自分のカラを破るのは自分だけでしょう?

@pentouch

第1話 今思えば、あの時から始まっていたのかも

 「ネェ……キテ……ねえ、起きて……」

「ああ……朝、か……起きなきゃ、いや、まだ、あともうちょっと、もう少しだけ……寝かせて……」

もう、起きなきゃいけない時間……なのかな……。

僕は、ぼんやりとした気だるさをかかえながら、眠りにつく前の記憶を手繰り寄せようと、頭の中に広がる真っ白な霧につつまれたような距離感のつかめない空間をあてどなく彷徨った。

(再起動……そう、再起動しないと……)

身体が重い。せっかくかき集めた記憶の断片は、覚醒に向かう途中で再び白いベールの向こう側へと霧散していった……


……どれくらい時間が経ったのだろう……

ふと気がつくと再び深い霧に閉ざされた不思議な空間の中に一人たたずんでいた。

身体中にまとわりつく重く湿った空気が気分までもどんよりとさせる。どこまでも続く不条理な世界に半ば嫌気がさし始めたころ、不意に視界の前方、霧のカーテンを通してぼんやりとひとつの影が浮かびあがった。警戒心と好奇心がせめぎ合う中、自分自身の意思とは無関係に二人の距離はスッと縮まっていく。目の前に現れたのは素肌に白いドレスを纏い、艶やかな長い髪が印象的な若い女だった。

やわらかな光のレースに包まれたその女を敢えて言葉にするなら、そう、国民的美少女だ。

(なんだ、ただの天使か……)

彼女はこちらの存在に気付くと親しみに満ちた微笑みを浮かべた。

(ええっと、、誰? だっけ? 何処かで会ったことがあるような気がする。けど、思い出せない)

今や手が届くほどの距離にまで近づいた少女は、戸惑いその場に立ち尽くす自分のことなどまったく気にする様子もなく、抱きしめるかのように両手を広げる。ボクは彼女のことが誰なのかも思い出せないのに、彼女は親しみ以上の好意をボクによせてくれているようだ。“大好き”のサインだ。ゆっくり、そして自分の方へと伸びる彼女の両手。そのしなやかな指先は冷たく冷えたボクの頬にそっと触れ、柔らかな温もりで包みこむ。

彼女の穏やかな微笑みに魅とれていると、ほのかに漂う甘い香りが鼻先をくすぐる。

徐々に彼女の顔が近づいてくる。胸の鼓動が早まる。

「ちょっ、まままっ、まって、まって!」

彼女の唇が僕の唇に触れるか触れないか、じらされているような微妙な間隔に心拍数が跳ね上がる。緊張と後ろめたさがないまぜになって視線を合わせることもできなければ逆に反らすこともできない。

 いや、ちょっと待て。冷静に考えてこんなことが起こるなんてことはありえない。いくらなんでも気づくだろう。こんな不自然なことあるわけない。どこか頭の片隅ででこれは夢なんだということを思い出す。ちゃんとわかっている。そもそもボクなんかにはこんなふうに女子と接近する機会なんかないことぐらい。そう理解しつつ現実ではありえないシチュエーションを半分どこかで期待してドキドキしている自分が滑稽すぎる。と、半ば自虐的に感じはじめたそのとき、突然、何の前触れもなく激しい雨が降り出し、顔と言わず全身を打ちつけてきたのだ! そして目の前の美少女は再び霞のカーテンの向こう側へと消えていった。

(なっ、なになに? 何が起きてる?)

突然、欲求対象を目の前でおあずけにされたような理不尽さに、身勝手にも憤りさえ感じたボクの手足にギュッとチカラが入る。結果、眠りからの覚醒を加速させていった。トドメの一撃を加えたのは、まぶた越しに網膜を強烈に射抜く、まばゆい光の刺激だった。

