第13話 神官セレナは奇跡を担う

「大気に含まれた汚染水……? い、いえでも雨が降り出したのは病気が蔓延した後ですわよ!?」

「違うの。違うんだよ、ルーネちゃん。空気には水が含まれてる。それが汚染されていたんだよ!」

「そんな……。で、でもどうやって身体の中に」

「呼吸だよ。分かるはずがない。こんなの、気がつくはずがなかったんだよ!」


 セレナの中で全てピースが繋がった。

 それなら、『嘔吐薬』を飲ませても意味がないはずだ。


 何しろ川の水と違って、取り込んだ水は呼吸の際に肺の中に蓄積される。

 取り出す部分が違うのだから。


「しかし、セレナ様。どうやって……」

「肺の中を洗浄する薬があるの。沸騰させて蒸気として吸い込んでもらうんだけど、その薬の在庫はある。大丈夫! みんな救えるよ!!」

「わ、分かりました! お手伝いいたしますわ!」

「ううん。ここは大丈夫。ルーネちゃんは、近くの教会まで『人戻し』を取りに行って欲しい」

「承りましたわ!」


 セレナとルーネはそう言うと、雨の中……カノンを連れて、セレナは中に入った。

 反対にルーネは近くの教会に向かおうと反対に踵を返した瞬間、


 ドンッッッツツツ!!!!


 激しい雷鳴が、すぐ側から鳴り響いた。


「ルーネちゃん!!?」


 振り向くと、そこには被雷したルーネが倒れていて、


「ルーネちゃん!」


 カノンを素早く診療小屋に寝かせると、走ってルーネの元に駆け寄った。


 脈を測定。まだある。

 彼女は生きている。だが、火傷がひどい。


「なんで……」


 雷が人に当たるなんて、それは一体どんな確率だというのだ。

 しかも近くにはもっと背の高い建物がある。それらには落雷せずに、ルーネだけにあたった?


 そんなこと、あり得るのか。

 そんなことが、起こりうるのか。


「【聖典サーラ医神の抱擁メディニア・アンプレス】」


 セレナはすぐに迷いを打ち払うと、治癒の神秘を発動。

 病気には1つも使えない治癒の神秘だが、怪我には何よりも効果を発揮する。


 ルーネの身体を白い光が纏うと、火傷を癒やしていく。


 そんな彼女の癒やす奇跡を邪魔するように、雨はさらに激しくなった。まるで桶をひっくり返した中にいるかのような激しい雨。豪雨、というよりもまるで滝の中に入ってしまったかのような水の量。


 空から降りしきる雨粒が大きすぎるがあまりに、雨が痛い。

 そして何よりもその雨は異臭をまとっていた。まるで、海の底からやってきたような、釣り上げた魚を放置しつづけたような……そんな、生臭さが。


 その豪雨の中でセレナは顔を上げて……空を見た。


「……うん、そうだよね。んだもんね」


 激しく降る雨の中、セレナはその巨人の姿を見た。

 雨の中に潜んで、山の向こうからぬっと姿を見せた魚の巨人を。


 いや魚と……そう、表現するのが正しいのかは分からない。

 体表は夜の闇に溶け込むような鉛色。

 それは、村人たちが吐き出した毒と全く同じ色をしている。だから、セレナはその姿を見てひと目で分かった。


 その巨人こそが、原因なのだと。

 水をおとしめ、大気を冒涜ぼうとくする。


 そんなことが出来るのが、《厄災》でなくてなんだと言うのだ。


 巨人を覆うのは自重で潰れぬように強化された筋力と、鎧のような鱗。

 口元にはタコのような、イカのような、そんな触手が無数に生えており、頭部についている巨大な2つの魚眼はまるで深海魚のように世界を舐める。


「……ずっと、そこにいたんだ」


 雨が降りしきる中、巨人の姿は半分しか見えない。

 いや、違うのだ。半分だけ、のだ。


「村人たちを《眷属さかな》に出来ないから……出てきたの?」


 空気の屈折率を変更し、自らを透明化する。

 それは、セレナたち神官があつかう神秘の中にもある技術だ。


「《眷属》にするのを邪魔したから……カノンちゃんとルーネちゃんを傷つけたの……?」


 セレナの問いかけには答えず、魚の巨人は

 ズン、と腹の底に響くほどの衝撃。山の斜面が巨人の質量に耐えきれず、崩れた。


「な、何の音だ!?」

「神官様! 早く中に入ってくだせぇ!」


 村人たちがその異変に気がついて、外に出ると……山をまたいだ巨人を見て全員が言葉を失った。


 だが巨人はそんなこと気にした様子もなく崩れた山に手を伸ばして、巨大な岩を掴む。

 その腕には大きなヒレがついており、海中に特化したフォルムだということが……よく、分かった。そして、巨人は吠えながら巨大な岩を投げた。


 ぶわっ!!!

