第2話:夕焼けと涙と青春と
終礼後、笠間ヒロミチとボクは先行してターミナル駅前の待ち合わせ
「オマタセー」
府藤ハルミの明るく屈託のない声に振り返る。やや遠目から手を振ってこちらに駆けてくるハルミ。明るく屈託ない彼女を見ていると自分にもその元気を分けてもらえる気がしてくる。よく見ると彼女の後ろには片平メイがピッタリくっついてきていた。
完全にハルミの陰に隠れてしまっている。おどおどしているメイもまたボクと同じく高いステルス性能を有しているに違ない。
「ウス! 斬山さんは?」
ヒロミチがハルミに聞く。
「一緒に誘ったんだけど、なんか用事があるとかで後から来るってさ」
「まー、しょうがねーか。女子の身支度は時間がかかるって言うからなぁ」
「あたしたちも女子なんですが。なにか?」
ハルミが、メイをグイッと自分に引き寄せ、ヒロミチを威嚇する。
アセアセするメイ。何かの小動物みたいでかわいい。
「いや、特には。何も……」
猛獣から眼を逸らすヒロミチ。さすが幼馴染、取り扱い方を熟知している。
ハルミとヒロミチの軽いジャブのようなやり取りの最中、駅前をサラリーマンや学生たちが足早に通り過ぎていく。
「オウ! 待たせたな!」
野生の榎原タクヤが現れた! っと、斬山ツカサも一緒だ。どうやら待ち合わせ場所がわからなくて榎原に案内させて来たようだ。まあ、元々彼女を誘ったのは榎原だし、こうして並んでいると二人は案外お似合いのカップルに見えなくもない。まあ、ボクには最初から関係のないことだ。気にすることなんか全然ない。全然……
「お待たせしてごめんなさい」
斬山がみんなに向かって軽く挨拶する。全く普通にいい娘だ。
「斬山さん、そんなかしこまらなくたって大丈夫だぜ。実はこのメンツでつるむのだって、始めてなんだしさ!」
放っておいても自分からグイグイ入ってくる榎原は置いておいて、斬山ツカサを自然に迎え入れるヒロミチ。気さくで面倒見の良いヤツだ。
「これで全員揃いましたな」
「じゃあ、まいりますか!」
「行きますか!」
ボクたちは、映画館へと駅前の通りをだらだら移動しはじめる。
通りすがりのコンビニ「ヘブンリーマート」のウインドウに最近よく見かけるようになったアイドル、生島(いくしま)ルイがポスターの中から道行く人々に向けて爽やかな笑顔をおくっていた。
しかし、新都市高の制服で街中を歩いている男女グループは周りの目からはどのように映っているのだろうか? 慣れない事をするとつい人の目が気になってしまう。もしかして充実した実りある学生生活を送っている“リア充ども“に見えたりするのだろうか? コミュ障でボッチ属性だったボクには未体験領域(ゾーン)ゆえよく分からない。ボクの学園生活の中で、クラスの連中とこうしてつるむ日がやってくるとは思ってもみなかった。しかも密かに憧れている斬山ツカサも一緒に。何かの間違いではないだろうか、などと考えていると、
「ケント君」
いつの間にか横に並んで歩いていた斬山が声をかけてきた。それもボクの下の名前を呼んだ!
「私のこと誘ってくれたの、君なんだって?」
「えっ? ああ、いや、まあ……」
(そう言えば榎原の謀略のおかげでそんな話になっていた)
「私のこと気にかけてくれたのかな? なんかちょっとうれしいかな。アリガト!」
それだけ言うと斬山はハルミとメイの後を追うように足早にその場を離れていった。
感謝されてしまった。嬉しい反面、やや後ろめたさが残る複雑な心境ではあるけれど。まあいちいち訂正するほどのことでもないだろう。ボクはそのまましばらく斬山の後ろ姿を目で追いかけていた。はああーー。ええ娘や! やっぱり尊い。
「おいっ、ケント! なに斬山のケツを見てニヤニヤしてんだ? キメーぞ」
うわっ! 突撃野郎、榎原タクヤに見られていた!
