる人物に対して、拭いきれない違和感を覚えていた。バスタブの中の蛹が、見事に割れてもぬけの殻になっている状況からして、兼井ケント本人であることはまず間違いないだろう。が、髪の毛の色や長さ、人相はおろか体格からして自分が最後に記憶している彼の印象とは全く一致しないことに困惑するばかりだった。

左肩にタトゥーのようにNXRと刻印されているのが確認できる。その下には……これは数字の0と1だろうか。

「ケント君、だよね?」

確信が持てなくなったツカサは、重ねて聞いてみる。

「ケント君はどこ?……」

独り言のように恐る恐る小声でつぶやく。

「……わからない……ケン、ト?」

やはり別人なのだろうか? でなければ、何らかの理由で今までの記憶と人格が継承されていないのか。

濡れた顔と長く伸びたライトブラウンの髪を拭いてあげるとやはりいままでの見知った兼井ケントではない。だとしたら目の前のこの男は誰だというのか?

男? そもそも骨格からして男のそれとは全く違う。華奢で丸みを帯びた体つき、そしてよくよく見るとそこにあるはずの男の子の印がない! 代わりに胸にはふくよかな2つのふくらみが……これはいったい!? 自分の膝枕に頭を預けているのは明らかに全裸の女の子だった。付け加えるなら小柄でけっこうカワイイ美少女が素肌をさらけ出して横たわっている。ツカサは混乱した。これがメイの言う蛹化(ようか)によってもたらされた副作用なのだろうか?

混乱する頭のなか、全裸で横たわる生まれたてホヤホヤの美少女を改めて覗き込むツカサ。

瞳の色も吸い込まれそうな美しいブルーだ。女性化の件はひとまず置いておいて、それ以外にはヒトとして外見上の欠損や不備は見あたらない。蛹からの羽化というからには異形化、いや、少なくとも背中に羽でも生やして出てくるのではないかと少し心配していたのだ。

「よかった……」

出産後の母親の気持ちはこんな感じなんだろうかとツカサは考える。

しかし、この行為が生まれたてのひな鳥が最初に見たものを親だと思い込む、インプリンティング(刷り込み作用)をもたらすものとはツカサ自身、全く意識していなかった。以後、この子に妙になつかれてしまうことになるとは思ってもみないツカサだった。

とりあえず自力で立てない彼、いや、彼女を残し、ツカサは自分の身なりを整え深呼吸をすると浴室を出た。台所で料理の仕上げにいそしんでいるメイの耳からヘッドフォンを持ち上げ、大きく息を吸い込むと「追加オーダー入りますっ!」と言ってパスタの追加注文をした。


◇◇◇


 「はい、食べて」

「うん」

もぐもぐもぐ

「美味しい?」

「うん!」

「良かったね!」

長期間、休眠状態の体にいきなり固形物はどうなのだろうと思ったが、兼井ケント(仮)の消化機能には特に異常がないのだろう。食事介助をするツカサの手からパスタを美味しそうに食べるケント(仮)をみていると見かけ上、小柄な女の子であることを別にすれば体自体には問題がなさそうに思える。問題は彼、いや、彼女? がフォークを含む食器の使い方はおろか、自分自身のことも全く忘れてしまっていることだ。

「はい、あーん!」

「うん! あーん」

今度はメイが彼女の口元へパスタを運ぶ。

ケント(仮)の餌付けに成功するツカサとメイ。

さかのぼることその数時間前、生まれたての子ヤギのように、まだうまく歩けない彼女をメイと二人で浴室から連れ出し、濡れた身体を丁寧に拭いてケントの私物の衣類を着させてあげた。つまり彼の私物の男物下着や衣類しかなく今の彼女の体には大きすぎたが、ハダカのままでいるよりはマシだろう。背が小さくなった分、ケント君の成分は胸とお尻に再配分されたような感じだ。まったく、カレシャツ状態の彼女は女子目線で見ても最強にかわいかった。

それはそうと、シャワー中のツカサが浴室で味わった恐怖と混乱と安堵がごちゃ混ぜになった複雑な心境を知らずに、彼? 彼女? が復活する瞬間に立ち会えなかったことを悔しそうにしていたメイにムッとするツカサだった。もっとも、後に観測用ビデオカメラ映像でハッチアウト(羽化)の瞬間を確認した二人は、青白く輝く妖精の誕生のごとく、その神秘的な光景に言葉を失った。お互い次第に涙声になって彼の復活、彼女の誕生を心から喜びあった。