「うっ?!」

無防備なボクに容赦なく振りり注ぐ光を受け思わず顔をしかめた。まだ目が順応しきれず、周囲の状況をつかむこができない。

「いま……なんじ……」

混乱する思考の中で思わず口をついて出た言葉がこれって……。

特に返事を期待したわけではないけれど、乾ききった喉の奥からやっとの思いで絞りだした言葉にしては我ながらなんだか間の抜けたセリフだ。

ついさっきまで見ていた甘美な夢の余韻に浸る間もなく、外部からの刺激で覚醒に至ったのだ。縮み切った手足を伸ばした時に感じる痺れや痛みを体中が訴えている。

無理に拘束されていた状態から解放されたような不自由な気だるさは、まるで四方八方から締め付けてくる水圧に逆らって底無し沼の淵から強引に引き上げられたような、そんな最低な気分だった。それでも夢の中の美少女との邂逅は、なんともいえない名残り惜しさとなってボクの胸の中でくすぶり続け、その情景を強く焼き付けた。




 キーンコーン、カーンコーン

私立新都市学園、高等部に4時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。午前のカリキュラムから解放される1‐Aクラスの生徒たち。イスや机を引く音が騒々しく響いている。昼休みの時間だ。

「ああーー、だりーー」

「弁当、弁当」

「午後の授業ってなんだっけ?」

いつもと変わらぬ喧騒にまみれた学園風景のひとコマだ。

「なあハルミさ、タブレットあんだからワザワザ登校しなくても、よくなくない?」

「ば~か! これ以上ニート予備軍を養成してどうすんのよ。あたしゃ、この国の行く末が心配だよ!」

「ハルミ、おまえさあ、見た目可愛いのに言うことがいちいち年寄りくさいんだよ!」

「にゃ、にゃによー、ヒロ! うら若き乙女に向かって! あんた今、全国のJKを敵に回したわよ! みんなに謝んなさいよ!」

「なっ、なんだよ、おまえが全国のJK代表みたいなこと言うなよ!」

クラスのマスコット的存在の府藤(ふとう)ハルミと自称モテイケ男子、いや、どちらかというと、お調子者属性の笠間(かさま)ヒロミチとの一連の掛け合いは、相変わらず安定したコンビネーションを発揮している。いつもの光景と言えばそれまでだけど、平穏な暮らしを愛するボクからするとちょっと騒々しい。

この二人、家がご近所同士で幼稚園の頃から家族ぐるみの付き合いをしていると聞いたことがある。いわゆる幼馴染み属性だ。二人とも似た者同士で、明るくて人当たりが良く、面倒見がいいところは類は友を呼ぶ感がある。実際どうあれ、はたから見てるとお似合いのカップル以外の何物でもない感じがする。

「おい、兼井(かない)、兼井ケント! 聞いてた?」

不意にヒロミチから名前を呼ばれて、ボクは慌てた。

「えっ、と?」

「なんだよ? 寝てたのかよ?」

「ちっ、違うよ!」

「エッチな夢でも見てたんだろ?」

ヒロミチのニヤついた顔がボクの顔を覗き込んでくる。

「違うって!」

思わず視線を反らした。悔しいがうまい返しが見つからない。

「だから今日、放課後ヒマかって、聞いてんの! 女子を誘って映画を観に行こうぜ! 今、絶賛上映中のスーパーヒーローが大集合するやつ。ケント、お前も行くよな!」

ボクの返事なんかどうでもいいと言わんばかりに一気にまくし立ててくる。

いつの間にそんな話になったのだろう? 大体、女子はその手のジャンルの映画には興味がないのではないだろうか? でも、どうやらヒロミチとハルミの間では既に話がついているようだ。前方に彼の肩越しに見えるハルミも前列に座るメガネっ娘、片平メイを誘っているようだ。


 片平(かたひら)メイ。ゆるふわな感じで一つに纏めた髪と大きめのメガネが似合う彼女は、小柄で見た目通りおとなしい感じの女子生徒だ。彼女は声に特徴があって、どこか幼さを感じさせるというか、いわゆるナチュラルなアニメ声の持ち主だ。男子受けは悪くはなく、それなりの需要があると思われる。そう言うボクも彼女の声の密かなファンだったりする。とは言え特に話す機会があるわけではないので彼女が誰かとしゃべっているのを時折耳にする程度なのだけれど。

「行くだろ! ケント!」

なるほど数あわせのための適当な人材として、人畜無害と思われているボクに白羽の矢が立ったということか。

「ええと……」

人付き合いがあまり得意ではないボクは、断る理由を探してあれこれ考えてはみたが、適当な理由が思いつかない。実際、早く帰宅してみたところでネトゲに参戦するか、録りためた深夜アニメを見ることぐらいしかやることなんてなかったのだ。

