第14話 ベルンの村

 森を抜けると、辺りは薄暗くなりはじめていた。

 空には、家路を急ぐ小鳥たちが集団で飛んでいく。


「ここから近いのはベルンという小さな村だ。今夜はそこで休もう」


 ギルベルトは方位磁石をしまった。


「ねえ、ギル……ちゃんと辿り着ける?」


 私がおずおずと尋ねると、彼は眉を寄せて私を見る。


「この道をまっすぐだ。間違いようがない」


 疑わしい顔をしていたからか、ギルベルトはため息をついてむっつり黙り込んだ。


「心配いらないよ、ミア。俺がベルンの場所知ってるから」


 両手を後頭部にあてながら歩いていたカミルがそう言った。


「カミルの家は、ベルンってこと?」


 森で倒れていたカミルは、たまたま通りかかった私たちに助けを求めた。食料も持たず来たというし、森の近くに住む少年なのだろう。一番近い村がベルンだとすれば、彼の家もそこにあるはず。


「まあ、そんなところ」


 カミルは歯を見せて笑った。

 それから一時間もかからずに、ベルンに辿り着いた。

 空はすっかり濃紺に染まり、星々がきらめきはじめている。

 ベルンは、ギルベルトの住むヨルンの村より若干こじんまりして見えるが、家や店は密集して活気があるように感じる。もっとも、もう既にほとんどの商店は閉店しており、夕食時であるので外を歩く人間はまばらだ。


「宿屋へ行くぞ」


 ギルベルトの話では、このベルンの街は、その立地から旅人の多くが立ち寄る場所で、宿屋が軒を連ねているらしい。そのうちのひとつ、〈山猫の尻尾亭〉なる宿屋にギルベルトは何度か滞在したとのことで、そこに決めていた。

 案の定、村の中で迷子になり、なぜかカミルが酒場に向かう気の良いおじさんを一人つかまえて場所を聞いてくれた。


「さっき、ミアが心配してたのはこれだったんだぁ。こんな小さな村で迷子になるなんて、情けないなぁ」


 カミルが小馬鹿にしたように笑うと、彼の頭にギルベルトのげんこつが落ちた。


「いってぇ! 何すんだよ、大人げないぞ!」


 カミルは涙目で頭を押さえている。


「大人げなくて結構」


「覚えてろよ!」


 カミルはギルベルトを睨みつけて、頭を擦る。


「あれ、でも、カミルってこの村出身じゃないの? お家に帰らなくて平気?」


 カミルはこの村出身のはずなのに、宿屋の場所を把握してなかったのかなと疑問に思っていると、


「え? 違うよ? 俺、この村出身なんて一言も言ってないし」


「え、でも、さっき……」


「俺、いたいけな家出少年なんだよね。ここにも来たことあるから道を知ってただけ」


 ニッと歯を見せて笑う。


「だろうと思った。お前、村に着いても離れる気配がなかったからな」


 ギルベルトは嘆息してから、ある建物の前で立ち止まった。

 猫とその大きな尻尾が印象的な彫刻の看板が目に入る。


「ここだ。お前の話はあとで聞く。とりあえず、宿をとるのが先だ」


 中に入ると酒場になっており、非常に騒がしい。おまけにアルコールや煙の臭いが鼻につく。赤ら顔の男たちが、ジョッキを片手にお酒や食事を楽しんでいるのを横目で見ながら、案内される店の奥へと進んだ。酒場から離れた宿泊スペースは思いの外静かで、遠くから笑い声や歌声が聞こえてくる程度だった。

 二階の奥の部屋に通され、私たちは一息つく。

 簡素なベッドが二つと、小さめの丸テーブルに椅子二脚。


「悪い、ここしか空いてなかった。本来なら、お前に一部屋とるべきなんだろうが」


 ギルベルトは荷物を部屋の隅に下ろしながら、申し訳なさそうに言った。


「大丈夫だよ。野宿するかと思ってたくらいだから、ベッドがあるだけで有難いもの」


 内心、ギルベルトと同じ部屋! と焦る気持ちもあったけど、屋根のある部屋にいるという安心感の方が強く、疲れた体をやっと休められると思うと眠気まで襲ってきて、本来取り乱してしかるべきだとは思うものの、意外と平静な自分がいた。