「ちっ、ちがくて! みんなで映画観に行くのって、初めてだし、なんか楽しいなーって!」
くっ我ながら苦しい言い訳……。
「はああ? どこまでボッチ気質なんだよ、おめーは!」
だが、何を言われようが問題ない。今なら榎原がちょっとやさぐれたキューピッドに見えてこないでもない。なんだか幸せの足音がヒタヒタ聞こえてくる予感がした。
もしかしてこれは彼女と仲良くなるために設けられた階段への第一ステップだったりして。そしてそれから次のステップへ……っと、残念ながら経験値不足でこの先のことをイメージする素材が足りない。これ以上妄想を膨らますことができない自分がもどかしい。いやいや、クラスメイトとたかだか映画を観に行くだけ、ただそれだけのことだ。その中にたまたまボクのあこがれ斬山ツカサがいたというだけのこと。なのに意識が先行し過ぎてしまった。しかし、女子もアメコミヒーロー映画を観るとは思わなかった。全く彼女たちの生態は未知なる神秘に満ち溢れていること、この上ない。深い隔りがあると思われる男女の間にも真そこんところを詳しく語り合いたいと思う。
「ええーっ! せっかく来たのにぃー」
映画館のエントランスに府藤ハルミの不満を漏らす声が響く。
「どゆこと?」
片平メイも、小首を傾げる。
「想定外だ。満席だと! 次の上映回も埋まってるって」
チケットカウンターから戻ってきた笠間ヒロミチは待機していたみんなにそう伝えた。
「じゃあ、今日はもう解散かな」
斬山ツカサが先に結論を口にする。
「何が“想定外”よ! 人生そのものが出たとこ勝負なアンタがそれ言う? 日頃の行いが悪すぎるのよ! ヒロ!」
ハルミもヒロミチをとがめる。
「なっ! オレの日頃はカンケーねーだろ!」
ハルミのツッコミに反発するヒロミチ。
「だったら予約ぐらい入れときなさいよ!」
「臨機応変って言葉を知らないのか?!」
「ったく、段取り悪すぎんだろ!」
後から参入してきた榎原にだけはヒロミチも言われたくないだろう。
「平日だから大丈夫だと思ったんだけど、やっぱ人気MAXたわ。この映画!」
「人気MAXだわ。じゃないでしょう! あたしたちの貴重な放課後のひと時を、一体どうしてくれんのよ?」
腕時計を着けてもいない左手首を右手の人差し指でピタピタ指し示すジェスチャーを繰り返して抗議するハルミ。いかにも前時代のおじさんっぽい仕草だ。
片平メイは捨てられた仔犬のような目で、おろおろしている。
いかん! ヒロミチが集中砲火を浴びている! このままでは今日という大切な一日が後味の悪いものになって終わってしまう! さすがに彼だけに責任をおっかぶせるわけにはいかない。
「まあまあ、まだ上映期間中だからさっ、日を改めてまた来ればいいんじゃないかな?」
ボクはひとまずヒロミチの擁護にまわった。
「オレのことかばってくれんの、やっぱお前だけだよ! ケント!」
(まあ、そういう役回りを期待されて誘ってくれたんだろうし)
「オウ、お前ら! せっかく集まったんだ。ここでグダグダやって、このまま解散ってのもなんだし、近くにいいとこ知ってっから、オレについてこいや」
この状況に少々イラつき始めた榎原タクヤが、仕切り直していいことを言った。
「そうね。確かにここでこうしていても始まらないわね」
ボクたちは女子たちの賛同を得て、榎原の後について行くことにした。
「うわぁー! 懐かすぃー!」
「それな!」
「子供のとき、親に連れてきてもらって以来だわ」
「へえ! こんなとこ初めて来た! 知らなかった」
「だろ!」
「いいね!」
目的地は何のことはない、駅に直結する総合デパートの屋上庭園だった。
だが、意表を突いた榎原の提案は逆に新鮮で、みんなは素直に賞賛した。
その10分ほど前、ボクたちは先頭を歩く榎原の背中にどこへ行くのやら半ば懐疑的な目を向けながらだらだらとついて行った。そのとき、現実を逃避しがちなボクの脳内ではRPGの世界観を展開していた。
我々冒険者パーティーは、人混みを抜け、古城(デパート)内部へと続く結界(自動ドア)をくぐる。宝物庫(売り場のショーケース)が整然と並ぶエリアを横目に通過する。何階層にも及ぶダンジョン(各階フロア)が行く手を阻む。居並ぶガーディアン(店員)を横目にボクたち新都高パーティーはさらに先へと進んでいく。などと一人、脳内異世界探検気分を盛り上げてこの退屈な行軍にワクワク感を加味してみる。
転送装置(エレベーター)を使い、次の階層へと転移する。更にその先の階段を上りつめると、薄暗い最上階に謎の鉄扉が出現する。これこそが目的の場所に至る異界の門に違いない。そして、人界からの侵入を拒むその重たい扉を開ききると、その向こうには明るく開けたヘブン(屋上緑化庭園)が眼前に広がっていた。幾多の試練を乗り越え、忍耐力と精神力を試されるクエストの果てに待っていたエンディングはかくも優しくボクたちを迎え入れてくれたのだった。
ーーなんてね。
だが、この開放感に満ちた空間が都心に生活する人々に心地のいいオアシスを提供してくれていることは確かだ。平日の夕方だからか人影もまばらでいい穴場スポットにはちがいない。時折、地上15階に相当する屋上をかすめる気まぐれな風が、女の子たちの髪とスカートをいたずらに吹き上げて去っていく。
まったく! けしからんほどいい仕事をしている。気まぐれな風の精霊さん、もう一回、お願いします!