「おい、何の話だよ? オレもまぜろや」

そこへ運動全般が得意で何事にも強引に割りこもうとする、やんちゃボーイの榎原(えのはら)タクヤが割り込んできた。

榎原はとびきりのワルと言うわけではないが、積極的にこちらから関わりたいとは思わない自己チュータイプだ。固有結界や場の雰囲気などは読まないし、彼には一切通じない。

「いや、別に……」

ヒロミチの返事も当然、そっけない。

「なーに、こそこそやってんだよ! お前らキメーぞ!」

ここで言う「キモイ」は、ただの挨拶がわりで深い意味はないらしい。

「オレもその映画観たいと思ってたんだわ」

聞いてんじゃん! しっかり話の内容、聞いてんじゃん!

「当然、俺も誘ってくれんだよな!」

要は自分もみんなと一緒に映画を観に連れて行って欲しいと言うことらしい。素直にそう言って頼めるヤツならここまで疎まれることはないだろうに。

果たしてヒロミチは榎原をテイよく振り切るのか? それとも彼の圧に押し切られてしまうのか?

「いや、でも、男女比が崩れるとなにかと面倒な感じがするし……」

言い淀みつつ煮え切らない苦しい言い訳を放ち、ボクの方に視線を送ってくるヒロミチ。

「どうする? ケント!」

いや、特にどうこう決める権限はボクにはないだろ。どうすると言われても困るよ。発案者はヒロミチ、お前だろ! おおっと、そうだ! それならいっそのこと、

「じゃあボク、代わりに抜けようか?」

ボクにとっては下手に断る理由をあれこれひねくり回すより、これはこれで好都合かもしれないと思った。

「おい! 待てってケント!」

あからさまに困惑したようすのヒロミチに、榎原は更に追い込みをかけてくる。

「なーにモメてんだよ! なら、オレも誰か女を連れて来ればいいんだろ。見てろよ! 斬山(きりやま)を引っ張って来てやっからよ!」

榎原はボクたちに向かって、親指のハラで鼻の下をピッとこする大げさなジェスチャーをして見せる。やんちゃっぷりをわざわざアピールしなくてもいいんですけど。

「まっ、待て! 話を……」

榎原タクヤというやつは、やはり人の話を聞くタイプの人間ではない。有言実行、斬山の座る窓際の、後列の席へとずんずん向かって行った。

何という行動力! そのアグレッシブな積極性は見習いたいとは思わないけれど、ある意味賞賛に値する。だが、しかし、斬山は、斬山ツカサだけはやめておいた方がいい。あまりにも無謀すぎる! 心の声がそう叫ばざるを得なかった。が、彼には届くはずもない。榎原は彼女の座っている前列の席に身体を投げ出すようにしてドッカと座り、反動で高く振り上げた足を大仰に組んでみせた。

貴重な昼休みの時間に自席から動こうとせず、窓の外をじっと眺めているだけの斬山に彼女の方から注意を向けてもらう作戦なのだろう。

(ゴクリ)

ボクとヒロミチは、もはや固唾を飲んで次の展開を見守ることしかできなかった。


 斬山ツカサ。彼女はこのクラスの中でもひと際目立つ存在だ。

ただそこにいるだけで、教室の隅に座っているだけで、自分から目立つような事は決してしていないにもかかわらず、皆の視線が集まってしまう不思議な魅力を放っていた。実際、彼女は美少女そのものに違いない。腰近くまで伸ばした艶やかな黒髪、全体的に華奢でスレンダーな割には出るところは出る、引っ込むところは引っ込むメリハリボディ。大きな瞳が印象的で、ややあどけなさの残る可愛いらしさと知的なクールさが共存する絶妙なバランスの顔立ち。どこをどうとっても生まれた時から神様が全面的にバックアップしているとしか思えないパーフェクトなルックスだ。