「眠そうだな。でも、寝る前に何か食べた方が良い。食事はここでとる許可はもらったんだ。おい、カミル、酒場から食事をとってこい」


「なんだよ、それ」


「主人には頼んである。取りに行くだけだ」


「だから、何で俺が行くんだよ? 普通、ギルベルトが行くだろ⁉」


「万が一、ここに変な奴が現れてだ。お前はミアを守れるのか? 無理だろう? 非力な子供に。あと、さんをつけろ、さんを」


「はぁ⁉ 俺だって、守れますぅ! ただの子供じゃないですぅ!」


 二人の言い合いを止めようかとも思ったが、目を瞑って聞いているとCDドラマみたいで、もっと聞いていたいと思ってしまう。

 カミルの声は、某少年漫画雑誌の人気作をアニメ化した時の主人公の声だ。ザ・熱血少年役。ギルベルトの声優さんも、同じ漫画雑誌の他作品の主人公を演じていたので、夢の共演! そんなことを考えていると、ギルベルトとカミルの会話が止まっていることに気がつき、目を開けた。

 二人と目が合う。


「もう寝たいか?」


 私は首を横に振る。


「二人とも良い声だなぁと思って」


 とたんに、二人は目を点にしたあと、すぐ顔を見合わせた。


「ミアは相当疲れてる。四の五の言わず、お遣いしてこい」


 ギルベルトが高圧的に言うと、


「ったく、ミアの為だからな。ひとつ、貸しな!」


 ぶつくさ言いながらも、カミルはドアを開けて廊下に出て行った。

 ギルベルトは私の向かいの椅子に腰を下ろし、心配そうにこちらを窺う。


「大丈夫か? ずいぶん歩かせたよな、悪い」


「確かに結構歩いたけど、このくらい慣れないとね。この先も旅は続くわけだし」


 私が笑うと、ギルベルトも頬を緩ませた。でも、すぐに真剣な顔になる。


「カミルのことだが……一応、警戒しておけ」


「えっ?」


「あんな子供が、森に一人でいるのもおかしい。それにタイミングがな……」


 森でディートリヒに出会って、自分が追われていることを知った。この先も追いかけてくるようなことも言っていた。


「でも、カミルは子供だよ! 悪い子には見えないし……」


「そうだな。俺もそこまで疑っているわけじゃない。だけど、用心に越したことはない」


 子供であるカミルまで疑わないといけないなんて、この先出会う人すべてを疑ってかからないといけないということだろうか。


(今まで命を狙われたりしたことがないから、想像もつかない……私、大丈夫なのかな)

 暗い不安が襲てくるが、とっさに首を振ってそれらを払い除ける。

 その時、部屋に近づいてくる誰かの足音が聞こえた。

 ギルベルトは身構え、私は身体を堅くする。


「おーい。両手がふさがってるんだよー開けてー」


 カミルの声だ。

 ギルベルトはドアを開けた。


「こんな重いもの、子供に運ばせんなよな」


 カミルは悪態をつきながらも、盆をテーブルの上に置いた。


 食事を終え、一息ついている中、ギルベルトおもむろに、ベッドで飛び跳ねているカミルに声を掛けた。


「カミル、お前はどこから来た?」


 カミルは飛ぶのをやめ、面倒そうに答える。


「どこからだっていいだろ」


「よくない。俺たちは明日、リオンゲンの街に向けて出発する。お前を送り届けるにも、リオンゲンと離れていると難しい。この村の誰かに託すしかないだろう。だから、お前の家を聞いてるんだ」


