第3話 渚
鵠沼の海は思いの外、人が少ない。
爽やかだが少し鋭い風の吹く空にはトンボが飛んでいる。秋子は鞄から薄手のストールを取り出すと首に巻き、砂浜へと降りて行った。観光客とおぼしき人はまばらで、犬を散歩させる人、地元の学生達
そして波間にサーフィンをしている人達。
さすがロングボードの聖地と言われるだけある。サーファーが1番多い気がする。
秋子は砂浜にゆっくりと腰をおろして座ると、海にいるサーファーの中に彼を探し始めた。目印はあのサーフボード。
Twitterで見た彼が誇らしげに持っていたあのボードは、木目調で白いラインが1本入っている物だった。それ以外に彼を特定出来る物は無かった。皆黒いウェットスーツを着ているからだ。
「う~ん。見つけられない…今日は来てないかもしれないしな。」
秋子はスマホを取り出すと、普段は使わない写真機能をもたもたして使いながら、しばらく写真家になった。そして満足すると、再び浜辺を眺め始めた。
ただ海を、渚を見つめているだけで
あっという間に時間が過ぎて行く。
「ずっと眺めていられるわ~」
「美鈴ったら、なによ。ただの海だなんて。
とても素敵な海じゃない。」
空ってこんなに広かったっけ…
普段吉祥寺で見るテトリスの画面のような空とはえらい違いだ。
辻堂方面を見ると、富士山のシルエットがうっすら見えた。今日は霞んでいて見えないのかな…あっちが茅ヶ崎か~遠くに烏帽子岩が見えた。秋子はそれを見つけると、嬉しくなって。「チャコの海岸物語」をスマホで流した。
「恥ずかしがり屋の二人かぁ…」
秋子はポツリと呟いた。高校生の頃の二人はそんな感じだった。
秋子は今でもクールで、控えめの女性だ。
感情を顔に出すのが昔から苦手である。
波音はそっと優しく、少し曇った空から射す陽光は妙に心地よく。
秋子を優しく包みこんだ。
曲が終わりそうになったので、スマホを手に取ったら、シャッフル機能で次の曲が流れ始めた。「夏をあきらめて」 あきらめて…
秋子は思わず聞き入った。
ひとり渚を見つめていると、なんか自分が惨めに思えた。
「ぁ~あ…もう帰ろう。」
秋子は海から上がって来たサーファーが
振り返り、海に一礼するのを真似て、海にお辞儀をした。
秋子は優しい海風に背中を押されながら、駅へと向かった。
駅に向かう途中、さっきの喫茶店にいたおじいさんを見つけた。すれ違い様に彼はポケットからパイプを落とした。車椅子を押している男性より早く秋子が気付いて拾い上げ、おじいさんに渡した。「かたじけない。」彼が言った。
「いいえ。素敵なパイプですね。」
そう言うと。おじいさんは嬉しそうに。
「そうかい。これはローデシアンタイプなんだよ。私と同じ骨董品だ。」そう言うと軽くお辞儀をして彼は海の方へ行った。
狭い商店街を駅へと向かう途中、喫茶店を横目で見た。あの女の子はまだ店の中にいた。
マスターの娘さんか、地元の子なのかな?こんな素敵な町に住んでいて羨ましいなと秋子は思った。
駅に着き電車に乗り込むと、秋子はそっと目を閉じた。
「私。何してるんだろう…」
虚しさが彼女を覆いつくす。行きの電車とはうって変わって秋子は気だるい午後の陽射しの中にその影を暗く写した。
下北沢に着くとそのざわめきが、夢の終わりを告げるアラームように、秋子を現実の世界に引き戻した。
井の頭線のホームで吉祥寺の文字を見ると、秋子は妙に安心した。
「そうだ。せっかく鵠沼海岸で写真を撮ったのだから、Twitterに上げよう。」
撮った写真の中から1枚、なぜか映り込んだ自分の左足と、遠くに江ノ島の映る渚の写真を…
Twitterに投稿すると秋子は夕食を何にするか悩みながら電車に揺られて吉祥寺へと帰って来た。
駅近で買い物を済ませ、ガヤガヤした通りを抜け井の頭公園の手前に差し掛かると、金木犀の甘い香りを感じた。そのまま匂いをたどって行きたくなる衝動を抑えた。
ふと、見上げると、ついこの前まで咲いていた、さるすべりの花はすべて散っていた。
「秋だなぁ…秋…」その情景が秋子の虚しさをさらに大きくした。
「さぁ。お家に帰ろう。」ちょっぴり気合いを入れて歩き出した。
家に帰ると美鈴は居なかった。
またダンスの練習に行ったかな?いつも必ずLINEをよこすから、気にせず。秋子はコーヒーを入れた。
ひさしぶりの遠出で少し疲れた様だ。
いつものソファーにもたれ、いつものインスタントコーヒーを飲みながら、いつもと変わらぬ窓からの狭い景色を見た。
「ここの今の生活もいいじゃない。」
秋子はそう心の中で呟いた。
ジャリジャリ。!?
靴下からそれは細かい鵠沼の砂が溢れた。
よく見ると足に引っ付いている。
鞄の中にも…
こんなに砂浜の砂は細かい物かと、しっかり感心してから、掃除機を取りに行こうとした
その時、スマホが鳴った。
美鈴かなぁっと画面を見ると。
それは自分の上げたTwitterの写真への
「ハートマーク」…まさかのトオル君からだった。
「ウソやろ」…
なんでか秋子は関西弁になった。
もう一度、自分が撮った写真をズームしてしっかり見直す。
するとその画面の左奥に、海から半分飛び出たサーフボード。
木目調で白いラインが入っていた…
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