いつだったか、あるTVのバラエティー番組で「美形の条件は横顔のシルエットが作り出すSラインにあります」なんて言っていたコメンテーターの話を思い出す。

容姿に関して言えば、ボクにとって彼女は気まぐれな運命のいたずらとしか思えないほど非の付けどころのないドンピシャなタイプだった。にもかかわらず、当然ボクから面と向かって彼女に話しかける勇気もなければ機会もない。ただ遠目からこっそり盗み見ることぐらいしかできない高嶺の存在だ。だからボクは彼女が窓の外を見つめている時、その横顔をそっと眺めるのが好きだった。そして、このクラスの教室内での時間と空間を彼女と共有できることが、ボクにとって密かな楽しみに違いなかった。もちろん彼女を上から目線で評価するつもりなど全くないし、身の程はわきまえているつもりだ。だが、斬山についてもう少し言わせてもらいたい。

先程、彼女の髪について少し触れたが、その豊かな黒髪に、もしも、もしもだが、この手で直に触れることができる機会が与えられたなら、指の間から水の流れのように抵抗なく滑り落ちるサラッサラの感触を確かめてみたいと思う。キモ過ぎることは痛いほどわかっている。しかし、彼女の髪に宿る“天使の輪っか”の前では誰だってそう駆り立てられずにはいられないはずだ。いやっ、きっとそうに違いない。

巷では定評のある本校の制服も彼女にとても良く似合っている。紺のブレザーに清楚な白いシャツの襟元を引き締める臙脂色のタイ、太ももの絶対防衛ラインを絶妙にキープするスカート丈。これらはすべて彼女自身を引き立たせるためにある。いや、彼女にとって制服は最強の装備と言っても過言ではないだろう。と、斬山について多くの紙面を割いて熱く語ってしまったが、それだけボクは彼女を意識しており、片思い、いや、遠い憧れの存在ということなのだ。彼女にとってはボクのような歪な存在から好意を向けられたところで、なんのメリットも感じないだろうけど。彼女いない歴イコール年齢の、モッテナイ街道をひた走るボクと彼女とでは元々階級が違いすぎる。いや、ボク自身、見た目はそんなに悪い方ではない。と、少なくとも自分自身では思っている。容姿、性格、スポーツ、どれをとっても至って平均的、どこにでもいる、ごくごく普通の健全でニュートラルな男子高校生なはずだ。強いて言えば何事にも争いを避け、SDGs時代に即した生き方を選んできた省エネ男子なだけだ。自分から率先して何かに参加したりすることもなければ、積極的に人と関わり合いを持とうという労力を行使してこなかったというだけだと思いたい。つまるところ平たく言えば典型的なボッチ貴族だ。だからって別にどうってことはない。初めから多くを望まなければ失望することもないのだ。スクールヒエラルキーの階層を認識しておとなしくしてさえいれば、何事も平穏無事にやり過ごせるというものだ。おっと、ボクのことより話を斬山ツカサに戻そう。

 彼女は可愛い娘が多い我が校の中でも最上位クラスに君臨するということを改めて強調したい。ボクにとって斬山は高すぎる壁、ウォールマ〇アの向こう側に咲く花。もはや異次元の住人、住む世界の異なる存在だ。少々卑屈になりすぎかもしれないけど、ある意味、格差社会を否が応でも眼前に突きつけてくる。決してお高く留まっているとか、高飛車な態度とかを取るようなことはないけれど、存在自体が歩くヒエラルキーという感じだ。おそらく男女を問わず彼女に憧れているファンは少なくないだろう。そしてその壁に向かって進撃していく榎原タクヤもそんな一人に違いない。

だが、それはいい。そんなことより斬山ツカサが今、クラスで孤立を深め、現在の孤高のポジションを築くことになってしまったある出来事のほうがボクには気がかりだった。

 それは先月、現代社会の授業中に起こった。

先生が我が国の三権分立のおさらいのために皆に質問している時のことだった。斬山は何故か唐突に現政権への批判を展開して教室内を冷めた空気で充満させてしまったのだ。彼女は先生が立法、行政、司法のお馴染みの三すくみのような相関図をホワイトボードに向かって書き込んでいるその背中に向かって、不意に次のような質問を投げかけたのだ。

「先生! 現政権のあり方についてどのように思われますか?」

とか、確かこんな感じの質問だったと記憶している。

私語や雑音に溢れた教室のどこにいても聞こえる明瞭な声だったが、最初はこの声の主が誰だか、分からなかった。それは皆が最初に斬山に対して抱いていた“物静かで思慮深くクールな女(ヒト)”というイメージとすぐには結びつかなかったからだ。