 と、周囲の雨を振り払うと岩が村に向かって飛んでくる。


「すげぇ岩だ!!」

「こ、こっちに飛んでくるぞぉ!」

「逃げろ! 潰されるぞ!!」


 逃げ惑う人々に、セレナは一喝。


「動かないでください!」

「神官様!?」


 慌てふためく村人たちを制した。


「動くと……守れないですから」


 そして、詠唱。


「【聖典サーラ豊穣神の極壁ケレニア・イプシム・マルス】」


 ドウッ!!

 

 セレナの詠唱に応じるように跳ね上がった地面が壁となって、巨大な投石から村を守る


「じ、地面が壁になった!?」

「魔法!? 神官様は魔法使い!?」


 驚く村人たちを前にして、セレナは大きく息を吸って吐き出した。

 

 ……討伐は、嫌いだ。

 いや、そもそも戦うことが好きじゃない。


 戦いは何も生み出さない。奪うだけだ。


 だが、セレナだって人間である。

 たとえ戦いが好きじゃなくても、友達が傷つけられて黙っていられることなんてできやしない。


 《眷属》に出来ないのであれば村人を殺そうとする《厄災》を前にして、黙っていることなんて出来るわけがない。


 だから、これからセレナがすることなんて――最初から、決まっている。


「私は神官。神官セレナです」


 降りしきる雨に負けないように。


「神の従者にして、神の槍」


 目の前にいる《厄災》に負けないように。


最高神ソルニアの名において、皆さんを絶対にお守りします」


 そして何よりも、村人たちを元気づけるために――セレナは吠えた。


「【聖典サーラ太陽神の怒りソルニア・イゲニウム】」


 そこに生み出されるのは、原初の炎。

 世界に昼を、そして夜を生み出した世界の炎。


 故にそれは、高エネルギーの凝縮体であり真白に輝く。


「【解釈レナトス天貫く神の槍オムニオ・ハスタ】」


 その光は大きく伸びると、巨大な杭にも思える槍の姿を取った。


 降りしきる雨が気化して、周囲の水滴を弾き飛ばす。

 じりじりと溢れ出る放射熱だけで、セレナの服の水分が無くなった。


「貫いて」


 光の槍は次の瞬間、世界を駆け抜けた。

 雷のように、彗星のように、夜の闇を光が走り抜けて、


 そして――人々は奇跡を見る。


 巨人の頭が内側に陥没。

 刹那、槍が貫通。大きな穴が開く。


 そして、《厄災》の頭部は槍の高温に耐えられずにプラズマ化すると、体積を膨らませて――爆発!!!


 そして槍はそのまま駆け抜けて、空を貫いた。


「すげぇ!!」

「なんだこれ……」

「つぇえ……」


 そして光槍は雨雲を弾き飛ばすと、天に大きな穴を開けて――そこから月の光が顔を見せた。

 光が村に差し込み、あっけにとられた村人たちの顔が照らされて、


「ごめんなさい」

「なんで謝るんだ? 神官様」

「そうだよ、神官様は俺たちの村を救ってくれたんだ!」

「あの化け物も倒してくれた!」


 そういう村人たちにセレナはそっと首を横に降ると、静かに唱えた。


「【聖典サーラ夜神の眼光ノルニア・プリマ】」


 セレナの詠唱によって、すっと全員が急に眠りについた。


「……ごめんなさい。神秘は、バレちゃダメなんです」


 セレナ以外の全ての生き物が眠りついた空間の中で、術者はひどく申し訳無さそうにそう言うと、


「でも、きっと……今日は、いい夢が見れると思います」


 微笑んで、全てを終わらせるために動き出した。

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