第9話 青い花

「あ、あった。これが青花藻せいかもだよ!」

「小さな花ですわね……」


 森を流れている川の上流付近。

 セレナが指差した川辺には、確かに指の腹ほどの小さな青い花が自生した。


「これで『嘔吐薬』ができるんですの?」

「うん。葉っぱも使うから、花と一緒に取っておかないと……」


 そういってセレナは靴を履いたまま、川の中に入っていく。


「ちょ、ちょっと! セレナ様!?」

「だ、大丈夫だよ。この靴、防水加工がしてあるから……」

「あ、そうなんですの……。急に入っていくものだから、びっくりしましたわ」

「ルーネちゃんは川に入らない方が良いよ。どこまで水が汚染されてるか分からないから。もし傷口から水が入ったら大変なことになっちゃう」

「でしたら、私はここで待機させていただきますわ」

「うん。それが良いと、思う……」


 セレナはそういうと、川の中に生えている青花藻せいかもの茎を引き抜いて袋の中に入れた。川の中にはかなりの量の青花藻せいかもが生えている。もしかしたら、ここにある量だけで村人たち全員を助けられるかもしれない。


 そんなことを考えながら、セレナが腰をかがめた瞬間、ぎぃん!! と重たい音が川辺から聞こえてきた。


「……っ!?」


 とっさに顔を上げると、そこには突如現れた魚人の槍を弾いたルーネの姿があって、


「ルーネちゃん!?」

「大丈夫ですわ!」


 森の中でセレナが神秘を使ったときには出てこなかった個体だろう。

 その膨れ上がった筋肉でもってルーネに襲いかかっていたが、彼女もまた鍛え上げられた騎士である。ただ無造作に槍を振るうだけしかしない魚人の槍を全て回避すると、お返しとばかりに浅く首の部分を斬った。


 だが、それでは意味がない。

 なぜなら、魚人たちにからだ。


 そもそも、元の魚の姿を見れば分かるが……頭の付け根はあっても人間のように弱点となる首などないではないか。


「ルーネちゃん! 眉間のところだよ! そこに神経の塊が通ってる!」

「活き締めですわね」


 だが、元が魚なのであれば……そこに弱点もあるというものだ。

 ルーネは大きく踏み込むと、眉間に折れた槍を突き刺した。その瞬間、ぶるり、と魚人の身体が大きく震えると、その動きが大きく鈍って膝をつく。


「……ぶる、ぐるふ」


 刹那、魚人はルーネに手をのばした。

 それは、恨み言のようにも、命乞いのように見えて、


「先に手を出したのはあなたですわよ」


 だが、そんなものでルーネは止まらない。


 彼女はぐるりと左足を軸にして回転。

 追撃の蹴りが眉間に差し込まれた槍に叩きつけられる。魚人の身体に大きく刺さった槍はさらに深く食い込んで神経を破壊すると、魚人を絶命させた。


「急に出て来ましたわね」

「や、やっぱり撃ち漏らしが……」

「いえ。おそらくはさっき戦った集団とは別個体でしょう。この周辺で、大量変異が起こっているのかも知れませんわ」

「……むむむ」


 大量変異ということは、それだけの厄災がいるということである。

 そして、それだけ厄災がいるということは、村を救い出すにはそれだけ“討伐“しなければいけないということである。


 いかに村人を助ける必要があるとはいえ、セレナにとって討伐が気乗りしないものであることには変わりないのだ。


「もしかしたら、あの集団からはぐれていたのかも知れませんわね」

「そっちの方が、良いよ。たくさん討伐しなくて……済むから」

「えぇ、そうですわね」


 ルーネの言葉に、セレナはこくこくと頷いた。


 彼女はすばやく青花藻せいかもの採取を終わらせると、森を抜けて村へと戻った。


 そこでは、疲れ果てた顔をしたカノンが待っていて、


「ちょ、ちょっとセレナ……。交代、もう無理……」

「交代? どうしたの?」


 何が起きたのか分からず首をかしげていたセレナの元に、村人たちが走ってやってくる。


「し、神官様! うちの坊主が吐いたあとに熱を出したんだけどよ!」

「神官様! うちの人の鱗が剥がれないんです!」

「ご、ご飯が食べれないってうちの子が言うんです。神官様。どうしたら良いですか!?」


 その一連の流れで何が起きたのかセレナは全て理解すると、採ってきたばかりの青花藻せいかもをカノンに手渡した。


「分かりました。1人1人対処にあたります。カノンちゃんは、これで『嘔吐薬』を作ってくれる?」

「……えぇ、それくらいはやるわよ」


 頼もしい後輩の返事を聞いたセレナは、すぐに手当に取り掛かった。


「子供の熱ですが、吐いたというのは水を飲ました後ですか?」

「あ、あぁ! 神官様の言ってた“毒”を吐き出したあとに、急に熱を出して」

「それは防衛反応です。まだ身体ができあがっていない子供は、急激な体調の変化を身体が誤認識して熱を出すのです。普段、熱が出たときのように濡れた布を頭に置いて熱を冷ましてください」

「あ、ありがとうよ!」


 男性が去っていくのを見ながら、セレナは次に向かう。


「旦那さんの鱗が剥がれないということですが、旦那さんは青い薬を飲まれました? 黒い薬を飲まれました?」

「あ、青い方だよ! あの灰色の塊を吐き出したのに、全然鱗が剥がれなくて……」

「体調はどうでしょうか? 熱や震え、喉の乾きは?」

「どれも治ったって言ってたよ」

「だとすれば、鱗は遅れて剥がれると思います。もし今日の夜になっても鱗が剥がれないようであれば、また来てください」

「助かるよ……」


 去っていった女性と入れ替わるようにして、別の相談者がやってくる。


「お子さんがご飯を食べられないということですが、治ったばかりで固形物が食べられないのかも知れません。いま、お水は飲んでますか?」

「は、はい。それはちゃんと飲んでいます……」

「なるほど。だとしたら消化器官……身体の内側がまだちゃんと治りきってないんだと思います。スープなどの水分で栄養が取れるものを作ってあげてください」

「分かりました……!」

「数日かけて、またご飯が食べられるようになると思います。その時も消化によくないものではなく、ちゃんと食べやすいものを作ってあげてくださいね」

「は、はい! ありがとうございます! 神官様!!」


 そして、セレナはやってきた村人たちの相談事を全てさばくと、カノンの元に戻る。彼女はセレナから預かった青花藻せいかもを、すり鉢をつかってゴリゴリと削って液体を抽出していた。


「どんな感じになったかな。カノンちゃん」

「もう終わらせたの!? ま、まだ引いている段階よ」

「調合用の油は私の荷物の中にあるから取り出して使ってね」

「分かったわ。すぐに仕上げるから」

「私はちょっと村の中を回っているから」


 セレナはそういうと、森での戦闘なんて感じさせないように村人の見回りに戻る。


 それからわずか10分足らずで『嘔吐薬』が完成し、村人たち全員が毒を吐き出したのを……セレナはしっかりと確認して、誰よりも深く安堵したのだった。

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