どちらかと言うと体制側の人間である先生は、斬山の問いかけに少し戸惑ったようだったが、それでも至極真っ当に、

「どんな在り方にしろ、現政権を国の代表として選んだのは私たち有権者です。今は説明の時間だから、茶化さないで授業に集中して」

とだけ言って、また板書に戻ってしまった。

正論だった。このありふれたやり取りのどこに彼女の不機嫌スイッチをオンにする要素があったのかは定かではないが、彼女がこのままおとなしく引き下がっていれば特に皆の悪印象に残ることはなかっただろう。

「茶化してなんかいません!」

と語気を強くして、散々自論を展開したあげく最終的には、民意を軽視しすぎてる! とか、金と権力の既得権にまみれてやりたい放題の政治家を許してはいけない! とか、街頭演説さながらに場違い且つ根拠の稀薄な批判を展開して、先生を困惑させたのだ。斬山家はご家族が政治活動家かなんかなのだろうか? それにしても学生の身分であり、参政権の圏外にいるボクたちには直接関係のないことだと思うのだが……。

何かをコジらせて荒ぶる斬山から、この哀れな先生を救ったのはコーナーに追い詰められたボクサーが、さながらゴングの鐘に救われるが如く終礼のチャイムだった。

ボクにとってはこの手の問題、およそ拙速に答えが得られることはないであろう政治の問題についてなど、どうでも良いことだった。それよりも斬山のイメージが棄損されることのほうが、というか“意識高い系、不思議ちゃん”カテゴリーが付与されてしまうことの方がむしろ気がかりだったのだ。

案の定この日を境に彼女のクールな外見とは裏腹に内面には鬱屈した何かを秘めていて、不用意に触れるとキレられそうというか、容易に人を寄せ付けないナイフのように尖った面倒な人としてクラスメイトからの認識が加速し、現在に至っているのだ。

ごく一部の不遜な男子どもからは“アノ日”だったのでは? などとセクハラまがいな発言もささやかれたりもしていた。

そんな彼女に今、果敢にアタックを仕掛ける榎原タクヤは真の猛者だと認めざるを得ない。だが、およそタイプが違いすぎる彼女に対して攻略する術はあるのだろうか?

それともエゴの強度で共鳴する点でも見い出したとでもいうのか?

勉強以外の何事においても人に遅れを取ることを良しとしない彼に、一体どんな秘策があると言うのか? それとも単に出たとこ勝負のノープランなのか? 果たして勝算は?

「斬山! 今日の放課後オレと映画観に行こうぜ!」

オレと? ボクたち、いやいや、少なくとも発案者のヒロミチはどうした?

榎原タクヤから突然声をかけられた斬山は、ちょっと驚いた様子で窓の外から教室内へと視線を戻した。

呼びかけてきた相手に焦点を合わせようとした彼女の目は一旦大きく見開かれてちょっと寄り目気味になる。ボクはそんな彼女の仕草や表情につい見惚れてしまう。

カワイイ。などとニヤついている場合ではない!

斬山は榎原の真意を計りかねているのだろうか、返答を保留する。

やや離れたボクとヒロミチのいる席にまで、場の空気が冷えてゆくのが伝わってくる。

「見える! 見えるぞ! ワタシにもオーラが見える!」

ついに緊張感に耐えきれなくなったヒロミチがすかさずおちゃらける。

いや、当事者として沈黙のプレッシャーに耐えていたのは榎原タクヤ自身だったに違いない。ボクたちの視線を背に、彼には彼なりの負けられない戦いがあるのだろう。

再び榎原が果敢に仕掛ける。

「なんならアッチの連中も誘ってさ! 映画観に行こうぜ!」

アッチってどっち?  完全にボクたちはダシのもとに使われている?

だが、まあ、今度はボクたちのことにもやんわりと触れて言い直したことは評価する。

「えと、悪いんだけど……」

ついに彼女は長い沈黙を破った。

やっぱり言わんこっちゃない! 斬山ツカサの拒否権が発動する。

榎原の鎧のようにカタいプライドはズタズタに破壊されてしまうのか?

