第11話 病は離れず
「身体が重たい……ですか?」
「はい。最近、農作業をしてたら身体が重くて重くって……」
診療小屋にやってきた村人の話に、セレナは首を傾げた。
「重い、というのは疲れ……ですかね?」
「それが、昨日から急になんです。まるで、ずっと子供でも背負ってるみてぇに身体の自由が効かなくって……」
「顔を下にして横になってもらえますか?」
「はい」
触診用のベッドに横になった村人の背中を触っていく。
だが筋肉の凝りや何かの異変は感じられない。
「何か気になることはありましたか?」
「……あ、あの、神官様。気になることは……何でも良いですかい?」
「はい。構いませんよ」
「実は、昨日の夜に変な夢を見たんです……」
「変な夢、ですか?」
「は、はい。その、ずっとずっと昔の夢なんです」
「子供のころ、ですか?」
セレナは触診を終わらせると、村人に身体を起こすように指示をした。
彼はゆっくりと身体を起こして、元の患者用の椅子に座り直す。
「違うんです。もっと昔の夢……でさぁ」
「子供より昔?」
自分でもおかしなことを言っていることは自覚しているのだろう。
村人はとても言いづらそうに、むずがゆそうに顔をしかめたが……それでも言い出した手前、そこでやめることもできずに続けた。
「生まれる前の夢を……見たんです」
「聞かせてください」
常人であれば一笑に付すような話でも、セレナは少しだけ身を乗り出して続きを促した。夢、というのは危機を知らせてくれる大事な手段だ。そこにヒントがあるかも知れない。
何しろ同じ悩みを既に10人近くから聞いているのだから。
「その……なんて言うのか難しいんですけど、俺たちが生まれるときはお袋の腹から生まれるじゃないですか」
「えぇ、そうですね」
「その前って、お袋の腹の中に入る前はどこにいるかって考えたことも無かったんです。でも、昨日の夢で……それに気がついたんです。俺は、生まれる前。ずっとずっと前は、魚だったんですよ」
「……魚、ですか」
「暗いくらい水のそこで、おれたちはずっと泳いでたんです。死ぬまで、およいでたんです」
「それの後に生まれた……と、言うことですか?」
「海のそこで死んだから、ひとになったんすよ。だっておふくろは水を飲むでしょう? そのみずからおふくろの中に入ったんです。それで俺は生まれた。だから、身体がおぼえてるんです。おふくろにのまれるときの感触を。暗いなかに落ちていく恐怖と、安心感……」
「なるほど……」
セレナは頷いた。
頷きはしたが、そんなことなどありえないと理性がささやくので……それを顔に出さないので精一杯だった。
母親が水を飲んだから、自分が生まれたと。
生まれるずっと前は魚だったと。
そんな話、夢だと片付ける方が簡単だろう。
一笑に付して、片付けてしまった方が簡単だろう。
「お話いただいて、ありがとうございます」
「……あ、あぁ。変な話、だと思うかも知れねぇけど。それからずっと身体重いんだ。なんか、俺は陸の上で暮らすんじゃなくて川とかの方が向いてる気がするんだよ……」
これと全く同じ話を聞かされていなければ、の話だが。
「そんなことは無いと思います。きっと、病み上がりで身体が治ってないのに、しっかり働かれたからですよ。働き者なのは良いことですが、もっと身体を
「そう、ですかね……。へぇ、気をつけます……」
「今日はいつもより早く寝てください。私の方でも、元気になれるように色々調べてみますから」
「いつもいつも助かります。本当に……」
そう言って去っていった村人の姿を見ながら、セレナは隣に立っていたカノンを見た。
「……どう思う? カノンちゃん」
「どう思うって……。
「そう、だよね」
村人たちの病が完治してからまだ3日。
水を飲む時は沸騰させたものをちゃんと飲んでいるはずだ。
流石にセレナとて全ての人が言ったとおりのことをやってくれるとは思っていない。
だとしても、まだ病が去って3日目。流石に病気の痛みは覚えているはずで、沸騰させていない水を村人たちが思わず飲んでしまったなんてことは……無い、だろうと思ってしまう。
だから、病気が再発なんてすることはないはずだと、そう思いたいのだが。
「それに、1人や2人ならまだ分かるけどもう10人目よ? きっと、何かがあるわ」
「そう、だね。ルーネちゃんが帰ってくるの待ちにはなると思うけど……。念の為、『嘔吐薬』の準備だけしておこっか」
「ねぇ、セレナ。アンタはやらないとは思うけど……治療ミスって可能性はないの? 吐かせるだけじゃ不十分だったとか」
「ううん。それはないよ。ちょっと心配に思って、昨日確認してみたんだけど『
「じゃあ何なのかしら」
カノンも困ったように息を吐き出した。
「う、うーん……。そもそも『
「そんなことありえないの、アンタが一番知ってるでしょ」
カノンからそう言われて、セレナは思わず目を伏せた。
彼女はこの村にいる誰よりも病に詳しい。だからこそ、気がついてしまう。今の状態が、『
「で、でも。みんな水はちゃんと沸騰させて飲んでる。『
知識は力になる。
少なくともセレナはそう思っていたし、今でもその考えは変わらない。
だから、これまで彼女は多くの人を救ってきたのだ。
「とにかく対策しないと……。今のうちに出来ることだけを、やろっか。カノンちゃん」
「そうね。前と違って、今は備えられる時間がある。それだけは良いところだわ」
そういって頷いた2人の元に、
「はい。どうされました?」
また新しい患者だろうか。
そう思ってセレナが扉を開けると、そこには村の中で最後に病気が治った女の子の……母親が水の入った桶を持って立っていて、
「神官様! うちの子が! うちの子が!!」
半狂乱になった母親が持っている桶の中、その中で泳いでいるのは小さな……とても小さな、1匹の魚だった。
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