 カミルはギルベルトと目を合わさず、ごろんとベッドに仰向けになって、両手両足を投げ出した。


「俺はいたいけな家出少年なの。当分、家には帰らないんだよ」


「お前はどう見てもいたいけではないな。じゃあ、家出少年。お前はこれからどうする気なんだ?」


 ギルベルトが少し態度を和らげて問うと、カミルは体を起こしてキラキラした目で私を見た。


「ミアと一緒に行きたい。ミアって可愛いし、どうせ旅するなら俺、ミアみたいな可愛い子といるほうが楽しい!」


「このマセガキが」


 ギルベルトは頭を抱える一方、カミルを突き放すようなことはしない。それが不思議だった。

 この村に置いていくこともできるのに、彼はそれをしない。ちゃんと誰かに託そうとしているし、半分疑っていて、更にはあまり好いているように見えないのに、カミルに対して責任を持とうとしている。


(ギル、偉いなぁ)


 カミルが加わって、ギルベルトの普段見られない姿が見られるようになった。

 ギルベルトは面倒見が良いのだろう。

 ゲームでも、同郷というだけで主人公のティアナを気に掛けていたのは、彼女の愛らしい姿や性格の為ではなく、ギルベルトの性格によるものだったんだ。この私に対してもそう。ディートリヒから狙われていると知るや、家に帰らず、旅を続行。これも、ひとえにギルベルトの面倒見の良さから来ている行動で、カミルのことも放っておけないのだろう。


「俺たちの旅は危険だぞ、それでもついてくるつもりか?」


 ギルベルトは真剣なまなざしをカミルに向けた。


「危険? へっちゃらだよ。俺だって伊達に家出してないんだぜ」


 カミルは自慢げに胸を逸らす。


 確かにこれから追手が来るとなると、十歳程度の子供を同行させるべきではない。ここに置いていくのも心配なのだけど、だからといって連れて行くのもやはり不安だ。


「カミル、私たち……私ね、変な人に追われてるの。だから、その人が、手荒な真似をしてくるかもしれないの。一緒にいたら危険だよ。カミルは自分の家に帰った方が良いよ」


 カミルはちょっと間をおいてから、微笑んだ。


「それなら猶更、仲間は多い方が良いじゃん。俺こう見えても結構強いんだぜ。そんな奴ら、俺が蹴散らしてやるよ」


 カミルは両肘を曲げて、腰に付けて踏ん反り返った。


「結構強いねえ……まあ、足手まといにはなるなよ。俺が優先して守るのはお前じゃないからな」



 寝る準備が整った段階で、困ったことが起こった。

 ベッドが足りないのだ。


「気にするな、俺は床で寝る。お前たちが寝床を使え」


 防具を外して身軽になったギルベルトは床の上でマントに包まり、カミルのベッドの足元に横になってしまった。こちらに背を向けて。


「俺、全然気にしないから、一緒に寝ようぜ」


 カミルが誘うも、ギルベルトは無言で拒否する。


「あ、じゃあ、俺がミアと寝て、ギルベルトがこのベッド使えば?」


 カミルがそう言って、私のベッドに移動しようとすると、起き上がったギルベルトがすかさず彼の首根っこを摘まみ上げ、


「そんなことしなくて良いから、大人しく寝ろ」


 ベッドにカミルをひょいっと投げる。


「じゃあ、じゃあ、ギルベルトがミアと……」


 ゴンッという嫌な音。


「いってぇ‼ また殴りやがったな!」


 ギルベルトがカミルの頭にまたもやげんこつを落としたのだ。


「いいから、大人しく寝ろ!」


 語気を荒げてそう言うと、ギルベルトは床にごろんと横になった。やはり、こちらに背を向けている。

 ギルベルトとカミルのやりとりが何だか面白くて、兄弟みたいで微笑ましい。

 でも、それきり二人は黙り込んでしまったので、私は欠伸をしながら、テーブルにあった蝋燭を消して、ベッドに潜り込んだ。




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