スピーカーから流れるJだかKだかのポップスをアレンジしたBGMがむなしく響いている。休日は親子連れでにぎわいを見せるであろう集客のために作られた施設が閑散としている光景は雨の中に霞む公園の濡れた遊具のようで少し寂しい。
ボクたちは何となく屋上に併設されていたペットショップコーナーにそのまま足を向けた。近づくにつれ店員を慕う動物たちのにぎやかな鳴き声が聞こえてくる。
アクリル板のケージ越しに仔犬や仔猫たちの姿を見ると、それまで文句を言っていた女子たちの目がやっと輝き始めた。
「やだー、カワイイー!」
困り顔をして嬌声を上げるハルミ。
久しぶりのお客さんに嬉しくなったのか、ライトブラウンの巻き毛をしたトイプードルの仔犬が、小さなシッポを懸命にフリフリして愛嬌を振りまいていた。
「俺んちマメ柴、飼っててさ。名前はマメッコって言うんだけど、コレがカワイイやつでさ。写真見る? 見たい? 見たいでしょ!」
「へー、そーなんだー、見たーい」
さり気なく自分の飼っているペットをアピールするヒロミチに、社交辞令的に答える片平メイ。彼女のドライな一面を見てしまったが、そりゃあ目の前に本物の仔犬がいるんだから写真よりもそちらに気を取られてしまうのも仕方がないだろう。
別のケージでは、2匹の仔猫たちがじゃれ合っていた。
その仕草にくぎ付けになっている斬山ツカサを発見!
ほほう!
「ネコ、好きなの?」
ボクは彼女の横顔をそれとなく窺いなながら、聞くまでもないことを聞いてみる。
「うん。可愛いよね! 君はどっち派?」
「うーん、犬か猫……どちらかと言えば猫かな。見ていて飽きないというか……」
「いや、アメショかチンチラかなんだけど」
「あ、ああ……いやーどっちかなー」
「でしょ! 私も! どっちもかわいくて選べないよね!」
(なんだヌコしばりか……)
なんて他愛ない会話をしながらボクの中の斬山ツカサ像が少しずつ変化してゆく。
彼女は決して人を寄せ付けない、お高くとまった感じの人ではない。思ったよりずっと親しみやすい普通の女の子だった。壁の向こう側なんかじゃなく今なら手を伸ばせば届きそうな距離にいる気さえしてくる。と、自分に都合の良い彼女が再構築されているだけなのかもしれないけど。
(この予感、全面的に信じても良いですか? ダメですか? そうですか……)
彼女のことを考えれば考えるほどボクにとって、さらに気になる存在へと変わっていった。
しばし楽しい時間を過ごしたあと、ボクたちはそれぞれのお気に入りのペットに別れを告げてショップを後にした。
そして映画館からずっと歩き通しだったため、屋上のフードコーナーで休憩することにした。とりあえず白いパラソルをさした丸テーブルの1つを占拠して周囲のイスを寄せ集める。
「じゃ! ここはひとつ男子のオゴリで!」
という府藤ハルミさんのワガママいっぱい夢いっぱいなリクエストにお応えしてヒロミチとボクは、他の女子の分も含めてソフトクリームを買いに行くことにした。
「オレの分もな!」
榎原が無慈悲な要求を重ねてくる。
(あんた、鬼や!)
だが、この穴場スポットを提案した対価としてやむを得ないことだと言い聞かせ、ボクとヒロミチは甘んじて受け入れることにした。全くもってパシリである! 完全なパシリである!