「とにかくハッチアウトしてくれて良かった! もう復活しないのかと不安になっていたところだよ」

「ねえ、彼?、というか彼女、はホントにケント君なんだよね? メイ」 

ケント(仮)をベッドに横たわらせたあと、いまだ半信半疑のツカサはメイに念を押すように聞いた。

「うん、それは間違いないよ」

 やはりメイも最初は容姿の大きく変貌した彼を見たとき、本当に兼井ケントなのか分からなかったようだが、左肩の刻印を見てNXRの作用を確信したようだ。その時、メイからも様々な質問をケントにしてみたが、やはり自分自身のことも含めて記憶が大きく欠落していた。

「私たちの知っているケント君はどこに行ったの? どうして女の子になっちゃったの?」

「蛹化の時、計算以上にリストラクチャーが進んでしまったのかもしれない。蛹化前の人格や記憶に関しては一時的に喪失してしまったのか、それとも完全にリセットされて消失してしまったのかは現時点では判別できないな。もっと検証と経過観察が……」

「容姿のことは? 私はてっきりもっとこう、とんでもないクリーチャーが生み出されてしまうのかと……。いえ、そんなことよりどうして女の子になっちゃったの? 大事なことだから2度言うけど!」

「そっ、それは……」

言い淀み目を伏せるメイ。

「やってしまったことは今更でしょう? ちゃんとコッチ見て! 全部白状して、メイ」

「実は、外見なんて大したことじゃなくって、何でもよかったの」

「えっ? 何でも?」

「もともとは被験者も決まってなくて、テストタイプとして特に実用を想定していた薬ではなかったの。で、どうせならと思って、思いつきで……」

「思いつきで?」

「生島ルイをコピーした3Dデータからリ・デザインしてみたの」

「生島ルイって、あの女性アイドルの?」

「そう、つい。でもこれって著作権? 肖像権的にNGなのかな?」

「そんなこと、私に聞かないで。商標調査にかけるわけにも、って言うか、どおりでどこかで会ったことあるような気がしたのはそのせいだったのね!」

ツカサは話を聞きながら “ テヘペロ ” をしているメイをさすがにはたいてやろうかと思った。

「このまま彼(ケント)の意識すら消失してしまったのなら、それはもう完全な別人……」

「ツカサ……考えちゃだめ……」

ここにきて初めてコトの重篤さに青ざめるメイだった。

「異世界転生のように、前の意識や知識を継承したまま復活するなんて、そんな都合の良いことあるわけ……」

ツカサも動揺するばかりだ。

 さらに言うと、今回ケントに誤まって投与されたNXR試薬は、検証を兼ねて様々な効果をてんこ盛りにしたスペシャルタイプとのことだ。

外見の変化もさることながら後天的に付与された能力の方が、後々問題となることは現段階でも予想されることだった。これに関しては慎重に経過を観察する必要があるだろう。彼女に以前の記憶、男子だったことも含めて記憶がない今、ひとまずは女の子として生活してもらうほかはないだろう。私たちとの信頼関係も、もう一度、構築してゆく必要があるかもしれない。そして周辺環境に少しずつ慣れていってもらいながら元の記憶を取り戻す良い方法を模索する以外、思いつかないのも事実だった。しかし、ややこしい話だが彼の記憶をうまく取り戻せたとして、それが今の彼女にとって、良いことなのかどうか、全く判断がつかなかった。

とにかく無関係な一般人のケントを巻き込んでしまったことへの贖罪を込めて、メイと二人で協力して彼女を支えていこうと誓い合った。まさかこの若さで美少女を育成することになるとは。ツカサのシナリオには書いていない想定外のことだった。敵対勢力の襲撃を警戒しつつ行方不明となっているメイの実父、小笠原教授の捜索も続行しなければならない。もっともこちらはA-10(綾瀬川レイカ)がメインで動いているため、特に何もしなくてもじき解決するだろう。それから便宜上、彼女に名前を付けてあげないと。ひとまず世間の混乱を避けるためにも兼井ケントを名乗らない方がいいだろう。やることは山積している。

「もう一度、自己紹介から始めなければならないのね……」

ため息交じりにつぶやくツカサだった。

「ところで、ケント君の出た後の抜け殻ってどうすればいいの?」

「うーん、燃えるゴミ? でいいんじゃないかな?」

「…………」

ツカサは後で彼の、いや、彼女の誕生日のお祝いにケーキを作ってあげようと思った。


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