いい気味とまでは言わないが、鼻っ柱の強い本人にとってはこの先の長い人生においてプラスの方向に、良い薬になるんじゃないだろうか。

「待て、待て! 聞けって、実は、兼井、そう! 兼井ケントのやつがどうしてもって! アイツ、代わりに頼んでくれって言うもんだからさっ」

はいいっ? 華麗なスルーパス、キター! なぜボクですか? これ何かの罰ゲームかなんかですか?

「そうなの? それなら自分で直接言いにくればいいのに……」

(デスよねーー)

ボクは斬山の刺さるような鋭い視線がこちらに向けられているのを過剰に意識してしまう。耳の先まで熱くなっていくのを感じ、思わず顔を机に伏せてしまった。心臓が飛び跳ねて頭のてっぺんまで脈打っているようだ。

(違う! 違うんだ! ボクはそんなハイリスクなことは言ってない!)

「だよなあ、オレもそう言ったんだけどさー、兼井のヤツ、トゥーシャイボーイだからさー」

身勝手にもボクを身代わりに、自分の身をかわそうとする榎原。

彼のプライドは野生的な生存本能に従い、生き残りを賭けて回避行動に移行する。

(もう、なんとでも言ってくれ!)

何はともあれ、斬山にボクのはかない片思いを見透かされてしまうことだけは何としても避けなければならない。万が一、ボクなんかが彼女に一方的な好意を抱いているなんてことが露呈するようなことになったら。挙句に彼女から完膚なきまでに拒絶されてしまったら。何もかもそこで終了。ゲームオーバーだ。淡い妄想を抱くことすら許されなくなってしまうのなら、この先の学校生活をどうやり過ごせばいいかすらわからない。

だが、もういい。もうこれ以上はいい。

斬山にフラれた挙句にクラス中の笑いものとなり、日の当たる場所を歩けなくなってしまう重圧。そんなものを背負う哀れなピエロはボクだけでいい。悲しい思いをするのはボク一人で十分……なんて思う訳はないけれど、ここで変に騒いで否定したって余計に目立って見苦しくなるだけだろう。今は流れに身を任せる以外に選択肢はないと思われた……そのとき、

「じゃあ、彼に伝えてくれる? オッケーだよ、って。伝書鳩君!」

(えっ、今、何て? どゆこと?)

「あっ、あれは……第一級ハンターの眼や! 大物を狩りに行くモノノフの眼や!」

わななくヒロミチ。

(頼むからヒロミチよ! 今はお口にチャックだ! 混乱するからっ!)

確かに今の斬山の眼は鋭かった。狩られるのは榎原なんだろうか? それとも……。

てっきり彼女のことだから誰が誘ったところで相手にされないだろうと思っていた。

取りつく島もなく断られるだろうと。その後は何事もなかったように平穏なランチタイムが戻ってくるはずだ。そう考えていた。それなのに、何故一度断る素振りを見せていたのにオッケーなんですか? ソレってどういう意図があるんですか? 何故にアメリカン・ティーンエイジャーのようなウィットに富んだ返しなんですか?

「ああ? なんかよく分かんねえけど、分かったよ。つまり行くってことでいいのな!」

鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で榎原はぶっきらぼうにそう答え、こちらに戻ってきた。ボクは精一杯の優しさを込めた微笑みを浮かべ、帰還してくる彼の健闘を讃えた。榎原のやり場のない怒りが割とガチなヘッドロックとなってボクのこめかみを締め上げたことは言うまでもなかった。

「どうだ! 宣言通り、彼女を引っ張ってきてやったぜ!」

妙に威厳を込めた榎原の言い方がおかしかった。大丈夫。ぜーんぶ見ていたから。知ってる。

 果たしてこれは、ボッチ属性でクラスヒエラルキー低層階で生活を送るボクに到来したギフトなのか? はたまた破滅の罠なのか? 現時点のボクには知る由もなかった。かくしてボク自身、積極的に望んだわけではないけど、ひょんなことから密かにあこがれを抱いていているクラスメイト、斬山ツカサとの第一次接近遭遇を果たすことになった。たかだか娯楽映画を観に行くために急きょ結成された“にわかパーティー”ごときで少々熱くなりすぎではあるが、か細く脆い、いつへし折れても仕方のないフラグのような淡い期待感がボクの胸の中に立ちあがった瞬間だった。





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