「一人で三人分ずつだぞ。運べるか?」
「二人いれば何とかなんだろ。あそこのトレーを使おう」
とにかくソフトクリームを傾けずに無事みんなのもとにお届けするのが第1ミッションだ。お・も・て・な・し、の心を込めてソフトクリームとドリンクを乗せたトレーをテーブルに運ぶボクとヒロミチ。
「おお! アリガト!」
彼女たちからはご褒美にとびきりのスマイルを返してもらった。
榎原はと言えば結局、自分とおそらく自ら誘った斬山の分として、二人分の代金を払ってくれた。女子の前でカッコつけたかっただけなのかもしれないが、以外とイイヤツだ。榎原タクヤのFP(フレンドリーポイント)が上がった! それにしてもソフトクリームの食べかたは人それぞれ。こんなにも個性が出るとは思わなかった。
甘いモノが大好きなハルミは満面の笑顔を絶やさずコーンの端を少し残してサクッと平らげる。この陽気の中ではそれが一番正解だろう。
斬山は唇に付いたクリームを舌で舐める仕草をハルミに「エロっぽい」と指摘されていた。それを言うなら“色っぽい”だろう。
チビチビ舐めていたメイは食べ切る前にクリームが溶けてコーンの端から流れ出していた。が、本人は全く気付いていない。
「メイ! たれてる! たれてる!」
ハルミの指摘にはじめて気がついたようで、何か拭くものはないかとオタオタしているうちに、かえって周囲に被害が広がっていく。そう。彼女、片平メイは、総天然ドジっ娘属性だったのだ。
「ほら、メイ! ティッシュ使って!」
ハルミがぐずりそうな顔をしたメイにティッシュを取り出して渡してやる。こういうところはさすが面倒見がいい。頼りになるお姉ちゃんだ。
しかし最も悪いソフトクリームの食べ方があるとすれば、その代表例はヒロミチが今実践しているやり方だろう。
何を思ったのかコーンの先端部を先にかじってしまい、上からも下からも、あああっ! クリームがっ! ダダ洩れだった。
「子供かよっ!」
当然のようにハルミからのツッコミがヒロミチに炸裂する。
もはやメイの粗相など、上書きされてどこかにすっ飛んでしまうほどの愚行だった。
「下から吸えば、効率よく食えると思ったんだよ……」
「んなわけ、あるかーい!」
「そんなに吸いたいんなら、おしゃぶりでも吸っとけば!」
また、ヒロミチとハルミのコントが始まる。
「そうだぞヒロミチ、お前は。ママのオッパイでも吸っとけ!」
ニヤつきながら榎原が煽ってくる。
「そこまで言わなくたって…… おっ俺だって…… 俺だって…… オッ、オッパイ…… 」
言葉を詰まらせるヒロミチ。そしてポツリと真顔でつぶやく。
「誰かオッパイを吸、、触らせてくれる人はいないだろうか……」
「は?」
一瞬にして皆が、いや、世界が固まる。煽った榎原本人も口に手を当てたまま沈黙する。たまたまその場に居合わせたハトさえも首を振るのを止めた。
いや、決して特定の人に向かって発せられた言葉ではないことはわかる。
思春期真っ只中の男子の頭に浮かんだ妄想に近い願望がつい口を突いて出てしまっただけのことなのだ。だが、あまりにも後先を考えない迂闊な発言、いや、失言だと言わざるを得ない!
「あんた、それ、本気で言ってんの?」
ハルミ! 拾っちゃダメだ! そこは華麗にスルーだ!
「キモッ! 純度100パーのエロだわ! 誰か通報して!」
羞恥心に苛まれたヒロミチの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「えっ、いやっ、ちっ、ちがくて! オッパイを見せてくれる人はいないか? の言い間違いだったんだっ」
「なんだ、ビックリさせないでよぉ。って、おかしくない? 根本的におかしくない? 引くわー、どっちに転んでもアウトでしょ!」
「なっ、なんだよ、別に減るもんじゃなし。そんぐらいいいだろ!」
「なに開き直ってんの! 減るわ! めちゃくちゃ棄損するわ!」
「いや、待て! ハルミ! お前の貧乳には言ってないって!」
ヒロミチは荒ぶるハルミを鎮めようと、苦し紛れに言ったつもりなのだろうが、ただのバカだった。わななくハルミ。
「なっ! 見たことあるんかい! セクハラやぞっ!」
事の深刻さに気づいたヒロミチが焦ってマズい言い訳をしようとしたものだから更なる失言を重ね、致命的にもハルミの地雷を踏む結果となってしまった。
同じ男子として気持ちは分からなくもないが、公衆の面前で口に出すのはNGだ!
