第11話 追う者
「どういうことだ!」
「そのままの意味ですよ。私はミアさんをお連れするために派遣されたんです。なのに、あなたときたら、勝手に連れ出して。あまつさえこんなところにまで連れて来て。こちらこそ伺いたいですね。どういうおつもりですか、と」
男は冷めた目でギルベルトを見下ろした。
「ミアさん、あなたもあなたですよ。勝手に職場放棄ですか? あなたは雇われの身ですよ。自分都合で館から出ることは許されません。さあ、私と一緒に行きましょう」
「勝手なこと言うな! どうしようとミアの自由だろう!」
「そういうわけにはいきません。ミアさんは、占いの館ローゼから、我々に売られた身。私たちの所有物なのです」
男はギルベルトにひやりとするような冷たい視線を投げた。
(占いの館から売られた? え? いつ売られたの? 誰に?)
最初に占ったとき、占いの館ローゼの女主人と思われるおばさんが言っていた、売り飛ばすという言葉が蘇る。
(じゃあ、あの人は本当に、言葉通り、私を売り飛ばしたの?)
人身売買なんて非道すぎる。
「なんだと……」
ギルベルトも初耳だったのか、声に動揺した響きがある。
「さあ、これでわかったでしょう。彼女を大人しく引き渡しなさい。そうしないと痛い目に遭うことになりますよ。痛いのは嫌でしょう?」
男は口の端を上げて笑う。
「ミア、俺がいる。心配するな」
ギルベルトは男から視線を逸らさぬまま、私を安心させるようにそう言った。
ミアと呼びかけてくれたのはこれで二度目だ。でも一度目は、まどろみの中で聞いたから間違いかと思った。けれど、今確かに彼は私の名を呼んだ。それが何だかくすぐったくて、私は自然と笑みがこぼれた。心配するなと言ってくれるギルベルトの背中が、とても頼もしく見えて、私の中の不安が少し和らいだ。
できるかぎりの抗議の思いを込めて、男を睨みつける。
そんな私を見てか、男はすっと目を細めた。
「あなたは大人しく渡す気がない。ミアさんも自ら来る気がない。困りましたねぇ。手荒な方法をとるのは僕の主義に反しているのですが……仕方ありませんね」
男が片手を私たちの方に向けてかざすと、
「『偉大なる地の神ボードゥエルよ。その力、今ここに示したまえ……貫け、大地の
男の手の前に緑色の光で描いた魔法陣が浮かび上がった。
次の瞬間、ギルベルトの足元にも同じ模様の大きな魔法陣が出現し、地面が波打ちだしたかと思うと、土でできた鋭い刃が無数に突き出してくる。ギルベルトは咄嗟に私を抱え、後方に飛びのいた。
(何これ! 魔法⁉)
初めて見る現象に、驚きを隠せない。
鋭い刃は既に収まっているが、地面は酷いありさまだった。
ギルベルトは少し離れたところに私を立たせ、踵を返し、元の位置へ戻っていく。
「『勇敢なる炎の神ファイエル、その力、我に与えたまえ! 纏え! 炎の鎧!』」
ギルベルトが男と同じような言葉をつぶやくと、彼の前に赤い魔法陣が出現し、彼の構える剣身が真っ赤な炎に包まれた。その炎は普通に焚火で見るようなものではなく、どこか不思議な気配を漂わせている。
(ギルベルトの魔法⁉)
驚いたのも束の間、今度は男が天に手をかざし「『……穿て、大地の矢!』」と叫ぶ。大きな緑色の魔法陣がギルベルトの頭上に出現し、そこから土色の鋭い矢のようなものが無数に飛んでくる。
(あ、危ないっ……!)
ギルベルトは左右前後に交わしながらも、炎の剣で薙ぎ払う。全ての矢を落とすと、今度はまっすぐ剣を振りかざした。男までの距離は五メートルほど。届くわけがない。しかし、炎の剣から飛び出した炎の渦が、男めがけて飛んでいく。男は地面に飛び降りて、それを躱す。炎の渦は対象物を失うと瞬時に消えてしまった。放った攻撃が宙に霧散するのとほぼ同時に、ギルベルトは男に駆け寄っており、頭上から剣を振りかぶる。だが、身軽な男はさっと身を翻して、距離をとった。
「困りましたね。僕は戦闘が長引くのは好きではない。今日のところはこれで退散します。また、お迎えに上がりますよ、ミアさん」
ギルベルトがまたも切り掛かろうとするが、男は後方に飛びのいた。
「一応、名乗っておきます。僕はディートリヒ。教会からの使者です。では、またお会いしましょう」
ディートリヒと名乗った男は、森の奥へと消えていった。
一瞬追いかけるか躊躇したギルベルトは、ちらっと私をみてから、肩の力を抜いた。とたんに、剣に纏わりついていた炎が瞬時に消える。剣を柄に収めると、ギルベルトは私の傍にやってきて、屈みこんだ。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
「ギルこそ、大丈夫?」
安心させるように、彼は大きな手を私の頭の上に置いた。
「無傷だ」
そう言うと、その場にすとんと腰を下ろす。
「お前知ってたか、教会に……」
ギルベルトは言い淀む。
「売られたこと? ううん、わからない。私は知らなかったけど、記憶を失う前の私は……知っていたかもしれない」
ミアは売られたことを知っていたのかもしれない。彼女の気持ちを想像すると、胸の奥がひどく疼く。
私は胸の痛みを感じながら、ギルベルトの隣に座った。
「そう、だったな。悪い。でも、そうか。お前は追われてるんだな……」
そう言ったきり、ギルベルトは黙り込んでしまった。何か考えを巡らせているようだった。
やがて、顔を上げ、私をまっすぐ見つめる。
「これからリオンゲンへ向かう。家には戻らない」
きっぱりそう言い切って、ギルベルトはまた方位磁石を出した。
「今度は北に向けて歩く。北からも森へ入ったことがある。大丈夫だ、任せておけ」
「その、リオンゲンには何があるの?」
「じいさんの古くからの友人がいる。その人なら、力になってくれるはずだ」
「力に?」
ギルベルトは頷いた。
「お前を金で買ったような奴らには渡さない。それがたとえ、教会であってもな」
ギルベルトは私の頭に手を伸ばして、くしゃっと撫でた。
「心配するな。俺がどうにかする」
ギルベルトの言葉に泣きそうになった。
教会から私を迎えに来たというディートリヒという男。
そして、魔法攻撃。
あんなものを目の前で見せられて、平気でいられるはずがない。
ギルベルトが怪我を負うのではと思うと気が気ではなかった。
ギルベルトが頭を撫で続けてくれる。
その優しさが嬉しくて、涙がぽろぽろこぼれた。
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