私のでよければおひとつどうぞ。なんていうビッチな女子は少なくともこの三人の中にはいるはずがない。それに交渉事には手順やプロセスをすっ飛ばしてはだめだ。
ソフトクリームをコーンの先端から吸いながらおどけてみせたヒロミチ。
最初は何気にメイの失敗をカバーしてあげるために取った自己犠牲をはらむ彼なりの優しさだったのかもしれない。良い行いをしようとしたつもりのはずが悲しいピエロのような結末となってしまったのだろう。いや、今となってはもうどうでもいいことだが、さすがに今度ばかりはボクも彼を救ってやることはできなかった。許せ。ヒロミチ!
「すっ、すみませんでしたっ!」
ヒロミチの鮮やかなフルダイブ土下座が炸裂したところで、ソフトクリーム騒動は一応の収束を向かえた。硬直していたハトもいつのまにか何処かへ飛んでいってしまったようだ。とにかくこれ以上踏み込むと後戻りできなくなってしまう危険な状況だけは回避することができた。緊張から解放され気を取り直したハルミは、笠間ヒロミチのことを、エロいヒロミチ、エロミチ、エロミッチーと呼んでひとしきり揶揄した。
「よせやい! 照れるじゃないか!」
「ほめてない!」
彼に弁解の余地はないが、いつかエロが取れてただのミッチーになれる日が来ればいいのにと、友人の一人として心から願わずにはいられなかった。
個人的にはニックネームと言えども、名前を付ける行為によって自分という多様で複雑な個人を一括りに縛られてしまうのはあまり好きではない。まあ、その時の気分や雰囲気で呼び名を使い分けるのはアリかもしれないけど。
それからボクたち6人は、お互いにパッドを出して、アドレスを交換したりグループルームを開設したりして、何となく仲間意識を高め合った。
「なあ、お前らってヲタクなの?」
ボクとヒロミチを交互に見比べながら突然、榎原が聞いてきた。
「はあ?」
「何を根拠にそんなこと聞くんだ?」
と、先の失脚からまだ完全に復活しきれていないエロミッチー、失礼、ヒロミチがふてくされたように言い放つ。今はそっとしておいて欲しいというふうに席を立って金網フェンスの方へ行ってしまった。
「兼井、お前はどうなんだよ?」
榎原にそんなことをまじめに答えても何の得にもならない。
「だとしたら?」
「いやいや、ヲタクって女ウケ良くないんじゃねーの?」
何という乱暴なもの言い!
「そんなことないよ、別に普通だよ。今は女の子だって、あたりまえにアニメだって見るしゲームやる子はやってるよぉ!」
おっ! ハルミが何故だかフォローしてくれた。
「ふーん、そんなもんかね? 今って何、流行ってんの?」
「うーん、モンキースター×ハンターかな? 」
「んだそりゃ?」
「ハンターになってサルを狩りまくるゲームでしょ? 色んなサルと知恵比べしながら」
珍しくメイが会話に加わってきた。
「そうそう、レベル3のサルが出してくるパズルが激ムズで!」
「あそこの攻略のヒントはね。実は……」
「待って、待って、まだ言わないで! ところでメイ、ゲーム以外だったら何かハマってるものある?」
「えと、3Dモデリング……かな?」
「3D?」
「3Dプリンターとかの?」
「うん、物体の形状を根本から見直してリ・デザインするための……」
話のつなぎようがなくなったハルミは、開けてはいけなかった扉をそっと閉めなおすかのように軌道修正を試みる。
「ふーん。ほかには? アイドルとか、誰か“推し”はいる?」
「推し? ううん。特には……」
「聞いて聞いて! 私の推しは、生島ルイ!」
ハルミは自分の推しを披露したかっただけらしい。
「生島?……」
とハルミの推しにピンと来ていないメイだったが、榎原が口をはさむ。
「ああ、知ってるぜ。最近テレビでよく見かけるアイドルな」
他愛のない話をしていると、席を立っていたヒロミチの呼ぶ声がする。
「おーい! みんな、こっち来てみ!」
「えー! エロミチが呼んでるー。みんなどうする? エロいことされたらヤだもんねー」
とか、からかいながらもヒロミチの呼ぶ方へ向かって女子たちが歩き出す。
みんないなくなってテーブルが急に寂しくなった。男同士で見つめ合っていても何も始まらないのでボクと榎原も重い腰を上げてみんなの後に続く。
だらだら歩きながら彼女たちの見ている方角に目を向けた。
と、見てしまった!
鮮やかなオレンジ色に染まる夕焼け空がだんだん紫色に滲んで溶けていくさまを!
遥か遠方で金色に光り輝く輪郭に縁取られた雲海を!
林立する巨大な高層ビルの狭間に落ちてゆく肥大化したオレンジ色の太陽が作り出す眩いコントラストを!
その光景は目の前に広がる世界そのものが輝きに満ち溢れているようだった。
ボクたち6人はその時の光輝く瞬間を、風の匂いを、同じ感覚を共有していた。
「ねえ、みんな手、繋ごうよ」
突然ハルミがこんなことを言いだした。
「はああ? なんで?」
「いいじゃん。この日のこと忘れないようにさっ! 私たち、確かにここにいっしょにいたんだって」
「ハズい……」
「んで、そんなキメーこと!」
「いいから! さっみんな! 手、出して!」
「ダンスでもするんかい!」
「なんかの儀式みたいじゃ」
「なんか文句ある? オッパイ大好きエロミチ君!」
「グフッ!」
相変わらずのノリでヒロミチと榎原が茶化しにかかるが、ハルミに痛恨の一撃を食らったヒロミチはそのまま沈黙する。
そして彼女に促されて仕方なく手を出したり引っ込めたりするが、そう簡単にまとまるものではない。思春期特有のわだかまりが邪魔をして、なかなか思い通りにならないのがこのお年頃の難しいところだ。発育途上の若者にとってココロとカラダのバランスをとることがいかに難しいことか。
「言い出した手前、やんなきゃ余計恥ずかしいじゃん!」
そこでまずは女子たち三人がお手本代わりに手を繋いでみせた。
次に彼女たちの間に男どもが入って全員とつながる輪を完成させる段取りだ。
その際、全員輪の外側を向いて手をつないだ。
お互いの顔が見えない分、なんとなく照れくささが半減する、ような気がする。
精神的になんとか立ち直ったヒロミチはハルミとメイの間に入れてもらっていた。おそらくハルミがヒロミチの先ほどの失言を完全に許したということだろう。
榎原はメイとツカサの間に入る。文句を言いつつも結局お前もやるんだなと少し驚いた。残ったボクはツカサとハルミの間に入る。異性と手を繋ぐのは結構、照れ臭いもんだ。スクールヒエラルキー低層階に位置するボクに、まさかこんな嬉し恥ずかし未体験イベントが発生しようとは!
かてて加えて“俺コンランキング”ナンバーワンの斬山ツカサとこんなふうに手を繋ぐなんていうチャンスが訪れるなんて!
いいのか? 本当にいいのか? いいんだな? じゃあ、やってやってもいいけどなっ。などとメガ盛りの期待感を全身にみなぎらせつつ彼女らの手を取る。胸のドキドキが止まらない!ツカサの右手とハルミの左手はそれぞれボクの手を握り、(やわらかっ……)輪の中へと入れてくれた。そしてボクはみんなと繋がって輪の一部になる。女子たち二人の手はボクの手と比べて小さく華奢だった。
こっこれは両手に花というべきなのか?
妙に意識が先行しすぎたせいか、指先を通して未知なる感覚が電流のように自分の中に流れ込む。
ふっと左を向くと夕日を浴びて輝くツカサの横顔が見えた。
あまりにも純粋な、あまりにも美しい光景に魅了され思わず息を飲んだ。
このままずっとこうしていたいという気持ちと同時に何故だか訳も分からずに涙が溢れてきた。今、自分にできることは誰にも悟られないよう、雫をこぼさないように空を仰ぎ見ることだけだった。空は紫色に滲んで夜の帳がもうすぐそこまで降りてきていることを告げていた。そして入れ替わるように足元からは色鮮やかなネオンの光が立ち昇ってくる。誰もが沈黙を守ったままそれぞれの方角を見つめている。
どれくらいの時間が過ぎたのだろう。今はまだこの輪から外れようとする者は一人もいなかった。足早に過ぎ去っていく時間の中で、それはほんの束の間のことだったのかも知れない。それでもずっとこの瞬間を永遠につなぎ止めておくことが出来るのではないかという錯覚にも似た思いは、鮮明な色彩を放つ記憶とともに深く心に刻まれた。心の奥深く、どこかで誰かとつながっていたいという願いがボクたちの絆をより一層深いものへと変えていくのだろうか。
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